だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
皆と強制的に別れさせられてから、恵と順平はそれぞれの式神に乗って、ゆっくり降下していた。
上空は風が強い。鵺はともかく、澱月に乗る順平は風に煽られて、バランスをやや取りづらそうにしていた。
「他の人達は大丈夫かなあ?」
若干不安そうに、順平がぼやく。彼の言葉に、恵は淡々と事実を述べた。
「大丈夫でしょう。俺達が一緒って事は虎杖と釘崎も一緒でしょうし」
しっかり確認したわけではないが、転移が始まる前には、悠仁が野薔薇を掴んでいたように見えた。こちらが一緒ならば、あちらもそうなのだろう。大地に関しては、それこそあれの心配をする事こそ無意味である。
ひとまず住宅街らしき所に降りる。
本当ならばもっと安全な場所に行きたかったが、さすがに東京都心部で完全に開けた場所というのは見つけられなかった。
ということは当然、着地した瞬間、物陰から攻撃が飛んでくる事もあるわけだ。こんな風に。
鵺の背中に影を作り、ナイフ型の呪具を取り出す。それで刺突を弾いた。
てんで大したことがない威力。術式は優秀だとしても、どう足掻いたところで三級にはなれない程度だ、と恵は測った。
「で、お前はなんのつもりで攻撃してきたんだよ」
物陰に隠れていた女は、即座に逃げようとした。走り出す前にナイフを翻し、柄尻で頭を小突く。
「ぎゃん!」
彼女の悲鳴は、猫の濁った叫びを思わせた。
女はいかにもという風なしなを作った座り方で、恵を涙目になりながらも睨んできた。やたらでかくてサソリの尻尾を思わせる髪型、先ほど攻撃してきたのはこれだ。術式の関係だろうか。
「女の子を殴るなんてサイテー!」
「知るか。嫌なら殴られるような真似をするな。って、ん?」
ふと彼女の言葉に違和感を持つ。
日本において
受肉をすれば、その時点における肉体の知識を獲得するのは、悠仁で確認済みだ。逆に、受肉後に肉体(元の人間)が獲得した知識は、受肉側(正確に言えば呪物)へとフィードバックされない。ともあれ、受肉タイプの
はっきり言って、彼女の言葉には違和感しかなかった。
「……お前、もしかして覚醒タイプか?」
「だったら何?」
言葉の意味が分からない、という風に、女。
恵は顔を引きつらせた。
今まで、戦っているのは受肉タイプばかりだと思い込んでいた。特に深く考えもせず、自然に。楽観しすぎていた自分に、思わず頭痛を覚えた。
命に指を掛けられれば戦う。当たり前のことだ。仮に積極的ではないにしても、覚醒タイプが受肉タイプに支配されているパターンも考えられる。もしくは、家族や友人が人質に取られている事だって。
(甘えた考えをしすぎてた)
殺す理由も殺させる理由も、ここではいくらでも溢れかえっている。安全圏などないと、本当の意味では分かっていなかった。
黙った恵に、よくない流れを感じたのか(全くの見当違いだが)女が媚びたような声を上げた。
「可愛いいたずらっていう事でぇ、許してくれるとうれしいんだけどぉ」
くねくね体を動かし、ついでに胸元を見せてくる女は、控えめに言って、恵の趣味ではない。
蔑みの目で見られている事にも気付かない女に、恵は問いかけた。
「お前、
首魁が日車寛見であれば望ましいが、そうでなくとも十分。どのみち内部の呪詛師は、全て制圧するつもりなのだし。
危険そうな一味という意味では、当たりだった。
「お前じゃなくて麗美って呼んで」
「分かったから質問に答えろ」
「えー、教えてあげよっかなー。どうしよっかなー」
主導権を握ったと勘違いして、露骨に調子に乗り始めた麗美。鬱陶しい奴に当たったと、恵は早くも相手した事を後悔していた。殴りつけて無理矢理従えた方が良かったかも知れない。
とは言っても、吐いて貰わなければ困るのだ。
この女には、確実に後ろ盾がいる。少なくとも、戦闘に優れた術師二名以上が。
ただ
戦闘が強い、最低でも自信がある術師。そして、いざという時に背後から背中を刺せる者。この二名が必須だ。かといって多すぎればポイントが分散してしまうので、五人以下と言ったところか。当然この中には、吊り出し役としていいように使われている阿呆は含まれない。
彼女はあくまで釣り餌。自分の得意なフィールドに獲物を連れてくるための道具。
「私のお願いを聞いてくれたら考えちゃう!」
そんな風に扱われている自覚もない女の、なんと暢気なことか。
「お前な――」
「駄目だよ」
と、恵の言葉は遮られた。
発したのは、澱月に乗ってゆっくりと下降してきた順平。彼の目はひたすら冷ややかに、麗美を貫いている。
「この人は土壇場で絶対裏切る」
「何よ地味男! 余計な口挟まないで!」
「根拠は?」
ひとまず麗美は無視して。
無力だと決めてかかっている恵と違い、順平はあくまで女をねめつけている。
「経験かな。この手のタイプはとてもたくさん見てきた。常に自分にとって都合がいい方へ流れるんだ。とにかく主体性がない。今回の場合だと、強い方かな? 普通の人の基準で言うと、強いって何だと思う?」
「……数か」
「うん」
控えているのは最低二人。麗美を含めれば三人だ。自分を勘定に入れてなかったとしても、相手はこちらを挟撃する形になっているだろうから、天秤が敵側に傾くのは容易に想像できた。
頭空っぽのアホでも、何も考えないわけでもなければ、己の利益を計算しないわけでもない。それが例え見当違いだとしても。主義主張や正義などなく、目先へ簡単に飛びつく。そういう予想外の真似を平気でするのが、真の阿呆だ。
つくづく……と、恵は嘆息した。焦りすぎているせいか、どんどん目算が甘くなっていたようだ。
こんなもの、順平の指摘がなくとも思いついてしかるべき事だというのに。
「ふざけんなクソ陰キャが! 私の
「そもそもナイトって何だよ。初耳だぞ」
呆れかえって、恵は呟いた。彼女の頭では、すでによく分からない方へ話が発展していたようだ。こういう奴を真面目に相手しても詮無いというのは、恵とて分からないではない。あまり相手にしたことがない人種だが。
どうも、姉の津美紀を救いたいという気持ちが先行しすぎて、視野狭窄に過ぎていた。
「すみません、吉野先輩」
「ううん、いいよ。あと、先輩はちょっとこそばゆいかな。伏黒君の方が全然キャリア上だし」
「目上なんでそこは勘弁してください」
なおも麗美はぎゃーぎゃーと叫んでいるが、耳に入ってこない。脳が聞く価値なしと判断したのだろう。
「でも、どうしたってこいつに案内させる必要があるしな……」
問題は、どうやってこちらに都合良く言うことを聞かせられるか、という点だ。この際、罠を張られているのには目をつむる。どうしたって、そこを恐れ始めたら、誰とも接触すらできなくなってしまうのだし。
「伏黒君、ナイフ貸して」
「はい」
何をするつもりかは分からないが、とりあえずまだ手に持っていた呪具を渡した。
順平は受け取って、麗美の方へと歩き出す。顔が引きつる彼女を尻目に、恵は静観していた。彼との付き合いは短いが、無闇に傷つけたりはしないだろう。そういった事をできてしまう類いの人間に、悠仁は懐かない。
「僕は最近呪術師になったからよく分かるんだ。使い始めの時って、術式が機能しなくなると、一気に何も出来なくなるよね」
言いながら、彼は麗美の髪を掴み、一息に断ち切った。
「きゃああああァァァ!」
サソリの尻尾みたいだった髪は一気に解け、はらはらと地面に落ちた。力を失った髪を見ながら、麗美は後頭部を押さえ、絶叫する。
「オマエざっけんな! 許さない! 絶対に許さないからね! アンタなんかレジィ様達に殺されちゃえばいいんだ!」
「これでちょっと頑丈な一般人になった」
「……理屈は分かるけど、思い切った事をしますね」
「こういう人には容赦も油断もしないって決めてるんだ。痛い目を見なきゃ学習しないから、なあなあで済ませた所で相手のためにもならないしね」
そりゃそうか、と思い直す。
無抵抗の女を押さえつけ、髪をほとんど根元から切るのはまずい。などと思うのも所詮はバイアス。倫理観や感情を抜けば、相手はいきなり攻撃してきた呪詛師だ。これくらいはされて然るべきではある。あまりに弱いため、そこらを失念しかけていた。
「呪ってやるからね! 酷い……こんなの、ふざけないでよぉ!」
「生憎と呪われるのには慣れてるんだ」
「
ヒステリーを起こした麗美の尻を叩きながら、拠点へと案内させた。
連れてこられたのは、住宅街にあるマンションの一つ。特に高級という訳でもない、どこにでもあるファミリー向けのものだ。
(場所に……意味がないわけじゃないよな)
恵は視線だけで、順平は露骨にきょろきょろと、周囲を探索する。
拠点には、必ず何らかの意思が宿っている。例え意図したものでなかろうとも。狭さが利益になるのか、それとも電気水道が生きている事か。とにかく、術式を使う際に、なにかしら都合がいい筈だ。どんな術式を持っているか分からない相手を誘い込むのに、わざわざ不利益な場所を選ぶ馬鹿はいない。
まあ、これだけでさすがに手口までは分からないが。大規模な術式かもしれないし、周囲のコンクリートを操るのかもしれない。大地のような、ひたすらにインファイトを挑んでくる相手だというのもあり得る。
「はいストーップ」
廊下を通っている途中、いきなり扉を開けて声を掛けてきたのは、一人の男だ。顎髭に、染めたのではない自然な金髪。彫りの深い顔。ざっくりとだが、日本人ではないだろうと推察した。
なにより奇妙なのが、全身を服の代わりに小さな紙で、蓑虫みたく覆っている事だ。紙にはそれぞれ小さな文字が書いてある。式神を代行するような呪文ではない、と判断した。はっきりとは分からないが、レシートや領収書だろうか。
伊達や酔狂でなければ、それが術式に重要なのだろう。となれば、マンションを拠点にしている理由も分かる。ここはレシート類の収集が容易だ。約100世帯数百人分の消費が、そのまま彼の力だ。間違いなく、この辺のマンションを転々としている。
「君。そう、前に居るツンツン頭君。いいねえ、呪力の流れだけで強いのが分かるよ。君さあ、仲間にならない? ザコなら殺して終わらせるだけなんだけど、それだけの力があれば組む理由になる」
「なんでよレジィ様! こいつら私の髪を切ったのよ!? 殺してよ!」
「うるさいなあ、馬鹿女。お前、まさか自分が俺達の仲間に入れてもらえてると思ってたの? 餌は黙って獲物を連れてくればいいのさ。じゃないと、君は用済みだよ」
レジィと呼ばれた男の鋭く冷淡な視線に。ひ――と、麗美が顔を青ざめる。ずっと守ってもらっていると思っていた彼女が実は、さほどの価値はないと突きつけられたのだ。今にも崩れ落ちそうになっていた。
気に入らない。恵は吐き捨てた。
確かに麗美の事は殴り倒したが、それはあくまで攻撃されたから。そうでなければ、放置して終わる程度の小悪党でしかない。だが、目の前の男は違う。こいつは、ぶん殴って分からせなければいけない類いのゲスだ。
ちらりとだけ、泣き崩れる麗美を見た。気持ちのいい光景ではない。
そう感じていたのは恵だけではないようで、順平も若干、不機嫌そうに目を細めていた。
「お前、日本人じゃないよな。他国の呪術師か?」
聞きたいことは色々あったが、とりあえず返答が返ってきそうな質問から始める。
「いいや、俺は日ノ本の人間さ。この体が外国人のってだけ。レジィ・スターっていう名前も体の方だよ。ふざけた名前だろう? でも気に入っている」
小さく眉をひそめた。
精神と肉体のギャップがある可能性を、考えなかったわけではない。ただ、それを維持できる、そして維持する者がいるとは思わなかった。
生得術式と肉体の関係は、実のところまだ明かされていない。検証方法がないのだから、当然と言えた。ただ当然のこととして、元の体の方が使い慣れている。術式の不和を押してでも現在の肉体に拘るのならば、それこそ虎杖悠仁なみのスペックが必要だろう。そしてあれは、肉体を渡り歩くような化け物じみた術師が特別に拵えたもので、自然発生などしない。
それでも現地人の体を使うのだとすれば……
「そうか。肉体の変換作用による、一度限りの再生、もしくは蘇生。事実上、超高度な反転術式のストックになる、か」
「なんだ、見たことあるの?」
意外だ、と言うようにレジィが肩をすくめる。
渋谷地下で、裏梅だったかが見せたもの。うっすら残っていた意識の中で、裏梅が別人に変化していた。致命傷を食らっていた肉体を、一瞬で治癒させるというおまけつきで。
当時は意味が分からなかったし、考えている暇もなかったが。つまりあれがそうなのだろう。
知識として存在しない訳ではなかった。それなりの例、呪物は取り込むと体を変化させながら乗っ取られるという記録はあったし。ただ、実際に変化したのを見たのはあの時が初めてであったし、そもそも呪物が本体を押しのけて精神だけ表層に出られるというのも初耳だ。
(厄介だな)
目の前の相手が、ではなくこれからの捜索が。理屈の上では、受肉タイプが現代人に完璧な形でなりすます、という事も可能なのだ。
さすがにこれを見分けるのは六眼でもなければ無理だ。
他にも……と聞こうとして、息を抑えた。さすがにあれこれ何でもべらべらとは喋ってくれない。見るからに生粋の術師で、つまりは嘘に慣れてもいる。裏付けが取れなければ、何を聞いたところで無意味だ。先ほどのような、特に意味のない質問がせいぜいだろう。
だからこれは、殆ど挑発だった。
「他に知っている事があれば全部話せ」
「わーお、生意気ぃ。聞き出してみせろよ」
緊張感が高まる。術士同士がそうなったならば、最初の手段で殺し合いだ。
「おいお前――じゃなかった、麗美」
「な、なによぉ……グズッ」
未だ場所も弁えず座り込んで泣いている女に対し、恵は視線も向けずに言う。
「大人しくしてろ。何もするな。どこかに隠れてろ。遠からずこの
「……あんたが、私の
「甘ったれるな!」
気付いたら、恵は怒鳴っていた。麗美の肩がびくりと震えるのが分かる。
「一人で立たなきゃいけない時ってのはあるんだよ! お前は死ぬときまで誰かに頼るのか!? 誰かを呪うのか!? そんなことをする前に、せめて生きる努力くらいしてみせろ!」
言葉が彼女に届いたかどうかは分からない。ただ、焦って走り出し、その辺の部屋へと飛び込んでいった。
麗美と入れ替わるようにして、手前の部屋から人が飛び出してきた。左手に、黒ずんだ鋭い爪を生やしている。呪力を潜められていたため、今まで気がつかなかった。
背後からの攻撃でも慌てるような事はない。このパターンは、事前に話し合っていたものの一つだ。
澱月に左腕が深く食い込み、そのまま貫かんとする。ただし、切り裂く前に澱月が反転、触腕で全身を巻き込み、そのままマンションの外へと転がり落とす。
順平が対処している間、恵はレジィに集中していた。二人並んで戦えるほど廊下は広くないため、玉犬・渾だけを先行させる。恵は中央で両方、もしくはいるかもしれない第三第四の刺客に対する警戒を。
レジィが(なぜか)包丁を取り出して応戦している。が、どれだけ呪力で強化しようとも、所詮は安い金物。玉犬の爪に対処できるほどではない。みるみるうちに、包丁が削られていく。
二人の意識が逸れた(少なくとも外側からはそう見えた)所で、予想通り、視界外からの奇襲。予想外だったのは、それが肉片――明らかに無理矢理えぐり取られた目――だった事だろう。
目玉が爆発する。ここまで分かっていたわけではないが、ともあれ危険がない訳がない。影の中にあらかじめ鵺を待機させておき、いつでも飛べるようにしていた。爆風を横風として浴びながら、マンションを脱出する。
「正体不明の物体呼び出しと、多分体の一部を爆弾にする術式。そっちはどうです?」
「毒爪の術式だね。澱月に効くものじゃなかったけど。あと多分、左手にのみ使う縛りで毒を強化してると思う。爪を強化してて澱月を貫けないっていうなら、お粗末すぎるし。反面、掠るだけでもかなり危険だよ」
近距離で牽制しつつ中距離二人で仕留める、もしくは二人が攪乱して爆弾術式が仕留める。こんな編成だろうか。応用力の高そうな物質呼び出しが、どれだけ手札を隠しているかだけが不安だ。
鵺が地上に降りた頃には、すでに三人とも追いついていた。例外なく練度が高い。曲がりなりにも術式持ちな麗美をただの餌と言い切るのは、伊達ではなかった。
ちらりと爆弾術式の方を軽く見る。彼の左目からは、血が流れていた。誰かの死体を爆弾にするのではなく、自分の体を爆発させる術式らしい。
(当たり前のように反転術式を使ってきやがる。なら残りの二人も、と思っといた方がいいな)
何れも優秀な術師。不意を突ければともかく、普通に戦えば誰もが苦戦するような相手だ。
さすがは羂索が千年もの長きにわたって選び抜いた術者達、とでも言えばいいか。
ならば。
「吉野先輩。俺の近くを絶対に離れないでください」
「え? う、うん」
「おいおい、もう切り札かい? 俺達が君の燃料切れまで逃げるかもしれないっていうのに」
レジィの挑発も無視し、恵は構え、そして
「