だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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渋谷事変9 赤血操術

 今から少し前、虎杖悠仁は修行の一環で山のように映画を見た。ジャンルは様々で、アクション、サスペンス、ホラー……名作から三流映画まで、とにかくなんでも。実際、あの短期間でかなりの映画を見たと思う。その中で一番印象に残ったのはパニック映画だ。

 実のところ、パニック映画というジャンルが好きなわけではない。それこそ以前はよくあるジャンルの一つという程度でしかなかった。

 それに対する見方が変わったのは、呪霊を知ってからである。シンプルに生理的嫌悪感を覚える外見。普段は見えず、死ぬ寸前になってやっと姿が見えるという特徴。なにより、呪力という存在を知らない者にとってはただただ逃げ惑うだけの恐怖でしかない。

 ただの『想像』でしかなかったジャンルを、身に迫るものとして認識した瞬間だった。同時に凄いとも思う。彼らはただの空想を、とんでもなく高い次元でリアリティと融合させたのだから。

 悲鳴。怒号。絶叫。あらゆる負の感情が無自覚に渦巻く。目が血走って、とにかく逃げ惑う。

 数多の映画監督達は、きっと目の前の光景を夢想したのだろう。

 一つ思うところがあるとすれば、それは自分自身が渦の中心にいるという事だ。

 混沌と恐怖で呪力が満ちるという感覚を、悠仁は初めて知った。視界の全てを、薄らとした半透明の膜が覆っている。負の感情から排出されたそれに身を浸すというのは、当たり前に心地よいものではなかった。

 

「ふっ!」

「うっ……ぐ!」

 

 大地で一発、悠仁で一発。二発分のアドバンテージは、しかしこの場の状況によって、覆されそうになっていた。

 要因は二つで、一つは単純に呪詛師がやたらと芸達者である事。赤血操術、ないしはそれに限りなく似た呪術は、あらゆる環境に対応してくる。全ての距離で等しく力を発揮し、あえて欠点と言えそうなのは広域制圧能力くらい。術式がなく、特殊な能力も遠距離攻撃手段もない悠仁には手に余る術式だった。しかも、攻撃ごとに血液を消費してる筈なのに、どういう訳か貧血を起こす様子もない。

 もう一つは、状況の悪さだった。帳の中に閉じ込められて逃げ場のない一般人が多く居る。しかも呪霊が徘徊しており、無差別に人を殺していた。多くは四級呪霊でしかないが、どのみち呪力を持たない人間にとっては抵抗のしようがない。人の流れを推測するのは困難を極めた。呪詛師は積極的に一般人を狙ったりはしないが、頓着もしない。結果、悠仁は下手に避ける事ができなかった。

 

(もうちょっと人が居ない所ならよかったのに!)

 

 などと思うが。殺される寸前で転移させてもらった事を考えると、あまり文句を言えるものでもない。

 

(とにかく、こいつを早くなんとかしないと)

 

 大地でも真人を殺せると分かった時点で、自分の価値は半分以下になっている。とはいえ、彼は悟を封印した首魁と戦わなければならない事を考慮すれば、当初の価値が全くなくなった訳でもなかった。主力が保険になっただけ。

 戦力比としては、呪詛師が圧倒しているものの。では勝てないかと言えば、実のところ、全くそんなことはなかった。

 虎杖悠仁の攻撃力は極端に高い。完全に人間の域を超えたフィジカルと、多くはないが少なくもない呪力。そして、生来の打撃勘の良さと、黒閃を経験した事による呪力を打撃に纏わせる能力の高度さ。これらが合わさって、悠仁の攻撃力は一級術師と呼ばれるに相応しくなっている。実際、それを当て込んだ推薦なのだろうし。

 悠仁が呪詛師に劣っていると考えるべきではない。むしろ、総合力の高い術式を持ち、かつ使いこなしている相手に、なぜか術式無しが匹敵していると見るべきだ。

 ましてや呪詛師はすでに脇腹を損傷している。懐に潜り込めば負けない。その自信が、悠仁を支えている。

 

(自信がある距離で戦うために、まずは相手の勝ち筋を解析する)

 

 さしたる工夫を必要とせず大きな力を発揮するタイプとばかり戦ってきた事で、培われなかった戦術眼。与幸吉と組み手をさせてもらって、初めて相手の術式を暴くことが重要だと知った。

 この呪詛師は、間違いなく術式の解体が攻略において最重要になる相手だ。

 

(とにかく自由に使わせちゃいけないのが血の矢だ。あれは気付いてからじゃ避けられない。ただし、速度も貫通力もある代わりに貯めが要る。呪力を集中した防御なら受け止められない事はないけど……問題は、そうする間もなく届くって事だよな)

 

 飛来する圧縮矢を山勘で避ける。肉体を貫きうるこればかりは食らうわけにはいかない。

 できれば派生技の矢を鞭に変換して薙ぐ技も避けたいのだが。こちらは周囲の被害が大きすぎるために仕方なく弾き飛ばしていた。圧縮矢に比べれば威力が大したことないために、受けても問題ないというのもある。

 

(圧縮から矢に見せかけた散弾も厄介だ。ある意味こっちの方が問題かもしれない。範囲が広くて接近戦向き、いかにも俺みたいな奴を近づけないのにうってつけだ。直前まで圧縮矢と区別がつかないから、中距離以内だと常に二択を迫られる。その気になれば体から離して待機させておく事もできるし、ピンポン球より小さいから気を抜くと見逃すし……頭が痛くなるほど実践的な技だな)

 

 ひたすらに優秀な術式で、それを使いこなす頭脳を併せ持っている。

 強い術師はそれなりに見て来たつもりだったが、ここまで隙がない術師は覚えがない。

 

(前者二つほど厄介じゃないけど、身体能力を上げる能力も持ってる。こっちは速度の向上が主で、攻撃力は大して上がらない。つっても、詰めた距離を一瞬で剥がせるだけでも十分だよな)

 

 多分だが、身体能力の向上に関してはいくらか予兆がある。圧縮矢の溜めとはまた別の、技の起こりとでも言うべきもの。あるいは、術式を発動するにあたってどうしても短縮できない行程だろうか。とにかく、顔にある横一文字の痣が滲む。それに、体術の練度はともかく、接近戦のセンス自体は悠仁の方が明確に上だ。

 後は、どうも呪詛師の血を浴びた一般人の様子から見るに、毒か何かが仕込まれている様なのだが。どういう訳か、これは悠仁に何ら影響を及ぼさなかった。事情は一切不明だが、幸運だということにしておく。

 これが手札の全てかもしれないし、あるいはそこら中にブラフが仕込まれているかもしれない。術師は強くなればなるほど嘘が上手くなる。残念ながら、悠仁は強力な術師であっても強い術師ではなかった。化かしあいでは絶対に勝てない。ならば、嘘で勝負をつけなければならなくなる前に決めるべきだ。

 

(厄介なのは圧縮矢と散弾! 俺じゃ対処は無理!)

 

 ならば。

 

「出だしを……潰す!」

 

 全力で加速しながら、ピンポン球程度の血球に拳を繰り出す。相手の術式が発動するより前に。

 パァン、と水風船が弾けるような音と共に、圧縮された血液が四方へと飛び散る。その様を見て、呪詛師がぎょっとした。術式を真正面から、それも術式以外で迎撃など想像の埒外だろう。やってみた悠仁だって大分はらはらした。

 

(散弾が潰されたなら次は……)

 

 今度は斜めから刺さるように、パンチを繰り出した。

 先ほどとは違い、直線的な血液が射出される。それにタイミングを合わせ、横合いからひっぱたくように殴った。しかし、それだけでは足りない。初速に拳の威力が負けている。

 故に、悠仁が放ったのは逕庭拳だった。外見的なそれと意図的にインパクトの瞬間をずらせる技。圧縮矢は後から鞭に変更できる事からも分かるように、打ちっぱなしの技ではない。長く尾を引く腹の部分を押してやれば、さほど威力がなくても方向をねじ曲げられる。

 

「な……!」

 

 呪詛師の動揺につけ込んで、さらに一歩深く踏み込む。拳は避けられて空を切ったが、今までの攻防よりは遙かに手応えがあった。

 詰めた距離を維持しようと思ったが、さすがにそこまでは上手く行かない。草刈り機の刃みたいな回転する刃が飛来し、これを受け止めている間に距離を置かれてしまう。

 中距離でにらみ合いが発生したのは、呪詛師が、圧縮矢と散弾を見抜かれたと思っているからだ。分かっているからこそ、悠仁は顔を平然と保った。

 

(っっっぶねえー!)

 

 当たり前に、攻撃の見分けなど全く出来ていない。そもそも空中に待機させている圧縮血液すら、ちゃんと発見している自信などなかった。さっきのは完全に勘だ。そもそも、戦いながら0.01ミリ単位の呪力揺らぎを確認するなど、悟か大地くらいしかできないだろう。

 圧縮矢を正面から潰そうとしていたら、手が壊れていた。散弾を横からいなそうとしていたら体中が穴だらけになっていた。今のは、確率が高そうなタイミングで実行したら、たまたま山勘が当たったに過ぎない。

 

(でもこれで、一歩有利になった)

 

 相手の選択を狭めること。こちらの選択が増えたと思わせること。戦いにおいてもっとも重視すべき点だ。

 呪詛師の頭には、自信を持って放っていた技が見抜かれたかもしれないという疑念が生じているだろう。殆ど対応できていない遠距離からの圧縮矢ならいざ知らず、中距離以内で圧縮矢と散弾の使用には躊躇が生まれる。

 悠仁は深めに腰を落とした。突撃の構え。

 悠仁と呪詛師という分かりやすい脅威が暴れたためだろう、周囲からは人が大分はけていた。やはり、目に見えない事もある呪霊より、明確な指標のある危険は避けやすい。できれば呪霊を祓ってやりたいが、さすがに目の前の男から気を抜くことはできなかった。

 攻撃を届かせるには遠すぎる間合いで、動きの邪魔にならない程度に拳を素早く突き出す。無意味な動きではない。有意義とも言いがたいが。

 狙い通りに拳の先端から呪力が放出され、そして呪詛師に届く前に霧散した。

 

「げ」

 

 小さく呻く。

 狙ったのは呪力砲。悟曰く、一級なら概ね出来る技術である(実際に使うかはさておき)。逆に言えば、準一級レベルではまず扱えないという事でもあった。同時に、一級でも呪力砲を使いこなす者は少ないとも。

 呪力を収縮し打ち出す。言葉にするなら簡単だが、根本的に呪力が物理的影響力を持つまで圧縮するのが難しい。体から離れた状態でも圧縮率を保つのはさらに。

 いくらか練習していたし、成功率は五分という所だった。まさかここで失敗を引いてしまうとは。

 まずいのは、牽制にすらならない攻撃だったことではない。すでに悠仁の手段が枯渇していることをわざわざ知らせてしまった。

 

(慣れれば簡単だって言ってたじゃん先生の馬鹿!)

 

 圧縮矢と散弾の波状攻撃を倒れ込むようにして躱しながら、内心で罵倒する。

 無闇に過ぎる隙だったが、逆にそれがよかったのだろう。あまりにも唐突かつ大きすぎて、呪詛師も咄嗟に反応しきれなかった。

 散弾はともかく、圧縮矢は合掌した手の隙間から放つ事で最大の威力を発揮する。つまり、手から放たれない圧縮矢は悠仁がなんとか認識してから躱せる程度でしかなかった。放たれたのが合掌状態の圧縮矢だったら死んでいた。

 

「おい。ふざけてるのか?」

「大真面目なんだけどなー……」

 

 呪詛師が半眼になって吐き捨てる。

 

「まさか、そのおちゃらけた風で弟を殺したのか」

「弟?」

 

 一瞬、何の話かと戸惑う。が、すぐに心当たりがあった。二人組の呪詛師、彼と同じく血液を扱う術式――

 そうするべきではないと分かっていても、視線が下がるのを止められない。

 

「……何の慰めにもならないと思うけど、あんたの弟は強かったよ」

「…………。最後の言葉は、あったか?」

「いや。ただ、泣いてた」

 

 そうか、という小さな呟きは、多分自分に向けられたものではない、と悠仁は感じた。

 彼が感傷に浸ったのはほんの一瞬。次の瞬間には、殺意が爆発的に膨れ上がる。

 

「壊相! 血塗! あの世で見ていろ! お兄ちゃんが敵を取る!」

「悪ぃんだけど……ここで『はいそうですか』と殺られてやれねーんだわ!」

 

 萎みかけていた、というか息切れをおこしかけていた呪力を再び充実させ、悠仁も相対する。

 今までの行動に無駄が一切ないなどと言うつもりはない。しかし、大半の攻撃は少なくない負担を強いていた。攻撃の要となっていた中・遠距離の攻撃から、速度が失われつつある。圧縮が甘くなっているのだろう、と予想した。

 

(懐に潜り込むならコンパクトに……大胆に!)

 

 それは、以前大地から教えられた事だ。

 自分より圧倒的に格上で、正規の訓練も受けた男。さすがに伝来の格闘技術までは教えてもらえなかったが、それでも心得とさわりくらいは知ることができた。

 呪詛師が驚愕に目をむき、両手にナイフのような血を構える。攻撃は素早いが、同時に話にならないと断じた。不意打ちの副兵装としてならばともかく、見えた状態ならどうともでなった。

 

(打撃は振りかぶらず、鋭く、最短で! 腕じゃなくて背中でぶっ放す!)

 

 悠仁の攻撃は威力を優先するあまりに雑だ。そう指摘したのは大地だけではない。

 身体能力に優れるため、予備動作が大きくてもまず避けられる事はない。しかし、その手の悪癖は(きわ)で裏切る。当たり前のように全打撃へカウンターを合わされてしまえば、納得しかなかった。

 大ぶりの攻撃を当てたいなら、牽制からの連携かカウンターで。まだ明確な結果にはなっていないが、少しずつ成果は出始めている。

 近づいては離され、また接近しては細かい連打を入れる。隙を突いて大きなものも放つものの、こちらは中々食らってもらえない。いくら威力に自信があると言っても、完璧にガードされ威力を殺されては大きなダメージを与えるのはさすがに無理だ。

 焦ってはいけない。勝負を急いで勝てるほど、相手は甘くなかった。

 ただし。

 

(――ここ!)

 

 その時が来たならば、躊躇しない。

 頭上斜め上から降り注ぐような散弾を、右手を掲げて防ぐ。覆いきれなかった分が、頭皮を抉った。

 掻い潜って前蹴りをみぞおちに決める。これは外されてしまったが問題ない。

 呪詛師は攻め込むのに失敗して距離を空けたと思っただろう。ここが建物の中でなければ、そうなっていた。柱に当たったダメージはなくとも、後退を阻害される。

 呪詛師の背中が柱に叩き付けられる。こと室内の環境利用という意味において、悠仁は呪詛師より一枚上手だった。

 狙うは左半身。先ほど肋骨ごと破壊してやった、機能不全に陥った筋肉。いかに優れた術師と言えど、物理的な制約は無視できない。腰は上半身と下半身を連動させる重要な部位、そこが壊れていれば動きは鈍る。実際、左からの攻撃を嫌がっていることは確認している。

 呪力、筋力共に充実した渾身の一撃。絶命せしめるだろうそれは、しかし触れることはなかった。

 

「んがッ!?」

 

 頭がかち上げられる。何事かとすぐに顔を戻すと、呪詛師の掌底が振り抜かれた後だった。痛めつけてまともに動かないはずの左腕で。

 

(なんで!?)

 

 力など入らないはずだ。仮に今の速度で放てたとしても、威力は担保されない筈なのに。

 破れた服のしたから、赤黒い色が揺らいでいるのが見えた。

 

(まさか……血を筋肉代わりにした? 筋肉をまるごとぶっ壊すのを承知で? そんなこと……)

 

 出来るとするならば、応用性が高すぎる。極論、全身の筋肉がなくとも動きに遜色がないのだ。

 呪詛師の右手が、胸元で握られている。まずいと確信した。全力で頭を防御する。

 圧縮矢――本来ならば両手で挟み込まなければならないそれは、理屈の上で言えば片手だと威力は半減。もしかしたらそれ以下かもしれない。それでも、殆ど無防備な人間の肉を貫くには十分な威力だった。

 

「ガ……ふ……!」

 

 矢が左胸を貫き、向こう側へと飛び去っていく。痛みは一瞬だけ、次に痺れるような感覚と、息苦しさを覚えた。

 

(やられた――どこ――肺――?)

 

 必死に頭を回す。

 防御に失敗した。いや、頭を守っていなかったら頭が貫かれていただろう。それくらいの余裕を相手は持っていた。心臓に直撃しなかっただけ幸運だと思うしかない。

 ただしそれは即死でないという以上の意味はない。すでに呼吸が困難になりつつあるし、全身の感覚が曖昧になる。まるで水の中にいるみたいだ。足下が不確かだし、上半身など逆さにされて水の中に放り込まれたような感覚だ。

 死の予感。それも茫洋としたものではなく、しっかりと足首を捕まれていた。逃れるすべはない。

 

(倒す!)

 

 すぐに働かなくなるだろう頭に、それだけを叩き込む。

 プランは破綻した。倒されないように倒すのではなく、死んでも道連れにしなければならない。

 ビッグパンチが呪詛師の頭にめり込む。それなりの威力ではあったが、倒すには至らない。

 早くも窒息の影響が出始めたのもあるが、肩に呪詛師のナイフが深く突き刺さっていた。カウンターで合わせられたが、悠仁が無理に踏み込んだため、目測を誤ったのだろう。

 勢いのままに呪詛師の首を掴んだ。慌てて引き剥がそうとするが、無駄だ。膂力は悠仁が遙か勝っている。

 体を縮めて、股の間に腕を通して呪詛師を担ぎ上げる。柔道に置ける肩車。呪力を乗せた攻撃にはならない代わりに、二人分の体重プラス担ぎ手の筋力全てを相手の頭頂部に集中する。

 足下が崩壊する感触。実際、床が陥没していた。クレーターの中心には、呪詛師の頭。とてつもなく堅い物同士を叩き付けた感覚はあったが、潰れてはいない。呪力でガードされた。

 呪詛師がどうなったかなど確認せず、悠仁は拳を振り上げた。下段突き、あらゆる技の中でも最大威力を持つものの一つ。

 息が苦しい。殆ど呼吸できない。視界が一瞬で閉ざされる。思考が寸断された。もう何も考えられない。

 最後に、体へ拳を振り下ろすという命令を下して。

 どういう結果になったか確認するより早く、悠仁の意識は閉ざされた。

 

 

 

 上からのしかかってくる虎杖悠仁の体を押しのけて、脹相は大きく息を吐いた。

 何の抵抗もなく転がる悠仁の体は、完全に力が抜けている。この弛緩のし方は、戦闘不能になっただけではない。明らかに意識が途絶していた。

 強かった。噛み締めるように思う。

 頭から吹き出る大量の血を拭った。脳を盛大に揺らされた為、あまり術式を使いたくない。血液を操るという関係上、うまく制御できない状態で発動するのは、命の危険があった。赤血操術最大の欠点だ。

 悠仁があと0.1秒意識を保っていたら。もしくは、拳が外れて頭の横に刺さっていなければ。負けたのは脹相だっただろう。

 

「くそっ、頭がガンガンする」

 

 クリーンヒットした打撃など殆どないにも関わらず、こちらは半分死人だ。打撃力の高さもそうだが、自分の力を理解してそれを生かす能力も優れていた。業腹ではあるが、強かった。曲がりなりにも弟たちを倒しただけはある。勝ったのは偶然ではない。

 荒い呼吸を整えようとする。肺が微振動を起こしており、上手く行かなかった。怪我、とりわけ頭部への損傷は、体の至る所に不調を起こしている。

 だが。どれほど無様であろうと、勝ったのは脹相だ。

 最低限の術式を使えるまで回復した所で、手に血の小刀――血刃を生み出し、逆手に持つ。

 

「死ね」

 

 短い一言を手向けにして、虎杖悠仁の頭へと振り下ろし。

 いきなり標的が消えた。

 ぎょっとして、当たりを見回す。急に何が変わったわけではない。そこら中に散らばる死体も、激戦の跡も何もかも。床は二重に陥没しているし、その際に弾けた自分の血液だって広がっている。ただそこから、虎杖悠仁だけが忽然と消えていた。

 

「虎杖悠仁の仲間……いや、金魚の糞どもか!」

 

 思い浮かぶのは、いつも夏油傑にひっついていた二人組。常に奴のそばに居ながらも、憎しみの籠もった目で見ていた。確かあの片割れは、中々面倒な術式を持っていたと記憶している。

 どういうつもりかは知らないが、目的が宿儺なら面倒くさい。同時に、己の邪魔をするならば敵だ。

 どこへ行ったかは知らないが、そう遠くではないだろう。便利な術式ではあるものの、彼女らは術師としてそう強いわけではない。何より精神が未熟だ。探せばすぐに見つけられる自信はあった。虎杖悠仁を引き渡せばそれで良し、抵抗するようならばその時は――

 すぐに探そうと痛む体にむち打って、しかし動きは唐突に止まった。

 頭が揺れたのだ。脳にまで響いたダメージの為ではない。もっと深く、果てしなく、どうしようもない部分が。

 訳が分からず、頭を抱えてうずくまる。脳裏に閃くあり得ざる光景。

 兄弟の団らん。壊相がいて、血塗がいて、自分がいる。卓を囲んで皆で笑い合い――その中になぜか、虎杖悠仁がいた。

 まるで意味が分からない。脳が理解を拒絶する。なのに、虎杖悠仁に対する親愛の情が消えてくれない。

 勢いのままに、脹相は胃の中の物を吐き出した。どれだけ嘔吐しても、煮えたぎるものが消えてくれない。頭が痛みと情報でひたすらに軋む。

 

「どういう……事だ……? 何だこれは……」

 

 頭を強く押さえ込みながら。これがただの妄想ではないと心が理解した。虎杖悠仁と自分には、いや、自分達には、確かに何らかの繋がりがある。

 確かめなくては。

 痛むからだと焦燥に身を引きちぎられる思いをしながらも、脹相は体を引きずった。確かめなくては。

 虎杖悠仁は何者なのか。自分が抱えているものは何なのか。繋がりがあるとして、それを仕込んだ者は誰なのか。確かめなくては――

 

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