だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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邂逅

 2018年9月、神奈川県川崎市にて連続呪殺事件が起こる。これはただの殺人ではなく、極めて悪質かつ計画的な呪術犯罪だった。七海建人、および虎杖悠仁両名が任務に当たり、相手は人間を改造する術式を持ち、呪力を持った化け物に変化させて使役する能力である事が発覚。

 相手の等級は未だ不明ながら、暫定的に準一級以上の相手と判断。ただし、術式の悪辣さから危険度はそれに数倍すると予想される。

 悠仁には重要参考人である吉野順平の探りを、建人は残穢から推測される呪霊の追跡を行う事になった。

 敵は下水道や破棄された地下路を拠点にしているらしく、正確な地図の入手は困難。ここで時間をかければ数十人が、逃がしてしまえば数千人という被害者が出ると推測された。

 

(虎杖君の方はまだ大丈夫でしょう。問題は呪霊……術式の解釈をどこまで広げられているかにもよるが、最悪の場合は捉えることすら非常に困難だ)

 

 はあ、と小さくため息をつく。ちらりと時計を見れば、十七時を回っていた。

 建人は“縛り”によって“残業”に入ると、呪力出力を跳ね上げる事ができる。が、これは代わりに継戦能力を投げ捨てた諸刃の剣だ。発動した瞬間、すべての潜在呪力を発散し、一時的に無能となる。

 スマホを取り出してコールする。電話はすぐに繋がった。

 

「伊地知君」

『どうしたんですか、七海さん。何か問題でも?』

「問題というほどでもないですが、念のため、試しに増援要請を頼んでもらいたい。できれば(むた)君あたりがいいのですが。彼は優秀だし、なにより口も堅い」

『掛け合ってみます。少々お待ちください』

 

 電話が切られ、五分ほどで折り返された。

 

『メカ丸を向かわせるのは無理だそうです。彼は引っ張りだこですからね、基本的に一級がついている仕事には回してくれませんよ』

「でしょうね」

 

 どうせ、試しにと言った程度で送った連絡だ。落胆などない。ただ事実だけを噛み締める。

 

『ですが一人、交流会の打ち合わせに来ていた京都校の生徒が急に仕事を任され、その行きがかりに寄るくらいはできる、と』

「ふむ……」

 

 生徒。

 正直に言ってしまえば、気が乗らない。肥溜めで溺れるのも、肥溜めでどうやって泳ぐか覚えるのも、全部大人になってからでいい。

 とはいえ、まあ呪いを祓うならばいつもだが、そうそう手段を選んでいられないのも事実だ。

 伊地知の連絡相手は五条悟、次点で家入硝子。どちらであっても十分な戦力を持ち、信頼できる人間なのだろう。

 

(仕方ありませんね)

 

 またもや嘆息して、諦める。

 子供に大人の責任を押しつけるのは嫌いだ。だが、そんなものは所詮、個人の感傷。呪術師として存在している以上、どうしたって避けられない。社会と同じだ。クソというのはある日突然、口の中に詰め込まれる。所詮は早いか遅いかの違い。

 

「ではお願いしてください」

『了解しました』

 

 スマホを仕舞い、背中に隠していた呪具を取り出す。ここから先は、すでに何が起きてもおかしくないのだから。

 

 

 

「惨めだなあ!! この上なく惨めだぞ!! 小僧!!!」

 

 悠仁は今、なぜ建人が自分を子供扱いしていたのかがわかった気がした。

 明確な始まりがどこにあったかは分からない。悠仁が理解しているのは、順平がいいように利用されていたという点だけだった。

 この真人とかいう呪霊が順平に甘い言葉で取り入り、自分と接触したあたりで行動を開始した。恐らく彼の母を呪い殺したのも真人の仕業だろう。心のひびに付け入り唆し、この学校で『報復』を促した。

 そして、順平は今、真人の『玩具』として使い捨てられようとしている。

 本当は駄目だと分かっていながらも、悠仁は己の中に封じられている宿儺に懇願する。順平を助けてくれと。回答は拒絶だった。まるで悠仁の無様な様が、順平の道化じみた死が、愉しくて愉しくて仕方ないと言うかのように。

 

「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!」

「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!」

 

 二つの嘲笑が響く。混じりっけのない嘉悦。それを聞きながら、理解せざるをえなかった。ああ、こいつらは心底“呪い”なのだと。

 吉野順平は、短い付き合いながら多くの事が分かった。自己主張は強くなく、他人に痛みを与えるくらいならば自分が耐えるという、極めて善良な性格。母を大事に思い、とても愛している。不登校なのも、引っ込み思案な性格が災いしたのだと予想できた。

 総じて、彼はいい奴だ。どこにでもいる、ただのお人好しな一般人。真人さえ余計な事をしなければ、高校など行かずとも、自分の望んだ道へと進んでいただろう。母親だって高校に拘らず理解を示し、順平を応援していた。

 そんな人間が。

 騙され。誘導され。母を殺され。他者を害するまでに追い詰められた。

 そして今、命の火が燃え尽きようとしている。抵抗が弱くなり、体から力が抜けていき。順平がこの世から消えるのを、ただただ見せつけられ――

 急に、轟音を立てて校舎の壁が崩れた。

 

(なんっ……!)

 

 壁をぶち破って乱入してきたのは、高専の服を着た、同年代くらいの男だ。身長は自分より頭一つ以上高く、恐らく五条悟と同程度だろう。ただ、彼と比べて明らかに体が肉厚で、いかにも鍛えているといった風体。髪を雑に切りそろえており、無骨な顔立ちと相まって、酷く暴力的な印象を受ける。

 しかしそんなものが吹っ飛ぶほど、男は異様だった。纏っている呪力がとても薄い。ただし、それは弱いという事を意味しなかった。皮膚の上に紙一枚、とてつもない密度で纏っている。悟が精緻すぎるために強さが分からないのであれば、彼は一目見てヤバいと分かる化け物だった。

 

「盛大に出遅れたかと思ったが……まあまあ間に合ったみたいだな」

 

 ゴキゴキと首をならす姿に、真人の軽薄な笑みが陰る。対生物に必殺とすら言える術式を持つ真人といえど、この次元の相手には警戒せざるをえないのか。

 男はちらりとだけ悠仁を一瞥すると、軽く告げた。

 

「お前はその呪霊をとっとと始末しろ。俺はこっちを()る」

「ま、待ってくれ! こいつは呪霊じゃない、人間なんだ! 真人――そこにいる呪霊の術式で無理矢理変えられた! ほっとくと死んじゃうんだ! なんとかならないか!?」

「……あん?」

 

 自分でも無茶なことを言っているのは分かっていた。こうなった人間を助けられるなら、七海建人なり家入硝子なりが治癒している。分かっていても、懇願せずにはいられなかった。

 確かに順平のやった事は悪だ。だが、こんな風に殺されるほどじゃない。この死に方は間違っている。

 男はいぶかしげに順平へと触れると、眉をひそめた。

 

「おい、本当に人間じゃねえかよ、どうなってんだ。くそ、もうちっと詳しく聞いとくべきだったか」

 

 言いながら、彼は何かよく分からない力を順平に注ぎ始めた。呪力のような、全く逆のような。少なくとも悠仁の知識にはないものだった。

 

「ぅぁ……ぁ……」

「順平!」

 

 すると、すでにぴくりとも動かなかった順平が、小さなうめき声を上げ始めた。

 

「――おいおい、嘘だろ? 反転術式のアウトプット? いや、そうじゃない。俺の術式は反転術式だから治るって性質のもんじゃない筈なのに」

「自分の術式を過信しすぎだな。俺の予想では。お前の術式は改造でも変形でもなく、変更。あるべき正しい形を変えてるんだ。故に、普通の反転術式を使ったところで意味はない。今が正しい形なんだからな。だから、俺がすべきは治すではなく直す! 少し手前の正しい『貌』を探しだし、そちらに適応させる!」

 

 人を小馬鹿にした笑みを引っ込め、目を見開いた真人に、男はこともなげに言う。

 真人の表情は、図星を突かれた、といった類いのものではない。いや、そういった要素も多少は含んでいるのだろうが。驚嘆の大部分は、分かっていたとしてもそんな真似できるはずがないのに、だ。

 

「よく分かんねえけど、順平は助かるんだな!?」

「時間がかかる。あっちまで面倒みてられん。責任持ってお前がぶち殺せ」

 

 言うと、男は肩に順平を担いでその場を離れていった。

 真人はそれを追おうとしない。無闇に行けば悠仁の逆撃を食らうからというのもあるだろうが。一番の理由は多分、彼にとって、順平はその程度の存在なのだ。役割は果たしたし、もう遊び尽くした。これ以上、玩具がどうなったところで興味はない。

 悠仁は気がつけば、真人の顔面を殴り飛ばしていた。

 全身から膨れ上がる怒りが支配する。呪力とはすなわち負の感情、彼の呪力は過去最大にまで膨れ上がっていた。

 それはある意味、呪術師としての根本。純然たる、混じりっけのない、付け入る余地などない殺意――

 

「ブッ殺してやる」

「“祓う”の間違いだろ、呪術師」

 

 人の呪いと呪いの根源、原始的な二つの“呪”が激突した。

 

 

 

 最初に感じたのは、ごす、という音だった。続いて、全身を痺れるような痛みが走る。

 

「お゛う゛っ!」

 

 いくらか遅れて、尻を何か堅いものでどつかれたのだと気づく。

 なんだか妙に重たい体を持ち上げて、周囲を探った。すぐ近くに、半眼になって片足をあげている男が見える。そこで、つま先で蹴飛ばされたのだとなんとなく予想した。

 何すんだよ、と言いそうになって。ふと、自分が今まで何をしていたかに気がついた。そうだ、戦っているうちに建人が助けに来てくれたおかげで、追い詰められた。最後に自爆しようと膨れ上がった真人に一撃を食らわせたが、それはデコイ。排水溝から逃走しようとしている姿に叫び……そこから記憶がなかった。

 

「真人は!?」

「残念ですが、逃げられてしまいました」

「あ、ナナミン」

「ひっぱたきますよと前にも言った筈ですが」

 

 よくよく状況を観察すると、気を失ってからさほど時間がたってないと分かった。せいぜい数分、長くとも三十分は経っていまい。

 立ち上がろうとして、それには失敗した。その場に尻餅をつく。体に力が入らないし、頭もふらつく。わかりやすく貧血だった。

 

(の割には、思ったほど痛みがないな)

 

 ぺたぺたと体を触ってみる。傷口に触れれば、痛いは痛いのだが。想像していた激痛はない。というか、そもそも傷が明らかに浅かった。自分が少々人間離れしている自覚はあったものの、さすがにここまでではなかったはずだが。

 

「何を勘違いしてるんだか知らんけど、俺が治した」

「え? あ、はい。ありがとうございます」

 

 と、足を戻した男に、とりあえず感謝する。

 

「驚きましたよ、天童(てんどう)君。反転術式までは予想していましたが、まさか反転術式の外部出力までできるとは」

「吹聴してくれるな。俺のは効率が悪くて面倒くさいんだ。便利に使われてやるつもりはない」

「必要な時に使っていただけるなら、私から言うことはありません」

 

 反転術式、なるものが何か悠仁には分からなかったが、声からは確かに疲れを感じた。相変わらず呪力操作が精緻すぎて、そこから消耗を捉える事はできなかったが。

 

「虎杖君……」

 

 男の背後から、ひたすら申し訳なそうな声色で、顔を覗かせるのは……

 

「順平!」

「ごめん……すごく迷惑かけたよね」

「ああ、迷惑をかけられた。人だって傷つけた。でも、そんなもん取り返せばいいんだ。順平が無事で本当によかった……」

 

 疲労も忘れて立ち上がり、思わず抱きつく。

 彼の体は、もう命を感じさせない、冷たく固い感触ではなくなっていた。当たり前に、人の温かさと柔らかさがある。

 人はいつか死ぬ。今回、たくさんの死者を見てきたし、ほとんど介錯といえど、悠仁だって手にかけた。生死の波に飲まれながら、彼は『正しい死』の定義が揺らぎさえしている。それでも、順平があんな死に方をするのは――真人にもてあそばれて死ぬのは、『間違った死』だと信じたかった。

 生きていたならばやり直せる。取り返しはつかなくとも、償いはできてる。今はそれでいい。

 

「本当に……ありがとう。でもとりあえず、何か着るものくれないかな」

「そういやなんで素っ裸なんだ?」

 

 順平は全裸であり、腰を引いて股間を手で隠しながらもじもじしている。

 

「僕にも何が何だか……。気がついたら目の前にこの人がいるし、何を聞く間もなくここにつれてこられたしで」

「男がチンコなんぞ隠してなんとする。胸張ってドンと構えてろ」

「嫌だよ! ただの変態じゃん! 今だってすごくヤバい人だよ! ……この人一から十までこんな調子で、話が通じてるようで通じてないんだ……」

「そういきり立つなって。人間、生きてれば素っ裸で外に出る事もあるさ」

「あるわけないだろ!」

「私が何か取ってきます。話があるなら、戻ってくるまでに済ませておいてください」

 

 と、建人は興味なさげに半壊した校舎へ向かった。学校に都合よく服など落ちているわけないから、更衣室あたりから体操服でも盗ってくるのだろう。

 彼の物言いは、なんだか妙に含みがあるように感じた。

 疑問の正体は、すぐに分かった。順平は明確に罪を犯している。表で裁けない以上、呪術師界隈で何らかの沙汰が待っている筈だ。

 秘匿死刑――そんな言葉が頭に浮かぶ。かつて悠仁に下された刑罰であり、五条悟が力尽くでねじ曲げ、なんとか生きながらえた。呪術界の司法だか裁判だかがどう機能しているか知らないが、同じ判断が下される可能性は大いにある。

 

「なあ、あんた!」

 

 微妙に飽きかけて、欠伸などしていた大男に声をかける。

 

「順平ってこれからどうなるんだ!?」

「どうにもならん」

 

 どうでもよさそうに、しかし極めて冷たく、男が切って捨てた。

 一瞬にして悠仁の顔が青ざめる。順平は、ただ覚悟をしたように小さく俯いた。

 

「順平がした事が悪いってのは分かってる! でもさ、償う機会があってもいいだろ!? 何か……なんとかなんないのか!?」

「いいんだ、虎杖君。僕が一番、それだけの事をしたって分かってる」

「何を勘違いしているのか知らんが」

 

 男は冷たい――というか白けた視線をこちらへ向けてくる。

 

「どうにもならんというのは、助からんって意味じゃない。特に何があるわけでもないと言っているんだ」

「……へ?」

 

 と、二人して間の抜けた顔をする。

 

「呪術規定に基づけば、そいつの罪状は一般人に対する攻撃的な呪術の使用のみ。無理矢理刑法に当てはめれば傷害罪という所だな。一つ聞いておくが、お前は人を殺したか? 体育館の壇上にいたあいつに恨みは?」

「ええと、人を殺した事なんてないよ。あいつにはずっと虐められて……いや、それはどうでもいいんだけど。あいつがウチに特級呪物を忍び込ませて母さんを殺したって真人さんに言われて、カっとなって……。今なら、自分がどれだけ愚かだった分かる。僕は真人さんの言葉を、なんでもかんでも真に受けすぎてた」

「オマエの感想なんぞどうでもいい。まあつまり衝動的な犯行で情状酌量の余地があり、真犯人に洗脳され、実行犯として仕立て上げられたってとこだ。執行猶予付き有罪判決、高専に強制転校あたりが落としどころだろ」

 

 思った以上に軽い罰に、悠仁は思わずぼけっとした。

 呪詛師をしても執行猶予で、特級呪物を食べたら問答無用で死刑。この差に、理不尽を感じたとかではない。ただ、いまいち呪術師の感覚というのが理解できなかった。もしかしたら呪術師界隈は、思っていたより暢気なのでは、とすら思う。

 そういった思考が顔に出ていたのだろう。男は小さく肩をすくめた。

 

「上層部の言葉を代弁するなら、殺し屋をやってる訳でもない新参のチンケな野良呪詛師に、いちいち手間をかけてられるかって所だろうよ」

「なんてーか、つくづく俺って特殊な状況だったんだなー」

「お前の状況こそ知らんが」

「あの、伊藤君を治療しては……」

「それこそなんでだ。意味が分からん。ただの因果応報だろ。そいつは報復されるだけの呪いをため込んだから罰が下った、そんだけの話じゃねえか。ああ、罪と罰が釣り合ってない事なんかよくあるんだから、これ以上下らない話させんじゃねえぞ」

 

 言うだけ言って、やはり彼はどうでもよさそうに視線を外した。

 なんだか、とっつき安いんだか難いんだか、どうにも分からない人だ。なんだかんだ人を助けてくれるあたり、悪い人ではないのだろうが。癖が強い(控えめな表現)、というのが一番正しい表現な気がする。

 ぐだぐだやっているうちに、建人が戻ってきた。体操服を順平に手渡しながら、

 

「猪野君からの連絡がない。非常に口惜しいですが……どうやら逃がしてしまったようですね。虎杖君は治療が必要ですし、吉野君も連行する必要があります。残念ですが、撤収しましょう」

「んじゃ、俺は本来の仕事に戻るから」

「ええ、お疲れ様です。助かりました」

 

 言うなり、男は早足でとっとと退散した。せわしない訳ではないが、こちらを振り返りもしない。ここまでくると、もうそういう人なのだろうという感想しかなかった。

 

「ねえナナミン、結局あの人誰なの?」

 

 すぱん、と平手で頭を叩かれる。

 

「ひっぱたきますよと前にも言った筈ですがとも言いました」

 

 ちょっとふざけすぎたかな、と反省する。でもフレンドリーな方が好きなので、ナナミン呼びはやめない。

 彼はサングラスの位置を軽く直しながら、質問に答えた。

 

天童(てんどう)大地(だいち)。現在四人しかいない特級呪術師の一人です。同時に、この世で唯一、五条先輩に比肩する存在でもあります」

 

 そこで一拍、まあ、と前置きをして。

 

「端的に言って最強の呪術師ですね。プライベートで関わろうとは絶対に思いませんが、戦場なら彼ほど頼りになる人はいません」

 

 はへー、と悠仁は間の抜けた返事を返して。

 この時はまだ、一級呪術師が手放しで称える特級呪術師がどれほどの存在か、理解していなかった。

 

 

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