だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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渋谷事変15 黒録

「ラァッ!」

「ちっ!」

 

 悠仁の拳と、象の鼻みたく長く太い変化をした真人の腕がぶつかり合う。手首と肘を重たい衝撃が突き抜けるが、肩にまでは届かない。それは、悠仁が一方的に押し勝っている事を告げていた。

 

(よし!)

 

 心の中で歓声を上げつつ、左拳も握る。フォローに放ったそちらは、残念ながら躱されてしまった。

 真人と悠仁のスペック差は大きい。数値の合計を比べた場合、戦うのが馬鹿馬鹿しくなる数字であろう事は分かっていた。

 術式がなければ、瞬間的な呪力出力に秀でているわけでもない悠仁が、唯一自信がある部分。それが攻撃力だった。ここで勝てているという自信は大きい。最悪、真正面から力で無理矢理ねじ伏せるという方策が取れるのだから。それで勝ちきれるかはさておき。

 不利を感じて、真人は距離を置こうとするが。

 

「逃がさないよ」

 

 順平が上手い具合に澱月の分身……だか小クラゲだかを回り込ませ、巧みに邪魔をする。

 彼ははっきり言って、単独では強くない(真希の言葉を借りれば、センスが致命的に欠けている)。なんと言えばいいのか、大抵の攻撃が教科書通りというか、「こう来るだろう」という予想以上のものがないのだ。力で劣る相手にはいいが、同等以上となると途端に手詰まりとなった。

 ただし、コンビを組めば話は変わる。

 順平はとにかく相方を生かすのが上手い。性格も多分に影響しているのだろう。とにかく補助能力では、東京校で最大級の才能を持っている。

 おかげで、打撃をどう通すかと迷う必要がなかった。

 

(ホント、めちゃくちゃにやりやすい!)

 

 集団戦で順平と組めば負けなしだったから分かっていた事ではあるが。実戦で組むと、予想以上だった。一級術師と組むときのような、強さ故の安心感とは、また別種の安堵がある。

 鬱陶しくなったのか、真人が数体の小型澱月の内、一体を破壊した。

 

「い……ったあああぁぁ!」

 

 直後、目を覆いながら抑える。どれほど痛かったのだろう、動きまで鈍っていた。

 蹴りを肩に放つ。いきなり急所を狙って、素直に祓われてくれるとは思っていない。まずは少しずつ、機動力をそぎ落とす。すぐに治癒されるだろうが、それが呪力であれ術式であれ、少なくない消耗にはなるはずだ。

 足を反転させ、踵で膝裏を狙ったが。こちらは避けられてしまう。

 一瞬で10メートル近くも距離を取った真人の顔は、涙で溢れていた。目が通常ではあり得ないほど赤くなっている。

 

「順平、何やったんだ?」

「澱月の刺胞にカプサイシンに似た成分を貯めておいたんだ。普通に刺さっても、真人には何の影響もなかっただろうね。こっちの攻撃は当たらず、いずれ邪魔になって破壊するだろうなと思ったから仕込んでおいた」

「はー」

 

 実のところ、全く意味は分からなかったが。とりあえず理解したふりをして相づちを打った。

 

「今までの戦いで分かったんだけど、真人はあくまでダメージがないだけであって、痛みを感じないわけじゃない。体の構造は人間に近いものがあるし、反応も極端に似通ってる。特殊な術式を持っている以外は、ほぼ人間だと思っていいんじゃないかな」

 

 正直、悠仁にとっては普通のことに思えたが。二人にとっては違うらしい。とりわけ真人は、苦々しい表情をしていた。

 そこで、順平はわざとらしくいやらしい笑みを作る。

 

「これから大変だね。倒していい式神とそうじゃない式神をより分けなきゃいけなくなった。ああ、意図的に壊さないって言うことは、攻撃にも多少当たりやすくなったって事だ。毒がある事は分かっても、種類までは判別できないみたいだしね。どこまで対処できるかな?」

「……お前はとっとと殺しておくべきだったよ」

「褒め言葉として受け取っておく」

 

 会話の合間にも、順平は次々と小型澱月を生産していた。傘が震えたと思えば小さな卵のようなものを吐き出し、空中を滞留する。あるものはそのまま消滅し、あるものはクラゲ状に成長する。多分、これ見よがしで付け入る隙が大きいように見える式神の増殖方法は、縛りなのだろう。

 ほどほどに距離を空けた(場所を広く使わないのは、小型澱月による包囲のためだ)真人が、空中で両手を合わせる。これは知っていた。

 

「撥体」

 

 手の中から大きな柱……のように見える、かつて人間だったものが直進してくる。避けようなどとか考えない。真正面から殴り飛ばした。

 

(得意な事だけできるってホント楽だな!)

 

 とりわけ悠仁は得手不得手がはっきりしているだけに、強く思う。自分の力を百パーセント生かせている実感を得られるのは、訓練ですら味わえなかった。

 飛行を止めて攻撃を行ったため、自由落下している真人。彼は背後を見て、小さく舌打ちしていた。なぎ払おうとしたにしては、被害が少ない。

 

「こっちでも駄目かよ」

「人間を素材にしてるなら、結局タンパク質の塊だ。当然、澱月の何割かにはタンパクを硬化したり、破壊するような毒が混ざってる」

「人間をそんな風に扱っていいのかい、呪術師?」

「誰かさんのおかげで、忌避感が大分麻痺してるんだ」

 

 相変わらずとげとげしいやりとりをしている。

 真人の落下に合わせて、右フルスイングを打ち抜いた。が、これは急に現れた壁――これも撥体なのか――に防がれる。壁はぐちゃぐちゃに抉れたものの、逆に血と脂で拳が滑り、真人までは届かなかった。

 焦りすぎた、というよりは思うように動けすぎたのだろうか。あまりにも自在に戦えるものだから、初手で大振りを放ってしまった。

 致命的とは言わないまでも、明らかな一手損。順平にこの上ない支援を貰っているのだから、もっと一つ一つを大切に、ありったけの呪力と殺意を込めて。

 

(アイツはシンプルに早いし、それ以上に動きの予想を付けづらい。しかも、防御だって甘いわけじゃないんだ。順平の支援があるって言っても、攻撃を届かせる事が出来る機会はそう多くない)

 

 数少ない機会を最大限に生かすならば、選択肢は一つしか無かった。黒閃。

 かつて狙って出せる者はいなかったという技法、もとい事象。大地や悟であっても、数打ちゃあたるを前提にしている。それを成しえなければならない。

 成功させるには、集中が足りない。それこそ十万分の一秒すら知覚できる程の、極端な集中をしなくては。

 

「多重魂」

 

 ほどほどに距離を空けられた所で、真人が胃の中から何かを吐き出す。掌より二回りほど小さい、表面に顔のような模様がある、趣味の悪い小さな棒。

 

幾魂異性体(きこんいせいたい)

 

 正確には見えていなかったが、複数ある棒状の何かが一纏めにされ、亜人型になった。

 強い気配だ。そこらの改造人間とは比べものにならない。

 

(あの棒は人間……極限まで小さくして、胃の中にストックしてたのか!)

 

 そういえば順平の情報から、人間を手で握れる程度まで小さくできると言っていた気がする。それを腹の中に詰め込んで運ぶというのは、正に呪霊の発想だ。

 幾魂異性体(きこんいせいたい)なる、恐らくは複数の人間を混ぜ合わせて作った改造人間は、しかし悠仁に向かってこない。改造人間の顔らしき部位が向いたのは、順平。

 咄嗟に手を伸ばそうとするが、真人に妨害される。インファイトという程露骨ではないが、こちらを働かせないつもりなのは十分に分かった。間近に迫った気色の悪いににやけ面が語っている。悩め、懊悩しろ……

 ただし。

 咄嗟の動きというのは、あくまで咄嗟でしかない。実のところ、この状況で順平が狙われるのは分かっていたし、さほど心配もしていなかった。

 幾魂異性体(きこんいせいたい)が拳を振り抜く。音はひたすら鈍い。骨肉が潰れたような音ではなく、まるで分厚いゴムをハンマーで殴ったかのような音だ。確認せずとも澱月で受けたのが分かるし、実際、順平の体はビル寸前で止まっている。

 

「あ? なんで死んでないんだよ」

「お前がどんだけ侮ってるかは知らないけど、順平は防御が上手いんだ」

 

 というよりも、自己流で納めた術式以外は、防御くらいしかものにする時間が無かった、と言った方が正しいか。ただ、性格的にも防御は性に合っていたのか、守りに専念した順平は、そうそう倒せない。

 真人の腹に軽く当て身を決めて怯ませ、一歩引く。その動きを予備動作として、後方に上段後ろ回し蹴りを放った。

 幾魂異性体(きこんいせいたい)の頭がたやすくはじけ飛ぶ。攻撃力こそ一級クラスでありながら、防御力は三級から準二級と据え置き。ステイタスを極端に特化させた多重魂がこれの正体だ、と即座に察した。

 同時に、疑問点が浮かんでくる。なぜ幾魂異性体(きこんいせいたい)を乱用しないのか。

 脆い上に持続時間が短いと仮定しても、一度に十体も出されれば、さすがに対処が飽和する。勝ち筋としては一番楽な筈だ。出来ない、という事はまずあり得ない。呪力の反応を見るに、無為転変の消費と変形させた人間の強度はイコールで結ばれなかった。強さを考えれば、幾魂異性体(きこんいせいたい)の大量生産は割がいい、というか割が良くなくてはいけない。

 なぜ多用しないのか。仮説とも言えない妄想だが、一つの予想を打ち立てる。

 ハッタリをかますのに必要なのは、自信満々である事。恥を恐れて、退路を作ってはいけない。

 

「お前、人間のストック、あんまりないんだろ」

「…………」

 

 帰ってきたのは沈黙。それこそが答えだった。

 帳が降りたのは19時。まだ退勤ラッシュの時間と言っていい。人間をストックしようと思えばそれこそ四桁だって難なく集められだろうし、そうしない理由もない。

 つまりは、途中でストックを大量に失ったわけだ。有力なのは、悟および大地と戦ったとき。余波で壊された、あたりだろう。

 

「よく分かったぜ。お前は周りに無力な人間がいなけりゃただのカスだ」

「そのカスに手こずってるカス以下が囀るなよ。宿儺がいなけりゃお前なんて即殺せてる」

「図星突かれたからってカリカリすんな」

 

 無為転変は魂と肉体の折り合いに限界がある。それが質量の上限であり、同時に強さの上限だ。その限界を擬似的に誤魔化す技術が多重魂と見ていい。

 数には頼れない。周囲の避難が済んでいる以上、補充も不可能だ。質は悠仁に遠く及ばない。無為転変一番の売りと言っていい一撃必殺は、悠仁に使えば自爆にしかならなかった。

 ここにはぶち殺すための“枠”ができあがっている。同時に、これ以上の機会はない。

 状況を、確実にものにする。

 煽り文句にしてはあからさますぎるかと思ったが。思いのほか素直に、真人は乗ってきた。思惑があるというよりは、シンプルに幼い。見下すのには慣れていても、見下されるのは我慢ならない、そんな印象だ。

 殴り合いならば八割方悠仁が勝つ。幾度か防御の上から叩き潰されている内に、頭が冷えたのだろう。どこか引き時を探している風だった。きっかけ、例えば押し込み始めたなどがあれば、すぐに状況を変えようとする。だから悠仁も、下手に踏み込みを深くできなかった。横合いからの助けがなければ。

 こういった状況で仕事をするのが、順平だ。

 

「領域展開を使わないんだね」

「あァ?」

 

 苛立っているためか、そこらのヤンキーみたく声を上げる。小さな打撃が顎を掠め、慌てて悠仁へ集中し治した。

 順平の仕草で分かる。彼は必死に頭を回していた。しかしそれを気付かせないよう、挑発的な笑みの維持に必死だった。

 

「使えない? 使いたくない? そりゃそうだよね。虎杖君に当てられないっていうのを度外視しても、たかだか四級相手じゃ踏ん切りがつかないのも当然さ。ここにいるのが、僕じゃなくて一級術師だったら思い切れただろうに」

「ほん、と……鬱陶しいなぁオマエ!」

「僕を殺したい? やってみればいいじゃないか。死ぬ覚悟くらいとっくにできてるんだ。直後、術式が焼き切れた状態で、虎杖君に殺される覚悟があるなら試してみなよ。ああ、この言葉自体がブラフで、実は簡易領域に集中して訓練してきたかも。そうしたら無駄打ちだけど、どう思う?」

「死にたいならとっとと前にこいよぉ!」

「君が来いよ。それとも自分の命を掛ける覚悟はないとか? 散々人を弄んでおいて、いざ自分の番となったら腰が引けるなんて……臆病者」

「――――!」

(プレッシャーかけるのうめー)

 

 順平の言葉に、いっそ異様なほど、真人は前のめりになっている。

 順平とて、言葉通りの状態というわけではない。本人が自己申告した通り、本来の性格は臆病だ。不敵な笑みの仮面を被りながら、背中は冷や汗でいっぱいなのは感じている。真人が分かっていないのは、平静さを奪われているためだ。彼は人間の呪霊でありながら、一度奪われたイニシアチブを取り戻す手段がない。

 真人の動きが少しだけ単調になる。元の手札が潤沢なため、動きを絞りきるには至らないが、それでも何パーセントかは攻撃を当てやすくなった。

 呪力の核心。そして、武術の核心。どちらも、悠仁が触れるには遙か遠い。しかし、それに限りなく近い存在は知っていた。五条悟に天童大地。彼らの片鱗でも体に宿すのだ。

 ()()は、殆ど苦し紛れだったのだろう。悠仁が初めて意図的に黒閃を狙った打撃と、真人の拳が重なり合う。弾けた黒い火花は空間を歪ませるどころか、ガラスを強く叩いたときみたいに割れた。

 黒閃同士のぶつかり合い。腕だけではなく、余波の時空間断裂が全身に叩き付けられる。さらに真空状となった空間を埋めるべく空間が寄り集まり、反動で爆発まで起きた。体ごと吹き飛ばされなかったのは、半ばこの事態を予測していたからだ。

 呪力出力においては真人、身体能力においては悠仁、両者のそれが奇跡的に釣り合った為に起きた、偽りの均衡。

 

(体が……千切れそうだ!)

 

 無茶苦茶にねじられているせいで、体が引っ張られているのか潰されているのかも分からない。それでも悠仁は、前に一歩を踏み出した。

 爆心地に居たのはお互い様。ならば肉体強度の分だけ、こちらに分があるはずだ。

 

(信じろ)

 

 自分だけではない。身を粉にして足止めしてくれている順平に対しても。一打一打に全てを込める。

 肉体変化を応用した攻撃は無視する。それこそ迎撃もせず、最低限の急所ずらしで済ませた。所詮避けづらいというだけで、ダメージそのものはしっかり呪力を込めた打撃に劣る。

 加えて、この戦闘で人間のストックを使い切る気でもなお、残数に気を遣わなければならないのなら。

 もはや気をつけるべきは、逃がさない事だけ。

 

「我慢比べだ」

 

 呪力の流動における、インパクトの偽装。基礎であり必須技能のそれを捨て、両拳に呪力を集中した。上手く戦うより常に最大限の威力を発揮する方が得だと判断した。それに、どっちみち建人ほど精緻な操作ができるわけでもない。

 吐息の一つ、筋肉の細かな脈動ごとに、変化する呪力を感じ取れる。以前に黒閃を放てたときより、遙かにシャープな感覚だった。三度目のおかげか、間を置いた発動がいいのかは分からない。似たような感覚を真人も味わっているだろう。ただしそれは、あくまで呪力に関してだけ。

 やや上方から打ち下ろされる拳を手の甲で叩き、左フックを頬に引っかける。

 

(呪力操作が向上しても、体術まで上がるわけじゃない。黒閃の直後は、逆に体が呪力に置いて行かれる!)

 

 牽制から、本命の右ストレートに繋げた。真人の首から上が、はじけ飛んだかというような勢いで折り曲がる。が、黒閃ではない。一撃で決定打たり得ない。

 

(もっと細かく! 大胆に!)

 

 打撃は上下に散らす。防御の手立ても手段も絞らせない。当てるつもりの攻撃は、確実にダメージが残るよう気をつける。覚えている限りの基礎を集めた。

 着実にダメージが積み重なる。呪力が目に見えて減っているし、再生も間に合っていない。それでも、削り殺せるなどという甘い期待は持たなかった。あくまで必殺、致命的な部分を破壊する。

 腹を狙った打撃。一見、真人がくの字に曲がって入ったように見えるが、肉を叩いた感触が緩い。

 ほんの瞬き程度、騙された。一瞬に満たないと言えど、黒閃を発動した者同士。何かを仕掛けてくるには十分だった。何かが来るだろうと予感するのも。

 口の中から、人間のストックが吐き出される。それにほんの僅か、真人の手が掠めた。一瞬で膨張し、風船みたくなる。爆発――そんな可能性が浮かんで、咄嗟に頭、正確には目を庇う。失策を悟った時には、半手の遅れが一手損になっていた。これはただの目くらまし。

 視界の半分ほどを漆黒が覆う。それが物理的なものだけでなかったのは、頭を襲う衝撃で分かった。

 

「いくら咄嗟に呪力を集中したって言っても、どんだけ頭が固いんだよ」

「少なくともオマエよりはな!」

 

 ぐらつく頭。気を抜くと、意識まで持って行かれそうになる。打撃も呪力も充足にはほど遠かったとは言え、頭に黒閃を食らってこの程度なら、むしろ御の字だろう。

 正直、舌を回していないと今すぐ倒れそうだ。

 風船を殴り飛ばす。それ自体は破壊できたものの、腕は肉に引っかかったままだった。

 

「しっかり効いてるじゃんか!」

 

 げたげた笑う真人の横っ面が、急にはじけ飛んだ。横っ面を狙った一撃が、宙を彷徨う。

 逕庭拳。一撃目を薄い呪力と打撃で、二撃目を純呪力でと、二重の攻撃を与える技。過去に、悟から武器になると教えられたそれ。普通に放ったのではなく、二発目を呪力砲として放った。

 呪力の放出。成功率が低かった技を、土壇場で成し遂げる。威力など論ずるべくもないが、目くらましと姿勢を崩させるのには十分。

 真人の頭を掴んで固定し、首を大きく振り上げた。

 黒閃を意図的に発動するならば、何を持ってもまず確信しろ――

 

「ラぁ!」

 

 無防備な状態からの、頭突きによる黒閃。額と鼻の間で空間の亀裂が生じ、一方的にねじ伏せた。

 真人の体がアスファルトに叩き付けられ、勢いは止まらずめり込む。馬乗りになって拳を叩き付けた。思考から余計な一切を取り除く。これで死のうが死ぬまいが、まずは頭を破砕する。

 地面が貫通するのではないかという勢いで、何度殴ったかも分からない。すでに顔の原型が残っていない頃、急に腰が浮く。

 

「!?」

 

 尻を押された。それだけは分かった。

 前のめりになったところで、左腕に何かが絡みつく。ぎょっとしながら振り払おうとするも、振り上げた所で捕まれた上、半ばねじられたせいで、上手く力が入らない。

 

(腕がらみ――指取り――!)

 

 関節技を外そうと、左を向いた時に見た。顎と鼻が潰れた、真人の顔。今まで殴っていたものは擬態、密かに急所を移していた。

 腹(かどうかはもう判断がつかないが)を蹴って、無理矢理外す。

 左腕を動かして確かめた。多少痛みはあるが、動きに支障は無い。筋や骨は無事なようだ。

 真人は、顔からだくだくと血を流しながらも、しかし凄惨に笑っていた。半ば濁った目は、どこか澱みながらも爛々と輝いている。目の焦点が合っていない――悠仁を見ているようで、別の何かを見ているように見えた。

 

「死は……いつも俺にインスピレーションをくれる……」

 

 うわごとのように呟いている。

 すぐに距離を詰めようと走り始めたが、思うように速度が出なかった。ごまかしながら戦っていたが、ダメージが……とりわけ頭に直撃した黒閃が、今になって響いている。

 

「ヒントをくれたのは五条悟さ。まさか領域を体内で完結させるなんて方法があるとは思わなかった。俺には、二種類の領域を作るなんて離れ業はできないけど……自分だけで完結させるなら、もっと簡単な方法がある」

 

 相変わらず誰に向けているのかも分からない調子で、彼は掌印を組む。

 現代の呪術学において、掌印を必要とするものは殆ど無い。そもそも、あらゆる儀式を省略して初めて呪術師を名乗れる、そういうレベルなのだ。

 掌印を組むパターンは主に三つ。身の丈以上の強大な術式を行使しようとしているか、術式そのものに組み込まれている場合か、そうすることで本来あるべき威力を引き出そうとしているか。領域展開は一つ目であり、つまり真人のそれは、領域展開に近い次元の高難易度術――

 

「極ノ番・『阿頼原景(あらげんけい)』」

 

 何もかもが遅かった。

 術師風に言うならば、これから起こるのはただの視覚効果であり、術式そのものはすでに発動し終えている。

 体中から帯のような物が溢れて、真人に折り重なっていく。ともすれば、それは拘束衣のように見えた。みるみるうちに全身が包まれ、掌以外に包まれていない場所がなくなる。

 術式は完結していても、真人はまだ動き出していない。この合間に畳みかけようとしたが。

 

「かっ……た!」

「毒も効かない……!」

 

 あらゆる攻撃がたやすく弾かれた。

 手の痺れを抑えながら感じる。真人は単に肉体強度が上がっただけではない。呪力も爆発的に増えていた。これは、謂わば決戦形態とでも言うべきものだ。

 真人は人型のまま。しかしシルエットは人間と似ても似つかない。大地が使役する式神とはまた別の亜人になっていた。

 真人が、組んでいた手を静かに下ろす。そして、やっと焦点を合わせた目で、こちらを捉えた。

 

「俺の最終形態……現時点で望める『最強』だよ」

 

 それだけを告げて。こちらが何をするより早く、右腕を振った。

 最初は、意図の全くつかめない行動だったが。背後でどさりと音がして、何が起きたのかを理解した。

 

「順平!」

 

 背後に向かって絶叫する。彼は花壇の隅に、半ば隠れるようにして体を横たえていた。腹から左胸にかけて鮮血が散り、枝葉と闇に紛れて見えづらいが、左腕がない。少し離れた所で、主を失った手だけが、力なく転がっていた。

 怒りはある。が、それ以上に驚愕があった。澱月の上から斬られていたのだ。少なくとも東京校でこんな真似をできるのは、五条悟だけだ。

 それでもまだ息があるのは、澱月の防御が優秀だった故。

 

「先に邪魔な奴は始末させて貰った……つもりだったんだけどなぁ。ほんと君ってしぶといよね。まるでゴキブリみたい」

 

 嘲笑する、というよりは子供が虫の羽根をむしるような調子だ。しかも、今の真人にとっては本当にその程度の事だと言えかねない。

 異常すぎる力。このプレッシャー差は、初めて特級呪霊と遭遇した時のそれに近い。

 攻撃が来るのは分かった。ただし、受けられたのは偶然だ。顔の前に掲げた腕から、ごりっとこそがれるような音がする。裏拳――というよりは、垂らした腕をただ振り回しただけだろう。あまりの重さに、体が少し浮く。

 裏拳から始まった真人の攻撃は、獣じみているとしか言えなかった。拳を握っていることすらあまりない。引っ掻き、掌を叩き付けるだけ、そういった素人じみた動きばかり。しかし、捌けない。

 

(地力の差……が……ヤバイ! マジでヤバイ!)

 

 悠仁だって反撃している。かつて殺された時とは違い、今はただの素人ではないのだ。ただ、いくら攻撃を当てても、真人は怯まない。

 単に格闘技術という意味で言えば、真人はほぼ素人だ(格闘技をかじっただけの悠仁が評せるものでもないが)。あらゆる体術の基本である『挙動の最適化』から出来ていないし、実際、打撃も全てが大振りだ。そんなことあり得るのか、とも思うが、腕がらみは本当にただの偶然だったのだろう。もしくは見よう見まね。

 これには無為転変というファクターが大いに関係しているだろう。

 体技全般に言えることだが、効率的な動きとはいかに運動エネルギーに指向性を持たせるかだ。無為転変による肉体の変化で運動エネルギーを稼ぎたいだけ稼げるならば、極論、体技など欠片も必要ない。それこそ『初動を悟らせない動き』すら、トリッキーな変化でどうとでもなる。

 阿頼原景(あらげんけい)状態の真人は、人型に固定されている分、今までより予想しやすい。にもかかわらず圧されているのは、身体能力に差がありすぎるが故だった。

 死という言葉が頭にちらつくのはいい。だが、負けるのは許せなかった。

 

「おおおおおお!」

 

 意識が飛ぶのではないかという勢いで攻撃を繰り出す。

 相手の打撃は可能な限り避ける。どうしても対処できないときは、最低限、急所だけずらした。この威力を前にしたら五十歩百歩かもしれないが、急所に直撃するよりはマシだろうと自分を騙す。

 打撃を繰り出すのも無意味な行動ではない。多少なりとも衝撃があれば、相手の攻撃がズレる。本当にいくらかという程度ではあるが、マシにはなっていた。

 これだけの術式だ。時間制限がある可能性が高い。ただし、どれだけ気軽に測っても悠仁が先に力尽きる。考慮する意味はなかった。

 いくら攻撃を当てても、ダメージを与えている実感が持てない。ジリジリどころではない、ガリガリとこちらの体力は削られている。

 ――一撃だけ、真人に攻撃を通す手段(イメージ)はある。ただし、繰り出すだけの余裕がなかった。せめて一呼吸分、貯める時間があれば。

 全身がひび割れていく。骨ではない。命とも言うべきものがだ。

 

「そのまま腐り落ちて死ね」

 

 真人の手足に、今までにもまして呪力が集中する。こちらと同じく、呪力の動きが読まれても関係なしにした、攻撃特化の姿勢。防御と回避の上から潰すという宣言だ。

 最早、残された手立ては相打ちのみ。同時の攻撃で、真人を仕留めきれる自信は全くなかった。負けてしまえば、真人はすぐに回復を図るだろう。もしかしたらこの後のことなど全部そっちのけで、渋谷から逃げるかもしれない。そしてまた、欲望のまま暴虐の限りを尽くすだろう。いつか誰かに祓われるまで。

 攻撃か、防御か。どちらであっても一か八か。考えあぐねている間にも、真人の圧が強くなっていき……

 がくりと、いきなり真人の動きが止まった。

 積み重なったダメージがここにきて効いてきた訳ではない。ましてや、阿頼原景(あらげんけい)に揺らぎが生じたわけでも。

 彼の右足に、極端に粘着性が高い液体が糸を引くようにして絡みついていた。裏ももからふくらはぎ、そして地面へ伸びているそれは、急激に収縮している。

 真人ははっとしながら、顔を向けた。その先には、なんとか上半身だけを持ち上げて、右手を掲げている死にかけの少年。

 

「じゅんぺえええええええ!」

 

 憤怒の怒声が、夜の東京に響く。

 一瞬、ただし一呼吸分。それだけの余裕を前に、悠仁は笑った。

 

「サンキュー、順平。マジ最高だよ」

「いたどりっ、ゆうじぃ!」

 

 腰に右拳を添えて、ありったけの呪力を集中する。

 ――虎杖悠仁は、呪術師として見た場合、三流である。

 呪力が特別多いわけではない。少なくもないが、せいぜい二級から準一級の間という所。高い攻撃力を有していられるのは、人並み外れた身体能力を持っているからだ。

 確かに、呪力操作には非凡な才能がある。ただし、飛び抜けた、という枕詞はつかない。あくまでごくありふれた優秀さという程度。それでも他の呪術師に後れを取らないのは、呪力操作は一定レベルに達した後は伸ばすのが極端に難しく、誰もがそれなりで済ませるから。大抵は術式、ないしは呪力量を伸ばした方が強くなる。

 新米術師で生得術式を持っていない。これだけで悠仁は、同じ新人である順平に後れを取っている。誰が判断しても、将来的な伸びしろは後者の方が期待できると思うだろう。

 悠仁が持つ技術の中で、はっきり術式と言えるのはただ一つ、逕庭拳のみ。

 故に、まずはそれだけを高めた。ただの術式から、必殺の術式にするべく。

 真人の腹に、まっすぐ打拳が突き刺さった。ハンマー同士を叩き付けたような轟音と衝撃。感触で分かった。盾と矛の戦いは、盾の一方的な勝利で終わった。

 ただし。悠仁の術式は、ここからが勝負だ。

 黒い稲妻が走る。それは攻撃の接触点からではなく、真人の()()で発生した。空間すらをも断裂した衝撃の証であるひび割れが、鎧の隙間から大量に逃げていく。

 

逕庭発勁(けいていはっけい)

 

 一撃目で防御を揺るがし、本命の呪力塊を内部で破裂させ、乱反射するような形で浸透させる。

 やたらに防御力が高く、黒閃以外の有効打がなかった樹木呪霊。あれともう一度戦わなければいけなくなった時……いや、特級呪霊との交戦を想定し、手っ取り早く現状の手札でダメージを通すにはどうすればいいか。悠仁なりの回答がこれだった。

 真人の阿頼原景(あらげんけい)が、崩れるように解けていく。ぼろぼろと鎧が剥がれ、現れた彼の顔は――白目を剥いていた。

 ごぼ、と口から大量のどす黒い液体を吐き出す。所々に混ざっている粒は、人間のストックか。

 悠仁が残心を取ったのと同時、真人は崩れ落ち、自分が吐いた血反吐の上へ倒れ込む。

 

「でかいおまけがついたけど……俺達の勝ちだ」

 

 真人は多少痙攣をしているが、動き出す予兆も、消滅する様子もない。気絶しただけでまだ死んでいなかった。

 とどめを刺す。躊躇などあろうはずもなく、足を大きく振り上げる。踏み付け。女子供が使っても、顎くらい簡単に割ることが出来る、もっとも簡単かつ高威力な技。上手く体重を乗せて容赦さえしなければ、人間の頭を粉砕する事だって可能だ。

 ありったけの殺意を込めた踵、しかし踏み抜いたのは地面だった。

 

「!?」

 

 一瞬頭を過ぎったのは、学校内での戦い。あの時は擬態に騙されてしまった。

 

(まさか今のは擬態――?)

 

 さすがにそれはない、と思いたい。

 あれだけの呪力と強度で作っておきながら、即座に偽物を作り逃げ出す。いくら何でも呪術の常識を無視しすぎている。というかそんなことが可能なら、例え悟が消滅させたとしても安心できない相手という事になってしまう。

 視線の先には、半死半生なままの真人。それを何かが高速で引きずっている。

 改造人間ではない。いくら外見では呪霊と変わらないと言っても、さすがにこれだけ何度も目撃すれば、見分け方の一つも覚えた。ただ、真人に呪霊を使役するような能力は無い。真人以外の誰かが、呪霊を操作する能力を持っている。

 

(いや、そんなことより……!)

 

 問題は誰かが明確な意図を持って、真人を逃がそうとしている事。

 状況から考えて、遠隔で操作しているのではない。恐らく真人が危険な状況になったら自動で発動して逃がす、保険のようなものだ。

 危険と好機が同時に舞い込む。このままでは見失ってしまうという危険、それと――つまりは保険を発動しなければならないほど、真人が弱っていると、術者が『保証』してしまった

 

「逃がすか!」

 

 即座に追い立てようとした時、不意に体が浮く。いつの間にか現れていた呪霊が、腹を下から持ち上げていた。攻撃というような威力はないものの、確実に数歩分は遅れる。

 

(馬鹿か俺は!)

 

 呪霊を祓いながら、自分を罵る。

 逃走があるのなら、当然足止めの手はずだって整えているのだと、焦って考えが至らなかった。ならば狙われているのは、悠仁一人という保証はなく――

 

「じゅん……」

「僕は大丈夫!」

 

 警告よりも早く、声が返ってくる。

 

「虎杖君は真人を追って!」

「でもお前!」

「澱月で止血はした! ……ごほ。動けないほどじゃない! すぐ戻って家入さんに治療をしてもらうよ。ここは逃しちゃ駄目な場面だ。確実に祓わないと」

 

 戸惑いながら振り向くと、順平は立っていた。左腕が無いために、体が右側へ傾いている。体の断面に張り付いているヘドロのような何かは、澱月の毒なのだろう。血が流れすぎたためか、足下もどこかおぼつかなかった。それでも、ちゃんと自分の足で立っている。

 怪我の具合を考えれば、ただの強がりだっておかしくない。思っていて悠仁が前を向いたのは、自分と同じ物を順平もまた抱えていると思ったからだ。

 ならば、全て背負っていく。

 首に何かが巻き付いてきた。小型澱月だ。その辺を滞留していたものとは違い、目がついており、造形もいくらかしっかりしている。

 

「それは見たものを記憶して、消滅した時に僕へ情報を送ってくれる。腕が足りなくて、さすがにリアルタイムで受信はできないけど……潰してくれたら、すぐに夜蛾学長に知らせるよ」

「分かった。サンキュ」

 

 真人をどこへ逃がすつもりかは分からない。だが、真人が戦えなくなった前提であるならば、そこには確実に戦力を置いているはずだ。祓いきれずとも、他の呪術師を誘導できれば十分な仕事となる。

 もう後ろは振り向かずに、低級呪霊に乗せられた真人を追うべく走った。

 

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