だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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渋谷事変18 負けぬ

 一級呪術師の条件とは何か。

 言うまでもなく一級呪術師とは、術師の頂点である(特級はまた違う分類だ)。故に審査はかなり厳しいし、なりたいと思ってなれるものでもない。かといって、最強の術師に与えられる称号というのもちょっと違う。呪詛師が一級呪術師()()の実力を持っている事と、一級呪術師である事は全く違うのだから。

 昔は、一級などひいき程度にしか思っていなかった。なにしろ自分の周りにいる大人に、一級呪術師は多かったのだ。確かに強くはあったが、頭の中にある『一級呪術師』とは乖離が激しかった。

 自分が一級になって、分かった事は多い。はき違えていたし、幻想を見ていたし――侮っていた。

 極端な話、一級呪術師にもっとも必要なのは威力だ。一級呪霊を粉砕し、特級呪霊を打倒しうる破壊力。これこそが求められるものであり、最低条件。経験やら何やらは、後から追いつかせるのでも構わない。

 

(つまり……)

 

 真希は浅く呼吸を行った。

 一級たるもの主戦力であれ。一級たるもの負けるなかれ。一級こそが真に呪術師を名乗れる存在であれ。

 

(私らみたいな接近戦馬鹿な新米の一級に求められてるのは、攻撃力のみ。付け入る隙は他の奴らが作ってくれる。一瞬を見逃さず、確実にブチ込め)

 

 火山呪霊は、漏瑚とか言ったか。前に共有された情報とは随分様変わりしている。

 悟の話では、オールラウンダーとの事だ。今はあからさまに接近戦の、それも防御型にシフトしている。

 五条悟は強すぎる。大抵の相手は瞬殺だ。故に、敵の手札を明かせるほど戦いが長引いた事などない。相手が逃げる間もなく仕留めるので、当たり前と言えば当たり前だが。後はまあ、あまりにも強すぎて、根本的に偵察という概念がないのではないだろうか。それはそれとして、悟の大馬鹿野郎、話と違うじゃないか。ひっそりと罵る。

 ただし。悟に『術式を見せる』段階まで行った。それだけで驚嘆すべき事柄だ。非凡の証明であり、特級呪霊討伐経験がある一級三人がかりで半殺しにされている、というのも頷ける。

 体が微妙に眩しいのは、発している熱のせいか。踏みしめた地面が、焼けるのを通り越して融解している。

 

(触れたらイチコロ。ジジイどもの姿もそのせいか)

 

 先に投入された一級集団と相性が悪い、とは言わない。むしろ良かったから、この程度で済んだのだろう。

 多分だが、相手は直毘人の速度に対応しきれなかった。特級を除き最速と謳われる男、禪院直毘人。真希も詳しく術式は知らないが、ともかく速度に対応するのが難しかったからこそ、攻撃的な防御で無理矢理対応している。

 効果範囲はあまり広くない。代わりに、打撃圏内に長居などしたら、それだけで死にかねなかった。

 かといって、最速の術師に一応でも追従できる速度の持ち主が、素直な攻撃を貰ってくれるとも思わない。

 

「じゃあこれだ」

 

 液体金属を変形。柔らかくしなる棍にする。攻撃時は鞭のように扱う前提の形態だ。威力は下がるが避けにくいし、速度も出る。瞬間的には捉えられるだろう、という見積もりだった。

 相手の行動は基本インファイトだと設定しつつも、遠距離攻撃の可能性を捨てない。

 後は、多分彼女にとって一番重要なこと。甘えに塗れた四級の意識を塗りつぶすように、ありったけの殺意を込めた。

 どうせ挟んでいるなら、この利点を利用したい。悠仁と呼吸を合わせて、漏瑚を囲い込むように陣取った。一対一であれば容易く殺されてしまうだろうが、与班の援護があれば話は別だ。邪魔くらいはできる。

 細かく位置を調整しながら、身の丈より長い棍の端を持って振る。漏瑚から距離を詰めるという選択肢は、真依の銃口によって潰されていた。

 漏瑚は真希から殺すというもくろみを潰され、側面の悠仁か正面の建人どちらを選ぶか迫られた。多少、悠仁が前に出ていたからだろう、まずはそちらから処理すべく体を横にスライドさせた。

 が、伸びた棍が漏瑚の足に絡みつく。対処されるより早く、ついでに言えば棍が焼けるなり熱が伝達してくるなりするより早く、呪霊を投げる。

 ある意味切り札とも言える初見殺しだ。使うのが早いかと思ったが、どうせ足が万全だったら通じないだろう。虚仮威しくらいの意味しかないのだ、出し惜しみしない。

 悠仁の方に投げ出された漏瑚は、彼の拳を素直に足で受け止めた。ごきん、と音がして、足が潰れる。これで治癒はさらに遅まった。

 本当はカウンターでも狙いたかっただろうが。見るからに膨大な呪力を蓄えられた拳を見せられれば、躊躇もする。一撃で仕留められねば、一級の中でも上位の拳がめり込んでいた。賭に出る気にはなれなかろう。

 

「あ……っちぃ!」

 

 が、それでダメージを受けたのは悠仁も同じだった。よく見れば手が焼けている。

 

(一瞬の接触でこれかよ……)

 

 真希はひっそりと呻いた。

 考え得る最大値で警戒していたつもりだったが、まだ過小だったらしい。つくづく、類を見ないレベルの化け物だ。

 弾かれ飛んできたところを、棍でたたき伏せる……つもりだったが、すでに見切られていた。液体金属の変化前に捉えて一回転、勢いを利用して建人の方へ流れを変える。基本的な能力は元より、状況判断まで早い。

 三人で一斉に攻撃するが、今度は先ほどのプレッシャーを与えられる形となった。つまり、回避をおろそかにすれば、大きな一撃を貰う。

 

(私はまだいいが、悠仁と七海さんが……)

 

 液体金属ならある程度距離を空けて戦える。しかし二人は、常に人間を軽く焼き尽くす熱気に晒されていた。

 漏瑚の基礎体術は、高度と言えるがそれだけだ――などとあっさり言えるのは、真希が禪院家出身だからだろう。一般的な基準で言えば過度な程の練度だし、それはこの二人が圧されている事からも分かる。

 劣勢という程でも無いが、危険な兆しが見えてきたところで、手拍子が鳴った。瞬間、今まで漏瑚がいた所に、直毘人が現れる。

 

(あっぶ……ね!)

 

 体に急ブレーキをかける。あやうく脳天をかち割る所だった。

 

(東堂の術式か)

 

 話だけは聞いていたが、本当に僅かの遅滞もなく位置を入れ替えて見せた。

 漏瑚は葵の蹴りを食らっていたが、さすがに慣れていたのだろう、防御はしている。こちらに押し戻されているのを見ながら、陣形を整えた。

 不義遊戯(ブギウギ)。物体の位置を入れ替えるという、非常にシンプルかつ扱いの難しい術式。使いこなすには術式の練度だけでは足りず、極端な程の戦場把握能力と頭の回転を必要とされる。

 分かったつもりではあったが、所詮はつもりでしかなかった。

 

(チクショウ、私は完全に出遅れてる…)

 

 葵の判断は、常に不定期で難解で、そして正しかった。分かっていても混乱する。判断力があればついて行けるほど程度の低い、お優しい術式ではなかった。

 そもそも単純な理論で、味方が読めるという事は敵も予測できるという事。相手の予想を上回ろうと思えば思うほど、敵味方共に負担が大きくなる。当然、一番は東堂葵本人だ。

 複数人の位置、戦闘能力、術式を理解し、現実的な判断を下し。悔しいし非常に気に入らないが、彼は全ての面において真希を上回っていた。それこそ、一生追いつけないのではないかと思えるほどに。

 今のところ、真希は一度も不義遊戯(ブギウギ)を適応されていない。ついていけないと判断されたからだろう。

 意味不明なくらい呼吸があっている悠仁はさておき、これに当たり前のような顔をして対応している建人と直毘人。一級術師と、同じ立場を名乗るのが恥ずかしくなってくる。

 いや、情けない事を考えるのは全て後だ。

 さしあたって問題なのは、漏瑚が立ち位置を少しずつ真希に寄せている事だ。

 現状、前衛は四人で回しており、葵がバランサーとして立っている。突出した力を持っているのは勿論直毘人であり、逆に能力で一番劣るのは真希だった。落としやすいと思うのは間違いではない。

 

(私が穴だってか? 上等じゃねえか)

 

 否定はしないし、できない。だが、それを素直に受け入れてやるほど、真希は大人しくなかった。

 舐め侮るならそれでもいい。ただし、後悔させてやる。文字通り死ぬほど。

 槍に変化させた金属での突きを、掌で受け止められる。掌は貫けるが、代わりに軌道はそらされた。

 

「あん?」

 

 不自然なやり方だ。そもそも今のは、受ける必要のない攻撃である。

 腕ごとひねられると、真希の体勢が崩された。包囲に穴が空く。

 

(まず……!)

 

 意識を真希に向けた風に見えたのはブラフ。目的は包囲を欠落させる事ではなく、無理にでも突破する事。

 標的はいちいち考えるまでもない。目下一番目障りな、後方で守られている補助機能の崩壊。

 

「恵!」

 

 咄嗟に絶叫した。確信があったわけではない。ただ、壊しやすい鎖は恵か真依だと思っただけだ。そして、二人の中で狙いやすい位置にいるのは前者。

 真依のあまり精度が高いとは言えない乱射を掻い潜り、ついでに呪力を込めたコンクリ片を葵に向かって放ち、術式を妨害する。直毘人が追いすがるものの、簡単に追いつけるほど、速度的な優位はなかった。

 恵も何かしらの式神で防御しようとしたのだろう。ただ、遅い。十種影法術で生み出される式神は、通常のそれとは違うプロセスで具現化する。大雑把に言ってしまえば、影からせり出す分やや遅いのだ。普段であれば意識するまでもない些細なことだが、漏瑚という敵の前には致命的。

 彼は咄嗟に掌印を放棄し、腕と肩で防御態勢を固めた。無意味だと分かっている。漏瑚の蹴りは、確実に上半身がまるごと消し飛ぶ威力だ。

 けたたましい音を立てて、恵の体が壁にめり込む。破片が転がる向こう側から、足だけが覗いている。周囲には、細かい布のような切れ端が燃えながら舞っていた。

 エアバッグのような機能を持った傀儡を、あらかじめ仕込んでいたらしい。それが恵の命を繋いだ。

 

「大丈夫か恵!」

「う……ぐ……」

 

 まともな返事は返ってこない。息も絶え絶えといった様子だ。式神も解除されており、これ以上は戦えまい。

 

「まずは一人」

 

 刃のような、漏瑚の呟き。視線はすでに、次の獲物へと向いている。

 幸吉に向かって放たれる、崩拳じみた中段突き。片足に力が入らないためか、かなり変則的ではあるものの。直撃すれば、一級術師であっても殺傷せしめる威力であるには変わらない。

 拳が幸吉の腹を貫いた……ように見えたのは、ただの錯覚。実際は腰をひねり、紙一重で躱していた。まるでどう攻撃されるのか、あらかじめ分かっていたかのような回避だ。腕を掴み、足首に足刀を添え、顎をかち上げるように叩く。威力をそのまま利用され、呪霊の体が猛烈な勢いで一回転し、地面に叩き付けられた。同時に、肉が焼ける嫌な臭いも立ちこめる。

 

「悪いが、俺は対呪霊より対人格闘の方が得意なんだ。普段の相手が相手だからな」

 

 コンクリートに半ば埋まっている頭に、さらに蹴り下ろしが放たれる。頭部がまるごと収まるのではないかと言うほど沈んだ。

 

「おのれ……!」

 

 すぐさま姿勢を立て直そうとし、しかしなぜか失敗して、サッカーボールキックをもろに食らっていた。頭を思い切り揺さぶられ、まるで全身が鞠のように転がる。

 口と鼻から血をまき散らし、手で体を支えながらもなんとか体勢を整え直す。が、頭部へのダメージは堪えられるものではなかったのか、頭が小さく左右に揺れていた。

 

「腕が……動かん……!」

 

 漏瑚のうめきに気がつく。

 与幸吉の術式は傀儡操術、触れた対象を操作する。無機物だろうが生物だろうが、それこそ呪霊だろうが。崩拳をいなした時点で、体のどこかしらを操っていたのだろう。

 傀儡操術は希に投射呪法と比較される。投射呪法は呪力量にほぼ関係なく、相手を短時間、完全な静止状態に追いやれる。そういった意味において傀儡操術は劣るが、反面、効果時間が長い。つまり、投射呪法では不可能な、複数回接触による“ハメ殺し”が可能だった。

 

「ようやった、小童。大地の下僕なだけはある」

 

 すでに回り込んでいた直毘人が、漏瑚の後頭部を痛打する。後衛にまで抜け出したのを、再び内側へ押し戻した。

 

「誰が下僕だ。世話になってるのは否定しないが」

 

 漏瑚とすれ違い様、幸吉は手を伸ばして彼に触れていた。今度は呪力が流れ込むのをしっかりと捉える。目に見える量の呪力を流し込んでも、元々の呪力総量が違うため、これで完全な勝利とは言えないだろうが。少なくともこの戦闘中、右手だか左手だかは使い物にならないと期待できた。

 彼の飛んだ先には、建人と悠仁。この中でも突出して火力の高い二人。漏瑚は全身を固めたなりふり構わない防御を行ったが、たかだかその程度でどうにかなる威力ではなかった。

 まるで巨大な岩にダンプが高速で突っ込んだような音。骨の芯に直接打撃を通したのではないかと思えた。

 跳ね返されて真逆に飛んだ漏瑚を、続き葵が捉える。いつの間にか上に登り待機していた彼が、不義遊戯(ブギウギ)を発動した。自分の直下に呪力を込めたコンクリ片を落とし、入れ替えると同時に漏瑚の慣性が上へ向けられた。蹴りでさらに反転、また地面へ逆戻りする。立っていられないほどの振動と、衝撃に跳ねる呪霊の体。

 

「ガァ……!」

 

 漏瑚が初めて、苦しげな呻きを吐いた。

 彼も気付いていただろう。直毘人がいれば速度に明かせた戦術を封じられるし、葵がいればいつでも都合がいい場所へと戻せる。数が充足していなかった先ほどまでならばともかく、現在は支援まで行き届いていた。なにより、初めて行う多人数での連携が形になったのが大きい。

 すでに漏瑚の防御戦法は、攻略とまでは言わずとも、それなりに有効な手を見つけていた。それこそ命脈が尽きるのすらも時間の問題だ。

 

(だったらなおさら私が前に出ねえとな)

 

 棍を回転させ威力を稼ぐ。メンバーの中では、一定の打撃力を持ちながらも、唯一ダメージを負わずに攻撃できる自分が気を引くべきだ。

 薙ぎ払った棍は飛んで躱されるが、同時に根元近くでハンドルを増設、それを思い切り踏んで無理矢理軌道を変える。掌で受け止められたが、これも織り込み済みだ。さらに棍を半回転させて、背面から首を狙った。ハンドルだった部分は、長刀状に刃を伸ばしている。

 

「チッ!」

 

 刃は、掲げられた腕の半ばまで食い込んだものの、それだけ。逆に肉を締めて長刀を止められ、反撃を食らいそうになったが。刃を最大限まで薄くして外し、身を引く。

 液体金属を武器にしようと考えたときに、想定していた運用方法の一つ。当然、理想には遙か遠いが。射程圏内における全環境対応戦闘、自己の呪力操作が許す限り、物理的な面で何でもできる。これが禪院真希の()()()()における目標だ。

 棍の先端で漏瑚の頭を狙い、液体金属を延ばす。威力は大してなく、額を軽く小突くに止まった。しかし、体の着陸角度はズレる。案外こんなことで、感覚とは容易く混乱するものだ。

 着地に失敗した状態では避けようもなく、悠仁の前蹴りを受ける。吹き飛ばされた先に待機していたのは直毘人。これが別の人間ならば対処のしようもあったろうが、触れたら強制停止させる彼の時点でどうしようもない。漏瑚が硬直し、間を置かず無防備な所へ建人の打撃。腹から鈍い音を立て、流星のように吹き飛んだ。

 すでに壁の原型もないそこで身を守る漏瑚に、アサルトライフルと昆虫傀儡の乱れ打ち。破片を砂に、砂を塵へと変えていく。

 

「けて……」

 

 漏瑚の呟きは、爆音に紛れて殆ど聞こえなかった。どうでもいい。とどめを刺すべく近づこうとして。

 

「負けて……なるものかぁ!」

 

 絶叫と共に、今までとは比較にならない爆発が起きた。

 いや、これは爆発ではない。噴火だ。漏瑚を起点にして、溶岩が吹き出ている。誰一人直撃することなく身をかわせたが……あと少し発動が遅ければ、最悪全滅していただろう。

 漏瑚は未だ煌々と輝いたまま。つい先ほどまではできなかった、防御術式とそれ以外の併用を行っている。

 

「最悪ですね。ここに来て成長ですか」

 

 忌々しげな建人の言葉に答える者はいない。ひっそりと、壊れかけたサングラスを外し、握りつぶしていた。

 漏瑚はこちらの様子など無視して、半ば狂乱した様子で絶叫し続けている。

 

「紛い物になど……決して負けぬ! 我らこそが人になるのだ……千年後の荒野に……呪霊(我ら)の福音を鳴らすために!」

「ありゃ正気か?」

「狂気の判定はできませんが、半ば意識は失っているでしょう。単に力を行使すると考えた場合、むしろ厄介かも。もしくは、自意識を切除して戦闘本能だけ残す縛りで、術式の並列運用を行っている可能性もあります」

 

 肩が重たくなったのは、精神的な理由だけではない。特級呪霊との二連戦は、並の一級ならとっくに呪力が枯渇しているほどの消耗を強いている。体だって悲鳴を上げていたし、漏瑚戦で(比較的)目立った怪我がないのは、術式に恵まれただけ。

 最初から戦っていた天童班は、すでに誰が脱落してもおかしくない。悠仁だってダメージや消耗という意味では真希と大差なかった。前衛の圧がなくなれば、後衛が壊滅するのは一瞬だろう。さすがの幸吉も、前衛の援護なしで漏瑚と殴り合えるほどの技量はない。

 

「ァァァアア!」

 

 漏瑚の喉から発せられるそれは、声と言うよりも遠吠えに思えた。少なくとも、理性らしきものの欠片も感じられない。

 そして。

 漏瑚の姿が、いつの間にか消えていた。背後から打撃音がして、慌てて振り向く。そちらでは、直毘人が吹き飛んでいた。

 状況と姿勢から察するに、殴られたのだろう。問題は、先ほどまでと比べても速度が一回り上である点。

 

(マジ――かよ!)

 

 今までですら、速度で対抗できたのは直毘人しかいなかった。攻撃を当てられていたのは、単に囲んで袋たたきにしていたからだ。

 直毘人の速度には絡繰りがある。術式由来のものなのだろうが、とにかく無条件に早いというものではなかった。つまり、反応速度やら反射神経やら、自前で用意できてはいない。総合的な速度で負けているのを、機動力と経験で攪乱していた。

 自意識の切除と思考の放棄による時間の短縮で、優位を崩したか。漏瑚は計らずとも、直毘人にとって一番痛い方策をとっていた。

 吹き飛ばされた直毘人に追撃はなかった。というか、必要なかった。突如生まれた火山が噴火し、背中を焼きながら天井に叩き付ける。彼はマグマごと追いやられ、そのまま突き抜けていった。

 特級呪霊の攻撃が直撃した。もう戦えないだろう。それこそ生きているかも怪しい。

 続けて、漏瑚の周囲に大量の虫が現れる。ちょうど、幸吉が扱うそれをもう少し生物的にしたような姿だ。違う点は二つ。数が十倍以上なのと、込められた呪力が桁違いである事。

 虫が四方に飛んだ。漏瑚の術式を考えれば、ただの量産型式神であるはずがない。触れるだけでも危険だ。

 液体金属を多節棍に変形させ、振り回す。呪力の扱いもまだ未熟な真希ができる、精一杯の簡易結界だ。

 案の定、虫は触れたら爆発を起こした。液体金属が一撃で歪まされる。並の術師ならこれ一発で死ねるし、纏めて貰ったら天与呪縛の肉体を持つ真希ですら危なかった。逆に言うと、その程度の圧力で済んでいた。

 

「七海さん!」

 

 理由は、虫の大半が建人へ向かっていたから。打撃で応戦していたものの、少しずつ腕が抉られていく。

 たった数秒で両腕が肘までなくなった所で、漏瑚が彼の頭を掴んだ。まるでボールか何かのように、目一杯床へと叩き付けられる。これで恵、直毘人に続き三人目。

 次に真依が狙われたのは、単に無理して方向を変えなくて良かったからという程度だろう。

 漏瑚当人が自覚してやっているのかいないのか、全身を纏う熱の配分を変え、両手に集中していた。より攻撃的な形状だ。それこそ、頑丈な一級呪術師相手でも一撃必殺を狙えるほど。

 

「真依!」

 

 絶叫したのは、別に姉妹愛に目覚めただとか、そういった感情面の意味ではない。

 ただ、真依は自分の片割れとして生きていた。高専入学前は四六時中一緒にいたし、例え年頃になっていがみ合う事の方が多くなっても――自分のことをもっとも理解しているのもされているのも、(真依)だと分かっている。

 ただしそれは。気付いて間に合えばの話。

 アサルトライフルはとっくに捨てている。現在弾倉に入っているのは簡易領域弾。これからマガジンを入れ替え、スライドを引き、真希に照準を付けて、引き金を引く。どう足掻いても間に合わなかった。

 

「俺にここから逆転する手はない」

 

 と、言葉にしたのかは分からない。だが、自然と目を葵に向けていた。

 

「故に、勝てるという意思――根性論や破れかぶれではない、はっきりと勝算を持って見据えている目、それに賭ける」

 

 彼は右手をまっすぐ掲げていた。手首まで失っている左腕に比べ、不自然なほど損傷がない。突き出された親指と薬指が擦り合わされている。

 

大地(ブラザー)の友を名乗るなら、俺もこれくらいできなくてはな」

 

 フィンガースナップ。音が届く前に、真希と真依の位置が入れ替わっていた。

 不義遊戯(ブギウギ)の拡張術式。拍手という儀式の拡大解釈、片手だけで行う柏手という矛盾を、非合理的な呪力消費によって強制行使。本来あり得る筈のない形で術式が発動した。

 

「よくやった、バカゴリラ」

 

 呪装・一番――

 眼前まで迫っている漏瑚に、両拳を深く構える。武器は持っていなかった。液体金属は、全身の筋肉と拳に回している。

 真希が設定した“縛り”は、建人のそれと酷く似通っていた。

 根本的に、“縛り”とは便利な技術ではあるものの、簡単お手軽に強くなれる類いのものではない。確かに複数人数と課す縛りはそれなりの才能がいるが、自分だけで完結する縛りに才能はほぼ必要なかった。代わりに、縛りを生かすための『頭脳』が要求される。だからこそ、大地が編み出した縛りの手順が重要機密として保管されていた。

 下手な縛りは窮屈になるだけ。恐らくどの家でも最初に習うこと。

 実のところ、縛りとはどう足掻いても差し引きゼロなのだ。マイナスになることはあっても、プラスには絶対にならない。あくまで能力を尖らせる技法。真希と真依に課せられた双子の呪も、あくまでゼロに限りなく近いところまで戻したに過ぎない……とは大地の弁だ。

 故に、縛りは利用はしても頼ってはいけない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それが、自己完結した縛りの大前提。

 真希は、通常時に力が制限されようとも、瞬間的な爆発力を求めた。最後の一瞬だけ特級呪霊を打倒しうる力があればいい。

 

「オラオラオラオラオラオラ!」

 

 連続パンチ。言ってしまえば、彼女の取った方策はただそれだけだ。

 常時呪力の制限と、呪物に呪力を蓄積(チャージ)し、さらに通常時の自由度を捨てあらかじめ番号として登録した動きしかできないという縛り。これだけ積み重ねてやっと、超高速の呪力移動と一定の威力を確保することに成功した。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」

 

 彼女の出した回答は、奇しくも天童大地と同じもの。

 無論、質は比べるべくもない。大地の方が早く、呪力も的確かつ膨大、さらに彼の打撃は的確に急所を狙っている。しかしその程度でも、一級呪術師として見れば破格の威力だった。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」

 

 漏瑚の防御を引き剥がし、もしくは防御の上から押し潰していく。術式を扱う余裕など与えない。相手を制圧するという快楽に今は身を任せて、呪力が尽きるまで呪装を機能させた。

 拳が熱く痛い。いくら高速の動きと言っても、熱の鎧を置き去りにするほではないのだ。漏瑚の姿はひしゃげていき、体は歪んでいる。が、液体金属ごしに触れているからこそ分かった。攻撃は、芯に響かせる程ではないと。

 だから最後は、対面で拳に呪力を乗せ構えている悠仁に任せた。

 

「オラァァァ!!」

 

 呪装・一番最後の一撃。これだけはダメージを与えるのではなく、相手を吹き飛ばす事を念頭に置いていた。

 呪装は呪具に溜め込んでいた呪力を全消費するため、一度使ったら再度込めるまで使用できない。だから全ての呪装には最低限の保険をかけていた。一級に昇格したとはいえ、所詮は最底辺。切り札を使えば誰も彼も倒せると思うほど、のぼせ上がってはいない。

 

「逕庭……」

 

 悠仁へ向けて吹き飛んだ漏瑚の背中に、アッパーぎみの一撃が入る。その姿は、奇しくも直毘人がやられた時と酷似していた。

 

「発勁!」

 

 打撃による衝撃の後、漏瑚の体内で何かが弾ける。仕組みなど分からないし、恐らく絶対に真似できない芸当だろう。それこそ何が起きたのかも正確に理解できない。ただ、殻を無視して実を砕いたのだけは分かった。

 天井に蜘蛛の巣状の亀裂を入れた漏瑚が、抵抗もなく墜落する。それこそ痙攣すらできないほどの消耗で、うわごとを呟いていた。

 

「負け……ぬ……儂、は……」

「あれでも死なねえのかよ、バケモンが」

 

 つばを吐き捨てる。今更になって、口の中いっぱいに血の味が広がっていると気がついた。

 とどめを刺すべく液体金属を変形させようとしたが、上手く固まらない。込めた呪力というより、操作が散漫なのが問題のようだ。疲労が過ぎると、手持ちの呪具が機能しなくなる、今後の課題だ。

 真希は仕方なしに、呪具を収納した。

 

「虎杖、そいつ祓えるか」

「ウッス」

「おっと、それは困るな」

 

 誰にも気付かれず。何の予兆もなく。その男は、悠仁の隣に立っていた。

 悠仁は咄嗟に、その場から大きく跳ねた。現れた何者かは、悠仁が瓦礫の山に足を取られてつんのめったにも関わらず、追撃を仕掛けるそぶりすら見せない。

 そいつは、避難が済んでいる渋谷駅に未だ残っているという点を除外しても怪しい男だった。僧衣を着て、うさんくささを隠せない微笑。一番の特徴は額を両断する縫い目がある所。

 ただ一点を除き、彼は前にあったことがある最悪のテロリスト。しかし、ここに居る事はあり得ない。憂太に殺され、遺体も悟に処理されたのだから。

 夏油傑。存在する筈のない男がそこにいた。

 

「テメェ誰だ……?」

「真希さん! こいつ下で真人達と一緒に居た呪詛師です!」

 

 絶叫を聞いて舌打ちする。

 目の前の姿が、過度な外科手術のたまものだろうと、術式の力だろうと、どうでもいい。こいつは敵だ。

 

「君達とおしゃべりをしてみたいのだけれどね、生憎とこう見えて結構危機的な状況なんだ。用事をとっとと済まさせてもらうよ」

 

 言って、傑は漏瑚へ手を伸ばした。指が術式の余波で焼けるより早く、漏瑚の姿がぐずりと解ける。全身が高速で正体を失い、掌に吸い込まれていった。最終的に拳より二回りほど小さい球体にまで縮む。傑はそれを、躊躇なく飲み込んだ。

 

(呪霊操術? 嘘だろ?)

 

 かつて夏油傑が使っていた、彼を特級呪術師たらしめていた術式。過去に利用された時は、万を超える呪霊を同時に使役していた。もっとも、本当に危険なのは物量ではなく、準一級以上を取り込めば呪霊越しに術式を利用できるという手段の多さだ。

 たまたま同じ術式を持った人間が、少なくとも特級呪霊と対等に会話できる実力を持って、夏油傑になりきっている。可能性としては無いと言えないものの、現実的な数字でもない。だが、それこそ夏油傑が生きていたというのも、同じくらい馬鹿馬鹿しい話だ。

 

(くそっ。大地の馬鹿は何してやがる)

 

 彼が仕事をしてない事など、それこそあり得なかったが。こうまで裏を掻かれていれば、文句の一つだって吐き捨てたくなる。

 この場には、男に対抗する戦力などない。さすがに夏油傑本人よりは弱いだろうが……最低でも直毘人はいてほしかった。気に入らないクソジジイだが、戦力という意味では頭二つ抜けている。

 

「うん、漏瑚は随分強くなったみたいだね。全員レベルアップした状態で取り込めたのは不幸中の幸いだ」

 

 傑は満足げに頷いた後、

 

「それじゃあ、私はお暇させて貰うよ。ここにはまだ怖い子がいるからね。あれと戦う気には全くなれない。ああ、帳については安心してほしい。時間経過で勝手に解除されるから」

「待て!」

「逃がすか!」

 

 満身創痍。たったそれだけの理由で、この男を逃がすことはできない。真希は感じていた。恐らく、この場にいる全員が同じように思っているだろう。こいつの好きにさせてはいけない。

 射線を空ける。アサルトライフルを持ち直した真依が乱射し、ついでにハンドガンも打ちまくる。近くでは幸吉が瓦礫を操り、即席の追尾弾(ホーミングミサイル)を放っていた。当たり前のように全てを受け止められる。ただし、攻撃を防いだのは呪力でも術式でもなく、結界術で。

 続く前衛三人の攻撃すら、当たり前のように結界が阻んだ。真希は思わず目を見開く。

 

(即席の結界でこの強度!?)

 

 みしみしとたわんでいるが、それだけ。壊れる予兆は微塵も感じない。

 一部の例外(領域展開など)を除き、結界は本来省略すべき儀式を詰め込むことで機能や強度を保障している。逆に言えば、普通の結界術はそれだけ脆くか弱いのだ。即席の結界で一級術師の攻撃を受け止めるというのは、凄いを通り越して意味不明な領域である。

 傑は焦りなど欠片も見せず、歩きながら呟く。

 

「殺す気はないんだよ。どのみちメッセンジャーは必要だしね。まあ……五体満足でいる必要もないか。とっとと逃げたいからすぐ終わらせるかな」

 

 軽く上げた手から、何かが溢れてくる。どんな呪霊を出すつもりかは分からないが、こちらが苦戦するレベル以上に設定してくるのは間違いないだろう。そして、まごついている間に逃げられる。

 呪霊の上半身が現れたところで――もう一つの姿が現れた。

 

「見つけた」

 

 ささやきと殴打は同時だっただろうか。

 あれほど堅く感じた結界が、紙でも破くように貫通される。振り抜かれた拳が脇腹にめり込んで、傑は呪霊ごと壁飾りにされていた。血を吐き、殴られたと気付いたのは、壁に接触してからだっただろう。それほどに早い動き。

 五条悟に並ぶ最強の術師、天童大地。彼の目が、夏油傑を捉えていた。

 

 

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