だいたい殴れば解決する   作:三回転半ドリル土下座

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大阪城結界

 恵の体が宿儺に奪われたのは、悠仁の心に大きな影を残していた。

 とはいえ、どれだけ責任を感じたところで、今やるべき事が無くなるわけではない。忘れる事はできなくとも、いったん棚上げして次の仕事に取りかかった。

 目下の攻略目標は京都と大阪の結界(コロニー)であり、こちらには事前に京都校の者が派遣されている。

 戦力分配は、悠仁の目から見て非常に偏っていた。

 まず東京結界(コロニー)の総括兼重しとして、全域を乙骨憂太が担当する(結局飛ばされてしまったが。といっても、仕事を終えればすぐ戻ってくるらしい)。これは理解できた。現在、自由に動ける唯一の特級術師なのだから。それに、何かまでは分からないが、別働していた三輪霞から届く()()も受け取らなければならないらしいし。

 問題は悠仁が担当する大阪城結界(コロニー)である。なんと送られるのは彼ともう一人だけらしいのだ。

 京都は旧平安京結界(コロニー)に東京校のほぼ全力をつぎ込み、即座に終わらせるという作戦らしい。そして手の空いた京都攻略組、ないしは帰還した天童大地を大阪に投入する、という形にするようだ。

 

「あのー、乙骨先輩。さすがにちょっと不安があるんだけど……」

 

 不安というか、自信がないというか。

 悠仁はさすがに今でも弱いとは思っていないが、かといって自分の汎用性と応用性の低さも痛感している。直接殴れない相手にはほぼ無力なのだ。日車寛見も、あくまで殴れる距離での戦いだった事に救われた部分が大きい。バトルロイヤル形式だけならばともかく、多種多彩な術式が飛び交う状況には向いていない。

 疑問をぶつけると、憂太は困ったように微笑んで(安心させるためというより、根が柔和なのだろう)告げた。

 

「もう一人、向かって貰う予定の秤先輩は強いから大丈夫だよ。ノッってる時は、それこそ僕よりも」

 

 言葉に、なんと答えていいか迷う。

 憂太とは大して話もしていないが、それでも自己評価が極端に低い人だと言うことは分かった。秤金次先輩という人が強いのは間違いないだろうが、かと言って憂太ほど強いとは考えがたい。

 大地が呪力操作の化け物なら、この人は呪力量の化け物なのだ。

 

「それにほら、大阪城結界(コロニー)には東堂先輩もいるから。相性いいって聞いたけど」

「それ聞いて余計不安になったわ」

 

 めちゃくちゃ噛み合うのは否定しないが。

 というか、不安が生まれる。まさか誰も葵と組みたくないから、悠仁と金次が押しつけられたのではないだろうか。いやまあ、さすがにそんなえり好みをする者はいないだろうけれども。そう信じたい。ただ、組み合わせが決まってから野薔薇は目を合わせてくれなかった。悲しい。

 金次はどんな術式を持っているのかと聞きそうになって、思わず口をつぐむ。術式の詮索は基本的に禁忌(タブー)だというのを忘れていた。近くにそういった事を気にする人間が野薔薇しかいないので、よく忘れてしまう。

 言いたいことを察したのだろう、憂太が口を開いた。

 

「詳しくは言えないけど、秤先輩は調子がいい時に限定するけど無敵なんだ。戦いに負けないって意味なら五条先生に次ぐね。少なくともそこは僕や天童君より上」

「そーなの?」

「うん」

 

 自己評価の低い人は、他人を過小評価しない。つまり今の言葉は、完全な正解とまではいかずとも、的外れではないのだろう。

 ここまでくると、逆に金次の強さが気になってくる。

 大地の強さは言わずもがな。近接戦闘能力で最強たる悟を遙か凌駕し、それ以外でも準ずる力を持っている。憂太は鹿紫雲との戦いを見る限り、総合力が高いのだろう。大抵の事ができる器用さがある上に、いざとなれば呪力でゴリ押しも可能だ。

 例え一部でもそこに食い込めるとは、一体どんな能力を持っているのか。

 

「うっす。足手まといにならないよう頑張ります」

「その心配はしてないかな」

 

 柔和に微笑まれる。

 他人に安心感を与える力強さこそないが、人好きのする表情は、この人は信用してもいいと思わせるものだ。なんだかいろんな意味で大地とは真逆の資質を持つ人だな、と感じた。

 ともあれ。憂太が大丈夫だというなら信じることにする。

 大阪結界(コロニー)に飛んで。真っ先に感じたのは、世界の終末だった。

 東京第一結界(コロニー)に入ってすぐ思ったのは、死滅回游なんて大仰なものが行われているにしては静かだな、だ。異様な寒々しさこそあったが、所詮はそれだけ。空虚であって、間違っても闘争はない、とでも言えばいいのか。

 大阪結界(コロニー)は真逆である。というよりも、イメージしていた通りの死滅回游というべきか。もしくは斜め上にかっ飛んでいると言うべきか。

 入ってすぐ目に入ったのは、そこかしこから上がっている黒煙。至る所で火事が起きており、今も断続的にガスだか何だかの爆発が聞こえる。そして、結界内の中央やや外れた位置に巨大怪獣――

 

「なんだありゃ!?」

 

 と、すぐ横で声が上がり、悠仁はびくりとした。

 そこには独特のもさっとした、髪を紫に染めた男がいた。おしゃれなのか、鼻の下には少しばかりひげを生やしている。顔立ちだけならばギリギリ十代なのだが、全体的に見れば三十路近くにも思える、なんともアンバランスな部分で妙にバランスの取れた人だった。

 そこで、悠仁ははっと思いつく。

 

「秤先輩?」

「ん? おう、そうだけど。ってこたあ、お前が虎杖悠仁か」

 

 呪術師としては珍しくからっとした様子で、金次。

 彼を見ながら、悠仁は首をひねった。確かに強者の気配はあるが、特筆するほどのものではなく思えたのだ。少なくとも、特級術師である憂太が褒めるほどのものは感じなかった。

 正直に言って、悠仁が戦えるレベル。勝てるかはさておいて、勝負にはなる。少なくとも特級術師のように、戦闘という形にもならないという事はないように思えた。

 

(なら術式が強いのかな?)

 

 ざっくりと、そんな感想を持つ。

 呪術師の戦力は、概ねどんな術式を持っているかで測られる。これは呪力量よりも重要なファクターらしい。らしいとついてしまうのは、悠仁が感じた限り、強い術師は術式が何であろうと強かったからだが。

 

「こりゃあ特撮の撮影だな。中々熱いぜ」

 

 後は、独特の感性も持っているようだ。

 近寄る間にも、怪獣は何かと戦っている。怪獣が大きすぎて距離感が狂うし、そもそも人間が見えるような距離ではない。とりあえず、様子を見るに相手は一人のようだ。

 と。触手が思い切り振られる。弾かれた何者かが自分達の方角へ飛ばされたと気づけたのは、ただの偶然だった。

 悠仁は咄嗟に、ビルの上へと跳ねた。飛んでくる人がコンクリートへ激突する前に、自分の体を間に挟み込む。

 長身の成人男性が数キロも滑空するような威力なのだ。そんなものを受け止めれば、悠仁とて無事では済まないと考えていたが……予想外に、衝撃は軽い。

 背後の感触から、同じように反応していた金次が、背中を支えてくれていたのだと知った。

 飛んできた人間は、悠仁より頭一つは背が高い大柄の男。ドレッドヘアを結んだ特徴的な髪型をしている。

 

「東堂!」

「む。超兄弟(ブラザー)か。それに秤も」

「オウ、久しぶりだな。一年ちょっとか?」

 

 あれだけ派手に吹き飛ばされたにも関わらず、目立った怪我はない。唇の端から漏れた血を、親指で拭った程度だ。相変わらず冗談じみた肉体強度である。

 

「で、何だありゃ」

 

 金次がくっと顎をしゃくって指し示す。先にいるのは、当然怪獣だ。

 

「確か、久座沼(くざぬま)とかいう游者(プレイヤー)がアホをやらかしてな」

 

 葵がどこか困った調子で言う。

 

「今となっては覚醒タイプか受肉体かも分からん。滞留する呪力を吸収するという、珍しくもない術式だったんだが。当人の術式への不理解と間抜けを抜かしても、環境が悪かった」

 

 悠仁は、自覚して周囲の呪力を感じ取った。

 結界(コロニー)内でうねる無色の呪力は、渋谷の時より多い。何も考えずに吸収すれば、すぐに限界が来ると想像できた。

 

「おまけに本人の許容量(キャパシティ)が無駄に高くて、術式を発動したまま早々に意識を手放したようだ。そのうち呪霊までも飲み込むようになってな……」

「で、最終的にああなったと」

 

 今もなお、無意味に暴れているようにしか見えない怪獣を眺める。暴れているという自覚はないのかもしれないし、もしかしたら自意識すら存在しないかも知れない。

 見た目はイソギンチャクに近いと、悠仁は思う。巨体に見合った移動速度があるかは分からないが、とにかく動けてはいるので、足下はそれなりにしっかりしているのだろう。上半身から生えた長い触手が垂れ下がっているため、下の方は全く見えないが。

 

「さすがにあのサイズで打ち止めらしい。代わりにどれだけ殴っても呪力を補填して再生する。かといって、術者がどこにいるかも分からんし、そもそもまだ生きているかも不明だ。すでに術式だけで一人歩きしていても俺は驚かん。とにかく攻撃力が足りなくて困っていた所だ。援軍は助かる」

「そういやここに派遣されたのってもう一人いたよな? どこにいるんだ?」

「西宮か? あいつは戦いに出しても足手まといにしかならんから人を逃がして貰った。おかげで周囲に気を遣わず暴れられる」

 

 悠仁はちらりと金次を見た。

 彼は視線に気付き、小さく首を振る。

 

「いや、俺の術式はそこまで攻撃的な類じゃねえよ。そもそもこの規模ってなると、火力があるタイプより特殊効果を持った術師の方がいい」

 

 つまりこの場にいる面子での討伐は難しいわけだ。

 

「東堂、あれ特級になるの?」

「微妙な所だな。定義としては特級で間違いないと思うのだが」

 

 困った様子で、曖昧に答える葵。一応術式は持っているのだなと、それだけ頭に叩き込んだ。

 

「どうも奴は久座沼(くざぬま)の術式は引き継いでいない。ただの機能になっている。しかも、自我すら別の新しい何かが宿っている」

「なんだそりゃ」

「伝承に引きずられて出現する呪霊によく見るあれだ。そうだな、名付けるなら特級変異呪霊『大坂夏の陣』とでも言うべきか」

「大坂夏の陣……」

 

 ネーミングセンスにひっかかりを覚えたが、指摘はしないでおく。

 ともかくあの巨大呪霊は、どちらかと言えば落ち武者やらなどの意識が強いらしい。数百年前の感情ですらない客観的な情報を、意思と呼ぶならだが。

 ちなみに悠仁には、呪霊と怨霊の違いはまだ分からない。

 ただ、複数の意識を内包しているというのは、それなりに危険な事ではあった。意識が反発し合い来るはずの攻撃が止まる事もあれば、多重に迫ることもある。実のところ、どちらのパターンでも厄介だ。予想を裏切るのは同じだなのだから。

 といっても、呪霊の格そのものはさほど高くない。葵が平然としている所からも分かるが、見た目ほど打撃力はないのだ。感じられる呪力も、知っている特級呪霊に遙か及ばない上、無駄に肥大化しているため密度も低い。感覚としては特級呪霊というよりも、二級呪霊の山と言った方が近い。

 本当にただ、急所に当てられないだけが問題なのだろう。

 

「じゃあどうする?」

「知れた事よ」

「一人なら難しくとも、三人ならやりようはあるってな」

 

 それぞれが体をほぐしながら。一斉に疾駆した。

 

 

 

 東堂葵は、生まれながらの勝者であった。

 誰よりも才能に恵まれていたし、それを自覚するだけの精神的な熟成もある。彼は、齢一桁にして自分が天稟を持って生まれた人間であるという事実を客観的に受け止めていた。同時に、心底から味わったのが『退屈』だ。

 やがて特級術師である九十九由基に見いだされ、呪術師としての道を歩き出す。ただし、こちらでも退屈が完全に無くなったわけではない。

 九十九由基は強かった。反面、呪霊の大部分は驚くほど弱い。それこそ攻撃さえ通じれば、呪力が無くてもひねり潰せると思うほど。暇つぶしには十分であったものの、退屈を感じなくなるにはほど遠かった。

 状況が変ったのは、呪術高専京都校に入学してからだ。

 驕りがあった訳ではない。ただ、事実として同年代に自分より上はいなかった。だから初めて見たというだけ。

 天童大地。そして与幸吉。彼らは東堂葵が心底から認める、初めての『敗北』だった。

 かたや葵以上の才能を持ちながら、なおも上を目指し続けた者。かたや生まれてからずっと、身に降った呪いと向き合い続けた者。

 彼らに瞳を焼かれて自覚する、無自覚に抱えていた慢心。同時にそれは、小さな焦燥として葵の心に燻っていた。

 分かっている。長所が違う。自分は十分に延ばしている。競うべき部分では問題ない。だが当たり前に、それは理屈では精算できないのだ。感情が、本能が、闘争心が――負けたくない、負けたままではいられないと吠えている。

 間近にいる格上の存在は、一長一短だった。東堂葵はたった一人でいるよりも強くなれただろう。ただ、鋼鉄の精神に僅かなほころびは確かに生まれていた。

 

(何が悪い?)

 

 葵は困惑しながら自問する。確かにこの特級変異呪霊とは相性が悪い。が、これは些か苦戦()()()()いた。

 いかに葵でも人間である以上、調子の波があるのは理解している。強者はそれを限りなくフラットに保てる術を身につけていた。彼もまた然りで、下振れしている性能をでっちあげる術を会得しているし、十分に実行もできている。ただ、それで自分への苛立ちが収まるわけでもない。

 またも人間の倍ほどの太さがある触手に弾かれるが、ただやられてなるものかと引きちぎった。普段ならば食らわない攻撃だ。

 当然、意味はない。触手はすぐ再生するし、消費した呪力も吸収される。特級変異呪霊にとって、呪力総量は見た目通りではない。結界(コロニー)内に滞留する呪力すべてが燃料だ。呪力を大量に消費する攻撃手段のなさや、あまりにも密度の低い肉体も相まって、呪力切れは期待できなかった。

 少なくとも持久力勝負をしたら、こちらが先に力尽きる。

 

(余計なことを考えるな)

 

 調子が悪いというのは、本当にただそれだけの意味しかない。思い悩んだところで上向く訳ではないし、目の前の敵を倒せるだけでもない。ただ、自分の知る強者であればこんな事にはならない。そう思ってしまう。

 虚空に解けて消えつつある触手を、八つ当たりで乱暴に捨てた。反動で体を翻し、地面との距離を調整する。

 半ば地面にめり込みながら着地した。激震が収まったところで、はっと気がつく。背後に一般人がいた。

 大阪城結界(コロニー)は、割と初期の段階で一般人の避難と隔離が済んでいた。群衆をまとめ上げる人間がいたのだ。人口密集地帯に結界が張られた場合の数少ない利点だろう。巻き込まれる者が多い代わりに、こういった才能を持つ人間がいる確率も高くなる。

 しかし、それも久座沼の暴走が始まるまで。

 怪獣じみた存在が無作為に暴れるため、今まで安全地帯であったところが危機に晒され始めた。落ち着きを取り戻しかけていた民衆は再び混沌に落とされ、こうした逃げ遅れが発生している。

 警告だけはしておこうと振り向き、そして葵は目を大きく見開いた。

 

「た……高田ちゃん!」

 

 最後尾で避難民の尻を叩き動かしているのは、間違いなく己の最推しアイドル。

 彼女は葵を見て、きょとんとしていた。状況はよく分かっておらずとも、とりあえず理解していることから、という風に呟く。

 

「確か、ファンの人よね?」

 

 言葉に、葵は一瞬だけくわっと目を見開き、そして自慢げに鼻を鳴らした。さすが高田ちゃん、ファンの一人一人にまで目が届いているなんて。いや、それでこそ高田ちゃんか。さすがは俺の彼女(妄想)。こんな場所でも相変わらず輝きがあせないなんてさすがだ。それはそれとして、やはり生高田ちゃんはテンション上がる。

 全ての空想と妄想と整理を0.1秒で済ませ、葵ははっとした。今はそんな場合ではない。すぐに戻らなくては。

 思っていても、ほんの少しためらいがあった。

 今の葵は肉体的にも精神的にも絶不調の極み。このままでは、足手まといとまでは言わずとも、戦力にもならない。増援が来た以上、居ても居なくても同じだ。

 故に。ほんの少しだけ、欲が出た。

 

「高田ちゃん」

「走らず早歩きで! 周囲の人と接触しない隙間を保って! 押し合った方が避難が遅くなるわ! まだ余裕はある、大丈夫! ……後回しにしてごめんなさいね。で、何かしら?」

「“気合い”をくれ」

 

 全身を無茶苦茶に力ませながら、葵は背中で語った。いや、実際に口に出したけれども。

 

「今の俺はふらついている。情けない限りだが。だから、一つ気が引き締まるものを!」

 

 ばっと振り向き、両手を広げる。

 彼女は何秒か、ぽかんとしていたが。やがて目を細め、薄らとした笑みを浮かべて。葵の頬に、思い切りビンタをした。腰が入ったいい一撃だ。戦いの中で発生していた汗が飛び散る程に。

 瞬間――東堂葵の脳内にあふれ出した、存在しない記憶。

 そこは大学の講義室みたいな部屋だった。葵は最前列の椅子に座っており、目の前には高田ちゃん。スーツをびしっと着こなし、ひっつめ髪に伊達眼鏡。手には教鞭を持っている。

 

『悩んでいるのね』

 

 冷静な微笑。しかし、冷徹さは感じない。他者に見られる事は意識しつつも、絶対に媚びたりしない顔だ。

 

『迷いは進む意思さえ持ち続ければ、人を成長させてくれるわ。貴方がそうであるように。でも引きずってはいけない。分かるわよね?』

 

 教鞭をくるくる回した後、先端をぴしりと葵に向ける。教鞭の先端で、軽く葵の顎をなぞった。ぞくぞくする。

 

『自分の「売り」を勘違いしてはいけないの。貴方が勝ちたい()()は、まさに相手の売り。長所は別にある』

 

 言いながら、彼女は言葉を句切った。

 向けていた教鞭を上げて、僅かに吐息する。

 

『そんなことは分かってるわよね。だから、私が言えることは一つ。結果を出しなさい。自分自身をも満足させられる結果は、貴方の精神を一つレベルアップさせてくれる』

 

 高田ちゃんが教壇から降りて、机の前に座る。そして思い切り腰をひねり、掌を頬に叩き付けてきた。

 バチン、と大きな音が頬から鳴って。衝撃でぶれた視線を戻すと、彼女は相変わらずの表情で見下ろしている。

 

『気張りなさい。今はただの根性論でも、終われば全部を理論的に解明できるわ。さあ、東堂葵を見せてちょうだい……』

 

 そこで思考は終わる。

 現実に引き戻されると、高田ちゃんは空想と同じ姿勢で手を振り終えた後だった。格好と景色だけが違う。つまり、空想と何の差異もない。空想は現実だった!

 

「状況はよく分からないけれど……」

 

 声に多少の困惑を滲ませながら、それでも彼女は続けた。

 

「無事に帰ってきなさい。そしたら、投げキッスしてあげる」

 

 頭に、全身の血が集まったかと思った。顔が紅潮し、鼻の中でぷちりと音が鳴った。パァン、と鼻血が勢いよく飛び出る。

 葵は体中が力むのを感じながら、天を仰いで哄笑した。笑いが止まらない。楽しくて仕方ない。今まで悩んでいたのが馬鹿だったように思えた。頭にかかっていた小さな、しかし確実に戦いを邪魔していた鬱陶しいもやが一瞬にして晴れる。

 勢いよく視線を戻し、そして大声で告げた。

 

「たかたんビームもお願いします!!」

 

 体に籠もった熱が命じるまま、葵は跳ねた。

 今までの不調が嘘のようにない。自分でも信じられないほどの絶好調だった。体が、呪力が、術式が。全て思い通りに動く。一言で俺をここまで変えるなんて、さすがは俺の惚れた女だ、と葵は賞賛を送る。

 葵が戦場へ戻ったのは、飛ばされた時より遙かに早かった。

 

 

 

(どーすんべ)

 

 無軌道に暴れるモンスターをいなしながら、金次は悩んだ。

 この化け物(東堂葵命名・大坂夏の陣)は、強くはないもののひたすら倒しづらかった。なにせあらゆる攻撃が糠に釘。体長30メートル以上ある大きさの中から、恐らく人間大程度の急所を探さなければならない。ざっくりと中央付近にあると仮定しても、それなりのサイズがある会議室くらいの広さは消し飛ばさなければならないだろう。

 狭い範囲に高い呪力を籠めるほど強くなるというのが常識である呪力とは、明らかに相性が悪い。そもそも呪術とは、広範囲を薙ぎ払うようには進展させないのだ。

 これは自分達だけではなく、相手の超大型呪霊にも適用される。

 相手の攻撃は体したことがない。シンプルに呪力の収縮が足りていなかった。これではどれだけ出力があろうと意味がない。代わりに、こちらの攻撃もほぼ無意味なのだが。石と雲の戦いと言い換えてもいい。

 こういうのが相手だと、数というのはあまり頼りにならなかった。一級術師が20人くらい居れば話は別なのだろうけれども。

 東堂葵は、今は調子を崩しているようだが、普段は好調時の金次とも殴り合える強者だ。彼が一人でどうにもならない時点で、同型の術師が多少増えようともさして変らないのは分かっていた。

 そもそも東堂葵は、とんでもなく名の知れた術師である。つい昨年から爆発的に名が広がった与幸吉や、特級ではあったものの、渋谷事変まで戦果が知られず最強に次ぐ者という呼称だけが一人歩きしていた天童大地よりよほど。そんな彼が、弱いわけがない。

 

(かといってなあ)

 

 大分だれてきた意識を、引き締めるのも難しくうめく。この戦いには全く“熱”を感じない。

 これを倒す手段はいくつもないし、どれも現実的ではない。そもそも一番やりやすいのが、周囲の呪力が枯渇するまで叩き潰すなのだから相当だった。

 かといって無視すれば、始まるのは大虐殺。結界(コロニー)間を渡る知能が無いと、誰にも言い切れないのだから。天童大地なり乙骨憂太なりと接触するまで放置というのは、別の意味で怖い。

 そもそも移動の理屈が死滅回游の機能に依存しすぎており、圧倒的にデータが不足していた。

 さすがにこちらが先に体力を切らす事はないだろう。そのうち京都攻略組がやってくるため、交代で休めるようになる。というか、やってくいるのは棘だけでいい。呪言はひたすらこいつに刺さる。あくまで大阪城結界(コロニー)に滞留する呪力が、これ以上増えないという前提だが。

 ただ、決着がつくまで下手したら数日というのは。なんというか、こう、ひたすらに面倒くさい。

 正直に言って、現時点では金次のやる気が尽きかねない事こそ一番の問題だった。

 秤金次は自他共に認める気分屋である。それこそ相方であり最大の理解者でもある星綺羅羅にも、頻繁に呆れられる有様だ。

 

「はぁーっはっはっはっはっはっはっ!」

 

 と、馬鹿笑いが響く。

 遠くまで殴り飛ばされていた葵が戻ってきたようだ。なんでだか分からないが、調子も取り戻している。むしろ最高潮のさらに上回っているのではないだろうか。

 まあこういう事は往々にしてある、と超絶気分屋の金次は納得した。自分だって、大当たりの気配がしただけでテンション爆上がりするのだし。

 彼は復帰すると、すぐ金次の近くに寄ってきた。

 

「秤よ、領域は使えるか?」

「あ? まあ使えるけど……」

 

 というか、金次は世にも珍しい領域展開に特化した術師と言っていい。才能と勘に任せた接近戦闘以外はおよそ三流と言っていい彼が、唯一得意な術である。

 領域展開を主力とする術師は少なくないが(というか領域展開を会得すれば、自然とそれが能力の最大値になるのだから当然だ)、金次ほど偏った人間は見たことがない。根本的に、結界術だってまともに使えず領域は張れるというのがおかしいのだ。

 ただし、才能に任せているが故の欠点は存在する。

 

「俺の領域に必殺の力がねえっていうのを抜いても、こいつは無理だぞ。そもそも領域内に収まらねえ」

 

 つまりこれだ。

 適性云々以前に能力不足なせいで、シンプルに結界が狭い。仮にこの巨体を収められる大きさがあったとしても、中へ引き寄せて飲み込めるほどの柔軟性がなかった。金次にとって領域展開とは、あくまで自分の能力を120パーセント引き出すためのものである。領域の中で倒そうという気など最初(ハナ)からない。

 

「構わん! 俺に合わせろ!」

「まあいいけど。どうなっても知らねえぞ」

 

 これだけでかい相手に領域展開を使ったことがないため、確たることは言えないが。多分無理に巻き込めば、領域の縁である結界が負けて壊れるだろうな、という予感があった。

 まあ金次は術式が使えずとも全く問題ない。葵も使っている様子がないため、少なくともこの相手には有効なものでないのだろう。試した所で損はないため、ひとまず乗っておく。何か作戦があるみたいだったし。

 

「「領域展開」」

 

 同時に漆黒の世界が広がった瞬間、金次はぎょっとした。

 

(なんだこれ……!?)

 

 秤金次が作る領域展開に、柔軟性は皆無だ。これは領域展開が元々そういう性質のものだからというのではなく、とりわけ融通が利かない。故に、今回も崩壊か不発で終わると思っていた。

 なのに目の前には、とてつもなく巨大な領域が構築されている。そしてなにより、金次の頭に領域の要項が流れ込んできた。

 金次の領域展開は、必中効果に術式の開示を混ぜ込むことで、術式と自分に対する性能向上(バフ)効果を底上げしている。問題なのは、根本的に開示必中には術者本人が含まれて()()()点だ。

 

「マジかこいつ!」

 

 引きつった目で葵を見た。自身の設定した必中効果で、嫌でも理解する。

 葵の領域展開は高嘉良田法愛乃式(たからでんほうあいのしき)。現代の領域展開必須要項である必殺どころか、必中の性能すらない領域だ。

 高嘉良田法愛乃式(たからでんほうあいのしき)の性能は、完全に他者へ依存する。その能力は、ざっくりと彼の術式を、認識しうる全てに適応するというものだった。つまり領域内に限り、内部にいる全員の術式をあべこべに張り替えられるという異次元のもの。

 これによって、事実上の術式を無条件に反射するといった事を可能にしていた。しかも、葵はただ何も考えず、術式対象を敵に集中しているわけではない。金次の領域が性能向上(バフ)型だと知った瞬間、対象を呪霊から仲間へと切り替えた。恐らく金次の領域に術式開示が含まれていなければ気づけなかっただろう。一体どんな頭脳をしていたら、瞬きにも満たない合間にそんな判断と術式の操作ができるのか。

 驚くべきはそこだけではない。 

 葵の領域は性質上、普通は発生する押し合いを絶対にするべきではなかった。故に彼が考えたのは同調。相手の領域に迎合して、変幻自在に変化する。恐らく、現代だけではなく、歴史上最も柔軟な領域ではないだろうか。

 ただでさえ結界の条件変更というのは難しい。ましてや領域の要件を、相手に合わせて自由自在に変えるなど聞いたこともなかった。

 

(バケモンだな)

 

 普通なら自滅して然るべき領域効果。ひたすらに柔軟で本来不可能な領域強度。その二つをこなしながらも、平然とした顔をしているのが東堂葵という男だ。

 間違いない、と断言する。彼は、こと領域展開というジャンルに限って言えば、五条悟をも凌駕する。

 葵は自分の領域が、どれほどの離れ業かを理解しているのだろうか。彼の宿儺は外縁のない領域を展開したと聞いたが、これもそれに勝るとも劣らない。

 

「俄然――熱いぜ」

 

 腹の中心で、熱が爆発するのを感じた。これで燃えなきゃ男ではない。

 同時に、大当たりの予感を感じた。

 金次の領域、坐殺博徒は、ざっくり言えばパチンコだ。パチンコの結果を現実に適用する。運は実力で引き寄せるものという主義を持つ金次にとって、この大当たりは葵が当てたものという認識だった。

 この運に全力で乗る。坐殺博徒の真骨頂である4分11秒が始まった。制限時間内に限り、無限の呪力と自動反転術式が入る、擬似的な不死身。本来金次しか入れないはずのそこへ、三人が突入する。

 無敵状態へ入った坐殺博徒最大の長所は何か。それは、無限の呪力でも常時反転術式の体でもないと金次は考えている。

 答えは、パフォーマンスの最大値化。いついかなる時でも、あらゆるステイタスを最高潮の地点へ持って行ける事だ。これに比べれば、時間制限ありで尽きない呪力や、ちょっと高度な反転術式などおまけ同然だろう。

 当たりさえ引けば、いつでも最大の強さを引き出せる。この価値を、二人は即座に理解した。

 

「なん……だこれ! 黒閃の直後みてえ!」

「ほう、素晴らしい感覚だ。秤の強さを支えていたのはこれだったか」

「理解が早くて助かる。この全能感は癖になるぜ」

 

 自信は、時にどんな才能より力を与えてくれる。特にこういった、倒せる気がしない化け物を前にした時は重要だ。

 迷わず全力で叩き潰す。言葉ほど簡単ではないし、相手がこれだけ大きければそれだけで恐怖心は生まれた。が、ただのがむしゃらが最良の結果を出す事だってある。

 三人が同時に、強く拳を固めた。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラアラ!」

 

 悠仁の極端に整然とした乱打が。

 

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」

 

 葵の荒々しい中にも確かな技術が見える連打が。

 

「ドラララララララララララララララララ!」

 

 金次の理論を無視した純然たる暴力が。

 まるで怪獣の体など存在しないかのように抉っていく。その勢いたるや、圧倒的な回復力を持つ30メートル級の呪霊に、たかだか2メートル足らずの人間三人が入り込んでなお、復元が間に合わない程だった。

 巨獣の体が、初めて苦しげに軋む。体内に入り込んだ異物を触手が排除しようとして、しかし自らの生命力が邪魔をした。数十の腕は、傷口近くを撫で回すだけでしかない。

 三者は、決して示し合わせた訳ではない。そんな時間はなかった。おのおのが勝手に殴り込み、進んでいるだけ。だから、それはただの偶然だった。

 怪獣の弱点、というよりは“核心”だろうか。全員がそこへ、同時に到達した。

 “核心”は、触れて今までと違う感触があったわけではない。ただ、明確に呪力が乱れた。一瞬だけ中央へ呪力が収縮し、すぐに弾け飛ぶ。

 通常、呪霊が祓われる時は溶けるように消えるのだが。これが正規の呪霊ではない為か、それともあくまで術式という分類になるからか。呪力を四方八方に散らしながら、一瞬で解けた。

 

「おぅっ」

 

 いきなり足場が消えて、浮遊感を感じる。素早く呪力を噴射して、姿勢を制御した。といっても大した技術でもなく、呪力砲の出来損ないなのだが。

 落下途中、ふと近くを通るものに気がついた。咄嗟に手を伸ばして捕まえる。

 地面に降り立った後、掴んだものを確認した。金次は、うへぇ、と漏らしながら手放し、ついでに両手を(はた)く。

 

「どうした?」

「変なもん拾っちまった」

 

 落としたのは、一言で言えば人形だ。全長は一般的な成人男性より頭一つは小さく、体積で言えば三回りは小さい、つまりは骨と皮しかないような姿。端的に言えばミイラだ。重量も外見相応しかない。

 かつて久座沼という名だった游者(プレイヤー)のなれの果てだった。

 

「分不相応な力を使った奴の末路だな。いや、無理矢理外からねじ込まれたんだから、哀れっつうべきか」

 

 もっとも、金次にはそれで同情するほど殊勝な心は持っていない。どうした所で、自分が制御できない力を行使したのが悪いのだから。

 悠仁も合流し、程なくして響いていた音楽が消える。どうでもいいが、三重に重なるパチスロのテーマソングは微妙に鬱陶しかった。

 彼は転がる遺体を確認し、少しだけ眉尻を下げていた。

 

「助けられなかったのか……」

「傲慢な事抜かすな」

 

 阿呆を吐く悠仁に対し、短く頭を叩く。

 命を奪う側が奪われる事もある。これはそれだけの話だ。それ以上でも以下でもない。ましてや誰の責任でも。ただ世界の本質として、そうであるというだけ。

 勝手に命を背負おうなど、それこそ五条悟でもなければできない話だ。

 

「大阪もこれで終わりだな。さて! 俺は高田ちゃんのところへ行く!」

「高田ちゃん? 何が? なんで?」

 

 悠仁が首をかしげて問う。金次も当然、意味不明だった。

 

「ふ……これから高田ちゃんに投げキッスを貰うのだ。ではな」

「何言ってんだこいつ?」

「さあ……? 妄想なんじゃない、としか。いや、東堂が言うとただの妄想じゃない可能性もあるのは怖いけど」

 

 金次達がなんとも言えない表情を作っている内に、葵はとっとと去ってしまった。

 残りは丸投げかよ。そんな事を思ったが、まあどうせ残った仕事などたかが知れている。どうでもいいか、と好きにさせることにした。

 怪獣が消えたことで、人の気配もちらほら見え始めている。余計な游者(プレイヤー)がやってこなければ、大阪城結界(コロニー)も今日中には安定するだろう。

 金次は体をほぐすように伸ばした。

 過去最大の呪術テロ。それは渋谷事変で終わりではなく、まだ陸続きになっている。参戦するというには盛大に出遅れていたが……参加一発目の戦果としては悪くない。そう考えて、金次は満足した。

 

 

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