だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
まだ夜半にもなっていないというのに、夜の渋谷は異様なほど静かだった。ともすれば、ここが日本の心臓であるという事を忘れそうになる。多少街の中は荒れているものの、電気も通っており、明るさだけならば普段以上。だからこそ、余計に寒々しい光景だと言えるのだが。
実のところ、“帳”解除部隊として編成された四つの班(本来五つ編成される予定だったが、大地が打撃部隊として班一つ分を引き抜いた)の動きは消極的だ。というのも、共通認識として「悟が敵を壊滅させた後の方が処理をしやすい」と誰もが思っているからだった。
前提として、渋谷に張られている、最低二重の帳は強力だ。対一般人の帳は呪術師が触れられず、対呪術師の帳はひたすらに強固。
しかもこの帳は、なんらかの特殊な技術と縛りで二重に強化しているらしく、おいそれとどうにか出来るものではなかった。それこそ交流会の時、悟すら解除されるまで通り抜けられなかったのだから。これが、内部を壊滅するまでのらりくらりと人の退避がてら探索している理由だ。
大地がどうやって結界を突破するのかは知らないし、恐らく一生知らされないだろう。真実を知るのは同行した四人だけ。
このあたりはまだ人の匂いが残っていて、パンダの鼻もききづらい。ましてや今の内部で的確に結界術師の残穢を探り当て追跡するというのは、それこそ現実的な案ではなかった。
つまるところ。彼らは暇だった。
「なあ日下部ー」
「ンだよ」
「こんなだらだらしてていいのかー? ここって一応戦場だろ」
「んー……。つってもなあ」
棒付き飴の先端をぷらぷら揺らしながら、日下部篤也は呟く。
「一般人の退避はあらかた終わってる。対呪術師結界はガッチガチ。結界を解除しようにも手立てがない。上はこの強度の帳を維持するには、結界の外に術師と呪具を置かなきゃ成立しないなんて言ってるが、そもそもクッソ広い渋谷でどう探せって話なんだよなあ。頼りはお前の鼻だが、全然だろ?」
「そうなんだけどさ」
渋谷――とりわけ帳の中は、残穢で溢れかえっている。残穢を辿って呪詛師の攻略を困難にするためなのは想像に難くない。
これでは突風の一つでも待たなければならないのだが。それはそれで匂いが無差別に飛ぶため、呪詛師が改めて痕跡を残すのを無闇矢鱈に探さなければならない。当たり前に、手間だし時間がかかる。
「だから補助監督を大量に放ってるんだが……正直、あまりよくねえな」
「何かあったのか?」
「連絡が途絶えてる。ただの通信障害って訳じゃねえだろ。多分、補助監督だけを狙って狩ってるカスがいやがる。もしかしたら、やるべきはそっちが先かもな」
言葉に、パンダは眉をひそめた。目と耳を真っ先に潰すやり方は効率的だし効果的だ。反吐が出る程に。
「助けにいかないと!」
「馬鹿言え。俺達がほいほい動いたら、何のために信頼して解除部隊任せてくれてんのか分からなくなるじゃあないの。未だ帳内の人間は人質だって事忘れんな。できれば掃討部隊に任せたいが……そこらの判断はもう、全体像を見てる夜蛾学長の判断としか言いようがねえ」
「でも、俺達がふらふらしてる間にも犠牲者が出てるかもしれないんだろ?」
「それこそ勝手に持ち場を離れたら、犠牲者の数が数百倍だ。相手はマジで補助監督狩りをしてるかもしれねえが、もしかしたらそう思わせてこっちにプレッシャーを与えてるだけかもしれねえのを忘れるな」
そう言われると、パンダは何も反論できない。
日下部篤也一級呪術師。パンダとて現在一級査定中ではあるが、実力にも経験にも、そして判断の正しさにも天地の差がある。
反論はいい。いずれ一級になるなら、そうする権利がある。ただし、そこに感情を混ぜてはいけない。情動のままに動いていれば誰も信用しないし、遠からず命を落とす羽目になるだろう。しかもそういった場合は得てして差し出すのは自分では無く他人だ。
呪術師は二級以上から現場指揮を任されるようになり、とりわけ準一級からは部隊を率いる機会が多くなる。
「……命を預かるって難しいんだな」
「一級になったらこんなもんじゃすまねえぞ。時には仲間に「死ね」って言わなきゃならない時だってあるんだ」
「そんなのが来ない事を祈るよ」
気落ちしながらも、結局、発展がない事を確認しただけであり。担当区画をふらふらしつつ、呪詛師ないし呪霊の発見という報告が来るのをひたすらに待つ。
「今のうちにたっぷり気を抜いとけよ。気合い入れる時に入りません、なんて事にならない……」
言葉は、最後まで続かなかった。
最初に感じたのは、多分、衝撃なのだと思う。とにかく発生が本当に唐突だった。攻撃かどうかの判断もできないまま、身を縮めて頭をかばった。
続いて破砕音と、体に突き刺さってくる瓦礫。最後に大量のコンクリ粉末が舞って、あたりを白く染めた。
煙が立つ頃には、すでに二人は戦闘態勢を取っていた。爆心地に、今までなかった膨大な呪力を感じたが故。こちらへ打撃を与えるには大雑把な上に外しているが、とにかく油断はできない。かといって先制攻撃を試みるには、その呪力はあまりにも膨大で洗練されていた。
引くも進むも封じられ、全身から冷や汗をかきつつ構え。
「ぺっぺっ。うげぇ」
聞こえてきたのは、なんとも暢気な声だった。
煙があるとはいえ、視界を遮る程ではない。ちゃんと確認すれば、そこにいるのが天童大地、つまりは味方だと分かった。
「くっそ、砂まみれだわ。初めて見るけど、呪霊操術って面倒くさいな。手札の予測がほぼ無意味。……というか、なんでお前ら構えてんの?」
「いや、あの」
なんとなく据わりが悪くなって、手を下ろす。
いきなり現れた呪力の元――天童大地は、体に覆い被さったコンクリートの壁をどけながら立ち上がる。
いち早く復帰したのは日下部だった。
「状況確認……の前に、もしかしてここに俺達がいるって分かってたか?」
「別に知らんかったけど。まあ呪力の特徴から、すぐ日下部さんとパンダだってのは分かってた。それが?」
「いや、なんでもない」
なんとも言いがたい表情で、日下部。
その場に待機していたこちらですら混乱したのだ、いきなり飛ばされてきた大地が即座に状況把握できるのはおかしい。相変わらずの化け物っぷりだ。
それよりも、と日下部は続ける。
「まさか、お前が負けたのか?」
「始末しきる前にここまで転移させられたのを負けたっていうなら、まあ、そうだ」
怪我した様子もなく体をはたく大地に、日下部とパンダはほっとした。結局の所、相手に上手く
大地は体を幾度かごきごき鳴らした後、告げた。
「日下部さん、パンダ借りたい」
「え、俺?」
いきなり指名され、戸惑うパンダ。
「特級に言われちゃ駄目とは言えんが、事情くらい教えてくれよ」
「ああ。端的に言うと、悟が封印された」
「……はあ!?」
予想外すぎる言葉に、日下部が大きな声を上げる。パンダも言葉にこそしなかったが、顎が外れるのではないかと言うほど大きく口を開けた。
「どっ、どういう……」
「相手の幹部連中がたむろっている所に突入したんだがな、そこに不自然な拳大くらいの箱が転がってた。近くに悟の残穢が残ってた当たり、一杯食わされたんだろうな」
まあそれはいいとして、と全然全く一欠片もよくない内容を前置きにして。
「現実問題として、今いる敵を残存戦力でなんとかしなけりゃならん。ぶっ殺すには手間がかかるが、逆に言えば手間がかかる以上の問題は無い。気にしなきゃいけないのは、悟への対処が終わった以上、連中が解き放たれるって点だ」
言われて、二人とも真顔になる。
悟がやり込められた手口はさておいて、それを実行するまでに、少なくとも彼を足止めしなければならなかっただろう。という事は、悟相手にそれなりの時間、持ちこたえられる戦力があったという事だ。当然、そんな奴と相対すれば一級呪術師でも簡単に死ぬ。
すでにこれは、五条悟を後方から支援するだけの簡単な仕事ではなくなっている。どこから一級特級が現れるかも分からない地獄だ。
「俺に日下部さんへの指揮権があるわけじゃないから、あくまで提案って事になる。俺はこのまま戻って、残りの連中を始末しに行く。呪霊操術の力は手持ちの呪霊に依存するから、すぐにとは言い切れないけど……まあ、今度は確実に殺すさ。それより問題は外だ」
「――――! そうか、まだ誰も悟の封印を知らねえ!」
特級呪霊、一級呪術師相当の呪詛師が奇襲を仕掛けてくると言うのは、それだけで恐怖しかない。加えて、悟の
こちらの混乱が回復するまでに、帳解除部隊を中心として大きな被害が生まれると予想される。正しい情報が広がる頃には、目立った一級準一級はあらかた死亡ないし戦線離脱だ。その後に決戦だとすれば。敗北どころか全滅が見える。
「俺と一緒に入った連中は中で孤立してる。俺は再度入って、あいつらを助けなければいけない。パンダには中に入ったら、一般人の誘導と護衛を任せたい。その間に、日下部さんには本部に走って貰って悟の封印を報告。情報をどうすべきかは夜蛾さんが考えるだろ」
「事情は分かったけど、なら俺と日下部、逆の方がいいんじゃない?」
「バッ……!」
パンダと日下部では、どうしたって戦力に差がある。特級呪霊が当たり前のようにいる環境という意味でも、民間人を守るという意味でも、日下部の方が向いているはずだ。少なくとも、パンダがどちらか選べと言われたら日下部を選ぶ。
なんでだか、日下部は余計なことを言うなという目でパンダを見ていたが。
「日下部さんを残した理由は単純、パンダより足が速いから。この事実は一分一秒でも早く本部へ送って欲しい」
「あー、なるほど」
「そうだろそうだろ! っぱ俺が残るべきよ!」
めちゃくちゃ嬉しそうに、日下部。さっきからこの人は何なんだろうか。情緒がおかしい。
「司令塔に特級の襲撃とかは考えなくていいの? いや、それを考慮した上での日下部?」
「そっちは全く。結構距離があるからな。敵がたどり着く前に俺が殺す」
真顔で、とてつもなく頼もしくもおっかない事を言ってのける。
口には出せないが、まあ確かに時間停止などという術式を持っているならば、実行は難しくない。10秒の時間停止ごとにインターバルがどれほど必要かは分からないが、どのみち平地なら10秒で軽く一キロ以上を走破する男だ。ある意味、彼にとっては渋谷駅近辺全域が射程圏内である。悟が一度たこ殴りにされたというのは伊達ではない。
「そういうわけで、日下部班はここで解体してほしいんだが、どうよ?」
「オーケーオーケー。俺はすぐ行った方がいいな」
「ちょい待ち。一つだけ」
と、止めて。
「出来ればすぐに、悟を解放できる可能性がある呪具を探して貰ってくれ。俺ならなんとかできると思うが、手段は多い方がいい」
「分かった。こっちは任せろ。うひょー! ラッキー!」
声を響かせながら、日下部はビルの上へと跳ね上がった。
ぽかんとしながら、彼の姿を見送る二人。
「……あのおっさん、今ラッキーって言ったか?」
「言ったな」
彼の様子は、控えめに言って変な奴だった。
気を取り直して、大地がパンダを担ぐ。当たり前に、パンダでは大地の速度についていけない。最速を期するならこれしかなかった。
大地は走りながら、式神で進路上の呪霊やら改造人間を殴り飛ばしていた。中には二級、準二級と思えるような呪力を持つ存在もいたのに。扱いは、さながら四級とすら判断されない雑魚である。
「こんな派手にやっちゃっていいの?」
「もう俺の存在は知られてるからな。隠れる理由がなくなった」
呪術師を弾く帳に接触する寸前、大地がパンダを手放した。パンダは軽く受け身を取って、一度転がって勢いを殺してから立つ。乱暴な扱いだが、文句を言える状況ではない。
大地はそのまま帳に体当たりした、ように見えたが、実際は手を突っ込んだだけのようだ。
一見、腕力で無理矢理帳をこじ開けているようにも見える。しかしよく観察すると、手を入れた場所から楕円形に、帳が分解されていた。
これは本当にただ腕力で行っているのか、それとも術式なり何なりが作用しているのか気になったが。聞くべきではないと分かりきっているため、声はかけなかった。大地が帳に集中できるよう、そこら辺をふらふらしていた改造人間達を破壊していく。
「こんな事は言いたくないが、さっき一度帳を抜けた経験が生きたな。波長パターンが同じだから、一度目よりスムーズに行ける」
言葉を証明するように、帳にこじ開けられた穴は、みるみる内に広がっていった。
全ての改造人間を処理し終え、周囲を警戒しながらも聞いてみる。
「一緒に中へ入った奴ら、置き去りになってるんだろ? 大丈夫かな?」
「任せるにはちょっと実力が足りないな。特に、敵のリーダーと思わしき呪霊操術を使う呪詛師は無理だ」
だが、と一呼吸置いて。
「相手にもそれなりに痛手は与えた。加えて一級呪術師の中でも上位の二人がいる。唯一、基本不死身だっていうツギハギ呪霊だけが不安だが、まあそのために悠仁を編成したからな。平気だろ」
早く到着すべきなのは変わらないにしても、少しばかり安心出来るわけだ。
会話している間に、穴は子供くらいなら通れそうな程に広げられていた。この分だと、パンダでも通れるようになるまでそう時間はかからない。
「中で強いと言える相手は、大雑把に五人だ。呪霊操術の呪詛師に、人間を作り替えるツギハギ呪霊、悟の報告にあった炎使いの火山呪霊。後は詳細不明の呪詛師と呪霊がそれぞれ一体ずつ。このうち呪霊操術使いは、結構本気で殴ったのになんとか生き延びて見せ、俺を帳の外まで飛ばした。他の連中も、分断を優先した打撃だったとはいえ生きてる。言いたいことは分かるな?」
「相手するな、でしょ」
「その通り」
パンダも、特級相手に足止めなりができるんじゃないか、などと自惚れてはいない。特に呪霊操術の使い手は、かつて見た夏油傑くらいの警戒が必要だと思った方がいい。
そういう意味では、過去に呪霊操術の使い手と戦えたのは幸運だったと言えなくもない。いや、やっぱりあれはただの不幸だわ。
「結構な大きさになったが、これで入れるか?」
「大丈夫。俺の中身は綿だからな、多少なら縮む事だってできる」
「呪骸ってすげえなあ。ちょっとキモい」
「キモいって言うなよ。パンダは繊細なんだぞ」
下らないやりとりをしながら、先んじて中へ入っていく。
外見という意味だけなら、それでどうこう変わったわけではない。故に、これは呪術師にしか分からない感覚だ。肌にまとわりつくような、不快極まる圧迫感。ただの錯覚と言えど、まるで命を直接撫でられている風にすら思える。お前の命は俺の胸三寸だ、と嘲り弄ぶように。
呪力に対して全くの鈍感であれば問題ない。ただ、下手に呪的感度が高いと、この空間に長くいるだけで発狂しかねない。印象は、そのまま敵がどれだけ強いかも表していた。
パンダとて、近くに特級呪術師がいるという安心感がなければ、この中を好んで進む気になれない。
「ぼうっとしてんな。行くぞ」
「あいよ」
恐ろしくも頼れる男に促され、パンダは魔窟へと足を踏み入れた。