だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
日下部篤也は所在なさげに、飴をなめていた。頻繁に貧乏揺すりをしているし、手はどうしたって刀の柄から離れない。正直に言って、この次元の戦いに一級術師など障害物にすらならないと思っていたが、それで退散できるものでもなかった。
彼は、正式に呪術高専東京校の学長となった。決戦の日取りが決まるまでは、ほとんど机にかじりついていたが……事ここに至っては、デスクワークも糞もない。優秀な術者の一人という事で、前線(と言っていい位置かは分からないが)にかり出されている。
「おい、いい加減落ち着きがなさ過ぎるぞ。鬱陶しい」
と、じろりと睨まれる。
呪術師は基本的に、二、三人に一人が組まされている。そうしないと、宿儺や羂索相手には時間稼ぎにもならないと判断された為だ(正直彼はこれでも全く足りないと思っている。が、人数の割に土地が広大なのだから仕方ない)。そして、篤也が組まされたのは脹相。すでに誰も裏切るとは考えていないが、まあ念のためという奴である。
ちなみに脹相は、悠仁と組めなかったので不満たらたらだ。組む事になった葵が無自覚に煽ったのも一因だろう。
「そうは言ってもよお……」
我ながら情けない声を出すな、と思いながら、篤也。
怪獣大決戦を特等席で、と言えば聞こえだけはいいものの。実態は、何かあったとき真っ先に死ねと言われているのだ。落ち着きだってなくなろうというもの。
目の前にはバッテリー式の小さなディスプレイがあり、そこに二画面が写されている。つまり、大地対宿儺と悟対羂索が。
これは幸吉が、甲府市近辺に飛ばしたおよそ150台の傀儡によって撮影されている。何かあった時に即応できるようという名目だが、当然気休め未満。
映像は呪術師だけでなく、日本政府や、果ては各国まで流されている。日本を実際に崩壊させてみせた術者がいる以上、誰にとっても他人事ではない。変な野心を牽制するという意味もあるだろうが……そういったものは全て、勝てればの話だ。
ちなみに画面の編成は生き残ったテレビ局員が行っている。無駄にたくましい。
「どうしたって怖ぇだろ、こんなもん」
「尊厳を犯される事こそが真の恐怖だ。それに比べれば、身の危険など些末」
ばっさり言ってのける脹相に、反論など有ろう筈もない。150年もの長きにわたって、屈辱を耐えてきた男だ。説得力が違う。
(こういう覚悟がキマってる奴は相手しづらいんだよなぁ)
ひっそりとぼやいた。
篤也は強くはあるが、優れてはいない。誰に何と言われようと、これが彼の自己評価だ。当然、中身も相応の小市民だし、命を懸けるには相応の理由と大きな覚悟が必要だ。想いであったり主義主張であったり、そういったものに命を捧げられるのは決して当たり前ではない。当然の様に実行している者が多いため、忘れれられがちになる。
おかしいなあ、と篤也は首をひねった。
呪術師とはもっとこう、クズでどうしようもない人間の集まりだったのに。なんでこう、使命感らしき何かに燃えている奴が増えたのか。
「しかし、おかしいな」
「あん? そりゃあ宿儺に指を戻すなんて馬鹿のする事だけどよ。現実強度つったか? とにかくそいつが、天童の極ノ番を超えてたんだからしゃーねーべ」
「違う。羂索の方だ」
指摘され、視線を動かす。
そちらも、まだ戦いは始まっていない。ただの睨み合いだ。
「何がだ?」
「今の体はどう高めに見繕っても夏油傑より劣る。どれだけ術式が優れていようと、この呪力差は致命的だ」
「そうだな。何か考えはあるんだろうが」
確認するまでもなく、今の羂索は、少し前より数段弱かった。どの程度かと言えば、篤也でもワンチャンなんとかなるのでは、と思える程度には。
どれだけ呪力制御に優れていようと、悟を超えることはあり得ない。その上で桁が一つ違うのではと思える呪力量の差は、工夫を凝らした程度では覆しようがなかった。少なくとも篤也やら、即座に降参している。
「術式が無下限呪術のメタを張ってる、とか」
「あり得なくはない」
もっとも、それで勝てるなら五条悟は最強と言われていない。その上で、彼を超える基礎能力があってこそ打倒する可能性が生まれるのだ。例えば、基礎の極みたる天童大地みたいに。
最初から宿儺の救援を当てにしているのだろうか、とも思うが。さすがにそこまで馬鹿な話はないだろう。
映像からは、一応音声も入ってくる。とは言ってもピンマイクを仕込んでいる訳ではなく、周囲に雑音も多いのだ。聞こえる会話は断片的だった。ほとんどを想像で補完するしかない。
いくらか話した後、羂索が掌印を組む。
させまいと悟が何らかの攻撃をしたのだろう。だろう、となってしまうのは、無下限呪術は基本的に不可視で、見えないからだ。だが、それは届かなかった。
「何だ? 羂索のヤロウ、何をした?」
「分からん」
羂索の体が歪む。というか、別人へと作り変わっていく。術式の視覚効果と同じで、印を組んだ時点ですでに術は成立していたのだろう。
「なんだこりゃ。受肉時のナンタラ効果ってやつか?」
「違う。あれは術式とは別の……なんと言えばいいのか、ただの反応だ。それに、羂索は物理的に肉体を奪っている。そもそも受肉反応自体を起こすことができない」
じゃあ目の前のこれは何だよ、と喉元まで出かかったが、堪えた。脹相に文句を言うのは、ただの八つ当たり。
悟は警戒しつつも、距離は開けなかった。
悟曰く、無下限呪術は攻撃能力がやたら低い代わりに、防御法はない。それこそ物理的強度で耐えることだって不可能だ(だから大地は意味不明な存在なのだが、それはさておき)。故に、避けるではなく無力化されたのは、初めての経験だろう。警戒心を強めている。
多分だが、悟は何もしてないように見えて、本当に突っ立っている訳ではない。不可視の術式で妨害をしている。それでも何もないように見えるのは、単に羂索がものともしていないだけ。
変化を終えて現れた姿――正確に言えば顔に、篤也と脹相は二人揃って眉をひそめた。
「こりゃあ……」
「五条悟、か?」
とは口に出すものの。言うほど似ているわけではなかった。せいぜい面影があるといった程度だろう。並んでいなければ特に気にならないし、それも親戚かも知れない、といった程度には遠い。
だが。
どこか悟に似ているのは、ただの偶然ではない。そう、誰もが感じていた。
目の前の男を睨みながら、悟は静かに佇む。
これと言って特徴がある訳ではない。傑のように膨大な呪力を持つわけでなければ、顔立ちや服装に至るまで、全て平凡。何もかも、特筆すべき点はなかった。
無論、警戒はしている。
あまり自覚はないが、どうも悟は搦め手に弱い傾向があるらしい。否定はしたいものの、伏黒甚爾と羂索、二度にわたって後れを取れば、さすがに否定はできなかった。苦い思い出だ。
「随分冴えない奴になったじゃん」
「はは、夏油傑に比べればね」
相変わらずにこやかな表情の羂索。当たり前のように、顔から意図は読めない。
さて、と、悟られないように周囲を警戒した。近くに仕込みはない、と思う。元々、避難誘導の為に自衛隊やらが頻繁に出入りしていたのだ。その上、補助監督を自衛隊に扮させてもいた。さすがに、どこにどれだけあるか分からない目を、全てかいくぐるのは無理だ。
「お前には随分してやられたからね。ここで全部お返しさせてもらうよ」
「それは怖いなあ」
少しばかり脅しに呪力を高めるが、やはりぴくりともしない。彼我の差を考えれば、絶対に無視できないものだろうに。
「随分と余裕じゃん」
「どうだろうね。開き直っているだけかもよ」
「そんなタマかよ」
つばを吐き捨てる。
(さて……案外やりにくい相手なんだよなあ)
悠然と構えたままの羂索を見ながら、密かに考える。
(ここに出てきたって事は、逆説的に宿儺でも僕達二人同時には勝ち目がないって思ったから。かといって、こいつ程度でどっちかに勝てるとまでは驕ってないはず。強い方を基準に考えるとして……僕相手でも時間稼ぎならできると踏んだ)
五条悟が、六眼と無下限呪術のない状態で五条悟に挑むと仮定して。正直に言って、遅延戦術すら難しい。
肉体を乗り換えたということは、少なくとも一つ、ストックしていた呪術を放棄している筈だ。日本を火山頭でひっくり返す為、呪霊操術はギリギリまで持っていただろう。となると、切り札としてとっておいた術式を放棄した。
見たことのない顔なのだから、知っている術式は持っていない。六眼を恐れるならば、悟の知らない術式である可能性が高い。
1000年という途方もない時間と、その間に蓄積した知識。馬鹿にすることは出来ない。最低でも、こちらが考えたこともない運用をする。
(でも、まあ。やってみなきゃ始まらないよね)
いったん思考を棚上げした。それこそ、矛を交える前から考える事ではない。最低でも、術式を直視してから悩む事だ。
「ぼさっとしてるね。そんなんじゃ、すぐ死んじゃうよ?」
「いつでもどうぞ。こちらは準備できてるんだ」
舐めた表情で、舐めた返答。つくづく気に入らない奴。
(まずは小手調べ)
これで術式を明かせるなら上々。そうでなくとも、どう対処するかが見られる。
身動きどころか視線一つ動かさないまま、“蒼”を発動。それより一瞬前、羂索が掌印を組んだ。やはりどうやってか、呪力の動きを感じ取れている。六眼によって呪力の動きが極端に繊細な悟のそれを感じ取れたのは、今までに大地しかいないのに。
発生した収束の無限が羂索を押し潰そうとして――しかしある地点で、いきなり消え去った。
「――――!?」
ぎょっとする。今まで無限を扱ってきて、見たことのない反応だった。
大地と戦ってきた時は、力尽くで無理矢理引きちぎられたり、殴り飛ばされたりというのは経験してきた。いや、言っている自分でも、無限を殴るとか大分意味不明だが。とにかく、無下限呪術は無敵の術式ではない。ともかく、萎むように消える感覚というのは初めてだ。
術式を乱されたのでも解体されたのでもない。これはまるで……
(いや、あり得ない)
そう断言する。実行するには、クリアすべき関門が多すぎるのだから。
だが、その思考こそを否定した。
(仮に可能だとしたら。なるほど、クソ生意気な態度も頷ける)
羂索の肉体が変化する間も、いくらか攻撃を打ち込むが。やはりどれも、無力化された。
悟は、すぐ無意味な手出しを止める。確認を終えた以上はただの浪費だし、変化の途上を攻撃するのも意味がない。外見的には変化する途上であっても、呪術的には、すでに変容を終えているのだ。
受肉体の変化に比べればかなりゆっくりした速度で、羂索の体が別のものになった。
その姿を見て、悟は安く笑った。
「なんだよ、俺の真似か? どんだけ僕が好きなんだよ」
170センチほどだった身長から20センチほども伸びた上背。銀色の髪。体つきは悟より、大分筋肉質だ。体格が多少歪に見えてしまうのは、現代スポーツ力学とは着眼点の違う筋肉の付け方だからか。つまり、ああ見えて実用的。
「因縁と言うべきなのかな」
声色まで完全に変わっている。羂索はあくまでも穏やかな表情で、自分の胸に手を置いた。
「この体はね、五条悟なんだよ」
「んなわけねーだろ。キッショ」
「いいや、五条悟さ。ただし500年前に、私の野望を打ち砕いた……ね。彼もまた、六眼と無下限呪術の抱き合わせだった」
やっぱりか、と悟は内心うなる。
奇妙な感覚は、無限を無限で相殺されたから。だから、消されるのではなく、勝手に治まって消えるように思えた。同じく無限を扱えつつ、呪力を最小単位で制御できなければあり得ない現象。
加えて、肉体の変化もあるならば。
「イタコか」
「正解」
魂魄憑術という言い方が一般的だろう。分類的には呪術よりも、巫術の方が近い。
最強になれないなら、最強を呼び出す。なんともまあ、分かりやすいやり方だ。
五条悟に勝つのではなく負けない。そんな風に考えているのであれば、確かに悪くないやり方だ。非常に気にくわないが。ひたすら気色悪いし。
ネタが割れたならば、もう探る所はない。それこそ、危惧するような内容でもなかった。もし悟と同じ手札を持っているからといって、匹敵できるだなどと思われているのならば……
「まーあ、舐められたもんだよね」
無下限を利用した瞬間移動。一瞬で羂索の懐へ潜り込み、同時に脇腹へと蹴りを見舞ってやった。
打撃を使うときの常套手段、術式反転“赫”による常時カウンターは発動しない。そちらだけは対処されるだろうと思ったからだ。とはいえ、ただ呪力制御を高めた打撃だとしても。それだけで特級呪霊の上澄みを祓える程の威力を持つ。忘れられがちだが、現代では大地に続き二番目の打撃力があるのだ。
羂索は、六眼の性能が手伝って反応だけはしていた。ただし、絶望的に行動が追いつかない。視線だけは追えていたが、それだけ。腕を挟み込む間もなく、真横に吹き飛ばされた。
「おっそ。よっわ。いい武器持ったからって自分まで強くなった気でいるからそうなるんだよ。六眼はね、あるだけで何でも出来るほど便利なものじゃねーんだよ」
「ぎ……は。これほど、かい」
悶絶して腹を抑える羂索。額にはすでに、脂汗が流れている。
根本的に分かっていない。五条悟を、ではなく天童大地を。
彼との殴り合いは、才能に任せていては成立しなかった。故に、一番伸ばしやすい反応速度を鍛えたのだ。初めて大地に一撃を入れられた頃の話である。ちなみにこの修行は、「こんなんどうやった所でアイツとの殴り合いに勝てるわけないじゃん」と悟るまで続いた。
ただし、大地には通じないというだけで、努力は無駄ではなかった。以前とは近接戦闘能力が劇的に向上しているし、なにより、獄門疆内の時間が彼をさらに強くした。
確かに六眼は強力だ。持てば誰でも強くなれる。ただしそれは、六眼さえあれば五条悟になれるという事を意味しない。もしその程度ならば、最強の看板はとっくに大地へと移っている。
「ひとまず、無下限がなければ僕に対抗できるっていう甘ったれた考えを是正してやるよ」
今度は瞬間移動ではなく、ただ素早く動いただけで接近。しかし、これにも反応しきれない。
中段突きが腹に突き刺さり、羂索の体が持ち上がった。
「ま、そのまま死ぬかもしれないけど」
下がった頭に、左裏拳。これは受けられる。というよりも、受けさせた。
本命のアッパー気味右拳が、鼻っ柱を突き刺す。羂索が鼻血をまき散らしながら仰け反った。すかさず放った前蹴りが、みぞおちに吸い込まれる。
追撃が届く前に、無下限による逃走を図ろうとして……しかし同じく無下限でそれを無力化し、肘の打ち下ろしで地面に叩き付けた。馬乗りになる前に地面を思い切りまくり上げられる、これは無理に相殺せず回避。爆破に自分ごと巻き込もうとするのと同時、手を伸ばして引きずり込もうとするのが見えていた。わざわざ思い通りに展開に持っていってやる事はない。
すぐ立ち上がり、距離を置こうとした羂索を牽制する。この短時間で反転術式を成立させるのはさすがと言える。これに限って言えば、彼は悟より上だった。
だが。
(結果ほどのスペック差はないんだよな)
ここまでは、上手く噛み合いすぎたと言える。体を羂索が持て余しているというのもあるだろうけど。
いずれ修正してくるだろう。そのいずれが来る前に決めるのが理想だ。
(力は多分、ややあっちの方が上。速度は互角、呪力量もほぼ同じ。術式への解釈もあっちの方が圧倒的に上だと仮定して、それでも一方的なのは、やはり練度の差。年期は簡単に覆せない……っていうのは一般基準の話だね。山ほど体を乗り換えてるこいつに、そういうのは期待しない方がいい)
どのタイミングでどの程度対応してくるにせよ、最大の好機は今。厄介なのは、やたらに頑丈な肉体だけ。
とっとと殺すならば、相殺使用のない接触状態で“蒼”を頭に叩き付けるあたりか。今の調子ならさほど難しい事ではない。
すぐに終わらせようと握った拳を、しかし解く。
理論的な理由があるわけではない。全くの勘だ。極めて大雑把な話だが、これ以上踏み込んではいけないという警報が鳴ったのだ。大地の懐へ踏み込む時に必要な覚悟とはまた別種の、得体の知れないものが。
「嫌になっちゃうくらい勘がいいなあ。ほんと君、何ならできないの?」
血を塗りたくった顔で、軽薄に笑う羂索。踏み込むべき時に踏み込めない事に、悟は小さく戸惑った。
「まあ、なんとか生き残れたんだ。ここまではギリギリ私の判定勝ちかな」
呟き、羂索が右手を掲げて。
「広がり満ちろ。世界の果てまで届くがいい」
羂索の体から、光の帯が溢れて広がった。