だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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東京第一結界05 混沌

 野薔薇が、やたらめったらでかい男のケツをげしげしと無言で蹴っている。他の人間は、それほど露骨な真似はしていなかったが(というか一部は、大地に対しあからさまにビビっている)。それでも、なんとも言えない視線を向けていた。

 彼はされるがままだ。これは普段の、何をされても気にしないというものではない。さすがの彼も「ちょっと悪乗りしすぎたかな?」と思っているようだった。

 まあ仕事そっちのけで、意味の分からない芸人対決などしていたのだから然もありなん。それこそ一番寛容な悠仁ですら、非難するほどではないにしても、ちょっと擁護の言葉が浮かばなかった。

 

「ねえ」

 

 と、話しかけられる。

 ちらりと見ると、声を発したのは、こざっぱりとしたシャツ姿の男だ。

 元は馬鹿でかい蓑虫みたいな格好をしていたが、その辺の服屋に入ったかと思うと、手早く着替えてきた。どうやらあの格好は、趣味で行っていたわけではないらしい。ちなみに蓑笠は、肩に掛けている。容姿は完全に西洋人だが、何故だか左腕に『不退転』とタトゥーを入れていた。

 

「彼さ、本当に強いんだよね?」

「え? 見て分かんない?」

 

 大分あからさまだと思うのだが。

 大地に術式がないとしても、基礎能力のごり押しだけでどうにもならない。そう感じさせるほどの、呪力密度があると思うのだが。

 

「いや、そこは分かる。分かってるよ。でも、あんな姿を見せられちゃね……」

「うんまあ、うん……」

 

 気持ちは凄く分かる。

 なんでする必要も無いお笑い対決をしていたのだろうか。恐らく誰にも分からないし、知る機会は永遠にない。

 ただ、今回は(非常に珍しく)大地が引け目を感じているので、次はないと期待できる。

 

「ちなみにあいつ、現代では一番強いのかい?」

「動ける中ではね」

「つまり、動けない奴の中には、もっと強い奴がいると」

「ああ。五条先生って言うんだけど、今は封印されてるんだ。先生が封印された呪具を大地の所までもってけば解放できるから、そんなに時間かからないと思う」

 

 男は、小さなため息をつきながら、振り返って仲間らしき男達と共に肩をすくめていた。心底呆れたと言った調子で。

 

「どしたん?」

「羂索の口車に乗ったのは失敗だったな、と思ってね。あんな化け物がそう何人もいるなんて冗談じゃない」

 

 ふうん、と悠仁は話を聞き流した。どういうつもりだったのか、気になりはしたが。正直に答えられたとして、あまり楽しい話は聞けなさそうだ。

 

「なあ」

 

 と、のそりと大地が近づいてきた。彼にゆっくりした動作で近寄られると、クマにでも遭遇した気分になる。

 用があるのは悠仁ではなく、レジィらしい。

 接近に、レジィはびくりとした。呪力云々を抜いても、もの凄い威圧感があるから仕方ない。単に圧力という意味なら、身長が同程度の悟よりも、体の厚みが桁違いな大地の方が遙かにだ。

 

「ここに集まっている以外で、有力な泳者(プレイヤー)はいるか?」

「日車に聞けばいいじゃない。俺達よりよっぽどポイント稼いでるんだし」

「だが、あいつは経験が浅い。こう言っちゃ難だが、所詮は覚醒タイプで根っからの呪術師じゃないんだ。可視化できない部分での危険性を、お前達なら確実に見抜ける。違うか?」

 

 言葉に、薄らとレジィ・スターは笑った。

 対話が成立しないならば、それは獣だ。しかし交渉の余地があるならば、どれだけ強くとも人。そう言いたげな顔である。

 

(よろず)っていう泳者(プレイヤー)がヤバかったね」

 

 まずは飴と信用を。意図を隠しもしない様子で。

 

「コガネ。(よろず)を参照」

「該当游者(プレイヤー)は存在しません」

 

 大地がチラリとレジィを見る。疑っているというよりは、理由を知りたい、といった風に。

 

「考えられる事は二つだね。偽名を使ったか、まだ受肉しきっていなくて、泳者(プレイヤー)名が自称と違うか」

「お前もそのタイプという事か」

「そ。レジィ・スターっていうのは体の方の名前でね。受肉しきってないのに本来の名前を名乗られてたら、さすがに探しようがない。接触した当時はまだ、コガネにプレイヤーを参照させる機能はなかったし」

 

 大地は軽く顎を撫でて、僅かに考え込む。

 

「……見た感じ、どういう人間だった?」

「どういう、ね。いい質問だ」

 

 この場合のいい質問とは、自分の価値を上げる質問という意味だろう。

 

「端的に言えば、シリアルキラーだよ。自分以外の人間をオモチャくらいにしか考えてないし、人間というオモチャで遊ぶのが大好き。ポイントはさして高くないと思うけど、あくまで術式持ちを優先して狩ってないからだ。目についた奴から殺して、遊び飽きたら次へ。ま、品がないやり方だね」

「そして――」

「当然強いよ。俺の仲間も危うく一人殺られる所だった」

 

 再び考える大地。今度は、先ほどより大分長かった。

 

「何か気になる事あんの?」

(よろず)って名前にちょっと覚えがあってな。同一人物なら、構築術式を相伝まで押し上げた人間だ。それなら強さにも納得がいく。たたき上げの、時代を代表する術師だよ」

 

 こう言われると、呪術師界隈の事情に疎い悠仁にも察するものがあった。

 後世にまで語り継がれる術師。この時点で、生中な実力だと侮る事はできない。最低でも一級術師相当と考えた方がいいだろう。下手をすれば特級か……

 ちらりと大地に視線を向けられ、悠仁は頷いた。意図は分かっている。一対一なら戦うな。もし出会ってしまったらすぐ逃げろ。

 と、

 

「今お笑いの話した?」

 

 にゅっと、どこからか史彦が顔を出す。悠仁はびくりと肩をふるわせた。

 

「してないしてない。何なの急に」

「シリアスな空気を感じたから。ちょっと耐えられなくて……」

「ホント何なの?」

 

 大真面目にふざけた彼に、他に言い様もなく呻く。キャラクターがつかめたような、それでいて全く掠りもしていないような。なんとも言えない感覚だった。

 悠仁がダル絡みされている間も、二人の会話は続く。

 

「個人的には、この結界(コロニー)に残ってる確率っていうのは、あまり高くないと思うね」

「その心は?」

「一つ。均衡が出来上がっているにしても、ここは静かすぎる。二つ、日車の存在」

 

 聞き耳を立てていると、史彦がいきなり変顔をして振り向いてきた。思わず笑ってしまいそうになるからやめてほしい。が、彼もその気配を機敏に感じ取ったのだろう。意地でもこちらを笑わせようと、目を光らせていた。

 悠仁は思う。やめてくれ。今はリアルに笑ってはいけない状況なんだ。

 

「日車寛見……」

「あいつは現代人、つまりは覚醒タイプの術者だ」

「なぜ分かる?」

「まるっきり感覚だな。ああ、こいつは目覚めた奴なんだなってのは、なんとなく臭いで分かるんだ。こればかりは感性の問題だから、説明しようがないね。で、続けるけど。あいつは現代の人間で、いかにも普通の倫理観を持っている。おまけに弁護士なんて、()人道的で()立派な職業と来た。そんな奴が、自分の倫理に反するからって、人をぶち殺しまくってる。これが不気味に映らない訳がない」

「そういうもんか……? ちなみに俺はどう見える?」

「人である前に呪術師、呪術師である前に戦士。元から必要な殺しをするのに違和感がないね」

「むう。正しい評価だ」

 

 実のところ、現代の呪術師は殺人許可証のようなものを持っている。というより、死刑執行人か。

 呪術を用いて殺人を行った呪詛師は基本的に死刑であるし、これは現場の呪術師による判断で実行できる。対呪詛師も想定されている呪術師には、必要な法的措置だった。

 どうやったのか、史彦が思い切り鼻の穴を膨らませながらドヤ顔をしてきた。思わず吹く。後ろを歩いていた黄櫨折と針千鈞に、何やってんだこいつらみたいな目で見られた。へこむ。

 

「まあとにかく、ここが安定しすぎてつまらない上に、日車が不気味だから、他の結界(コロニー)に移ってる可能性は大いにあるって事さ」

「最終的に全員制圧するという意味ではどうでもいいと言えるし、うろちょろされて被害を拡大されるのが鬱陶しいともなるな」

 

 どちらと取るべきか、と悩んでいるかと一瞬見えたが。どうやら違うようだ。多分、どちらであっても対応できるようにするにはどうするべきか、あたりだろう。

 やがて大地は眉を垂れさせて、呻いた。

 

「ひとまず東京第一(ここ)にいない可能性は捨てるとして……駄目だな。誘き寄せる手段が思いつかん。かといって追い込んでも、別の結界(コロニー)に逃げられるか」

「一定以上の術師全体に言えることだけど、一人で自給自足できるからねえ。意地を張る理由はあっても、無理をする理由がない。(よろず)がよっぽど頭がおかしい可能性にかけるしかないと思うね」

「本名が分からない以上、コガネを使って所在結界(コロニー)を調べる方法も無し、か。不完全な受肉、思っていたより遙かに厄介だ」

「なあ天童」

 

 ようやく史彦と決着をつけて(何の決着だかは自分でも全く分からなかったが)、彼を押しやりながら聞いてみる。

 

「難しい事考えてるとこ悪いんだけどさ、結界(コロニー)外の泳者(プレイヤー)っていつ救出されんの?」

「具体的な日程が決まっている訳ではないが……。まず結界(コロニー)、別に東京第一である必要はないんだが、とにかくどこでも一カ所の安全を確保する。その時点で悠仁(オマエ)がポイントを消費し、掲示板告知機能を追加する。そこから人が集まるのを待って、補助監督が精査して、同じ時期に外の泳者(プレイヤー)を中に入れてだ。ざっくり長くても三日以内って所じゃないか」

 

 安全が確保できたらいきなり解放という訳にはいかないとは、事前に聞いていた。危険な泳者(プレイヤー)を抜きにしても、とてつもない数の呪霊が放たれるのだ。

 ましてや数十万、下手したら百万人規模の人間を調査だ。

 これも事前に大地が愚痴っていた事だが、自衛隊なり警察なりの協力は得られないらしい。結界(コロニー)外の救助と治安維持すらままならない状況なのだ。そもそも、下手に入れてしまえば、足手まといが増えるだけという事態になりかねない。呪霊に襲われてパニックを起こし発砲事件など、誰にとっても笑えないのだ。

 

「ねえ。そもそも結界(コロニー)外の泳者(プレイヤー)ってナニ?」

泳者(プレイヤー)の中には戦いそのものを拒んで、結界(コロニー)に入らずいようって奴が一定数いるんだよ」

「マジでかい。どんな形であれ生きてるんだから悪あがきくらいしなよ。現代人ホント意味わかんないわー」

 

 皮肉ではなく、本気でそう思っているといった様子で、レジィ。

 

「じゃあ津美紀の姉ちゃんもそのタイミングで来るのか」

「ツミキ?」

「誰?」

「あれ?」

 

 レジィはともかく、大地にまで疑問符を浮かべられ、逆に悠仁が首をかしげた。

 

「伏黒の姉ちゃんなんだけど。聞いてなかったのか」

「初耳だな。いや、リストの中にいたのを見逃してたのかもしれん。すまなかった」

 

 それは仕方がない、という風に、悠仁はかぶりを振った。

 実際問題として、大地の責務は極めて膨大だ。結界(コロニー)攻略の全権を単独で担っているのに、上、つまりは日本政府との交渉権がなかった。一方的に流される命令の中で最善を求め、しかも本来なら手足となるべ人間(この場合、“窓”や補助監督だ)もいない。それどころか、配下に碌な指揮能力を持つ者さえいなかった。細かい部分まで行き届かせろと言う方が無理な話だろう。

 彼らが確認している限りの数字だが、死滅回游不参加の泳者(プレイヤー)は33名。受肉タイプと覚醒タイプの比率が不明なため、多いか少ないかも分からない。ただ、呪術師の庇護下にあるという意味では安心感がある。

 

「コガネ、伏黒津美紀を参照してくれ」

 

 その行動に意味があったわけではない。些細な好奇心があっただけだ。結界(コロニー)の中にいない游者(プレイヤー)を表示したら、現在地はどこになるだろうという、ただそれだけの。

 伏黒津美紀。滞留結界・東京第一。得点・23。

 

「…………は?」

 

 津美紀が覚醒タイプであるのは間違いない。少なくとも目覚めた当初は、普通に矛盾なく受け答えができているという医者の報告があった。

 ……本当にそうだったのだろうか。

 例えば悠仁の場合、呪物を取り込んだ時点までの知識が宿儺に継承されている。それがあれば、少なくとも見知らぬ相手を騙すくらいは難しくないだろう。演技力によっては、顔見知りであっても。

 そうでなかったとしても、宿儺のように、意識の裡に潜んでいる事もできる。本当に最初だけ津美紀を前に出し、その後に意識を奪い去ったという可能性は、残念ながらなくはない。

 ずっと覚醒タイプだと思っていた。証拠が全てそう言っている。

 しかし現状が。受肉タイプだと、痛烈に語っていた。

 

(う……っ!)

 

 思わず吐き気を感じて、口元を抑える。

 周囲が何事かという顔をしていたが。誰かが口を開く前に、大地とレジィが顔を上げた。

 

「侵入者?」

「いや、潜んでいた。どこのアホかは知らんが、よっぽど血が好きみたいだな。同時に無謀だ」

 

 言葉を聞いて、咄嗟に悠仁は走り出した。

 主要泳者(プレイヤー)の制圧と同時に、近辺の一般人も保護目的で集めていた。そちらは恵らを筆頭に、信頼できる大人であるという理由で日車寛見もついて行っている(髙羽史彦は論外だった。当然だ)。

 この焦燥が杞憂であればいい。そうであってほしい。

 しかしそうでなければ。レジィらが語るとおり、(よろず)の本性がひたすらに醜悪で血と臓物に塗れているならば。

 恵を前にして、何もしない訳がない。

 悠仁がついた時には。ひび割れた表情の恵と――ひたすらに軽薄で残酷な笑みを浮かべた、女の顔。

 

「ふざ……けんなよ! 津美紀は……覚醒タイプだって……!」

「あら、酷いことを言うのね。あなたのお姉ちゃんなのに」

 

 にたにたと下卑た笑いを浮かべている女の周囲には、青ざめた幾人かの人。他の人が寛見に連れられて退避済みなのに彼らは動こうともしなかった。

 虎杖悠仁は、今まで悪意とはほど遠い日常を送ってきた。本物の悪意を知ったのは、呪術師になってから。正確に言えば真人と会ってからだ。

 短いが、濃密だった経験。故に理解した。彼らは津美紀の家畜だ。こんな状態であっても逃げ出すという選択肢を思い浮かべられないほど、恐怖をすり込まれている。

 

「人命救助なんてつまらないことをしてるから暴発させてあげようかって思ってたけど、大きなおまけが着いてきたわねえ」

 

 津美紀の姿をした女は、あくまでにこにこしながら、恵に歩み寄った。

 津美紀とは、病院からの報告だけで直接会ってはいない。これは悠仁だけではなく、恵もだ。本来そうするべきだった時間は、しかし強制待機と大地との修行に割り振っている。故に、津美紀の情報は全て医者からの又聞き。

 何故連絡が来なかったのか。恐らく、ただの行方不明でしかなかったからだ。あからさまに受肉体だと言うならばともかく、今の日本、行方不明など珍しくもない。もしくはどこかで意図的に情報を止められていた。

 楽観と思い込みの果て。その結果がこれだ。

 

「近づくな!」

 

 悠仁が咄嗟に叫ぶ。女を突き放そうとして、しかしいきなりつんのめった。転ばなかったのは、足がまるで地面に張り付いたかのようだったからだ。

 足下を見る。コの字をした太い金属が、いつの間にか足を縫い止めていた。

 

「そこで大人しくしていなさい」

 

 こちらを見もせずに、女があっさりと言う。

 

「くそ! 何だよこれ!」

 

 ただの杭ならば、悠仁の力なら無理矢理壊せる。しかしこれは、まるで粘り着くように足首を中心に絡んでいた。多分、見えない部分も見た目通りではない。地中深くまで枝分かれして食い込んでいるようだった。まるで深く根を張った巨木を引っこ抜くような感覚。

 おまけに、いくら叩いても元の形に戻っていく。感触は金属なのに、水を叩いているような徒労感がある。

 

「ねえ恵、貴方にプレゼントがあるの」

 

 笑い方を津美紀のそれから女のものへ変えて、取り出したのは。人の頭で出来た長数珠だった。

 動けない恵の首にそれを通しながら、ゲタゲタと笑い始める。

 

「とてもよく似合ってるわよォ! 身勝手な理論で生きるべき人を選別してきたアナタにぴったり!」

「なん……で、それを……」

「津美紀ちゃんの事をどれだけ馬鹿だと思ってたかは知らないけど、薄々気付いてたわよ! とぉーっても心を痛めていたら、付け入るのは簡単だったわ! でもこれからは隠すことないわよ。私がちゃんと「お前の弟は最悪のろくでなしだ」って説明してあげたから!」

 

 女は。恵の様子を逐一、踏みにじるように愉しんでいた。

 恵を支えていたものが壊れていく。人の心が死ぬ瞬間というのを、悠仁は初めて見た。

 その姿を肴にしながら。

 

「アッハハハハハハハハ!」

 

 女は、ひたすら愉しそうに大爆笑をしている。

 ひとしきり笑った後、女は手刀を作った。爪から、鈍い光沢を持った金属が延びる。人を、それも無防備な者の命を摘むには十分な鋭さ。

 

「楽しませてもらったわ。じゃあさよなら」

「避けろ伏黒ぉ!」

 

 悠仁の絶叫も、むなしく通過する。爪は、無抵抗な恵の首に食い込んでいった。

 呪力が爆発する。悠仁の視界がひっくり返った。

 

「!?」

 

 ぎょっとする間もなく、首根っこを掴まれる。気付けば、大地が隣に立っていた。視線は鋭く、津美紀の方を向いている。

 数歩ほど離れた場所にできたクレーター(というのは正しくなさそうだ。なにしろ地面があった場所は、綺麗さっぱり抉れている)と、断面からぽつぽつと見える金属片。それらで、大地が地面を踏んで粉砕し、出来た穴に落ちないよう、悠仁を抱えて移動したのだと気付いた。

 

「どういう事だ? あいつは誰だ? なぜ伏黒が棒立ちで殺されようとしている?」

「伏黒の姉ちゃんだ! 覚醒体じゃない……受肉タイプ! 多分、あれが(よろず)だ!」

 

 小さな舌打ちが聞こえる。

 その頃には、すでに津美紀は結界の縁に触れそうなほど移動していた。緊急時にすぐ人を逃がす事ができるよう、結界の外縁部を集合場所にしていたのが徒となった。

 大地は悠仁を手放すと、鋭い声で言った。

 

「伏黒津美紀は任せろ。こっちは任せる。いいか、お前と吉野と野薔薇(ハニー)で話し合い、必ず日車に相談しろ。これだけやれば、大きな間違いは起きない」

「津美紀の姉ちゃんは!?」

 

 すでに津美紀は、別の結界(コロニー)に逃走を終えていた。こんなことで言い合う時間も惜しいと分かっていたが、聞かずにはいられない。

 

()()()

 

 再びの、力強い言葉。しかし鋭くはない。こちらを咎める意図など一切無く、ただただ安心感だけがあった。

 それ以上は何も言わず、大地が跳ねる。

 何もできなかった自分の無力を罵りながら、頬を叩く。今は悔いている暇などない。まずできることからやらねば。

 

「伏黒!」

 

 とりあえず、彼を休ませる。精神的負担は限界に近く、未だに目の焦点が合っていなかった。

 近づこうと、一歩踏み出したとき。

 

『契闊』

 

 耳元で、そんな言葉を聞いた気がした。

 

 

 

 意識が戻った時。目の前に、見慣れた人間の見慣れない顔があった。恵は一度も見せたことがない、感情のこもった嘲る皮肉げな笑み。

 見た目は伏黒恵だ。全ての感覚がそう言っている。しかし感情が、一緒に居た時間が……他のあらゆる全て、彼が伏黒恵だという事を否定していた。

 左小指がじんじんと痛む。感覚のなさが、根元から失われている事を伝えてきた。

 

「宿儺……なのか……?」

「貴様と遊んでやってもいいのだがな」

 

 髪の毛を掻き上げながら、宿儺が呟く。

 

「天童大地がいつ異常を察知して戻ってくるか分からん。奴とは何れ決着を付けるが、今はまだ時期尚早。しかし(よろず)め、計らずともいい仕事をしてくれた」

 

 トンと宿儺が軽く地面を蹴る。靴の据わりが悪い時に、つま先をこすりつける程度の動作。しかしそれで、宿儺の体が遙か上方へと跳ねた。

 さらに空の上で、何もない空間を足場にしている。確かあれは、大地の技だ。術式ではなく、ただの呪力操作で行っていると本人は言っていたが。普通に高難易度で、悟以外誰も真似できなかった。その悟も術式で浮くことができるため、使い手は彼しかいない。

 

「待て! 宿儺ぁ!」

「貴様の無様を笑ってやるのは、今後の楽しみにしよう」

 

 その言葉だけを残して、恵の肉体を乗っ取った宿儺もまた、結界を渡る。

 後に残ったのは、何も分からず、何もできなかった悠仁だけ。

 

「クソォ! コガネ、宿儺……いや伏黒の情報を!」

 

 すくに移動した場所だけでも把握しようと、コガネを読んだのだが。しかし、何秒経っても現れない。

 可能性にはすぐに思い至った。死滅回游の参加者は、悠仁ではなくあくまで宿儺。両者が分離された為に、悠仁は泳者(プレイヤー)ではないと判断されたのだろう。

 即座に参加表明をしようとして、咄嗟に口をつぐんだ。

 死滅回游に侵入した際の転移、あれはどのタイミングで発動するのだろうか。結界に触れたらというのであればいい。だが、参加表明をした泳者(プレイヤー)が結界の中に入ったらという条件の場合、悠仁はここから見知らぬ場所に飛ばされてしまう。戻ってくるまでどれだけの時間がかかるか分からない以上、迂闊に実行できなかった。

 ここで待機し、誰かがやってくるのを待つのが最良ではある。しかし、(よろず)の狂乱に加え、宿儺の呪力。この二つが合わさり、迂闊に近づくのは危険だと判断されてもおかしくない。

 誰かが戻ってくる――つまり安全だと判断されるまで、どれだけの時間が必要だろうか。

 いくら宿儺が恵の体をすぐさまどうにかするつもりがないと言っても、長々放置していいものでは決してなかった。ましてや宿儺は、羂索との繋がりがある。死滅回游にバックドアの一つでも仕込んでいておかしくないし、下手をすれば追跡もできなくなるだろう。現在東京第一結界(コロニー)にいるメンバーで追跡は無謀だと分かっているが……それでも恵を独りにはしたくなかった。

 

「虎杖君、何があったの!?」

 

 ほとんど飛んでくるようにやってきたのは、先輩である乙骨憂太だった。額に汗が滲んでいるのは、急いで来たからだけではあるまい。宿儺の、根源的恐怖を呼び起こす呪力に当てられたからだ。

 

「乙骨先輩……」

「落ち着いて、深く呼吸をして。東京第二結界(コロニー)は強い術師が鹿紫雲一に殲滅されてたから、僕だけ先んじてこっちに来たんだ。そしたら、入った瞬間にあれだから急いで来た。……落ち着いた? なら天童君の事と、あの呪力が何かを教えて」

「天童は伏黒の姉ちゃんを追いかけてった。ずっと覚醒タイプだと思ってたけど……受肉体だったんだ。天童が居なくなった隙に宿儺が動いて、伏黒へ乗り移った。俺の中で……ずっと機会をうかがってたんだ!」

「大丈夫だから! 僕が行く。必ず伏黒君を連れ戻すよ。今はまだ救う手立てなんて思いつかないけど……探せば必ず助けられる」

 

 強く言い聞かされ、悠仁も徐々に平静を取り戻していく。

 荒い呼吸、逸る心、感情的なだけで一切建設的ではない行動の数々を押し潰していく。

 すべきなのは、ただ待つ事。どれだけ苦痛であろうとも、悠仁に取れるたった一つの選択だ。

 憂太がコガネから宿儺の情報を呼び、追いかけようとした寸前。いきなり、刀を抜いて戦闘態勢を取る。

 何を疑問に思う間もなく、いきなり上から強襲された。棍と刀が接触して、激震を奏でる。その威力もさることながら、もっとも悠仁を驚かせたのは、高度な呪力操作。いくら悠仁が気を抜いていたと言っても、攻撃が終わるまで察知できなかった。

 憂太が刀を振るって、襲撃者を弾く。襲いかかってきた男は、こともなげにいなして着地した。

 

「……誰か聞いても?」

「鹿紫雲一」

 

 不敵な笑みの男が、肩に棍を担ぎながら答える。

 

「オマエが天童大地か?」

「なんでその名前を知ってるの?」

「聞き出したんだよ。与幸吉って奴から」

 

 名前が出た瞬間、憂太の呪力が膨れ上がった。宿儺とも違う、統制されていない荒々しいもの。同時に、とてつもなく乱雑な怨念が渦巻いている。宿儺の呪力になれている悠仁ですら、一歩引きそうになった。

 しかし鹿紫雲一は。その様子を見て、(けだもの)のように口角を上げた。

 

「与君をどうした」

「あいつは()()()()ぜ」

 

 答えになっていないようで、なっている答え。

 憂太の表情は能面のままだった。ただ、瞳の色だけが、ひたすらに壮絶だ。ぽつりとした、独り言のような音量のそれに、全ての感情を乗せる。

 

「そうか。ごめんね、僕は君を許せそうにない」

 

 




原作において万の情報源はほぼ伏黒でした(もしかしたら裏梅か羂索が接触していたかもしれませんが)。
この作品では呪術界が早々に立て直した事もあり、伏黒にフリーの時間はありません。つまり、津美紀に扮した万に接触する時間がありませんでした。
よって彼女が今持っている情報は、死滅回游参加後に自力で集めたものに限ります。
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