だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
東京メトロ渋谷駅地下五階のホーム。そこに招かれるまで、さしたる労力はなかった。というか、そもそも抵抗そのものがなかった。
分かりやすく誘われている。
レールの上を歩きながら左右を見れば、人間が所狭しと敷き詰められている。渋谷駅のラッシュ時がいつかなど知らないが、周囲の人間を無理矢理ここに集めたのだろう事は想像に難くない。
観客、という訳ではないだろう。人質というのもあるだろうが、それだけではない気がする。これだけ用意周到に準備を整えてきた連中だ、多少の犠牲で五条悟は止まらないという事くらい分かっているはずだ。
数え切れないほど犇めく人間と。中央には呪詛師と呪霊。まあ分かりやすくこの世の終わりみたいな光景だ。
「無間地獄でも気取ってるのかね」
だとすれば。驚くほど陳腐で――頭が悪い。これが、誰にとっての地獄になるのかすら理解していないのだから。
悟が吹き抜けを降りきるのと同時に、上と出入り口が帳で閉じられる。意識せずとも、六眼で帳の情報が入ってきた。五条悟の入出を禁ずる。丁度、交流会の時に貼られたものと同質だ。ただし、あちらより遙かに範囲が狭いため、効果時間も強度も上。一度味わって学習したために破壊は不可能ではないと思うものの。確実に一般人を大量に巻き込んでしまうため、おいそれと取れない手段ではあった。
真正面に立つ二人、呪霊と呪詛師に向かって告げる。
「お前らってつくづく、僕を怒らせるのが好きみたいだね。んでもって、僕を怒らせる意味が理解できていない」
「いいや、しっかりと理解しておるとも」
にやけ面の呪霊、いつかの火山頭が告げる。もう一人の呪詛師は、ひたすらどうでも良さそうに佇んでいた。
この状況で、一級呪術師相当にもならないような呪詛師を残していることはないだろうが。意欲の欠片も感じられないあたり、ただの無謀な雇われか、もしくはやむなく協力せざるをえなかった人間、といった所か。
なんにしろ、呪詛師の優先順位は下げていい。
「人質だか障害物だか知らないけどさ、そんなもんがある程度で僕に勝てると本気で思ってんの?」
「成否などすぐに分かるとも。貴様はそれまでに、負けたときの言い訳を考えておけ」
(ふぅん)
つまり、五条悟を本気でなんとかしようという(少なくとも相手はなんとかできると思っている)算段はあるわけだ。
そしてまだ姿を見せていない黒幕は、このおしゃべりがいくら口を滑らせようと問題ないと考えている。
(根本的に、僕をどうにか出来る手段なんて本当にあるのかって話だよ。まさか相手に、大地みたいなのが何人と居るわけでもあるまいし。そもそもあんなのが仲間にいるなら、七面倒くさい真似をする必要なんてないしね)
大地がただ無策に突っ込んでくるだけでも、二割から三割は勝ち目がある。それこそ前みたく『五条悟を通さない』帳を狭い空間に降ろしてしまえば、それだけでほぼ勝ちだ。人質など必要ない。用意するのは高度な帳と、第三者の横やりが入らない時間のみ。
つまり、戦力で完敗しているという自覚がある。それでもなお挑んでくるのが不気味だった。
「まあいいや。ちゃちゃっとお前達を
「蒙昧! 貴様の驕りを叩き潰してくれる!」
次の瞬間、ホームドアが開く。
通勤ラッシュもかくやという人数がすし詰めになってのた、当然大量の人間がなだれ込んでくる。
五条悟を相手にするならば悪くない手だ。やり口の好悪を除けば、そう認めざるをえなかった。同時に、予想された手口の一つでもある。
一体どこから情報を仕入れたのか知らないが、相手は六眼と無下限呪術をよく理解している。
無下限呪術は扱いが精密であるが故に、狙いを大雑把にするしかなかった。それこそ六眼なしで無下限呪術を持った者は、自分の“蒼”で押しつぶされ自滅する、という事件が多発する程度には。
六眼はもっと面倒で、入ってくる情報量が多いというのは一概にいいと言える物ではなかった。単純に脳の負荷が増える。無論、悟にとっては生まれ持ったもののため、脳のデザインも六眼ありきのものへと変化しているので、ちょっとやそっと情報量が増えた程度ではなんともないのだが。さすがにこれだけ人がいると負担は大きい。ましてやここにいる人間は、不安や恐怖で呪力を増大させている。はっきり言って非常に目障りだった。
(問題は、無下限呪術だけじゃなく六眼の詳細まで知ってる事だな)
無下限呪術は、相伝なだけあってそれなりに知られた術式ではある。調べればある程度詳細だって分かるかもしれない。しかし、六眼はそうではなかった。というのも、目に見えた力ではない以上、伝えられているのはどうしたって断片的なのだ。
他にも、六眼はあくまで所持者強化、つまりは知っていた所で対処できるものではない、というのがある。外から見てぱっと効果が分かるものではないのだ。
(これは最悪の事態も想像すべきかな)
つまりは、上層部もしくは御三家のどこかが
上層部は確かに腐ったミカンだが、そこまで愚かかと問われれば疑問が残る。
御三家はもっと難しい。消去法で加茂家が裏切っていることになるが、現状唯一権力闘争で負けている家だ。どこかで乾坤一擲の賭けをしなければならないにしても、これはあまりにもリスクが高い。
だとすれば上層部と加茂家のどちらかが完全に乗っ取られている事になる。どちらであっても集団洗脳の域だ。そんなことが可能なのか、という疑問が浮かぶ。
まあ、どのみち。
「今考えるべきは目の前の相手だよね」
呪詛師と呪霊、双方が、まるで人を紙くずみたく潰しながら襲いかかってくる。悲鳴、絶叫、怒号――あらゆる負の感情が爆発し、比例して一般人の呪力も高まる。無意味に情報量が増えて、目眩を覚えそうだ。あふれかえった呪力の合間に隠れて、攻撃と逃走を繰り返す。まあまあ有効な手だ。
しかも、こちらは人に気遣って無下限呪術の出力を制限しなければならない。ましてやこんな中、悟が素早く動いてしまえば。あっという間にミンチの山ができあがる。
ただし、それならそれで。
(カウンターで仕留めればいいだけ)
人間は人質であると同時に、チャフでもある。減らしすぎれば目くらましがない。大きな出力の呪術を封じられたのは相手も同じだ。
(そら来た)
こちらの意識が散漫になった、と相手が思い込んだタイミングで強襲してくる。強力ではあるが、何のひねりもない打撃。
この程度も対処できないと思われているのは、馬鹿馬鹿しいを通り越して変な笑いが出てくる。首から上を消し飛ばしてやろうと拳を握り込み――張り巡らせた無限に、変な感触があった。じりじりと“無限”という領域を侵食していく感覚。
咄嗟に腕を払い、体を引かせる。
「領域展延か」
「さすがに少しは学があるようだな」
まるでしてやったりとでも言いたげに笑う火山頭。
領域展延は大地がよく使う、というか常時発動している手である。受け手の術式そのものを拡散させるため、呪術的防御の一切を無視する。なるほど、確かに対五条悟を考えればこの上ない、というか必須技能だ。
ただし、大地ほどの練度はない。当たり前だ。呪力を流すのと同じ感覚で領域展延を使用できる人間と、即席で身につけた者が同じ筈もなかった。
この程度なら、領域展開内の必中効果無効はおろか、術式との同時発動もできないだろう。
「ちょっとビビりすぎたかな」
「なんだ。ようやっと自分の命に手がかかっている事を自覚したか」
「あはは! どういう勘違いだよ。上を知ってるから、お前を買いかぶりすぎたって言ってんの。この程度のヘボ技に腰が引けるわけないじゃん」
「貴様……!」
下らない挑発はさておき。
驚いたは驚いたが、所詮は虚仮威し。二度はない。さすがに呪霊上位なだけあって、出力が制限されている現状、次で殺すとは行かないだろうが。所詮は時間の問題だ。むしろちまちまと攻撃(赤血操術だろうか)をしてくる呪詛師の方が鬱陶しいくらいだ。
基本的に、領域展延と生得術式は同時に使えない。どうやら過去の文献にあったこの情報は正しいらしい。先ほどあった、千載一遇の好機、領域展延で作った隙間に術式を流し込んでこなかったのが何よりの証明だ。
呪霊と呪詛師、双方共に基礎体力、体術は下。ただの打撃であれば、呪力操作による防御の上からでもさしたる脅威ではない。結果。何も問題なし。
人間を、盾に目隠しにと使いながら、火山頭が躍りかかってくる。そのたびにカウンターを叩き込んでやった。無下限の力が乗らないただの打撃になってしまうので、威力はいいとこ普段の二割といった所だろう。それでも、これだけ纏まった数を貰えば、いかに特級呪霊とて無視できないダメージになる。
相変わらず敵の打撃を捌き、頬に拳をめり込ませた所で。やっと火山頭の動きが鈍った。
「で、こっからどうすんの? 何もないなら追いかけっこは終わりだ」
現在、火山頭が見えている人間は半々といった所だろう。そうでない人間も、戦闘の起点が悟だと気付いているのだろう、彼を避けるように動いている。
これは中距離からの支援に徹している呪詛師に対しても同じだ。何をしているかまでは分かっていないだろうが(赤血操術そのものは物質を触媒にしている為、一般人にも見える。ただし、目が追いついていない)、彼の近くに居ると人間が殺される可能性が高いと学んでいる。すでに民衆の中に潜むのも難しくなっていた。
衆愚、などと言うが。命に指を掛けられれば嫌でも学ぶし、全力で抵抗する。すでにこの情勢は限界が来ていた。
火山頭はふらふらになりながらも殴ってくるが、もうそれを避けることすらせず、顔面を殴り返してやった。
「オマエのカスみたいな領域展延にはもう慣れたんだよ。普段からもっと高度な展延を見てんだ、対応するくらい訳ないっての」
局面の終わりが見えてきた所で、軽く算段を立てる。
火山頭はとにかく好戦的で生き汚い。生かしておいても大した情報源にはならないだろう。故にとっとと祓う。
逆に呪詛師の方は、半殺しにでもすれば、案外ぺらぺら喋ってくれるかもしれない。さっきからずっとひたすらやる気の無い支援ばかりで、どう見ても必死さというものが見えなかった。さすがに甘い顔はできないが、ある程度妥協すれば、色々といらん事まで教えてくれそうではある。ただし余裕があればで、なければ殺す。
肝心の黒幕だが……これに関しては全く分からない。そもそも、ここにいるのかどうかすら定かでないのだし。出会えれば始末するだけだし、見つからなかったら仕方ない、呪詛師の情報に期待だ。
火山頭の動きは、もはや殆ど逃げるだけになっている。遠距離から人間を巻き込んでの火炎攻撃も、むしろ逆効果だと分かっているのだろう。
ここに来て、意地でも術式を解除しなったのが効いている。相手に理性があれば、何をしても通用しないという絶望が良く染み渡る。それが動きに支障を来すまで浸食するのを待っても勝ちではあるが。
(それこそ待ってやる理由はないよな。雑魚を嬲る趣味もないし)
なら、とっとと死んで貰う。
相手が徹底的に逃げているが、それでも構わない。ここにいる人間は大分減っているし、その中の半数程度は火山頭が見えており、明確に彼を避けている。後は一瞬、ほんの0.1秒程度でも両者の直線上に何もなくなれば、“蒼”で引っ張ることができた。
下手に動けば民間人に被害が出る。故にあまり動き回らず、あくまで火山頭が射線上に出てくるのを待って行動に移す。
その考えは悠長に過ぎた。もし多少の被害を容認しても動いていれば、この後の展開は防げたかもしれない。
駅構内にいきなり電車が乱入してくる。敵に集中していたため、それに気づけなかった。いつの間にか、四枚目、民間人をとどめておく為の帳も解除されていたようだ。
電車はブレーキを踏んでいるものの、勢いは未だ健在。奥の方でたむろっていた人間をたやすくひき殺しながら、目前まで迫っていた。このまま受け止めたら、電車が悟と衝突し、ぐしゃぐしゃになって潰れるだろう。中に誰が入っているかも分からない現状、無限を広げて優しく受け止めてやるしかない。
車掌席の向こう側、薄ら見える電車内を見て、失敗を悟る。中は改造人間で溢れていた。六眼で事前に察知できないよう、ご丁寧に呪力も普通の人間並みにまで抑えられていた。
電車が止まった瞬間、扉が開き、プラットホームへ改造人間がなだれ込む。ざっくりした目算でおよそ1000体、それだけの改造人間が解き放たれた。
「キャアアアアア!」
「ひぃ……いやあああ!」
「なんだ、なんだこれ! わああ!」
そこかしこから悲鳴と怒号が響く。今の混乱は、それこそ今までのそれなど比ではないものだった。
今までとて恐慌が無かったわけではないが、比較的避ける手段もあったために、人はある程度冷静な状態を保っていた。プラットホームの上にいれば、他人事でいられたというのもある。火山頭の姿も、コスプレと言い張ればそう見えなくもない姿だったことも手伝っていた。
しかし、改造人間は違う。生理的嫌悪を催す醜悪な姿。もしかしたら本能的部分で、それが元人間だと分かっているのかもしれない。問答無用かつ的確に襲いかかってくる化け物。今までのように、避ける場所も方法もない。ただの一方的な狩り場。
「ごっめーん、漏瑚、遅れた。あれ、ボロボロじゃーん。ウケル」
「遅いわ馬鹿たれ! 危うく死ぬ所だったわ!」
呪霊が糞みたいな会話をしている間にも、事態はとんでもない早さで移る。吹き抜けから、大量の人間が落ちてきた。
(上にも呪詛師かなんかがいた? あらかじめ人を集めておいて、帳解除と共に落ちてくるようにしていた……)
何のために。考えるが、分からない。まさか本当に徹頭徹尾、ただの嫌がらせで行っているわけではないだろう、とは思うが。
改造人間の虐殺と、減った以上の人間が降ってくる事で。周囲に呪力が満ちあふれ、六眼が一時的にオーバーフローを起こしかける。さすがに膨大な呪力を持つ呪霊や呪詛師まで見失う事はないが、辺り一面ぐっちゃぐちゃに原色を塗りたくられたような感覚があって、気持ち悪くなりそうだった。
隙、と判断したかは知らないが。新しくやってきた特級呪霊、七海建人の報告にあったツギハギ呪霊――確か真人だったか。まあ名前などどうでもいいが――が襲いかかってきた。
元々無下限がオンのままだったのと、悟のスイッチが未だカウンターで固定されていた事により、そもそも攻撃を無限で受け止める段階にも至らない。拳をひねって躱し、お返しとばかりに顔面へパンチをお見舞いしてやった。
完璧な攻撃が入って、真人の頭が吹き飛ぶ。ただし、さしたるダメージではなかったようだ。体の大半を巻き込んで潰そうとしたが、その前に退いて逃げられた。
「ははっ。触れられもしないってヤッバー。それにあのままだと体潰されてたね。さすがにそこまでされると、肉体の再構築がしんどい。最強の看板に偽りなしってね」
「うかつな真似をするな! 何度も説明しただろうが!」
「もー。漏瑚って結構、そういうとこ細かいよね。もっと気楽に生きようよ」
今ので一体仕留めておきたかったが。さすがと言うか、腐っても特級呪霊。簡単には
不味い。頭をクールダウンさせながら考える。第四層の帳が解除されたと言うことは、現在渋谷駅近辺に残っている人間を、いくらでも投入できる状況という事だ。さすがに駅の外まで人を回収しに行けば、周囲にいる呪術師に気取られる。彼らがなんとかしてくれるだろう。
しかし、渋谷駅内部の人間に限っても、優に数千を数える。たかだか特級呪霊数体と呪詛師を始末するには高すぎる代償だ。とてもではないが容認できない。
五条悟の中にある秤がぐちゃぐちゃに動いているのを、本人はまだ自覚していなかった。
「撥体」
「超新星」
ツギハギと呪詛師が、人間の被害を完全に無視して術を放つ。それだけで何十人も死んだ。
隙を突いたつもりの火山頭に打撃を合わせるが、腕に触れる直前で体の一部を切り離し逃げていた。
呪霊二体は、気色の悪いにやけ面を見せている。まるで自分こそが選択を迫っているかのように。逃げ惑う人々の悲鳴。どんどんと死んでいく人間。地下鉄から溢れそうな程の死臭。こちらを折良くはめられたといい気になっているカスども。
「つくづく……舐めやがって」
五条悟は掌印を組んだ。
悟が呪霊達の策を半分も察知できなかったように。奴らも確実に、
全員ぶっ殺してやる。ありったけの殺意を持って、悟はそれを発動させた。
「領域展開」
呟いた瞬間、言葉の意味を理解した全員がぎょっとしたのを感じた。
「
世界が塗り変わる感触。ただし、この場合の世界とは、自分を中心とした一定空間
「……あれ? ふは――づッ!」
まず、寝ぼけた事を言っているツギハギの顔面を潰す。次いで何が起きているか分かっていない様子の火山頭の腹へ、蹴りをくれてやった。呪詛師は相変わらず動きが緩慢なため、後回しにする。必要なら殺人を厭わなくとも、好き好んでやってない以上、優先順位はそれこそ改造人間より低い。
「領域……ではなかったのか!?」
「いいや、これも領域さ」
血を吐きながら呟く火山頭に、内心だけで呟く。
色即是空。五条悟が編み出したもう一つの領域展開だ。通常の――という言い方も変だが――領域展開を術式の到達点と定めてしまった者には分かるまい。悟だって、大地が自分の地位にまで昇ってくるまでは考えもしなかった。
通常、領域展開とは自分、ないしは自分の近くに存在する視覚効果を中心として広げられる。領域の内外は結界で区切られ、環境を生得術式の色に一変させる。が、これには大きな欠点があった。根本的に術式が通用しない相手には、多少の能力向上程度しか意味が無い。むしろ領域展開後に術式が焼き切れて、一時的にパフォーマンスを大きく落とす危険を考慮すれば、ただ弱点を露出しているだけですらあった。
天童大地はいずれ自分を超える。それはいい。だが、超えられる側の人間がそれを座して待つ事は許されない。
ここに来て、最強たる五条悟は、初めて行う努力をする必要があった。詰まるところ、強くなるためにはどうすればいいかを。
今までだって負けたことはある。だが、それで自分が相手より弱いとは欠片も思っていなかった。あくまであらゆる要因が絡み合っての敗北であり、読み負けはしたものの力負けはしていない。
初めて迫る真の『敗北』に、悟は悩んだ。領域展開は自分を弱体化させるだけ、虎の子の虚式も(信じがたい事に)受け止められてしまった。
革命が必要だ。術式でもなんでもいい、どこか一つでもブレイクスルーを起こす必要がある。
参考にしたのは大地だった。こと技術革新という意味において、彼は希代の天才だ。簡易領域を編み出した蘆屋貞綱に匹敵するかもしれない。どう足掻いても届くものではないが、それでも一つ、まねごとくらいできれば。
領域展開に目を付けたのは、大した意味があったからではない。あえて言えば、領域展開の技術については、それこそ平安時代から殆ど更新されていないからだ。せいぜい必中に追加して必殺の効力を乗せたくらい。これならば、開発方面に才があると言えない悟でも、いくらか改造の余地があると踏んだ。
そうして五年、大地の時間停止に匹敵すべく編み出されたのが、色即是空。
「――! そうか! 貴様、領域を自分の中で循環させ、完結させたのだな!」
「なんだオマエ、節穴かと思ったら案外分かってる側じゃん。そっちのツギハギは気付くそぶりもみせなかったのに」
効果は至極単純、術式効果と出力を一時的に五倍以上にするというもの。
計算上、近接戦闘で無双を誇る天童大地を圧倒できる力だ。もっとも、大地は常時その力を発揮できるため、一概にどちらが上というものでもないが。
シンプルであるが故に効果時間は長く、同時に破るのも難しい。
(改造人間、火山頭、ツギハギ、呪詛師)
頭の中で優先順位を付ける。周囲にあるものを無差別に襲う改造人間は当然として、本当ならば改造人間を作れる真人を二番目に始末したかった。しかし、短絡的ではあれどどう考えても漏瑚とやらの方が頭が回るし、何より強い。そのせいで、順番を前後させるしかなかった。
改造人間は無駄に数だけは多いが、能力そのものは人間に毛が生えた程度。多少死にづらくなっている事など何の問題にもならない。これで人間がいなければ、秒もかからず一掃できたものを。
真人が無意味な横やりを入れたせいで、無駄に時間がかかってしまったが。そのたびに彼の両腕を消し飛ばしながら、二分もかからず改造人間を鏖殺した。
次はお前だ。そういう意識を作って、漏瑚を睨む。
「う……!」
呪霊は腰が引けていた。愚かしい話だ。散々人間にむけてやってきたことをやり替えされているだけだというのに。いざ自分がその立場に立てば、たやすく怯える。覚悟も何もないクズの反応。
少しだけ目がくらみ、頭も重たくなる。
(チッ……さすがに無茶しすぎたか)
実のところ、色即是空は未完成だ。というのも、循環型領域展開は、展開型に比べて難易度が遙かに高い。自分サイズまで領域を圧縮するのだって簡単ではなければ、自分の内側を半ば改ざんするようにして生得領域を広げるというのが難しい。
はっきり言って、人型の領域を作りつつ、自由自在に出し入れし、あまつさえ操る事だってできる大地がおかしい。普通は六眼を持っていても、循環型など構築できない。
(いったん術式は解く。即座に火山頭を祓って、術式が回復するまでツギハギを縫い止める。戻り次第、体まるごと消し飛ばす。壁役がいなきゃ、呪詛師だって降伏するだろ)
プランを修正し、漏瑚の頭を蹴り飛ばす。これで仕留めたと思ったが、首半分がちぎれただけだった。小さく舌打ちをする。
完成していない技術を使った弊害。色即是空を維持している感覚で蹴った為に、威力が足りなかった。こういう事があるから、あまり使いたくなかったのだが。
こちらの動きを制するためだろう、真人が人間へと腕を伸ばしかけている。腕を潰してから、今度こそ漏瑚の頭を潰してやろうとした、その時だった。
「獄門疆、開門」
いつの間にか、足下に転がっていた箱。それが言葉を鍵にして開き、巨大な単眼と視線が交差する。
これが罠の一つでしかないのか、罠の終着点なのか。いや、それは今考えるべきことではない。これの近くか、それとも視界内なのか、とにかくそういった分かりやすい条件で発動するはずだ。すぐさま距離を置くべき、なのに……
「や、悟」
「……は?」
唐突に現れた、大きな呪力反応。その先にいたのは、もう死んだ――自分の手で息の根を止めた、かつての親友の姿――
めちゃくちゃに思考が荒らされる。発動条件に沿って、体感速度加速が開始した。まだ術式が回復しきらない間に発動するものだから、術式がオーバーフローを起こしてガンガン頭痛が起きた。
こいつは傑か? 生きている筈がない。何をしに来た? 今考えるべきはそこではない。なぜ呪霊と組んでいる? 重要なのはそこではない!
理性が目の前のこいつを殺すべきだと叫んでいる。本能がもう二度と殺したくないと悲鳴を上げている。考える時間を無限に与えられたにも関わらず、全く纏まらない。ただ思い出されるのは、五条悟と夏油傑の黄金時代、彼と過ごした学生時代。
「君の欠点は」
傑――に似た何者かが言葉を発し、悟がはっとする。しかし、それは遅かった。
いつのまにか獄門疆に包囲され、伸ばされた触手に捉えられる。抵抗しようと思ったが、呪力が外側へと出ず、術式も発動しない。それどころか、体に力すら入らなかった。詰んだ事を確信するに十分な事態。
「感傷的すぎる事だよねえ。駄目じゃあないか、私が姿を見せたくらいで考え込んじゃ」
負けを突きつけられれば、かえって頭も冷える。一つ深呼吸をした後、吐き捨てる。
「で? オマエ誰よ」
「何を言っているんだい? 私は私だよ。だから君だって惑ったんだろう?」
「ハッ! くっだらねえ!」
目の前の、傑モドキに向かって吠える。
「確かにお前は、体も呪力も傑そのものだ。六眼ですら違いが分からない。でも、かつての
「ははっ。相変わらず、夏油傑の
頭部にある縫い目の糸を引き抜いて、頭をまるで蓋のように開ける。そこには当たり前に脳みそと……中央には、口のような何か。
肉体を乗っ取る術式。それを理解して、悟は反吐が混み上がってくる気分を味わった。こんなことなら、感情の赴くままに腐った連中を皆殺しにしておけば良かった。
「なるほどね。裏切り者は上層部の一部と加茂家か」
「察しが良すぎるのは気色悪いよ」
硝子に気を遣って、検死を別の者に任せたが、それが裏目に出てしまう。圧力に負けて、遺体ごと横流しされた。もっとも、裏に居るのが御三家の一つとなれば、手間がかかるかどうか程度の違いでしかなかったかもしれない。さすがに悟だって、硝子に対して「命と引き換えに傑の遺体を燃やし尽くせ」などという注文はできないのだから。あの頃は、死体をこんな形で利用されるとも思っていなかったし。
今までの動きから見るに、傑の呪霊操術は継承していると見ていい。奴の術式は、肉体を渡り歩く事に加えて「術式のストック」という可能性が高かった。さすがに無制限ではないだろうが、少なくて三つ、多ければ四つか五つくらいはあると考えた方がいいだろう。そもそも、術式をストックできなければ肉体の移り変わりは一度限りだろうし。そして、呪力は肉体に依存するが、技術は術者のもの。膨大な呪力に、かつての傑では扱えなかった高度な結界術を運用しているのがその証左だ。
そして、恐らくここが一番重要だが。今のこいつは、五条悟に戦力で劣る。だからこんな七面倒くさい真似をした。
そこまで分かれば十分だ。後は
「安心していいよ。君を永遠に封印していようとは思っていない。ほっといても勝手に出てきそうだしね。100年後か1000年後か、そのあたりに解放するさ。私の目的を達成した後に、ね」
「いいや、その前にお前は死ぬね」
「うーん……。それは乙骨優太の事を言っているのかい? 残念だけど、今の彼で私に勝てるとは思わないよ。あれは最愛の人を怪物として現世に止め置く縛りがあってこそだ。今の彼に、全盛期の力はない」
「バーカ、ちげえよ。教えてやんねー。ぶっ殺されてから後悔しろ」
「意地悪な所まで昔のままだねえ」
「おい」
不意に、漏瑚が水を掛ける。首はすでに治っているようだ。もっとも、相応の呪力を消費していたが。
彼は悟を睨みながら、
「こやつは今無力だ。このまま殺した方がいいのではないか?」
「止めた方がいいね。あくまで相互不干渉という縛り有っての結界だ。こちらから干渉して、まかり間違って五条悟が無傷のまま獄門疆の解除なんてなったら目も当てられない。漏瑚だってもう一度相手をするのは、しかも今度は勝算なしなんてご免だろう?」
「……ふん」
漏瑚が忌々しそうにそっぽを向く。首筋をさすっている当たり、恨みから来る発言なのだろう。しつこい奴だ。
「最後に一つ聞きたいんだけど」
「なんだい? 差し支えない程度なら、いくらでも喋ってあげるよ」
「オマエ、名前は? いつまでも傑扱いするのは不快なんだよ」
「……ははっ。つまらないことを気にするね。別にそれくらいなら構わないよ。羂索、それが私さ」
「そうかよ。覚えられる範囲で覚えとくわ」
「忘れないさ。獄門疆の中は時間経過がないからね」
それじゃあ、と言いながら、羂索が閉門と唱える。直後、悟の全情報が外界から遮断された。
時間、空間。あらゆる情報が観測できない。というよりは、全てが同一にされているため、時空間という概念の持つ意味を無くしている、と言うべきだろうか。なんにしろ、六眼ごしにも付け入る隙が見当たらない。
「どうやら本気で何も出来る事が無いみたいだね。まーしゃーないしゃーない」
半ば空元気で呟きながら、眼帯を戻す。
この封印内ではあらゆる力を他に発散できない構造になっている。代わりになのか、ただの盲点なのか。自己の中で力を循環させる分には問題ないらしい。
外の事は皆に任せるとして、久しぶりに修行でもしようか。封印されて一人だけぼんやりしているのも忍びないしね。そんな事を考えながら、悟は自分の力と対話を始めた。