だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
「美々子、後ろ来てる!?」
「大丈夫!」
虎杖悠仁を背負いながら、二人の少女は全力疾走をする。一歩踏み出すごとに呼吸が荒くなるのは、彼女らも自覚していた。
「もっと早く走れない!?」
「無茶言わないでよ! こいつ無駄に重いの!」
小声ながらも語気を荒らげたやりとりをする。
実のところ、術師にとって成人男性一人分の重さなどないも同然だ。にもかかわらず疲労を感じてしまうのは、自分達が場違いだと理解しているからだった。
美々子と菜々子は呪術を扱う超人である。例え格闘技のワールドチャンプが相手だったとしても、一方的にたたきのめせるだろう。が、それは術師として優れているという訳では決してなく。はっきり言って、彼女らの才能はいいとこ並だった。当たり前のように一級特級が跋扈するこの中では、どう足掻いても実力が足りない。
そこら中を徘徊している改造人間はまだいい。しかし、呪霊は所持している宿儺の指に呼び寄せられる。さすがに低級呪霊に負けるほど弱くはないが、数が集まれば話は変わった。
ましてや脹相に見つからないように監視を続け、虎杖悠仁略奪の機会を狙っていた。あれもただ見ているだけでこちらを殺そうとするほど過激ではないが、かといって復讐の機会を邪魔されて黙っているほど大人しくもない。
美々子と菜々子に味方はいない。最終的に全てが敵に回るし、誰を味方にしようとも思っていなかった。望めるならば世界を滅ぼしたいとすら思っている。無論、真っ先に殺したいのは、恩人たる夏油傑の遺体を弄ぶ何者かだ。
全てが敵にしか見えない中、格上から隠れて機をうかがうのは、非常な労力を必要とした。こういう状況に直面すると、自分達がどれだけ傑に守られていたかが分かる。
一定の距離を置いたところで、虎杖悠仁を降ろす。本当なら簡易でも拠点と言えるような場所にしたかったが、生憎ここは伏魔殿渋谷駅。拠点など作れなければ、安全な場所だって存在しない。
「指は!?」
「ここ!」
「よし……解除!」
美々子が宿儺の指を持っているのを確認し、菜々子は術式を解く。
菜々子の術式は『被写体の状態を保存する』というものだ。菜々子のさほど多いわけではない呪力でも便利だと感じられるほど優秀である。
撮影した物は、状態の変動がなくなる。死にかけの悠仁を殺さずにここまで運べたのも、この術式によるものだ。他にも被写体を枠からはみ出るように撮影すれば切断できるし、逆に自分を撮影すれば強力なバリアにもなる。写真機よりは性能が劣るが、親指と人差し指で枠を作っても代用できるため、かなり便利だ。
菜々子が悠仁を上向かせて顎を無理矢理開かせる。そこに美々子が宿儺の指を押し込もうとするが。
「駄目! 喉に血が詰まってる!」
「ちっ! 手間かけさせて! 美々子、ボールペン!」
受け取ったそれを、おもむろに突き刺す。ペン尻を外してリフィルを取り出し、口に手を当てて呪力を叩き付けた。
ごぼ、とおぞましい音を立てながら、彼の左胸とボールペンから血が吹き出る。ごっそり寿命が減っただろうと思ったが、どうでもいい。どのみち放っておけば死ぬし、宿儺に変われば体の治癒など簡単にするだろう。
中々飲み込まない指を、半ば叩き付けるように押し込んで。しかし、宿儺は出てこなかった。
「なんで!?」
「くそっ、余裕がないって言うのに!」
何かを失敗したのか、それとも偽夏油傑から意図的に伝えられていない事でもあるのか。揺さぶろうが頬をひっぱたこうが、うんともすんとも言わない。このままでは本当に虎杖悠仁が死ぬ。彼が死ねば、傑解放の手立てすら失ってしまう……
「もう一度撮影して、なんとか……」
「何やってんの?」
指がある所に。そう言おうとして、不意に声をかけられた。
ぎょっとしながら振り向く。いくら二人共に、呪力を感知できるほど呪力操作に富んでいないとしても、さすがに気を散らしすぎた。
視線の先にいたのは、それなりに見た顔。体中にツギハギがある呪霊だった。
ひとまずほっとする。呪術師側でなくてよかった。
「虎杖悠仁を殺そうとしてんの? 悪いけど、今死なれる訳には……」
「あんた! 宿儺の指持ってない!?」
「ん?」
「見りゃ分かるでしょ! こいつ死にかけてんのよ! 早く指を食わせないと宿儺ごと死んじゃう!」
「……ああ、そういう。考えてみれば、君達程度で虎杖悠仁は殺せないよね」
いかにも舐め腐った言葉に、苛立ちを感じなかったわけではない。とはいえ戦力評価は正しいため、文句も言えなかった。ましてやこいつが人間を見下しているのは、今に始まったことではない。
「とにかく、運が良かったね。丁度、漏瑚から宿儺の指を渡されてたんだ。宿儺にはあの化け物を殺して貰わなきゃいけないし」
「化け物?」
「こっちの話。はいこれ、虎杖悠仁に飲ませてよ」
と、巻物を渡される。そこに納められていたのは、10本もの指。彼女らが食わせたものと合わせれば11本にもなる。
(お願い、目覚めて……!)
喉に指を無理矢理ねじ込みながら祈る。
正直なところ、これで肉体の主導権が宿儺に渡るかは賭けだ。それも、かなり希望的観測に寄った。
虎杖悠仁は宿儺の器であり、器と言うよりは檻だ。この世のどんな劇毒よりもなお危険な宿儺の指を食って平然としてる奴である。数を増やせばなんとかなると考えるのは、きっぱりと見込みが甘い。
「ねえ金髪」
「菜々子!」
「うるさいなあ、金髪で十分でしょ。それでさ、これで宿儺が目覚めなかったらどうするの? 何かプランある?」
「あるわけないでしょ。いざとなったらこいつを保存してとんずらよ」
「保存?」
当たり前のように、ツギハギはこちらの術式を理解していなかった。見せたことだってあるというのに。まあ、それだけ興味がなかったという事なのだろう。
全ての指を詰め込み終わって変化を待つ。が、変化はない。相変わらず微弱な呪力は、虎杖悠仁のものだ。
「失……敗?」
「うーん、これはまずいね。あの化け物がやってくる前に、とっとと
着いてこい、とでも言うようにツギハギが歩き出して。
気付いたときには、三人全員が同時に伏せていた。
「…………!?」
体から力が抜けたわけではない。まるで感情と理性がまるごと制圧されたかのような感覚。
禍々しい凶暴な呪力が発生していると気付いたのは、直後だった。いつの間にか、何の前触れもなく、虎杖悠仁から宿儺に変わっている。
「言われる前に
体を慣らすように首を二度三度ひねりながら。千年前から現代に至るまで、最強と謳われた呪いの王がここに顕現する。
「さて、貴様ら」
言葉そのものには何の含みもない。本当に、ただの気まぐれで言っているだけという風だ。ただし、存在圧そのものが違う。何気ない言葉、一挙一動、全てが死に繋がっている気がして仕方なかった。
「今の俺は気分がいい。少しくらいなら話を聞いてやる。そうだな……呪霊、貴様の方から言って見ろ」
告げられて、ツギハギは冷や汗を垂らしながらも語り始めた。
「うーん、用って言われても……特に思い当たらないなあ」
「何?」
この死神を前にして傲岸不遜な態度。もしかしたら、なけなしのプライドなのかもしれない。
「だって君の復活を熱望してたのは漏瑚と夏油だし。俺は……そうだな、虎杖悠仁は殺したいって思ってたけど、せいぜいそれくらい? あえて言うなら、君が復活した時点で目標は達成したかな」
「では、俺に願うことはないと?」
「うーん……。考えてみたけど特に何もないなあ」
一瞬、宿儺はきょとんとして。
「ははははははは!」
急にげたげたと笑い始めた。
「阿呆だ阿呆だと思っていたが、ここまでくると清々しいな!」
「褒められてる?」
「褒めとらん、戯け」
だが、と彼は続けた。
「望むままに願うままに欲望のままに。成る程、貴様は呪いだ。誰はばかることのない怨念の塊よ」
「けなされてる?」
「今度は褒めている」
「やったぜ」
はっきりと馬鹿みたいな下らないやりとりだと思ったが、他人事で居られたのはそこまでだった。宿儺の目がゆっくりと、二人の少女へ向いた。次はお前達の番だ、と視線が語っている。
あの偽物を殺して。夏油様を解放して。そう言いたかったのに、喉から言葉が出てこなかった。胃酸がこみ上げて焼けるように痛い。多分、それは純然たる恐怖なのだろう。
視線を上げていいのだろうか、と逡巡しながらも、頭は伏せたまま宿儺を見上げた。
壮絶、ただその一言に過ぎる。本人はなんの気もなく佇んでいるだけのつもりなのだろう。過呼吸でも起こしているのではないかと思えるほど、息が荒くなる。視線が定まらない。
何秒と待たず、宿儺は鼻を鳴らした。
「つまらん」
言葉の後に、死ね、と続けられた気がした。恐らくその予感は正しい。
死神の手がゆっくりと向けられるのを、ただただ眺めているしかなかった。終わりの瞬間を、受け入れる事も出来ず理解するしかない。
しかし、その一撃が放たれる事はなかった。
いつの間にか、本当にいつの間にかとしか言い様がない。宿儺が消えていた。視界の端に姿が映っていたのはただの偶然だろう。ツギハギ呪霊を庇うようにして、宿儺が左腕を伸ばす。その先に居たのは、白亜の亜人――強烈な存在感を持つ式神。
「ちィッ! 馬鹿力め!」
掌と拳が接触し、負けたのは宿儺の方だった。指が吹き飛ばされ、さらに手首と肘が半ば千切れ、肩まで脱臼している。ただの打撃、物理的な差し引きによって呪いの王が押し負けたのだと理解するのが遅れたのは、そんなことはあり得ないと思い込んでいたからだった。
続いて、殆ど直上の天井に穴が空く。飛び込んできたのは、逆立った髪をした大男だった。年頃は美々子達とそう変わらないように見えるが、しかし風格がある。なにより、宿儺に匹敵、あるいは凌駕するほどの濃密な呪力を纏っていた。正直このレベルになると、美々子達程度ではどちらの方が上と判断できない。
落下の勢いまま、今度は宿儺に殴りかかろうとして。しかし、その腕が唐突に切り離されていた。これも予兆が全くなく状況で判断するしかない。宿儺の術式なのだろうか。
飛び込んできた男は即座に腕を掴むと、切り口に押し当て、当然のように治癒する。反転術式、それも見たことがない程に高度な。
この頃には、すでに宿儺の左腕も、何事もなかったかのような状態だった。
たった一発ずつなのに、異次元の戦闘。どちらも当たり前のように反転術式を行使し、しかも目で追えない速度と精度。
事ここに至り、彼女らも気付いた。というか思い知るより他になかった。ツギハギの語っていた化け物というのは、この男だと。
「成る程ね、ただ不可視の斬撃かと思ったら、対象の呪力に比例する威力を出せる訳か。どうりで込められた呪力見て十分な呪力込めたのにぶった切られる筈だ」
「現代におけるもう一人の最強か。鬱陶しいな」
「俺は胸が躍ってるぞ、歴代最強。前に戦おうとした時は振られたからな、これでも気にしてるんだ」
「不敬」
言葉短かな宿儺の言葉。同時に巨漢が腕を振り、金属同士を強くすりあわせたかのような音が鳴った。
衝撃に男の足下がひび割れ、さらに周囲を無数の刃が飛び散った。宿儺の術式――恐らく斬撃――を、拳で迎撃したという事だろうか。
双方とも、どれほど力を込めたのかは分からないが。一撃同士で、渋谷ターミナルのワンフロアが半壊した。もう、どういう次元の強者達だと表現すればいいのかも分からない。
「発生が早く威力も十分で隙がない。いい術式だ。が……一度見せたもんを何の工夫もなく放って当てようってのは都合が良すぎる」
「だろうな」
互いに小手調べとでも言いたげに、軽く呟く。
本人達は理解しているのだろうか。今の攻防で、並の術師が一体何十人死ねるのか。
ぱらぱらとコンクリートの残骸が落ちてくるなか、ぼてん、と何かが落ちてきた。何かというか、パンダだが。何かの比喩ではなく、文字通り動物のパンダである。白と黒のツートンカラーと、やけに愛嬌がある顔が、状況にひたすら不釣り合いだ。
尻餅で衝撃を殺しきり、反動で流暢に立ってすぐ巨漢の背後に隠れるそれを見て、思い出す。これはただのパンダではない。現代最高の呪骸製造者、夜蛾正道が作り上げた最高傑作。それの姿が、確かパンダだと聞いた。なぜパンダにしたのかは意味が分からないが。名前までそのままパンダだというのだからなおさら意味不明だ。
「宿儺が呪霊を庇った……? 組んでるのか?」
「いいや、感覚からしてただこっちに嫌がらせをしたかっただけだろ。妨害できるなら何でも良かったんじゃないか。多分、あっちの呪詛師を狙っても同じ事をしてた」
「うわっ、こんな所に女の子がいる! なんで?」
「さあ」
これだけ近くにいて、今更気付いたというようにパンダが声を上げる。
思うところがないわけではないが、仕方なくもあった。宿儺と巨漢が揃うような状況で、他に目が届く方がおかしい。
「それよりパンダ」
「おう、そうだった」
言われ、パンダが少女二人に向かって走ってきた。思わず身構える。が、予想に反して、パンダはこちらを担いで走り出していた。
「ちょっとアンタ!」
「お尻掴むな!」
「あんなとこに置いとける訳ないでしょ! もしかしなくても巻き込まれて死ぬって! あと俺はパンダだからセクハラとかノーカン!」
そんなことはどうでもいい。問題は、まだ偽夏油傑抹殺の依頼をしていないことだ。
せめて声だけでも届けようと口を開いたが、しかし轟音と衝撃に思わず口を閉じる。巨漢の嫌がらせという想像がどこまで正しいか分からないが、その理屈で言うなら、宿儺がこちらを殺そうとしたのを巨漢が妨害したのだろう。
二人して歯噛みし、戦場を見送る。最早彼らの存在する領域は、ただ言葉を発することすら許されないのだと理解せざるをえなかった。
化け物の宴に一人取り残され、真人は汗を流していた。両雄がにらみ合っているこの状況で、身じろぎをしていいのかすら分からない。ただ、下手を打てば死ぬ――それだけは確信があった。
「で、そこをどいてくれないか? ツギハギ呪霊――真人だったか。そいつを始末すれば、ゆっくりお前の相手をしてやれるんだが」
「あえて言うなら、そうだな、気分ではない。やりたいなら無理矢理退かせて見せろ」
もしこれが映像であったならば、ただの睨み合いに思えたかもしれない。が、肉眼で見せられれば。闘気で景色すらも歪んで見えた。
「或いは、俺を無視して奴を狙ってもいいかもな」
「馬鹿言え。仮にお前を無視して真人を祓えたとしても、その瞬間俺が死んでるだろうな。確かに奴の術式は厄介だが、そこまでするほどの価値はない。あれを守る奴や状況がなければ、始末は一瞬だ」
「くくくっ」
宿儺が楽しそうに笑う。恐らく、天童大地の実力を認めているが故だ。反対に、真人の扱いは雑魚同然。それこそ、四級呪霊と違いがない。
どれだけ文句があろうとも、反論できるはずがなかった。その気になれば、始末に秒もかからないのだ。どちらの化け物にとっても。この均衡は、あくまで宿儺の
「とりあえず、外へ行こうか。ここは狭い」
「俺はこの場であろうと一向に構わんが?」
言葉に、真人は顔を引きつらせた。それは、巻き添えになるまま死ねと言われているようなものだから。
「念のため言っておくが、それで僅かでも鈍るなどと思わない方がいい。俺は悟より犠牲に寛容だ。そうする必要があるならば容赦なく見捨てるし、殺してお前を始末できるならそうする。一般人を助けるのは、あくまでなるべくだ。守ると言うにはほど遠い」
「つまらん奴だ。しかし、戦士としての純度は高い。悪くないぞ、天童大地」
次の瞬間には、二人の姿が消えていた。天井に空いた大穴は、空まで繋がっている。特級呪霊の真人ですら目にもとまらない動きで、分厚いコンクリートの壁を薄紙も同然に貫き、抜けていった。
ただ一人取り残された真人は、その場に座り込んだ。足ががくがくと震える。すべきで言えば、あのパンダを追いかけて殺すべきなのだろうが。全くそうする気にはなれなかった。
「あー……上には上が居るなあ。あんなの逆立ちしたって勝てないよ」
呪霊は望むままに振る舞うべきだという信念。それは変わらない。しかし同時に、蛮勇か否かくらいは弁えられる。あれらを前に強がるのは、明らかに無謀だ。
悔しいとは感じる。ただ、意味のないこだわりと言うだけ。
いいさ、と自分を慰めた。やりたい事など、生きてさえいればいくらでも湧いて出る。無い物ねだりをするべきではない。
まずは、ここ渋谷で勝つ。そのためにはひとまず、足の震えが収まるまで休まなければならなかった。