だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
「お前を探し出すのは中々大変だったよ」
ざりざりと歪な形状の床を踏み分けながら、天童大地が額傷の男に向かって進む。
「呪力の欠片も見せないってのは、それなりに厄介だった。目視しないとお前を確認できなかったんだからな。おまけに大量の置き土産だ。つくづく面倒をかけさせられたよ。悟を封印したのも偶然じゃないとよく分かった」
ある程度見知った相手にも関わらず、悠仁の目からは、大地がまるで別人のように映っていた。
前に見た戦闘状態が、まるで乱雑に構えた草食動物程度にすら思える。今の彼を例えるなら、錬磨された刃。触れただけで体を両断される。以前見せたそれなど全くのお遊びだと、嫌が応にも分かった。
近くにいるだけで肌がひりつく。呪力による圧力などではなく、純粋な殺気。軽く目眩を覚える。
「だから、ひたすらじっと待つことにした。呪力をごまかせない瞬間ってのは必ず来る。必ず尻尾を出すと信じてたさ。渋谷に立てこもったのは伊達や酔狂じゃあない。ここじゃなきゃいけない大きな呪術を発動するんだとな。悟の封印だけが望みなら、他者が集まる愚を犯すはずがない。もう一つの目的、それは確実に呪力溜まりだ」
大きく空いた穴に腕を伸ばし、額傷の男の頭を掴み、引きずり出した。男も抵抗しているが、そもそもの力が違いすぎるためか、全く意味をなしていなかった。
「何故……治らない……!」
「反転術式が上手く機能しないのが不思議か? 答えは簡単、打撃の瞬間に安定しない呪力を流し込んだんだよ。俺も最近知った事だがな、不規則な他者の呪力があると、反転術式の機能が下がる。盲点ってやつだ。こんな呪力の状態になるのは素人くらいだし、素人ならそもそも相手に呪力を流し込めない。完璧な呪力制御を行いつつ、相手にヘボい呪力を流し込むのは中々難しいんだぞ? 対悟技術の一つだな」
凄いだろう、とでも言いたげに、大地。
放り投げて浮かせた額傷の男に、拳を繰り出す。今度は顔面に吸い込まれた。派手に吹き飛ばされたりはしない。代わりに、空間がたわむようにして周囲を撫で回す。
それが普通の打撃とは比べものにならないほど高度だと、悠仁は気付いた。本来突き抜ける運動エネルギーを、対象の内部で完結させている。悠仁の扱う逕庭発勁の二段目を、衝撃から何から、全てに適応しさらに高度化させたような技だ。
頭の至る所から血を吹き出す額傷の男。逆に言えば、まだ原形を保っている。死んでいないのだ、と直感的に気付いた。何らかの方法で防いでいる。
「拡張術式か? ざっくり九割ほどのダメージを支配した呪霊に押しつけてるな。お前の体内で呪力がはじけ飛んだのを感じたぞ。はっきり言ってやろうか。泥縄だよ。死にづらくなっただけで、死なないわけでも耐久力が上がったわけでもない。まあ、悟でも直撃すれば死ねるような威力の拳を二発食らって生きてるのは、褒めてやってもいい」
再び男を掴んで持ち上げる。少し前までは悠然としていた姿が、今やボロ雑巾だ。今度は手放すではなく、両肩を挟み込むような形で持っていた。
「なんでこんなことを教えてやってると思う? 何をどう足掻いても俺には勝てないと教えてやるためだ。……お前、
みしみしと、額傷の男の体が軋む。大地の腕が膨張し、体が少しずつへし曲がっていった。このまま潰す気だ。
「お前は絶望しながら死ね」
純粋な殺意に塗れた圧壊。最悪の呪詛師とすら言える男の体が、少しずつ滅び始めていた。万力のような圧力に、額傷の男は苦悶の表情を作ってる。しかし、声は出さない。恐らく呼吸する事も出来ないのだ。体の至る所から、ぼたぼたと出血している。
ぐしゃぐしゃという肉と骨が潰れ行く音は、ひたすらに気色悪いと同時に、勝利を予感させた。
不意に、小さな舌打ちの音。誰が――探す間もなく、男女の区別がつかない和装の何者かが飛び込んでくる。
「何をやっている羂索! こんなところで頓挫させるつもりか!?」
それの正体など分からなかったし、どうでもいい。ただ、呪詛師という事だけは理解できた。額傷の男の仲間で、今の今まで潜んでいた。
咄嗟に全員が、和装へ向けて攻撃を放つ。邪魔させる訳にはいかない。
だが。恐らく和装は、呪詛師らの手札でも切り札に近い立ち位置だったのだろう。いくら疲弊していると言えど、一級術師四人の攻撃を、こともなげに氷の防壁で防ぐ。肌感覚ではあるが、漏瑚ほどとは言わないまでも、それに近い力を持っているのではと思わせた。
和装が大きく息を吸って、吐き出す。それが掌印や呪詞に近い呪的儀式だと知ったのは、巨大なつららが生まれてからだ。
恐らく核シェルターすら容易く貫くだろう濃密な呪力を纏ったそれは、大地の脇腹に直撃して。そして、皮一枚削る事も出来ずに砕けた。
呪術とは基本的に防げない。それは術式のない悠仁が一番理解している。術式という加工されたエネルギーは、同量の呪力で強化された肉体を容易く食い破るからだ。術式を防御したければ、同じく術式で防御するのが最適解である。
そんな大前提を、大地は膨大な呪力と精緻な操作で容易く覆して見せた。
さすがにこの光景には、和装もぎょっとしている。攻撃を迎撃されるなり、防御態勢で受け止めるなりならまだ想定の範疇だっただろう。しかし、全くの無防備な状態、ただ呪力操作だけで無力化されるのは、さすがに理解の埒外だったらしい。
「無駄」
たった一言。それと同時に、黄白色の巨人が和装の腹を貫く。砕かれた椎骨がはみ出ており、即死でなかったとしても、あと何秒も持たないのは明らかだった。
和装は最後の力で腕を腹から引き抜き。同時に体が変化する。
呪術ではない。そう断言できるのは、呪力を全く感じられなかったからだ。一瞬で和装の姿が変わる。それこそ別人に入れ替わったのではないかと言うほどに。男女の区別がつかないのは相変わらずだが、顔立ちは全くの別物。髪も肩口まであったのがショートのボブヘアになっていた。
肉体的にすらも全く共通点がない。ただし、別人に入れ替わったわけではない。そう思ったのは、呪力の性質だけは据え置きだったからだ。
別の姿となった和装が、そのまま突っ込む。しかし、大地に向けてではない。額傷の男――羂索の裏へと回って、彼の両腕を肩口から両断し、襟を掴んで強引に引っ張り出した。
「死んでまで助けてやったんだ、その分働け。これで失敗しましたなど許さんからな」
「……ゲホ」
返事の代わりに、羂索は咳き込んだ。いや、ただ喉に溜まっていた血を吐いただけかもしれない。
大地が両腕を握りつぶして捨て、二人へと迫った。
「お前如きが増えただけで、何かが変わると思ったか?」
あくまで冷淡な言葉は、いっそ寒気さえする。
和装は忌々しげに顔を歪めて、吐き捨てた。
「今更、貴様を倒せるなどと驕ってはいない。だが目的だけは果たさせて貰う」
語る所の目的すらも達成させるつもりはない。大地の小揺るぎもしない呪力が、そう語っているように見えた。
大地の式神が殴りかかるより早く、羂索から莫大な呪力が溢れた。それこそ、全て合わせれば大地のそれすら超えるのではないかと思うほど。
まるで式神と対になるように、羂索の背後からも影が現れる。違う点は二つ。そちらは呪霊である事と、十体もいることだ。一つの例外もなく、全てが特級。これだけで呪術師が全力で固める拠点を、複数箇所、軽く殲滅できる戦力だ。
顔面が血だらけのまま、羂索が不敵な笑みを作ってみせる。
「これだけいれば……時間稼ぎにはなるんじゃないかい?」
鬱陶しそうに大地は目を細め、声を上げた。
「四分だけ稼げ!」
それは、質、量共に超級の呪霊集団を、たった四分で始末できるという宣言でもあった。
「裏梅!」
「残りは
片手で羂索をバッグみたく背負いながら、裏梅が走り始めた。
羂索は荷物にされながらも、反転術式で腕の再生を始めている。
聞きかじりだが、反転術式の習得者は、再生能力で呪霊に対し優位を持つらしい。呪霊は生態として、呪力さえあればいくらでも再生が可能。つまり、致命傷を負わない限り、呪力次第でいくらでも完全な状態まで戻せた。ただし、再生速度は一律。人間の場合は反転術式という高度技術の習得こそ必須だが、投入する呪力量や位置によって、呪霊を凌駕する再生速度を得られる。
(最長で15秒!)
悠仁はそう計算した。腕だけならば5秒ほど、全身だと大地の呪力排除による。時間の目安は、あくまで戦えるようになる程度だ。
勝つ必要などないし、ましてや倒そうなど。四分だけ堪えれば、自動的に勝利が転がり込んでくる。
「本当に四分だけで足りると思っているのかい? それこそ五条悟だって不可能さ」
言葉は、恐らくこちらを揺さぶる目的のものだっただろう。しかし、誰一人としてそんなものは聞かなかった。
天童大地を知っている者ならば、当たり前に理解している。こと閉所・至近距離ならば、天童大地は五条悟より強いと。
「
大地の口から、呪詞が紡がれる。
それは、瞬きにも満たない瞬間だっただろう。いきなり、呪霊が三体はじけ飛んだ。
「――は?」
あまりの事態に、羂索が呆然と呟く。それこそ裏梅すら、目を見開いていた。
特級呪霊の瞬殺。それ自体は、特級術師ならばさして難しい事ではないのかもしれない。ただし、祓う瞬間を認識すらできなかったと言うならば話は別だ。それこそ五条悟をもってしても不可能な神の領域。
「まさか……空間系の術式ではない? 感覚の分解……いや、違う。時間の短縮、或いは断絶が正体なのか……!?」
「術式を最大値まで生かさない戦い方ってのも、ごく希に役立つ。お前みたいな男ですら騙されるのだからな」
相変わらず異様に強い。戦いそのものだけではなく、戦い方も。
術式の使い方を変えて、能力を誤認させる。簡単にできる事ではない。無下限呪術で引力斥力を操るように思わせるようなものだ。術式の一つ一つにブラフを混ぜる必要があるし、整合性も必須。これだけ細かい仕事を戦闘中に実行することが要求される。悠仁には絶対にできない自信があった。
「羂索、どうにかしろ!」
「分かってる! が……」
根本的な、どうしようもなさを感じていない筈がない。
持っている能力だけを見れば、悟ほど対応の方法が浮かばない相手ではなかった。が、所詮はその程度の話。どうするべきかと問われたら、根本的に戦うべきではないのだ。あくまで無下限で防御されるよりは、まだ倒せる可能性があるという程度の意味しかない。
いくら裏梅とやらが飛び抜けた実力を持っていると言えど、五条悟のような理不尽ではない。ましてや足手まといを背負っている上、背後からのプレッシャー。さらに救援まで長くて四分という制限。これだけ好条件があれば、気力だって湧く。
「逃がすか!」
「ここから先は通さん」
立ち塞がる悠仁達に向けて、裏梅は息を吹きかけた。
「――霜凪」
風が通り抜けるより早く、あちこち焼けただれていた地下が、氷景色となる。勢いよくつんのめったのに、倒れる事もできない。
凍らされたと気付いたのは、全身から刺すような冷気が伝わってきたからだった。やたらと発生が早い冷気の攻撃。術式の伝達速度で言えば、今まで見た中でもぶっちぎりの一位だ。術式が完結するまで何も分からなかった。
(しかも、堅ぇ!)
ただの氷が、まるで鋼みたいな強度と粘りを持っている。これが鎖などであれば引きちぎる自信はあったが、関節まで固められているせいで力が入らない。筋力に任せて脱出するのは時間がかかりそうだった。
しかも、冷気が血肉を蝕んでおり、壊死させないのすら一苦労という有様。
口を開くのも難しい中、裏梅が悠仁のすぐ横を抜けていく。
「このまま抜け出す。最悪、目的は達成できないと考えておけ」
「構わないよ。正直舐めすぎていた。私の失敗だ。五条悟を封印できただけでも上等だったと思おう。機会なんていくらでも待てばいい」
すぐ横で暢気な会話をする二人に、しかし制止の言葉をかける事すらできない。
くそ、と己を罵った。ここに来て、たった四分の足止めすらできず、むざむざと逃がしてしまうのか。
大地は丁度、黒いゴキブリのような呪霊の頭をひねり潰している所だった。とてつもなく早い抹殺速度だが、残る呪霊はあと五体。逃げる二人を追いかけるには少々足りない。
ふ、と羂索が小さく息を吐き、再生を終えた両腕で掌印を組んだ。
「何をした?」
「呪霊の領域展開で順々に閉じ込めさせるよう設定したのさ。見たところ、彼の術式は一度発動するごとにインターバルが必要だ。一度封じ込めれば、領域を破壊するまで次の敵に手を付けられない」
「意味があるのかそれ?」
「ないよりはマシだと思って貰うしかないね。処理を一体ずつに限定させられるというのは、案外大きいよ。特級呪霊を総動員してこれとは、我ながら贅沢な使い方だとは思うけど」
「さっき飲み込んだ奴らは使えないのか?」
「使いたくない、という感情を抜きにしても、ここだとね。巻き添えで死にたくはないだろう? そもそも『消化』がまだ終わっていないし」
「チッ。役立たずが」
「手厳しいな。言い返せないのがなんとも」
悠仁は思わず顔を引きつらせた。出そうになった呻きは、喉が半ば凍っているために止められる。
経過時間からみても、大地が術式を発動したのはせいぜい二度。たった二回見ただけで、ある程度術式の輪郭を捉えた。控えめに言って、意味が分からない洞察眼だ。いくら効果が単純だと言っても、肝心の効果が、あらゆる感覚を使ってなお観測できないのに。
呪術師側の術式がどの程度――あるいは術者当人がしらない事まで――把握しているのか。考えるだけで恐ろしい。
ふと悠仁は、この羂索という男が何者なのか気になり始めた。とにかく知識と経験が尋常ではない。それこそ今まで見てきた呪術師が足下にも及ばないレベルだ。しかも結界術に至っては前例がない程。こんな人間が無名で在野に潜めるものなのだろうか。真希だけは、何か知っているようだったが……
羂索らが通り抜ける前に、背後から大きな呪力が迫ってきていた。隠す気などまるで感じられない、膨大で荒々しい気配。呪霊かもしれない、と思ってしまったのは、呪力の質より、ダイレクトに感情が呪力を動かしているからだ。
「加茂憲倫イィィィ!」
絶叫と共に、つい先ほどまで戦っていた呪詛師が迫ってきている。なんでだか羂索を睨み、全力で目の敵にしながら。どころか殺気立ってすらいる。
「今度は何だよ。誰だアイツ」
呪詛師を知らない真希が、小さくぼやく。危機感がないのは、彼の意識が一欠片もこちらに向いていないからだろう。
合掌される呪詛師の掌。その隙間から、超高速で矢が放たれる。悠仁も散々苦しめられた、彼の基礎技能にして奥義だ。
さしもの裏梅も、これを片手間にとは行かなかったようだ。鬱陶しそうな顔をしながらも足は止めず、手を払う。分厚い氷の壁が現れた。血の矢はそれを九割まで貫通したところで止められるものの、二の矢である切り払いによって、氷の壁は粉々にされる。
裏梅の息。悠仁達と同じく、体を拘束しようとしたのだろう。しかし、呪詛師は恐らく術式をある程度分かっていた。故に。
「
薄い血の膜を作る。冷気はその上を滑って、氷の山を作っていった。
広域氷結は厄介な拘束術だが、隙間さえあればさほど怖いものでもない。空白だらけのそこに体当たりをし、簡単に割って突進を続けた。
呪詛師の拳を裏梅が受け止める。周囲に激震が走った。
「よくも俺を……俺達兄弟を騙したな! 許さんぞ加茂憲倫!」
「考える脳もない蒙昧が邪魔をするな!」
目障りというのを隠しもせず、裏梅が吐き捨てる。
余計な言葉を吐いたのは、障害物たり得るだけの強さを呪詛師が持っているからだった。単に強さで言えば、消耗した呪詛師より裏梅の方が上だろう。ただし、一撫でに振り払える程の優位でもない。
と、悠仁の視線が、ばっちり呪詛師のそれと絡まった。
「貴ッ様あああああ! 壊相と血塗をいいように使っただけでは飽き足らず、悠仁までもを! つくづく俺の弟たちを弄んで!」
「オイ悠仁、あいつ知り合いか?」
「普通に敵、だと思うんだけど……」
なんだかあそこまで力を入れて力説されると、自信がなくなってくる。
指を鳴らす音が響いて、位置が入れ替わった。呪詛師の呪力をたっぷり含んだ氷と、それぞれの位置が入れ替えられる。
(マジで意味わかんねえけど)
とりあえずこれで、戦える者は氷の牢獄から脱出した。正面奥では未だ大地が大暴れしているし、現在戦える者は、全員回り込む形となる。氷結の術式は健在なものの、対処法の手本は呪詛師が見せた後である。分かっていれば、なんとかならない事はない。
今度こそ役割を果たす。