だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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渋谷事変後始末03 束の間

 羂索による国家転覆から数日。事実上、国としての機能を停止したと言っていい。

 電気と通信網は維持されている。しかし、物流網に関しては壊滅していた。輸出入は平時の二割弱まで低下、道路などでも呪霊被害が相次いでいるため、迂闊に電車やトラックを走らせられない。そもそも一部では路線そのものが破壊されていた。当然物資の不足を招き、物価の極端な高騰が起き始めている。暴動こそまだ起きていないが、恐慌状態ではあった。

 結界(コロニー)近辺は巨大な空白地帯になっている。これは人口密度や土地の重要性とは無関係に張られており、場合によっては交通の要所を寸断していた。情報を精査する手段がなく、結果、ネットは生きているのに精度の高いソースが存在しない主因になっている。やたらめったら飛ばし記事ばかりが並び、これが呪術師や警察の区分なく、治安維持を望む組織の足を引っ張っていた。

 人の安全は、まだ呪術師の奮闘でなんとかなっている。しかし、物資の不足、これが致命的だった。一月以内になんとかしなければ、最初は暴動で、次は飢えによる死者が出ると目されている。これは呪術師視点での、かなり甘い計算だ。政治家から見れば、もっと悲惨な数字が出る可能性が高い。

 呪術師の責任は重い。特に、この状況を解決できるのが呪術師だけならば。

 背後から迫る呪詛に追い立てられている。一時として心安まらない。

 

(と、思ってたんだけどなー)

 

 学校の庭にある縁石、その上に座りながら、悠仁は独りごちた。

 学生は全員、ここで待機を命じられていた。理由は至ってシンプル、各結界(コロニー)に投入できる戦力は学生のみであるため、ある程度の戦略が固まるまで待機せよ、との事だ。

 日下部篤也先生は、学生は若すぎて人前に出して戦わせられないためだと言っていた。なんだかんだ、年齢は安心感における重要なファクターである。

 というわけでやることもなく(ついでにこの状況で授業などあるはずもなく)、彼は座り込んでいた。

 一応修行はしているが、無意味に長々とするものではないし、そもそも出動命令が出たときに疲弊していては本末転倒。ほどほどにするしかなかった。

 なぜここまで暢気なのかと問われれば、気質だとしか言い様がない。根本的に、悠仁は負の感情を長持ちさせるのに向いていなかった。脳天気と言うこともできる(というか実際に言われた)。

 今日まで、学生に対する命令は待機以外にない。一部、乙骨憂太や天童大地などは忙しく動いているようだが、それは例外だ。大半は悠仁のように暇を持て余している。

 しばらく校庭の隅でぼけっとしていると、珍しく視界の遠くを横切る影があった。遠目に確認すると、恵と野薔薇である。

 

「おーい、釘崎ー! 伏黒ー!」

 

 こちらが手を振ると、恵は普通に、野薔薇は肩を怒らせてやってくる。

 先行してやってきた野薔薇に、いきなり頭をぺしぺし叩かれた。

 

「機嫌悪いのな。どしたん?」

「自販機が全部売り切れなのよ!」

「そりゃそうだろ……」

 

 物流が滞っているのに、優先順位の低い缶飲料が来るはずもなかった。今の状況で生産できている所すら限られている。むしろ高専の食糧事情がそろそろ生鮮食品が切れかけ、そろそろ乾物ばかりになるかという所なのだ。

 彼女は目の周囲に大きな痕が残ったものの、体そのものは健康体にまで戻っている。というか、渋谷事変に参加した全員がそうだ。これは大地によるものが大きい。

 反転術式のアウトプットは、公式だと家入硝子しか使い手がいなかった。しかし、今回の事件で大地も可能であると分かった。大地が使う反転術式のアウトプットは硝子より大分効率が悪いようだが、それでもありがたい事には変わりない。おかげで再起不能になった人間は(精神的な面を除いて)ゼロに収まってきた。

 本当ならば痕も完全に消せたらしいが、術者達曰く「そこまで面倒見てられるか」とのこと。少なくとも完治は事件の完全終息までお預けだ。

 

「アンタこそこんな所でなにやってんの」

「すっごい暇でさー」

「気持ちは分かるけど。英気養えって言われてもねえ」

 

 シンプルにやることがないのは事情が違うというか、持て余さない方こそ難しい。

 幾ばくか遅れて、恵もやってくる。こちらは野薔薇と違って、うっすら汗をかいていた。

 

「伏黒は訓練帰りか?」

「訓練というか調伏だな。渋谷で手札不足を痛感した。後はまあ、俺自身の弱さも」

 

 悔いるように俯く。

 

(俺からしてみると、玉犬だけでおつりが来るくらいなんだけどな)

 

 悠仁は漏瑚と戦った時を思い出す。よく考えると、あの時の自分は最後の一発以外いいところがなかった。それにしたって真希の据え膳上げ膳あってのものだし。

 

「気晴らししようにも、店なんてひとっつも空いてないし。ホントにここ東京かしら」

「店どころか人っ子一人いないからな」

「いたらそいつはただの自殺志願者だ」

 

 呪霊の発生を東京に集中させるという目的で、フェイクニュースが日本各地に流されている。その影響で、疎開が進むまでもなく我先にと人が逃げていた。

 ここがただの天災と違うところだろう。地震やらなら、一度過ぎ去れば、後は助けを待っていればいい。むしろ下手に動けば二次災害を起こす。しかし呪霊は能動的に人を殺すため、被害を拡大すると分かっていても逃げるしかなかった。

 おかげで東京23区はほぼ無人だ。正確に言えば、残っていた人間は大半が呪霊に殺されている。

 もっとも、東京から逃げれば安全という訳ではない。呪霊は移動するし、そもそも結界(コロニー)の外にだって事前に数百万という呪霊が解き放たれているのだ。今の日本において安全な場所は存在しない。

 

「いっそ先生に見て貰う、とか」

「やめなさいよ。ぶっとばされるわよ」

「クソ迷惑だろ」

 

 言ってみただけなので、特に反論はせず両手を挙げる。

 東京校から、一気に二人も教師の欠員が出た。人の指導を出来る呪術師は稀少で(悟が上手く指導できていたかと問われると、疑問が残るのだが)、換えが効きづらい。ましてや生徒の教育なんぞに人を割り振れる状況でもなく、教職員が悲鳴を上げていた。

 

「アンタ日下部先生見てないの? 死にそうな顔してたわよ」

「そういや昨日、目を半開きのまま椅子の上でぐったりしてたけど……あれってもしかして寝てたのかな」

「それ目撃してよく面倒見てくれって言えるな」

 

 悠仁もよく知らないが、東京校は渋谷事変直後からごたついていた。何やらあって、最終的に日下部篤也が学長代理に任命されたとか。大抜擢かつ大出世の筈だが、本人は顔を真っ青にさせていた。

 ぼんやりと三人、ああでもないこうでもないと言い合うが、特に発展性などなく。早く作戦決まらないかなあ、と、結局三人してぐだぐだしていた。

 

 

 

 呪術高専京都校談話室において前日、こんな会話があったという。

 

「歌姫先生が学長代理ねえ」

 

 ぼんやりと真依が呟く。

 庵歌姫、御年三十一歳。呪術高専京都校教諭の一人で、恐らく先生の中では一番生徒からの信頼が厚い人物。天童大地や東堂葵すらも歌姫の言葉なら聞くと言えば、どれだけ愛されているかが分かるだろう。

 とはいえ、教師としてはまだ新人の域を出ない。

 現在学長代理を務めているが、これは他の者が出ずっぱりな為というのが大きい。逆に言うと、準一級でしかない歌姫は戦力としてあまり期待されていないのだ。無論、術式の関係もあるだろうが。ともあれ、このまま学長になるだろうと目されている日下部篤也と違い、こちらは正真正銘ただの臨時である。

 

「そういえばアンタたち、歌姫先生が若い頃、どんなだったか知ってる?」

「どうしたの、藪から棒に」

「特に深い意味はないわ。暇なのよ」

 

 聞き返してくる霞に、足を組み直しながらぼんやりと返す。

 話に乗ってきたのは桃だった。

 

「写真とかでも見たことないなあ」

「見る機会がないっていうより、意図的に隠されてる感じよねえ」

「先生って東京校出身だよね? 同期って誰だっけ?」

「五条悟が後輩で、態度がどうたらって愚痴ってたのは聞いたことがある気がするわ。同級生の話は聞いたことないわね。まあ、高専で同級生がいないなんてそれほど珍しくないけど」

 

 言いながら、真依はフルーツスムージーに口を付けた。

 京都は東京や結界(コロニー)周辺とは違って、まだ大分ましである。それでも流通はかなり制限されいるし、贅沢品は後回しだ。つまり、これを飲み終えたらしばらくはお預け。

 特にフルーツが好きな訳でもないが、しばらく飲めないとなると、惜しくはあった。希少価値は欲求に繋がるという、古来から存在する商人の教訓は正しかったのだなと思う。

 

「どんな感じなのかしらね。とりあえず、テンション低い歌姫先生って想像できないけど」

「あ! 私、昔とは髪型違うって聞いたことがある! 楽巌寺学長が随分落ち着いた髪型になったな、みたいな事言ってた!」

「どうかしらねー。学長ってガッチガチに頭固い老人でしょ? 学生は三つ編み以外認めないとか言われても驚かないわ」

「そういえば最初の頃は西宮先輩の髪型に、なんとも言えなさそうな顔してましたね」

「ま、口に出さないだけ分別があるんじゃない? うちの連中なら文句言いまくりよ」

「真依ちゃん、ほんと実家が嫌いだよね」

「当然」

 

 当たり前に反吐が出るほど嫌いだ。あの家には嫌な思い出しかない。

 もっとも、一級術師に昇格した上、渋谷事変でかなりの戦果を叩き出した為に、大分ましな扱いにはなっている。特にクソ親父こと禪院扇は、一度家に帰ってこいと命令口調で非常にうるさかった。

 大方、自慢して回りたいのだろう。これまでは落ちこぼれという事で、なるべく人前に出さないようにしていたのだ。実は彼女の顔を知る者は、禪院家直系とは思えないほど少ない。

 今は緊急事態だと突っぱねられているのは幸運だ。

 

「何の話だ?」

 

 のそ、とたまたま近くにいた大地が寄ってくる。真依はうげぇ、と声に出した。

 

「何よ、ウザい方のゴリラ」

「ウザくない方のゴリラがいるのか?」

「気色悪いゴリラならいるわよ。ちなみにどっちも気が狂ってる」

 

 すげなく告げる。

 言葉は刺々しいが、そこまで疎んでいる訳でもない。天童――もとい禪院大地は、これでも禪院家の中ではかなりましな方なのだ。ただまあ、ひたすらに暴力的ではある。真依とて殴られたのは一度や二度ではない。

 

「他の人たちはどうしたの?」

 

 霞も、この子はこの子で、なんで普通に接することができるのだろう。積極的に触れてはいけないものを理解していないのだろうか。

 

「加茂は実家の立て直し。しばらくは戻ってこれんだろうな。与と葵は支援に向かってるが、明日には帰ってくる予定だ。俺は早めに終わって戻ってきた。そしたら、お前らを見つけたというわけだ」

「ふぅん」

 

 幸吉と葵は、学生にしては珍しく支援戦力として徴集されている。これは強さ云々ではなく、術式が非常に便利な為だ。

 自由度なら今の真依も負けていなかったが、弾丸へ術式を転写するには、生得術式の持ち主へ接触している必要がある。現状では新しい術式弾を生み出すのは難しく、待機組に回されていた。

 有用な術式を持つ人間が揃えば転写作業が始まるし、どのみち結界(コロニー)攻略が決まれば、嫌でも働かなければならない。

 術式が便利な訳でもない大地が外に出されているのは、こちらは単純、強いからだろう。一級特級の呪霊を秒で祓える。とりあえず何かあれば呼ばれるのが彼だ。葵と同じく強いくらいしか取り柄がないので、せいぜい働かされればいい。

 

「で、何だったっけ。ええと、話題だったかしら……?」

 

 正直、暇を持て余した末のどうでもいい雑談だったために、忘れかけていた。薄ぼんやりとしたものから掘り起こす。

 幾ばくか考え込み、数秒後に思い出す。

 

「ああそうそう。昔の歌姫先生はどんな感じだったのかしら、って話してたの」

「気にならんでもないが、なんでまた今」

「意味なんてないわよ。他にやることないからどうでもいいおしゃべりしてただけ。ついでに聞くけど、アンタは知ってるの?」

「いいや。だが、ううん。一度そう言われてしまうと、なんか無性に見てみたくなるな」

 

 大地が、黙って静かに顎へ手を当てていた。やってしまったか、と真依は思う。

 彼が無害な時は、椅子の上でぼんやりしているか、(驚くべき事に)げらげら笑ってそこら中の人間を殴り飛ばしている時だ。一人で悩んでいるというのは、あまりいい傾向ではない。

 

「あ、そうだ。天童君、私の新しい刀、ありがとうございますね」

 

 えへへ、と屈託なく笑いながら、霞が刀に頬ずりしている。事情を知らない者から見れば、結構猟奇的な光景ではないだろうか。

 

「別に構わん。蔵開けたのはじいちゃんだし、それに今となっては低級呪具なんて惜しくもなくなった」

「え? なんで?」

「呪具量産計画が始まったんだ。“浴”、“鎮”、“周”のうち、この状況なら“浴”で量産できるんじゃないかって案があって、一定の結果が出てきた」

 

 “浴”“鎮”“周”はそれぞれ主立った呪具精製のプロセスである。正確に言えば正しくはないのだが、ともあれそういう事になっていた。

 “浴”は蠱毒――正しくは殺しあいの中で生まれた呪力を血液に練り込み、それを貯めて道具を浸すというもの。別名人造呪具であり、現在流通している呪具の大半はこの方法で作られている。

 “鎮”は土地の呪力を利用したものだ。霊脈の中でも特に澱が溜まりやすい場所に奉納された道具は、希に呪具化する。別名、天然呪具。数は少ないし発生も偶発に任せなければならないが、その分強力だ。特級呪具は全てこうして生まれたもの、と言われていた。

 “周”は、例えば霞のような道具使いが、長く携帯していると呪具化するというもの。初代保持者にとっては使い勝手がいいものの、一度手を離れれば、最悪階位が下がることまである。壊れたら一から呪力の籠め直しでもあるため、狙って産み出そうという者はあまりいなかった。最初から呪具を使っておけ、というもっともな意見もある。

 

「せっかく無意味に呪霊がいるんだからってな、あいつらの血で“浴”を行ってみたらドンピシャだと。現在禪院家では、二級一級の呪具生産を急いでる」

「うわぁ……」

「趣味悪っ」

「そんなこと誰が考えたのよ」

「発案は直哉、実行は扇のおっさんだな」

「よりにもよってクズの二大巨頭じゃない」

 

 あの二人なら、こんな訳の分からない事だってするだろう。そう真依は、かなり失礼な感想を持った。

 術師としての実力はある。が、それ以外の全てが欠落していた。とりわけ品位がとてつもなく下劣である。唯一の取り柄である実力だって大地に遠く及ばないのだから、いよいよカスだ。

 実のところ、この時点で、最初に何を話していたかなど忘れていた。

 思い出したのは、次の日になってからだった。

 

 

 

 腹が重い。

 これは何だろう、と歌姫は寝起きの働かない頭で考える。

 思い当たることがあると言えばあるし、ないと言えばない。ここ最近は激務続きで、とにかく体のどこかしらが不調を訴えていた。

 学長代理の仕事はいくらでもある。呪術高専京都校は西日本最大の拠点であるため、各拠点への補助監督派遣や根回しの調整をしなければいけない。情報を精査して流通させ、時には現場のいざこざを折衷し、術師の大規模な移動が必要であれば手段も斡旋する。これを日本の約半分という規模で実行しなくてはいけないのだ。厄介なのは九州と四国を含んでいる事だ。船であれ橋であれ、逃げ場のない場所を通らせるのはストレスだ。最悪、何十人という術師が一時的に動けなくなる。そうでなくとも、楽巌寺嘉伸の後続というだけで、あらゆる政治的な面倒が舞い込んでくるのに。

 学生についても無視していいものではない。優先順位は低くていい、と思っているのは、あくまで彼らを知らない者の軽口だ。

 今の京都校には、癖の強い者が多い。というかもう、はっきりと身勝手だ。短期間ならまだしも、この状態が続いて勝手な行動を取らないとは全く言い切れない。

 長ったらしい課題を出して縛り付けてしまうのが一番だが、厄介なことに、自分勝手な奴ほど勉学では優秀だった。どのみち課題を作る時間すらも惜しく、仕事の合間に顔を出すくらいしかできない。つまり、休憩時間を取れない。

 弱音の一つも吐きたいが、それはトップが一番してはいけないことだ。改めて、楽巌寺学長の偉大さを理解する。

 思考が逸れかけた。

 とにかく、体調がおかしい。悪い、ではなくおかしい。

 体そのものは、異様なほど好調だ。ただ腹だけに違和感がある。なんというか、微妙な鈍痛が。

 

(っかしーなー……。月のものは周期でもないし)

 

 そもそも痛みの種類が違う。こちらはなんと言えばいいのか微妙に迷うが、あえて言えば外的だ。

 まあとにかく動けないほどではない。歌姫はベッドから這い出て、身だしなみを整える。

 妙な感覚のせいだろうか。着こなしが微妙に決まらない。普段通り着てはいるはずなのに、何故か違和感がなくならなかった。

 クローゼット裏の大鏡を開いてチェックしようとした所で、思わずため息が出る。やや寝過ごしてしまったためか、すでにいい時間だ。それこそ化粧する時間もないほど。

 こういうとき、普段の自分は薄化粧で済んでいたのをありがたく思った。顔に大きな傷があるため、ファンデーションでもしようものならとてつもなく浮く。よほど顔を近づけられなければ、すっぴんでも気付かれないだろう。

 小走りになって談話室へ向かう。授業は行っていないため、教室に集合をさせていなかった。学校に残っている生徒全員の顔を一度に見る、その日唯一の機会。

 

「みんなごめーん! ちょっと遅れた!」

 

 ノックもなしに入る。

 雑談していた者。欠伸をしている者。それぞれの様子を一度中断し、視線がこちらに向いて――一斉に固まっていた。

 

「え? 何? 何なの?」

 

 意味が分からず、思わず周囲を見回す。程度の差こそあれ、誰も彼もが歌姫を見て唖然としていた。

 いや、一人だけ例外がいた。大地だけは、歌姫を見て「へー、これが」みたいな顔をしている。

 

「え? え? え?」

「いやその先生……先生? であってるのよね? どしたの?」

「はいこれ」

 

 ひたすら混乱する霞と桃。真依は比較的冷静で(といってもやはり顔に意味不明と書いてあったが)、手鏡を渡してきた。受け取って、自分の顔を映し出す。

 

「…………、なんじゃこりゃあ!」

 

 一番大きな違いは、顔の傷がなくなっている点だ。顔の三割くらいを占めており、それこそ右頬の根元から走り、左目の下まで届いていた。ろくに化粧ができなかった最大の理由である。

 他にも、顔がやたらと若い。というか幼い。かつて見慣れたはずの、見慣れない顔。三十路に入ってからすっかり衰えた肌髪のつやも、完全に取り戻している。

 

「えっ!」

 

 ぎょっとしながら、自分の体を見下ろした。よくよく見てみれば、服の丈が余っていた。朝感じた据わりの悪さはこれが原因だと気付く。

 

「あー、歌姫先生、なんだよな? (シスター)とかでなく」

「妹なんていないし、肉親だったとしても高専の中にそうほいほい入れるわけないでしょ!」

「それが分かってるから、俺と東堂は侵入者だと思って、一瞬排除しようかと迷ったんだが」

 

 どうも、幸吉と葵すらも事情を図りかねているようだった。

 

「なんでー!? 本当になんでー!?」

 

 混乱の極みにある歌姫はさておき、とりあえず平静を取り戻した生徒達は浮かせた腰を落ち着ける。ついでに女性陣は、ひそひそと話し始めた。

 

「これどういう事なのよ」

「わ、私にはちょっと……」

「そりゃ昨日、先生の若い頃はどんな姿かって話し合ったけど……。ん? 昨日?」

 

 ばっと、三人が大地へ向く。彼はすでに飽きたのか、壁に寄りかかってスマホを弄っていた。

 真依がひたすら嫌そうな顔をしながら、彼に問いかける。

 

「アンタ、何かやったでしょ」

「知らん」

「タイミングが良すぎるのよ。昨日の話を聞いてたのは私達とアンタだけだし、こんなことできる可能性があるのもアンタだけじゃない」

「いいか、俺はとにかく知らんと言い続けるぞ。何がなんでもだ」

「その台詞が答えでしょうよ……」

 

 嘆息は二重だった。真依のものと、もう一つは歌姫。一応、混乱から復帰し、彼女は大地を睨んだ。

 

「あんたのいたずらはまあいいとして」

「俺は知らん。何も知らん。なんだそれ、イメチェンか?」

「背をへこますイメチェンがあってたまるか! もう知らなくていいから、私はどれくらいで元に戻ると思う?」

「多分15、6年すれば」

「若返ってるって事じゃない!」

 

 思わず脇腹をどつく。鎧のような筋肉のせいで、むしろ殴った歌姫の拳が痛かった。

 

「これ、術式にまで影響があるんじゃないでしょうね」

「知らんけど……」

「それはもういい」

「まあ、練度や呪力に関しては据え置きだよ。肉体は外見相応だが」

「……なら、まあいいけど」

 

 本当は全然良くない。誰かに知られたら事だ。

 若返りなどというのは、いかにも上層部が飛びつきそうな力である。外見からして隠しようなどないのだから、後は全力で口をつぐむしかない。予想される心労に、早くも頭痛を覚えた。

 何から何までクソだが、最悪ではない。ある意味、秘中の能力である歌姫の術式。それだけ担保されているならば、戦闘面で影響はないだろう。

 

「と・こ・ろ・で! 先生ー。もうここまで見せちゃったんだから、ついでに見た目も当時の頃に似せてよー」

「こんなに小さかったのねえ。桃よりちょっと高いくらい?」

「うぐぐ……高二で20センチ近く伸びたのよ」

「せっかくだからちゃんと化粧しましょうよ! 歌姫先生、いつもうっすらしかメイクしてなかったじゃないですか」

「どうしても顔の傷と折り合いがつくメイクが思いつかなかったのよ」

 

 女子が集まってわいわいきゃいきゃいと騒ぎ始める。

 歌姫はこういうノリは久しぶりで、ちょっと嬉しくなった。次の瞬間、十年以上前だと気付いて大いにへこんだが。

 あまり過去の姿は見せたくなかった。どうしても未熟な自分と向き合わなければいけなくなってしまうのだから。でももういいかとも思う。こんな些細なことが、もしかしたら生きて戻る原動力になってくれるのかもしれない。

 願わくば、また全員そろってここに集まれますように。そう、歌姫は願った。

 

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