だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
「総監部に入ることとなった」
東西百鬼夜行を超える未曾有の呪術テロである渋谷事変。それから幾日も経たないうちに、禪院家首脳陣は当主の命により呼び出された。
下座に直哉、扇、甚壱、大地が並んで座る。直毘人は入室して上座に座るより早く、そんな事を口走った。
「なんやねん藪から棒に」
直毘人らしい短気でせっかちな様子に、呆れながら直哉が呟く。正直、そんな話ならただの伝達で済ませて欲しかった。
今はただでさえ忙しい。日本各地に術師を派遣しなければいけなく、禪院家でも殆ど人が出払っている状態だ。直哉達だって、かなり無理をして集まっていた。
はっきり言って禪院家、というか御三家にとっては総監部に入ったからどうしたという程度だ。そもそも総監部より御三家の方が立場が強い。御三家当主より総監部に入って優位である点など何一つとしてなかった。それこそ、扇のような後継者レースの敗者ですら、総監部入りするより御三家幹部の方が幅をきかせられる。
とはいえ、持ちうる権能は違う。全くの無意味ではない。意味がなくはないというだけで、決して勝る点もなかったが。
というか、なぜこの状況で総監部の入れ替えが起こっているのか。
「総監部から裏切り者が出た。それも一気に三人だ。渋谷事変も奴らの手引きだった。そいつを楽巌寺が暴き、逮捕したという訳だ」
「へえ。あのお爺ちゃん、随分と思い切った事するやん。スポンジに骨と皮だけがひっついとるんやと思っとったわ」
それなりに義憤に駆られており、それなりに頭が固く、それなりに従順。楽巌寺嘉伸の評価はこんな感じだろう。故に、わざわざ『飼い主』を裏切ってまで動くとは思わなかった。
もっとも、あの程度の小物が気を大きくしていられるのは、天童大地および禪院家の後ろ盾があるからだが。
「というわけで、新当主を大地とする。お前は禪院に名を戻せ」
言葉に、一つとして反論はない。まあ、出来るわけがなかった。
ただでさえ五条悟不在の今、天童――もとい禪院大地はぶっちぎりの最強。バランス型の政治家としてもかなり有能だ。改革に拘りすぎて敵を作りまくる悟とは、この辺が違う。本人にやる気がないだけとも言うが。脇を固める人間が揃っていれば、少し前までの五条家など比べものにならないほど勢力を伸ばせる。それこそ、十年二十年後には、御三家と一纏めではなく禪院家と呼ばれる程に。
嫌がっていそうな大地から声がないのは少々不思議ではある。とはいえ、ほぼ確実に総監部逮捕に動いていたのだ。覚悟はしていたのだろう。
直哉はひっそり、大地はもっと自由気ままに生きていいと思っている。まあそれはそれとして、自分以下のカスに命令されるなど殺してでもご免なので絶対に言わないが。
禪院家27代目当主任命式は恙なく終わる。
本来ならばこれに式典などがあり、およそ三日がかりで行われた。今は状況が状況であるし、そもそも家人を呼び寄せる事が出来ない。後から式典を行うとして、数年後の話になるだろう。
「というわけで、ほれ」
任命式が終わってすぐ、直毘人によって厳かな雰囲気が破壊される。そして、大地に向かってひょいと何かを投げ渡した。
「ほい」
渡されたそれは、そのまま右から左に直哉らへと渡る。
やることは終えたとばかりに、大地は立ち去ろうとした。
「待て。何だその態度は」
「悪ぃけど俺はこの後もやることがあるんスわ。御三家の調整っつうクッソめんどくせえ仕事が。つうわけで直哉、あと頼む」
言うだけ言って、そそくさと部屋から出てしまった。続いて直毘人も部屋から出て行った。
三人だけが残された場で、扇が眉をひそめている。よほど大地の態度が腹に据えかねたらしい。
「早速図に乗りおって……」
「分かってへんなあ、扇のオジさんは」
呟くと、扇の怒りはそのまま直哉へと向いた。そんなんだからお前は当主になれなかったんだ、と密かに直哉は嘲笑した。
「俺らに渡されたもんよう見てみ? 甚壱君に手甲、オジさんに忌庫の鍵、俺に扇子や。つまりそれぞれ、軍事、財務、政治を担当してくれっていうメッセージやね。わざわざ上座に立たず去ったんも、上に立つんは名目上だけで、独裁する気はないっちゅうアピールや」
「む……」
納得できたかはさておき、一定の信憑性はあったのだろう。扇が口ごもる。
こういう無言の配慮を理解できなければ当主になれないと、いつになったら理解できるのやら。いや、一生かかっても理解できない無能だから、未だに直毘人の下でくすぶっているのだろう。
全ての原因を娘の無能に押しつけて、自らの不出来を顧みようとしない。これだから馬鹿の相手は疲れる。今も暗に指摘しているのに、気付くそぶりすら見せなかった。
まあ、間抜けは間抜けでいい。使い道は残っている。道具として。
「ならば良い」
意外にも、扇はすぐに矛を引っ込めた。おや、と疑問に思う。少し前まではもっと殺伐としていたというか、物わかりが悪かったのに。
(ああ、真希ちゃんらが結果出してご機嫌なんか)
理由にはすぐ思い至った。
いくら娘達が二人して一級に昇格したと言っても、能力まで保障されたわけではない。とりわけ御三家出身だと、見栄の為に一級を増やした、などと陰口をたたかれる事は非常によくある。事実無根な噂という訳でもなく、引退する二級準一級には、名誉的に一級推薦される事が多々あった。旧家では、所属する二級術師以上の数で不毛な争いをしていたりもする。
かなり気を揉んでいたのだろう。それが、渋谷事変で錚々たる成績だ。
真希、二級呪霊複数を祓い、特級呪霊二体を撃退。真依、呪詛師三人を討伐し、特級呪霊一体を撃退。特級呪霊が何れも上澄みだったと考えれば、とても一級術師になりたての成績ではない。ここに直毘人と大地が混ざると、事実上、渋谷事変での戦果は禪院家がほぼ独り占めしたと言っていい。
つまり、扇は娘が結果を出した事で、相対的に自分の評価も上がったと思っているわけだ。
娘達がカスだったのは事実だ。が、根本的な問題は、扇にそれを覆せる能力がなかった点である。それこそ大地のような。
(つくづく無能やね。自分を磨かんようになるとこうなってまうんか。おお怖、忘れんとこ)
ひっそり舌を出す。口に出して喧嘩をするのは、さすがに馬鹿馬鹿しかった。
思ってみれば。甚壱も甚壱で、大地の親であるという点以外はろくに見所がない。まあ、所詮は特級術師の親と言うだけで粋がっている男なので、最初から期待もなかった。
(さすがに五条家よりはマシやけど、ほんまカスばっかやな)
大地と自分がいなければどうなっていたことか、と直哉は嘆息混じりに笑う。直毘人は当主としても術師としても悪くないが、後続育成にはお世辞にも成功したと言えなかった。呪術師は素質が九割なので、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
(ま、ええわ)
いくら阿呆の扇でも、財務くらいはできるだろう。主に動くのは家臣団であり、下手を打つ前に誰かが止める。
軍事はもっと楽だ。今までとやることはさして変わらない。ましてや財務方面以上に優秀なスタッフが揃っているのだから、術式叩き付けしかできない甚壱でも十分だろう。あれで強さだけは評価できるのだし。
結局、禪院の次世代は自分と大地しか居ない。
(とりあえず俺のすべきことをやろか)
考えるべきは加茂家と五条家について。主要メンバーの喪失と、独裁者の不在。共に機能は麻痺しかけているが、だからといって権能まで無くしたわけではない。腐っても御三家であり、過去に似たような事例はある。ということは、ノウハウも残っている。そういった逆風をやり過ごせたからこそ御三家は現代まで残っている。
大地がいる以上、他二家を潰すことは不可能ではなかった。ただし、好手とも言いがたい。この状況で内ゲバなど起こせば、日本から睨まれる。いくら呪術師界隈に独立気質が高いと言っても、さすがに手を切っていいとは言えなかった。なんだかんだ、公務を司る組織なのだ。
そちらに関しては、大地が可能な限り穏当に着地させるだろう。そのために動いているのだし。
ということは、直哉がすべきは絶対値における禪院家の向上だ。やることさえ分かっていれば、裏から表から、点数稼ぎの方法などいくらでも思いつく。切羽詰まった状況と言っても、ようは他家に直接害がないようにすればいいのだ。方法など星の数ほども浮かぶ。
「腕の見せ所やね」
小さく呟き、直哉は算段を立て始めた。
東京崩壊の余波は大きい。とりわけ関東圏は、ホテルどころか一部マンションまで接収して避難が行われている。
混沌とした情勢の影響も、関西までとどいていた。それこそ観光事業は壊滅的で、大抵の宿泊施設は閑古鳥が鳴いている。一部の格安ホテルなど、早くも廃業している所があった。これでも東京近辺のように、疎開のために扱われていないだけ、大分ましな状況だ。
だから、高級旅館の一棟をまるごと貸し切りにするのは、さして難しくなかった。むしろ喜ばれたくらいである。
本来ならば、ここまでする必要はない。申し訳程度だが結界は張っているし、そもそも聞かれて困る話をするわけでもないのだし(無論、わざわざ広めるような事でもない)。ただまあ、御三家があつまるとなると、例え非公式でも見栄でこの程度はしなければならなかった。
「悪い、遅くなった」
「いいや、構わん」
「僕は結構仕事が残ってるんですけど……」
先んじて待機していた加茂憲紀と乙骨憂太。反応はまちまちだ。
三人だけしかいない割に、その部屋は無駄に広い。元は数十人規模の宴会室なのだから当然だ。円卓の空いた一席に、大地は座った。
憲紀とは違い多少すねている憂太だが、彼の焦りが徒労だと大地はすでに知っている。憂太を呼び出したのは総監部であり、割り振ろうとした仕事は、棚上げしていた虎杖悠仁の死刑執行といった所だろう。前体制が崩壊した時点で、どのみち待機命令として上書きされるはずだ。
「何の用事なのだ? お前がわざわざ呼び出すのだから、火急なのだろう?」
「加茂家の上層部が皆殺しにされていた。あそこはどうやら夏油傑……だか羂索だか、とにかくそいつの傀儡になってたらしい」
「……は?」
と、憲紀が目を剥く。憂太も愕然としていた。
話について行けない二人に、しかし大地は構わず続ける。
「悟をやり込められた理由の一つだな。現状、加茂家は機能していない。これで御三家の内、権能を維持しているのは禪院家だけになったわけだ」
「専横が始まるじゃないか!」
「その通り。だから俺がお前らを呼び出した」
悲鳴を上げる憂太に、あくまで冷静に返す。
「単刀直入に言おう。俺がお前らを呼び出したのは、御三家の調整と舵取りのためだ。ここでまごついても敵の利益にしかならない。早急に立て直す必要がある」
「理屈は分かるが……。お前に何か権限があるのか?」
「さっき正式に禪院家当主に任命された」
「なおさら不味いだろう」
憲紀の呆れた声。まあ実際、その通りではある。
傍目に見れば、これは禪院家による加茂家および五条家への内政干渉だ。当事者は元より、総監部や他旧家も露骨に警戒するだろう。
ただしそれは、正攻法で行えば、の話だ。
「動けない家の権限を剥奪して無理矢理禪院家に組み込めばそうなるだろうな。正道ではあるし、呪術界を一枚岩にするならそれが手っ取り早い。ただしこれは、全部終わった後に泥沼の内乱と権力闘争が起こる。だからもうちょっと穏当に済む手段を執ることにした」
言って、大地は憲紀を指さした。
「お前、今から加茂家当主な」
「またいきなり」
「どうせ次期当主最有力候補だったんだ。他の候補は怪しくて誰も認めない。そもそも大半が殺されてるしな。ついでにお前は現役禪院家当主兼特級術師と先輩後輩の仲。崩壊した保守回帰派からも距離が遠い。びっくりするほど白い候補だし、お前以外に就任して問題ない奴もいない。はっきり言うが、ここで立たなきゃ加茂家が御三家除名される可能性もあるぞ」
「……そんなに悪いのか?」
憲紀が眉をひそめて問うてくる。
「最悪の一言だな。心証的にはどん底だよ」
彼には情報が入ってこないだろうが、周囲の目は相当に厳しい。
そもそも御三家と言うだけで、払い落としたいという家はいくらでもいるのだ。羂索にいいように使われた上、中枢メンバーの欠落。御三家の役割を果たしていないという意見は、当然すぎるものだった。問題はそういった意見が多すぎて、ほとんど制御が出来ない点だろう。
状況も不味い。日本が不安定すぎて、大きな声に流されても問題ない気運ができあがっている。
このまま黙していれば、加茂家の復権はまずありえない。そうでなくとも、自重で潰れるか他家の横やりで横転するかのどちらかだ。それらが現実的になる前に、最低限のてこ入れはしたかった。
「だから加茂家が潰れる前に当主を立てて、同時に他の御三家と友好を示して貰う。少なくとも時間稼ぎにはなるだろ」
「言っておくが、私は前の方針を受け継ぐつもりはないぞ」
そりゃそうだろうな、と大地は思う。
憲紀の感性は一般的なそれだった。呪術師としてではなく、現代人として。今まで通りの加茂家など望んで作りたい筈もない。
ましてや加茂家は、あの悪名高い保守回帰派の総本山。比較的マシな禪院家ですら大概なのだから、さぞや酷い物だろう。
「大いに結構。むしろ今までとは違うことを存分にアピールしてくれ。この際、加茂家をお前色に染めちゃってもいいんじゃないか?」
「えー……。いや、その、いいのか?」
「悪い事はない。支援までできるかは分からんが、存分にやってくれ。少なくとも
ただし、可能であればという注釈が着く。家の重鎮がいなくとも、回帰派に染まった人間は多数いるのだ。今までと方針が違えば、反発は必至。これをどうねじ伏せるかは憲紀にかかっている。大地や悟のように、腕力で無理矢理とは行かない分、遙かに大変だ。
「ま、お前だけで駄目そうな時は俺に言え」
「禪院の力を借りるのは不味いだろう」
「そん時は
意地悪くにやりと笑うと、憲紀は呆れた様子だった。
詭弁もいいところだが、それを行うのが特級術師であれば誰も文句言えない。完全に悟の二番煎じではあるが、有効かつ楽な手ではあるのだ。利用しない理由はなかった。
「あの」
と、憂太が申し訳なさそうに挙手する。どうでもいいが、なぜ彼は居心地悪げな猫背なのだろう。
「話を聞いている限り、僕は関係ないんじゃ……」
「いや話の流れ的に、君は五条家当主だろう」
「なんでわからないんだよ」
「ええ!?」
驚かれる。が、二人としてはむしろなぜ驚いているのかが分からない。
「いやだって僕、五条先生の実家と全然関係ないよ!」
「悟の遠縁って事は、五条家の親類じゃないか」
「今まで五条家は、五条悟に寄りかかりすぎていた。今更普通の一級を立てる事はできないだろう」
「えぇー……」
無茶苦茶困った様子で、顔をしかめている憂太。顔にははっきりと、そんなことできないと書かれていた。
「そう嫌がるなよ。お前は加茂と違って当主代理だし、悟以外は健在なんだ。俺と同じで、お飾りでいい」
「いや、禪院家の正式な当主がお飾りなのはおかしいだろう」
「いいんだよ。大体直哉がやってくれるから」
「うーん……まあ、それなら?」
納得したようなしていないような、曖昧な様子ながらも頷く憂太。こうやって押しに弱いから色々と押しつけられるのである。便利だから言わないが。
まあ実際、渋谷事変で一番失点が多い(実際はこじつけで、ただ責任を押しつけられただけなのだが)のは五条家である。悟に変わってこれを挽回できる可能性があるのは憂太しかいない。
実のところ、この人選は五条家からの要請という名の懇願だった。なんとか悟解印までは憂太を代理に立つようにしてくれないか、という。非公式ではあるものの取引のため、対価は要求している。そのうち、直哉が交渉に向かうだろう。
話を聞く限り、五条家は誰が舵を取るかで牽制し合っている真っ最中。これだけでもう、目立った術者がいないと分かる。憂太を臨時に据えて権威の維持、悟の復活を待つ。仮に復活しなくとも、憂太が矢面に立っている内に内部での争いを終わらせる、というあたりか。
「加茂はこの足で西宮家と土御門家、乙骨は狗巻家に向かって協力要請してこいよ。必ず家ごしにじゃなく、自分が直接向かえ」
「なぜだ?」
「ここらの家はちょっとばかし
さすがに裏切った事は機密事項のため言えない。とはいえ、この状況だからいくらか察するものはある。
特に下級官僚くらいしか残っていない憲紀には大きな力になるだろう。後から西宮と土御門の影響力排除が課題になるだろうが、そんなものは全てが終わってからの問題だ。すでに総監部を敵に回している以上、どちらにしろ派手な事はできないだろうし。
逆に狗巻は、五条家の執務力が健在なため、かなり肩身の狭い思いをすることになる。まあ呪術師全体を裏切っておいてその程度で済むのだから儲けものと思って貰うしかない。
その上で妙な動きを見せるようなら、今度は大地の『全力』が命じられる。平時ならばともかく、必要な時に自重できない者は要らないのだから。
「五条家がどうのとかはいいとして」
「本当にいいのか?」
「…………、全然よくないけど」
即座に突っ込むと、憂太がぼやいた。
今まで教育の一つも受けてこなかったのに、いきなり旧家の舵取りをしろと言われても困るだろう。だいたい悟が悪いので、文句はそちらに言って欲しい。
「とにかく、
「さっぱり。中に入ってみなきゃ分からない事が多すぎるしな。ただ、攻略順だけは決まってる」
大地の言葉に、二人が首をかしげた。
「東京第一第二
「儀式の発動潰しか?」
「そ」
死滅回游という大規模儀式結界は、正確に言えば
いつ発動するか分からない死滅回游の転用術式。潰すのに一番手っ取り早いのは術者の抹殺だが、羂索の居場所は捜索中である。正直なところ、探し出すのはあまり現実的な選択肢と言えなかった。……もっとも、死滅回游はスタンドアロンに動いている節もあるので、羂索の抹殺だけで何もかもはい解決とならない可能性は考えておくべきではある。
次善の策として影響を少しでも削ぐ事になる。
だというのに、ど真ん中から狙わざるを得ない。これも計算の内だとするならば、羂索というのは本当に鬱陶しい奴だ。
「仮に死滅回游を攻略しても、結界を解除できないんだ……」
「そっちは任せろ」
憂太の苦悶に、大地が答える。
「今更術式の秘匿なんて言ってらんないから白状するが、俺の術式反転は対結界に特化した破壊ないしは解除だ。壊していい段階までもってけば、俺がやる」
今すぐそうしないのは、数百万の呪霊と、約1000人もの向こう見ずな呪術師が解放されてしまうからだ、これをどうにかしない限り、術式の発動と大差ない未来が待っている。
「同じ理屈で、獄門疆の現物を目の前に持ってきてさえもらえれば、悟の解放もできる」
きっぱり言うと、憂太は納得したのか頷いた。
実際に現実にできるかはさておき、手段が用意されているのはありがたい、といった所か。
「俺と乙骨……動ける特級の内、二人が東京を担当すれば、一応義理は果たせる。それでもかなり遠回りだが」
と言った所で、はたと気がつく。
現代の特級呪術師は四名。五条悟、天童大地、乙骨憂太、そして九十九由基。
「そういや九十九由基ってどうしてるんだ? 誰か知ってる?」
大地も面識がない訳ではないが、かなり前に短時間話しただけだ。印象は風来坊の一言に尽きる。
何か目的をもって動いているのは察したが、聞く前に去ってしまったのでそれも知らない。
「九十九さんなら東京校にいるよ。というか、渋谷事変の時点でかなり近くにまで来てたみたい。あと二時間も遅ければ、現場にいたんじゃないかな。本人は「出遅れた」って言ってた」
「軽いなあ。まあ、特級が三人になるのはありがたい」
「……と言いたいんだけど、なんか本人はまだやることがあるみたい。僕が戻るのを待って薨星宮に行くって」
「無茶苦茶自由だなオイ」
思わず文句が出てしまうものの、この状況で無意味な事もしないだろう。曲がりなりにも自分より遙かに経験豊富な特級、こちらに入ってこない情報も多く持っている。
「後は……もう俺からは話はない。お前らは」
「ないよ」
「同じく」
そうか、と大地は小さく頷いた。
「なら、各自持ち帰ってくれ。必要な情報はどのみち通達されるけど、さっき言った各家に話を通すのだけは忘れてくれるなよ」
それだけ言って、大地は話を打ち切った。誰ともなくその場を後にする。
旅館から出れば、すっかり肌寒くなった風が肌を撫でる。
特級術師と言えど、所詮は人間一人。出来ることなどこの程度。できない事に手を伸ばすべきではない。
五条悟はその「できない事」まで独りでやろうとしていた。身の程知らずとは言えない。それが責務と思っていたのだろう。
(俺は自分に出来ないことはやろうとしなかった。だから失敗はあっても不可能はない。悟もそうしてりゃあ……あるいは、隣に立つ誰かがいれば、話は違ったのに)
或いは、癖なのかもしれない。数年か十数年か、それくらい前には背中を守る人間がいた。もしくは、そうであった
少々の寒さを感じて、大地は体を少しだけ小さくする。
疑問に答えなどなく、やがて何を思ったかすら忘れ、思考は夜の空に溶けていった。