だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
一つの影が、遡る流星のごとく渋谷の夜空を飛んだ。直線に飛ばされていたそれは途中で急激に角度を変え、地上へと進路を変更する。幾ばくか遅れてやってきたもう一つの影が、それを追いかけた。
影二つが接触すると同時に、ビル一棟が崩れ落ちる。力に均衡はなく、片方が即座に弾かれていた。
姿勢を戻しつつ、へし折られた、というより殆ど千切られた腕を治しながら、宿儺は歯噛みをする。
「ちいっ、無駄に強い。さすがは現代最強の双璧と言われるだけはあるか」
眉をひそめながら呻く。完全な状態ならば負けるとは欠片も思わないが、さすがにここまで力を制限されていれば荷が重い。
天童大地を初めて見たときから分かっていた。こいつはモノが違う。五条悟と同じく、少なくともこの時代では飛び抜けた存在だ。しかも、宿儺が強者と認めた中では初めて見る、一点特化の存在。
通常、力とは概ね平らに伸びる。伸びやすい、伸びにくい部分はあれど、強くなれば短所の底値も上がるものだ。術式の解釈拡大と拡張術式によって、特定の距離、状況で全く使えないという事はなくなるのだから。
しかし、天童大地は縛りによってそれを実行した。宿儺から見ても頭の悪い真似だが……結果的には、ここまでの力を手にしている。
(奴の戦力評価は、およそ六間弱までを接近戦と考えた場合、接近戦を百だと仮定した場合、中距離以降はせいぜい五だ。実際、呪力砲は何ら脅威にならん。が……)
いつの間にか目の前にまで接近していた大地の拳を受けて、わざと飛ばされる。下手に踏ん張ったり抵抗したりなどしてはいけない。
単純に白兵戦技能という意味でも飛び抜けて高いが、なによりそこまで持ち込む過程がやたら優れている。おかげで、体のどこかを潰されては吹き飛ばされ、というのを繰り返していた。
(式神の能力は術者以上、おまけに瞬間移動の術式。全てが相手を殴り倒す為に纏まっている)
思い返されるのは、五条悟が天童大地の講釈を垂れていた事。当時は強いと感じていてもここまでとは思っていなかったので、話半分にしか聞いていなかった。はっきり言って、縛りによって術式をわざわざ不自由にするという時点で、興味の外であったし。そもそも真の意味で『時間停止』などあり得るはずがない。どこかに何かしらの絡繰りがある。時間を止めたと思わせるだけの。これまで戦ったあらゆる情報が、それを裏付けている。
ここまでやるならば少しでも真面目に考えておけば良かった、などと思っても後の祭。とはいえ、術式は非常に単純なものであり、解析そのものは一瞬だった。
そもそもの問題は、分かっていてなお対応が追いつかない大地の練度であり、シンプルな近接戦闘の強さだ。
「俺を鞠のようにぽんぽんと」
単純な打撃力も驚異だが、六間弱以内に入ってしまうと手数が二倍に増えるのはそれ以上だ。しかも、挟撃だってお手の物だし、実際それを狙っている雰囲気はある。今のところ立ち回りで回避しているが、そう長くは持たないだろう。
(火力の一点集中……は通じんな。やはり中距離以上からの手数か)
特化型の欠点。どこが長所か分かってしまえば、攻略法も自ずと分かってしまうこと。
「……ケヒヒ」
どれだけ強くとも、術式が割れれば攻略可能、などというのは術師として二流。真の強者というにはほど遠い。
実のところ、大地は久しく見ない持つ側の存在。何も用事がなければ遊んでやってもいいのだが。せっかくの好機なのだから伏黒恵を見てみたい。可能ならば、多少つついて十種影法術に隠された切り札も覗いて見たかった。
砲弾もかくやという速度で接近してくる大地。とりあえず単発の攻撃は、呪力を高めて素直に受ける。
「ん?」
手応えの変化に気付いたらしい。まあ確かにあからさまではあった。今まで受け流していたのを、真正面に防御して飛距離を稼ごうというのは。
ただし、こちらの手の内を読んだところで対処できない。手段が少ないとはそういう事だ。いかにも二流の術師らしい、悲しい悩み。
間合い調整に追いすがってくる。天童大地は足の裏から呪力を噴出する、もしくは呪力を固めて独立させ足場にして、擬似的に空を飛んでくる。便利ではあるが、どちらも持続力が長いとは言えないし、そもそも実際に地面を蹴るより勢いがない。つまり、できる限り物理的な足場を使おうとするわけだ。
大地が状況を整えるように、宿儺も自然とそうする。ビルの一部を足場にしなければならない状況を作ることくらい、訳なかった。
これまでの戦いで、瞬間移動術式にいくらかの条件が必要であると推測した。
一つ目は確定とまではいえないが、瞬間移動をする際には足場が必要であるのだろう。正しく言えば、初期の勢いが必要なのではないだろうか。瞬間移動の本質は加速と透過の複合であり、それ故に一歩目を踏み出せなければ発動しない。もう少し正確に言えば、意味がない。その場からその場に瞬間移動するだけなのだから。
もう一つ、こちらはある程度の確信がある。奴の術式は、一度発動したら、呼吸を一つか二つおかなければ再発動できない。
普通程度の術師であれば、なんら欠点たりえない特徴。ただし、宿儺ほどの強者と戦うには、十分すぎる隙だ。
本人に干渉はしない。ちょっとやそっとの攻撃では小揺るぎもしないと、今までの攻防で分かっている。ならば狙うはそれ以外、接近戦しか取り柄がない奴の足場、脆いビルの壁面。
「
踏み込む寸前に、斬撃の術式で砕いてやればいい。
稼いだ二つ分の隙で距離を作り、およそ三十五歩分。仮想上の対応不可能な間合いに入った瞬間、宿儺は掌印を組んだ。
「領域展開」
宣言と共に、宿儺はまるで通常の術式を発動するのと同じ気軽さで、領域を展開した。
領域展開とは、通常、結界術で内外を明確に区切る物である。これにはいくつか理由が存在し、そもそも結界という“入れ物”を用意しなければ、体外に生得領域を維持できないというのがあるが。他にも生得領域濃度の保障や、対象を逃がさない(つまり術式が使用不能な状態で同じ相手と対峙しない)といった効果を期待している。
しかし宿儺のそれは閉じない領域。正確に言えば、領域の中だけを自分の領地として好きな法則で満たすのではなく、現実の圧を無理矢理押しのけている。
当たり前に通常の領域よりも遙かに難易度の高い技術だ。放っておけば生得領域が流れ続けてしまうという点でも、維持は難しい。が、それを苦もなく実行してみせるのが宿儺であり。同時に、通常の領域と違って『逃げ道を与える』という縛りによって、術式の性能そのものも底上げされていた。
かつて、指一本の状態では情けなくなるような威力しか出ず、同時に性能の調整もままならなかった。しかし今の力であれば、少なくとも目の前の男を粉砕するのに十分な力を持っていると断言できる。
宿儺を――正確に言えば宿儺の背後にある視覚効果を中心にして、“
筈だった。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
「な……!」
意味の分からない光景を見せられて、思わず絶句した。天童大地が、斬撃の壁を打撃でかき分けている。
間断なく放たれる二種類の刃と言えば、多少の隙間を想像してしまうだろう。しかし実際は、術式が抜ければ塵も残らないほど細切れにする。見た目としては斬撃よりも、触れたら消滅する不可視の壁と言った方が正しい。
防御される事は想定していても(それだって
しかも、大地には
対応、と言うにはあまりに原始的で力業。方法はひたすら分かりやすく、
圧倒的な攻撃力と防御力。やっと理解した。こいつは特化どころの話ではない。単純暴力の塊、近接戦闘の
もう一つ気付いたのは、大地に対して必中効果が発動していない事だ。とはいえ、これ自体はどうでもいい。宿儺の術式は単純な攻撃である関係上、特殊な防御手段を持つ相手くらいにしか活用されていない。
このままでは制圧される――即座に判断して、宿儺は領域を調整した。今まで二町(約200メートル)ほどもあった広大な領域を、十丈(30メートル強)まで絞り込む。
領域が狭まり、術式の密度が爆発的に向上する。さらに極端に狭い領域にした事で逃げやすくなり、縛りの効果も上昇した。宿儺が見たところ、火力は八倍から十倍にまで向上している。
にもかかわらず。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!
当たり前のように、天童大地は最強の領域展開をねじ伏せる。
「想像以上で想定外。認めてやろう、少しだけな」
この男には、最大の力を以て戦ってやる権利がある。
白亜でやたらに射程距離が短い式神も、これだけの力を持つならば納得だ。確かに術者本人が歴代でも最高位の術師を鼻で笑う力を持つならば、ともすれば頭が腐ってるとすら言いたくなるような射程しか動けなくても頷ける。下手に弱体化して距離を伸ばすより、ただ暴虐の限りを尽くさせるのが正解だ。
距離が十歩と少しまで縮んだところで。唐突に、本当に唐突に、腹が軽くなった。
「…………?」
続いて腹から伝わる灼熱の感覚と、それより下の体から感覚が伝わらない。
「!?」
攻撃を貰った事自体はさしたる問題ではない。反転術式ですぐに回復できる。重要なのは、いつ貰ったのかすら分からなかったことだ。今まで、攻撃について行けない事はあっても、見えないなどと言うことはなかった。
ここに至って確信する。こいつの術式は瞬間移動ではない。あくまでそれは欺瞞。或いは本当に、嘘に嘘を塗り固めただけで、時間停止が真実であるのやも――
「貴様……この俺を謀ったか」
「別に舐めていたわけじゃない。
「クヒヒ、生意気」
つくづくと、不遜な小僧だ。だが悪くない。思っていた以上に楽しめた。何より、限界まで術式を隠し通した図太さ、とても気に入った。
白亜の巨人が身を屈め、こちらを軽く睨み上げている。左腕は宿儺の腹に繋がっており、背骨を砕いて背中まで貫通していた。
「
「楽しみにしていよう」
何の気負いもなく、胸を張って言う男に。宿儺は密かに、満足げに頷いた。
(五条悟、貴様に足りんのはこれだ)
力を持ちながら弱者に阿り、不自由を強要される事のなんとつまらない話か。
好きにすればいいのだ。力があるのだから、自由に振る舞えばいい。上層部が気に入らないと言うならば、自ら皆殺しにして君臨すべきだ。そうしたいのなら。わざわざ余計な事を考えるから足をすくわれる。
天童大地は自由だ。本質的には限りなく宿儺に近い。こいつはやりたい事をやるし、どうでもいい事は他者に放り投げている。
かつて宿儺が生きていた頃、何をとち狂ったか、彼を神と崇める者達が存在した。愚かだとは思うが、おかしい訳ではない。ようは、たまたま宿儺がどうでもいいと放置したおこぼれに預かり、運良く勘気に触れなかったというだけ。
大地とわかり合えるとは、共存できるとは欠片も思わない。だが、共感はできる。少なくとも五条悟よりは、遙かに納得できる生き方だ。
さて――このままでは小僧が死ぬ。人間一人の生死などどうでもいいが、指一本二本ならばともかく、さすがに十五本分の喪失は惜しい。絶対という訳でもないが。無くしたら無くしたで、やりようはいくらでもある。そういった保険はかけておいた。
小僧をからかってやるという意味では、そのままでもよくはあった。しかし、今はそういう気分ではない。
「いいだろう。褒美をくれてやる。ささやかだがな」
言いながら、宿儺は背中を引っ張られる感覚と共に、再び檻の中に納められた。
夢の中にいる。
夢の中の自分は、天上天下唯我独尊という言葉を体現したかのような存在だった。思うがまま望むまま。この世にただ我だけが在り。己意外に何も顧みない、独我の究極系。自分だけを『命ある存在』と見なす行為。
いきなり同学年ほどの二人を殺そうとしばしん。
その後は乱入してきた大地と派手な戦いを演じばしん。
あまつさえ、たまたまそこにいた仲間すらも殺しそうになってしまいばしん。
…………
ばしんばしんばしんばしんばしん。
「いたぁい!」
悠仁は思い切り体を跳ね上げた。両方の頬がじんじんする。言葉が多少くぐもっているのを見る当たり、腫れ上がっている様ですらある。
「なんで叩くの!?」
「いや、中々起きねえから」
とりあえず、胸ぐらを掴みひたすらビンタくれていた大地に叫ぶ。
ひりひりする頬を抑えながら、しばらくしゃがみ込み。自分が何をしてしまったかを思い出して、吐き気がこみ上げた。
戻すのだけは堪えた。それは――ここまでやらかしてしまった自分に許される事ではないと思ったから。
口を握るように押さえ、なんとか吐き気が引いたところで。悠仁は口を開いた。
「なあ、天童。俺は何人殺した?」
「…………」
即答はされなかった。大地が迷ったというよりは、こちらに考える余地を与えたのだろう。
「やったのはお前じゃない、という答えは望んでないんだな?」
「……ああ」
「せいぜい100人前後って所か。運が良かったな。宿儺が200メートルもある領域を維持していたら数千人、普通に暴れてたら万に届くような犠牲者が出てた」
「運が良かったとかじゃねえ……! 運が良かったなんてこと……絶対に……ないんだ……」
どう足掻いても忘れられない。術式越しに、人の肉を、命を――断った感触。断末魔を叫ぶ事すら許されず死んだ人々。斬撃では死にきれず、苦痛と恐怖に悶え、もしくは同時に斬られた建物に押しつぶされて死んでいった人々。
こんなにはっきりと手の中にあって、忘れられる訳がない。罪無き人などいくらでもいた。宿儺に取って代わられ殺人を犯した自分がそうだと言うならば、彼らもまたそうだった。
宿儺の指を飲んで、
虎杖悠仁が死んでおけばなかった犠牲を、『運』などという一言で片付ける事はできない。してはいけない。
もっと早く自覚すべきだった。虎杖悠仁という人間は、すでに生きているだけで『呪い』なのだと。
「悠仁、今すぐ選べ。立つか否か」
いつも通りやたらと胸を張った大地が、そう宣告してくる。
その様子がありがたかった。もしここで少しでも甘くされたならば、きっと折れてしまっていた。
「立つ。せめて、報いは受けなきゃならない」
「うむ、それでこそ
「……お前もそれ言うの?」
平常運転すぎて逆に怖かった。一緒に沈んでくれなどというつもりは毛頭無いが、それにしたって普通すぎる。もしかしたらこれが、生まれながらの呪術師という事なのかもしれない、とちょっと怖い想像をした。
負の感情が渦巻いたためか、それとも別の要因があるのか。体は異様なほど調子がいい。呪力も(総量はともかく)高い出力を出せそうだ。
と、気付く。腹に空いているはずの大きな穴がない。正確に言えば、破れた服と血痕という跡はあるが、肉体的には違和感を感じる事すらなかった。
「なあ天童、治してくれたのか?」
「いいや。宿儺が勝手に治して消えた」
「……? どういうつもりだ?」
「俺に聞かれてもな」
どうでもよさそうに見えて、若干困ったような大地。
以前の宿儺は死ぬならそれでいいという様子だった。いや、あの時も結局は蘇生していたので、実は殺す気などないのかもしれない。まあいくら悩んだ所で分からない事ではあった。とりあえず口だけだったら死ぬほど笑ってやる、と決める。
「……俺はどうすればいい?」
「真っ先に尋ねたのは好感触だ。ちゃんと頭が回って現状把握できてる証拠だな。相手のボスは呪霊操術、まあざっくり言うといくらでも手下を増やし、その分だけ手札を増やせる術式を持っている」
「何それずっけえ」
「最良の術式の一つに数えられるものだからな。そりゃイカサマじみてる。加茂家あたりが相伝に欲しいと言っていた気がするが……それはどうでもいいな。基本的な術式性能は、六眼がなければ真価を発揮できない無下限呪術などよりよっぽどだ。とにかく、そいつと戦うのにお前は力不足。道中、戦いがあればそこに放り込めるが、ボスと戦うときは素直に置いていく」
「ウッス」
体に活力を入れ直す。ありったけの力を充実させた。
「いつでも走れるぞ」
「お前が走るより抱えた方が早い」
短く告げると、俵みたく肩に担がれた。
(おゴっ)
急激な加速と、腹に食い込む肩。思わず喉から漏れた声が、後方へと置き去りにされた。ただの急発進で体がばらばらになる感触を味わったなど、初めての経験だ。
改めて、大地がとてつもない化け物だと知る。できればもう少し違うシチュエーションで感じたかったが。
先ほどとは別種の猛烈な吐き気に襲われながら。その日、悠仁は渋谷の夜空で星になった。