だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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渋谷事変後始末01 現在の状況

 両手には呪符が巻かれている。これには呪力の発散を阻害する呪いが付与してあり、本来は呪詛師を無力化するためのものだ。それ以外の用途で使われる事はまずない(基本的に呪術師が罪を犯せば呪詛師として認定される為である)。だから、夜蛾正道のように呪術師が嵌められているのは、極めて希な例だった。

 呪術高専東京校の地下にある牢屋、そこに正道は拘束されていた。

 ただし、手枷以上の制限は無い。通常、呪詛師を縛る時は、身動き一つできないようにするのだが。

 無駄な抵抗はしない。その程度には信頼されているのだろう。そう思うことにして、正道は静かにベッドで座っていた。

 渋谷事変から帰還すると同時に、正道は訳も分からず更迭された。その動きは素早い上に淀みなく、前々から計画されていたと察するには十分だった。同時に、上層部が今回のテロ組織と深く繋がっているとも。

 とにかく全てが、五条悟の封印から向こう、異様に手回しがいい。いや、手回しはすでに終わっていた。

 上層部は現在、猛烈な勢いで五条悟派の勢力を削いでいる。正道が特級呪骸師(特級術師とはまた別)認定された。自己補完呪骸の情報を抜き出そうとしているのも、ただの言い訳だ。それこそ渋谷事変共犯の疑いなど、こじつけにもなっていない。

 

(この期に及んで、まだ呪術界が揺るがないと考えているのか……)

 

 上層部にとって、五条悟は貴重な戦力であると同時に邪魔者だった。悟の気分一つで全部どうにかなる力さえなければ、いつでも暗殺していただろうと思う程度には。

 恐らく上層部は、代用品としての役割を天童大地に期待しているのだろう。それは無理だ、と正道は断じていた。

 格がどうの、性質の違いがどうのという話はこの際置いておく。根本的に、大地には意欲がない。彼にとって既得権益は、どれほども魅力を感じるものではないのだ。シンプルに、呪術師という社会構造の維持に対して、価値を見いだしていない。悟とは運用が全く異なると、いつになったら気付くのか。致命傷になる前であればいいが。

 

(上は私をどうするつもりか)

 

 殺すとまではいかないだろう、というのは、あくまで理性的な判断の下に行われた場合。正道を無理に拘束すること自体、すでに箍が外れている証左だ。真っ当な判決など期待するべくもない。

 

「いや、自分のことより外の状況だな」

 

 嘆息しながら、わざと口に出した。ほとんど自分に言い聞かせるようにして。

 帰還してすぐ拘束された為、テロの余波がどうなっているか分からない。

 現場で受けた報告だと、主犯格は撃退したものの殺すには至らず。無為転変の影響がどうなっているかも、まだ分からなかった。直に見た者達から話を聞き、とりあえず主力級の殉職者がいない事に安堵し。本拠地に戻ってさあ情報を集めようとしたところで総監部直属部隊に捕まった後は、ただの無駄飯ぐらいだ。

 幸吉に曰く、日本全土に届く規模の術式。羂索ほどの技量があれば、一度に数千という人間に影響を及ぼせるだろう。ただし、それで大それた事になるかと問われれば否だ。仮にそれだけの改造人間を作ったところで、遠からず皆殺しにされる。忘れられがちだが、呪霊と違って改造人間は一般人でも倒せないことは無いのだ。

 だから、間違いなく別の仕込みをしていた。無為転変はあくまでその呼び水。

 そこまでは分かっていたから行動を急ぎたかったのに。ままならないものだ。

 正道は深く息を吐いた。

 考えるべき事はいくらでもある。なのに圧倒的に情報が足りないし、そもそも何を思いついた所で牢の中では。いっそ呪術界そのものに見切りをつけられれば楽だったのだろうが、さすがにそこまで思い切る事はできなかった。

 いっそこのまま眠ってしまおうか。そう自棄に転がった所で、足音が響く。

 閉じかけていた目を開き、体を起こす。今更無作法を気にしたところで、とは思うが、わざわざみっともない姿を晒す理由もない。

 二人分の足音は、きっかり正道が拘束されている牢屋の前で止まった。

 

「あなたが私の処刑人ですか、楽巌寺学長」

「壮健なようで何よりだな、夜蛾。いや、この状況では皮肉にしか聞こえんか」

 

 自分の三倍近い時間、呪術界を支えていた男の強い視線。正直な所、あまり得意な目ではなかった。彼の目は、体制に傾きすぎている。慣れたと言えばそうでもあるのだが。

 

「処刑はいつですか? ああ、自立型呪骸の作り方は知りませんよ。あれは偶発的なものです」

 

 嫌味な言葉に、しかし楽巌寺は眉をぴくりともさせず、おつきの人間へ告げた。

 

「席を外せ」

「は……。しかし、危険です。拘禁は完璧ではありません」

「すまんな。これからの話は、お主に聞く権利がない」

「承知しました」

 

 男――恐らく総監部直属部隊の者は、命令に従って反転した。

 彼らの悪い点は、傲慢である事。いい点は、命令に忠実である事。旧家でも血の濃い者が集められているが、そこで主力級と認められず放逐された者が多い。戦力的にはさしたるものでなく、良くも悪くも自分の考えで動かなかった。

 

「さて……話す事は多いが、とりあえず必要な事から語ろうかのう」

「できれば現状から教えて欲しいのですがね」

「無論それもあるが、先に通しておく話がある。彼奴がどの程度聞き耳を立てず堪えられるか分からんからな」

 

 と、楽巌寺の視線は、総監部直属部隊の男が去った方向へと向いている。彼らの個人的な資質については全く信用できるものではない、というのは同意だった。一応、足音が聞こえない程度まで離れているから、会話は聞かれていないと思うが。

 総監部直属部隊隊員(それも恐らく隊長格)にも聞かせられない話。正道にとってどれほど重要かはさておき、それなりに興味を引かれる事柄ではある。

 

「これはほんの数時間前に起きた……」

 

 ぽつぽつと、楽巌寺は語り始めた。

 

 

 

「失態だ」

 

 無数のろうそくが明かりをともす薄暗い部屋で、一人の老人が呟いた。

 

「五条の小倅がやらかした、明確な失態だよぉ」

 

 キキ、と嘉悦を伴った笑み。それが五人分。

 呪術界を守るとも巣くうとも言える最高意思決定権保持者達。彼らをどう表現するかは人によるだろうが……少なくとも人の破滅を喜ぶ様は、趣味がいいと言いがたいものだった。

 

「五条は堕ちた。続く目立った者は居ない」

「いっそもう少し沈んで貰うか?」

「よい。五条悟不在の今、五条家に然したる後続はおらぬ」

「所詮は愚か者が集っていただけよ」

「禪院家と加茂家が強まりすぎても面白くない。ここらで済ませるが良かろう」

 

 まるで呪術師の全てを転がしているような物言いだが、間違った考え方でもない。現実としてこのやり方で今日(こんにち)までバランスを保ち続けていた。下策だろうが旧体制然としていようが、覆しようのない事実だ。

 

「して、日本と夏油傑に対してはどうする?」

「ふむ……」

 

 一人がそう問いかけると、一斉に押し黙る。誰にとっても頭の痛い問題だった。

 

「総理と話は?」

「それ以前の問題だ。完全に政治機能が麻痺している」

「現状維持で手一杯だ。下手に手出しはせぬ方がいい」

呪術師(我ら)の立場が上がるだけならばまだしも、日本の価値が下がりすぎるのはまずい」

「このまま黙しておれば文句も言われよう。ある程度はこちらから能動的に動く必要がある」

「奴らには準二級あたりの護衛を派遣してやるか」

「術式を発動させてしまったのは明確な失点。速やかに夏油傑を抹殺しなければ」

 

 当たり前の意見に、しかし逡巡があった。

 躊躇とは違う。まるで、夏油傑の処刑を反対するかのような。

 

「……この際、夏油めはしばらく放置すべきではないか?」

「馬鹿な!」

 

 あまりにもな意見に、一人が思わずといった様子で絶叫する。

 

「あれが混乱を起こせば起こすほど、呪術師の立場は相対的に上がる」

「日本の価値が下落すれば元の木阿弥だぞ!」

「天童がおる。あれを米国なりに送って、テロ組織の一つや二つ壊滅させればよい。相手に貸しを作ると同時に、『いつでもお前達を抹殺できる』と圧もかけられよう」

「しかし……」

「夏油も居場所さえ把握していれば、如何様にも調理できるのだ」

「……うむ。天童は我らに従順。あれさえ居ればいくらでも巻き返しは効く」

「話によれば、宿儺も一蹴したらしいではないか。最早懸念は夏油の小賢しさのみよ」

 

 賛成派と反対派で、完全に意見が食い違う。

 双方共に言葉を重ねるが、一向に歩み寄る事はできなかった。当然と言える。テロ組織を可及的速やかに排除したい側と、生かして上手く利用しようと考える側。話が合う筈もない。

 これでテロ組織が万全ならば様子見しようとなるかもしれない。しかし、現状は主力級の殆ど――それこそ温存していたであろう特級呪霊を10体以上――葬っているのだ。後は夏油傑さえ殺せば終わると期待すらできる。

 

「これ以上は時間を浪費するだけだ。決を取る」

 

 言葉に、苦虫を噛みつぶしたような表情をする者が二名。

 ここまで来れば、察するものはある。つまり意思決定権保持者五名のうち三名に、夏油傑の手が伸びているのだ。

 今まで気付かなかったわけではない。ただ、もう少し迂遠な干渉だと思って口をつぐんでいた。いかにテロ組織と言えど、コンタクトを取れないのは危険。例え明確な敵であろうと、交渉の窓口は持っているべきだ。そう判断しての事だったが、酷い失策だと言わざるを得ない。

 いや、感づかせることなく三人をも事実上の犬にできる時点で、どんな抵抗も無意味だったのかもしれない。

 多数決は、意外性の欠片もなく、放置で決定した。

 次の議題に移ろうとした所で、静かに扉が開け放たれる。快不快、反応は様々だったが、全員がそちらへ視線を向けた。

 慌てるなどという無様な真似は、誰一人としてしない。ここは天元の張る隠匿結界、さらに歴代の術師が構築した防御結界の中。場所の特定から突破まで、あらゆる面で生半な事ではない。

 

「失礼いたします」

「楽巌寺か」

 

 静々と入場してきたのは、楽巌寺嘉伸。天童大地を戦力の要とするならば、彼は政治面に置ける重鎮だ。無論、上層部にとって都合がいい、という枕詞がつくが。

 

「無礼であるぞ」

「申し訳ありません。火急の用事でして」

 

 一人がちくりと釘を刺す。とはいえ、言葉ほど気にしていないのは誰の目から見ても明らかだった。

 上層部、というか旧体制の流れを汲む呪術師の家系は、好悪こそ激しいものの、自分達に忠実な者には寛容だ。彼らの視点において役に立っている限り、この程度の無作法、怒るような事ではない。

 

「して、話とは?」

「はっ。狗巻様、西宮様、土御門様の御三方に置かれましては……」

 

 そこまで言葉を発した時点で、いきなり名を呼ばれた三人がねじ伏せられた。

 目を白黒させて首だけで振り向けば、天童大地とその式神、天童派の幹部である与幸吉が彼らを取り押さえている。

 

「何を……!」

「血迷ったか、楽巌寺!」

「いいえ、血迷われたのはあなた方です」

 

 断固とした言葉。目の奥には、鋭い光が宿っている。

 

「端的に言いましょう。裏切りましたな? 長年にわたる情報漏洩、資金および物資の提供……まさか夏油傑の遺体を密かに運び出し、呪詛師に引き渡しているとまでは思いもしませんでした。他にも山ほど、よくもこれほどまでに動いたものです」

 

 老人の口から小さな嘆息が聞こえる。

 

「何の証拠があって抜かすか!」

「証拠はきっちり揃えております。こちらをご覧下さい」

 

 言いながら、残る二人へと紙束を渡す。

 彼らは近づく楽巌寺に多少警戒していたが、ここで無様な真似も見せられない。気を張って背筋を伸ばし、渡されるものを受け取った。

 紙面には、組み伏せられた三人の多大な『裏切り』が記されていた。物的な証拠はさすがに持ち込めなかったのか、ここにはないが。報告書の中には、確かに三人の内、誰かしか知らなかった情報や、不審な動きと符合する記述が多々ある。正直に言って、これだけでも状況証拠としては十分だった。

 そして書類の最後には、彼らの裏切りによって殉職した者の名前一覧。このページに、全ての恨みが収束しているように思えた。

 

「どうやってこれだけの情報を……いや、だからこその天童と与か」

「はっ」

 

 楽巌寺も思うところがあって探らせていたのだろう。特に幸吉は、諜報活動に極めて有利な術式を持っている。もしかしたら、いくつかの場面で直接見ていたのかもしれない。

 

「っ……! 天童! 貴様、我らを裏切りおったか!」

「個人的には、私腹を肥やす程度ならば『いくらでもお好きにどうぞ』って感じだったんですけどね。さすがに度々身内を売られちゃあ擁護のしようがありませんよ。学長からの命令でもありましたし」

 

 呆れたように、小さく肩をすくめる大地。

 こちらは楽巌寺の様に怒りは感じない。それだけに、裏切り者はもう駄目だと見捨てているのが見て取れた。

 これだけ淡泊に接することができるからというのも、大地が動員された理由だろうが。一番の理由は、より確実に拘束する為だと分かっていた。

 明文化されていないが、総監部に任命されるのは準一級以上という慣例がある。仮にここに来たのが一級術師三人であれば、僅かながら彼らを逃がす可能性があった。大地は彼らの戦意を削ぐための矛でもある。証拠に、三人は口以外での抵抗を諦めている。

 

「ふむ」

「ぬう」

 

 残る二人は思案した。

 彼らは呪詛師に通じていた裏切り者。これは先の会話で本性を現した。幸いにも、証拠までもが舞い込んできた。失脚そのものは喜ぶべき事だが、それを持ってきたのが総監部直属、つまりは自分の手の人間ではないというのが少々面白くない。

 とはいえ、そこさえ抜けば好機なのは違いなかった。何かと対立が多く、数が多いために黙殺されがちだった自分達の意見が通るようになる。なにより、後任が来るまでに権力の拡大を望めた。

 

「拘束せい」

 

 最終的に実利を取って、命じる。二人は即座に呪符を取り出し、裏切り者に貼り付けた。一瞬にして意識が途切れる。

 彼らは牢屋に入れられ、処刑の日を待つ事になるだろう。なにしろしでかした事が大きい。わざわざ減刑を嘆願してやる理由もないのだし。

 

「天童」

「はい?」

「後任は誰が良いと思う?」

 

 少年は、なんで俺に、とでも言いたげな顔をしたが。それでも答える。

 

「順当に行けば、じいちゃ……じゃなかった。禪院直毘人特別一級術師と……」

「別に砕けた口調で構わんぞ」

「そっすか? じゃあじいちゃんで。じいちゃんと、加茂家当主。この二人と楽巌寺学長って所じゃないですかね。でもまあ、俺がここにいる以上、じいちゃんを総監部入りさせるのは忌避感があるんでしょう?」

「そうだな」

 

 とくに隠し立てせず同意する。彼に対し駆け引きというのは、あまり張り合いがない。

 ただでさえ特級を抱える御三家なのだ。これが第二の五条悟となるだけならまだいい方で、現状の呪術規定に沿ったまま権力を欲すれば、それこそ比べものにならないほど強大となる。五条の凋落が確定した以上、可能な限り禪院家を大きくしたくないというのが本音だった。

 

「まあ禪院家(ウチ)は大丈夫ですよ。何なら俺がじいちゃんを説得してもいい」

「欲がないのだな」

「生憎と政治面(そっち)に欲はないんで。ちっとでも悪いと思ってるなら特級討伐回してくださいよ」

 

 言葉に、二人は小さく笑った。天童大地のこういう所が気に入っている。

 政治を理解しながら利用せず、政治的に動くことが可能。バランス感覚も備えており、何より自分がそちら側に嘴を突っ込んではいけないとよく理解している。誤解を恐れず言えば、非常に優秀で使い勝手のいい駒だった。

 

「急報!」

 

 決めようとした所で、今度はどたどたと騒がしく闖入者がやってくる。彼は部屋の惨状を見て、びくりと体を震わせて制止した。総監部以外の人間がいるだけならばともかく、内三名が組み伏せられているとなれば尋常ではない。

 

「お主は何も見なかった。良いな?」

「は、はいっ!」

 

 うわずった返答。漏らせば命はないと理解しただろう。

 

「して、急報とは」

「加茂家当主、および主要術師が暗殺されました! あ、いえ、随分前に殺されていたようです。加茂家家令である四乃殿が、『当主は加茂憲倫である』という訳の分からない言葉を発し続けており、事情もつかめないと……」

 

 いまいち要領を得ないながらもつらつらと述べられる言葉に、とりあえず要点だけを切り取って、残る総監部の二人は嘆息した。

 薄々予想はしていたが、加茂家はとっくに夏油傑、もとい羂索の支配下だった。確かに総監部三名の内、二名に手を伸ばすとなればそれくらいの力は必要だろう。羂索の手が伸びているのは、加茂家と禪院家のどちらかで半々だと思っていたが、計らずとも確定した。

 

「分かった。下がれ」

 

 一言で追い返し、大地へと向く。彼はなんとも言えない表情をしていた。内心を探るまでもなく見て取れる、「めんどくさい」という意思。

 

「こっちで調整はしますよ」

「その言葉、信じるぞ」

「楽巌寺よ」

「はっ。事実上加茂家が機能不全を起こした以上、直毘人特別一級術師に要請しないというのは不可能です。そこに私と……」

「そうだな。適任は一人しかおらぬわけだ――」

 

 

 

「――つまりお前だ、夜蛾」

 

 さして長い訳でもないのに、疲労だけはやたら蓄積する話を聞き終えて。正道は頭を抱えた。

 まさかの上層部および御三家の一角が裏切り……いや、支配か。それなら確かにこちらの動きなど筒抜けだし、高専の忌庫だろうといくらでも侵入したい放題。悟がいるタイミングで事を起こせるし、何なら都合がいいタイミングで悟がいるように手引きする事もできる。無論、加茂家の忌庫に入っていたものは全て持ち出されて空だろう。

 

「想像以上に手が入ってましたね。ここで発覚したのが幸運だと言うべきですか?」

「思ってもいない事を言うのはやめい。奴らにとっては、必要なくなったものを捨てただけよ」

 

 敵にとって悟を封印した以上、あって損なし無くても痛くなし、程度のものだろう。あっさり手放したのは、呪術界の混乱が一日でも長引いた方が利益になると踏んだか、或いは制御する手間も惜しんだか。

 相変わらず、分かっていても回避できない手を打ってくる。

 ここで引き延ばしを望むのは、夏油傑の体を再生する為だろうか。話によると、羂索は、体の大半を失っても脳だけで活動したという。もしくは喪失した戦力の補充。さすがに特級呪霊11体の消耗はおいそれとリカバーできまい。補充するにしたって、そもそも特級呪霊がほいほい湧くものでもないし。

 

「他に適任はいないのですか?」

「露骨に嫌がるのう……」

 

 楽巌寺が半眼になって正道を見た。

 

「総監部入りさせるだけならばまだしも、これからを考えれば、お前以外の選択肢はない。それに、儂は禪院老を信用しておらぬ。無茶な話は儂とお前で止めるのだ」

「どのみち禪院家の力が強くなりすぎますが」

「天童がなんとかすると言ったのだ。彼奴は普段ものぐさだが、やるときはやる。信用できるし、するしかない状況でもある」

「あと私は罪人です」

「それを決断した者達が罪人として引かれていった。ここに来たのは撤回を知らせる為でもある」

 

 つまり、退路はないわけだ。

 あと必要なのは決断するだけの時間だったのだが、それを楽巌寺はまだ迷っていると見たのだろう。ダメ押しの言葉を放った。

 

「現在、五条を渋谷事変の共同正犯とし、呪術界の永久追放、並びに解放行為の違法化が唱えられておる。馬鹿馬鹿しいが……奴が実際に封印されたという意味において、ただの与太話とも断じがたい。お前が総監部入りすれば、この動きを止められるぞ」

「……卑怯な言い方だ」

 

 総監部の決定は、基本的に多数決で行われる。が、中には全会一致が必要なものも存在した。特級呪術師の追放はその一つだ。

 

「分かりました」

 

 言葉と共に、牢が解錠された。外に出れば、手枷も解印される。

 

「とりあえず状況を教えてください」

 

 通路を進みながら、楽巌寺の語りが入る。

 悟を封印した、獄門疆なる呪具。それはまだ見つかっていない事。持ち去られるか隠されているが、発見した場合、すぐ大地へ渡るよう手はずが整っている。彼の術式反転ならば確実に解放できるらしかった。とはいえ、敵が自信を持って隠した掌大程度の物体である。恐らく羂索を探す方が手っ取り早い。

 日本の状況は悲惨の一言だ。渋谷事変、およびその後の大規模術式による影響で、人口の1パーセント弱が死亡ないしは行方不明。政府機能も麻痺しており、だからこそ本来総理大臣の承認が必要であるはずの総監部就任が簡単に行えている。日本中の霊地が荒らされており、今やどこに行っても呪霊で溢れている。およそ二割程度の人間が呪霊を目視できるような状況だとか。

 世界各国は日本に干渉すべきか否かを決めかねている。最大の障害は、やはり呪霊だ。莫大な呪力のたまり場と化してしまった日本、解き放たれた呪霊は、隣国にまで届いていた。とりわけ中国韓国北朝鮮湾岸部では、すでにかなりの犠牲者が出ている。見えない、こちらからは干渉できない怪物。それも物理的な影響力を持っている。頭の痛い問題だろう。これで日本を非難できればまだしも、何を言ったところで詮無いのだ。結局の所、呪霊とはただの自然災害なのだから。

 

「ここらはまだ良い。儂らが直接手を出すべき問題ではないしな。さしあたって解決すべきは、死滅回游よ」

「死滅回游……ですか?」

「簡単に言えば、大規模儀式結界じゃな」

 

 死滅回游――それが大結界の名らしい。

 細かなルールはさておき、その全てが『呪術師同士を殺し合わせる』事に帰結している。一応、非術師も参加できるようになってはいるが、獲得ポイントや戦力差を考えればおまけ程度だろう。もしくは、結界にバグが発生するのを嫌って申し訳に設定したか。

 死滅回游に合わせて発動された無為転変。これによって、およそ1000人の呪術師が誕生したらしい。彼らは覚醒タイプと受肉タイプに分けられ、前者は生得術式を持っているものの呪力に適合しなかった人間であり、後者は呪物化した術師を現代人に取り込ませたもの。ある意味、渋谷事変は真人のレベルアップを目論んで起こされたものであり、それで1000人のストックを術師に変容させた。前者はともかく、後者は歴史に名を残す名うての術師も多い。当たり前に、殲滅など考えれば現代の一級術師だけでは足りなかった。

 こんなものが日本各地に10カ所も作られたのだ。

 救いは、術者は全員死滅回游への登録が事前に済んでおり、少なくとも確認できる限りは外へ出てこない点だ。

 こんな事情が分かったのは、吉野順平が覚醒タイプの一人に数えられていたからだった。死滅回游が発動した瞬間、彼の頭に情報が流れ込んできた。このおかげで大分事情が分かったものの、代わりに彼は、十九日以内に死滅回游に参加し、少なくとも一人を殺さないと死ぬ。

 

「そこまで分かっているにしては動きが鈍いですね」

「理由はいくつかある。受肉タイプが選りすぐりの術師であるだろう以上、下手に踏み込むのは危険だ。が、これは然したる問題ではない。一番の理由は、例え結界(コロニー)内の人間を皆殺しにしたとして、何の意味もないという事よ。それこそ死滅回游の続行が不可能になったからとて、結界が崩壊してくれる保証はない」

「ああ、成る程」

 

 死滅回游のルール7に、死滅回游の永続を暗示させる文言がある。ゲームの継続が難しくなった場合、結界側がどう作用するのか分からなかった。

 もしかしたら勝手に崩壊するかもしれないし、継続の為に外にいる人間を無理矢理内側に吸引するかもしれない。呪術師側が狙うべきはあくまで結界(コロニー)の破壊であり、死滅回游で勝者になる事ではないのだ。解決手段もなく入るべきではない。

 

「そもそも術師を動かせないしの」

「何故です?」

「日本中に、およそ1000万体近い呪霊が解き放たれた。今や術師だけではなく、補助監督まで対処に追われておるよ。大半は三級四級な上、結界(コロニー)内に発生した物が大多数ではあるが……」

「とてもではないが対処が追いつきませんか」

 

 大震災を超える災害。目に見えぬ化け物の跋扈。この時点で、呪霊が大量発生する条件が十二分なほどに揃っている。

 現在は『呪霊の発生は東京のみで起こる』という情報操作により、意図的に呪霊の発生地点を操り、防衛しやすくしているらしいが。各地で幽害が相次ぎ、『発生地点がどこだろうと関係ない』と思われれば、一気に被害は拡大する。一番怖いのは、関係ない死因を呪霊のせいだと思われる事だ。高位の呪霊が、それこそ山ほど誕生しかねない。

 

「防衛は機能している……機能してしまっていると言うべきか。これで全くの無駄骨なら、一般人の備えを放棄して攻め入るという選択肢もあったのだがな。おかげで動かせる手札が学生くらいしかおらぬ」

「酷い状況だ」

 

 こちらの手足を可能な限り封じている。それこそ、こちらの事情が筒抜けでもこうはならないだろうというレベルで。

 

「敵について何か分かっている事はあるのですか?」

「呪詛師を三人捕らえておる。うち一人はこちらに協力的だが……どれだけ信用できるのやら」

 

 意図的に嘘をついている、という意味ではない。これだけ用意周到に立ち回った人間が、こちらに都合がいい情報を残す可能性は低いという意味だ。実際、死滅回游については呪詛師から何も聞けなかったようだし。

 そもそも呪詛師を仲間だと思っていたかどうかも怪しい。そばに連れていた呪霊と同じく、便利な道具程度の認識だったとして、何の疑問があろうか。

 総監部。この情勢で入るのは控えめに言っても最悪だし、そうではなくても可能な限り近づきたくない相手だ。ただまあ、えり好み出来る状況ではないという意味では、どこで何をしていようと関係なくはある。

 

「悟の冤罪撤回、これだけは絶対に協力して貰いますよ」

「分かっておる」

 

 見知らぬ誰かにとって、少しでもいい未来のために。夜蛾正道は、自ら毒沼に踏み込んだ。

 

 

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