だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
これは天童大地に限らず、東堂葵や七海建人、日下部篤也と言った者もそうなのだが。この次元の戦いになると、呼吸一つとっても意味がある。いや、逆か。呼吸の方法一つとっても、失敗すれば死ぬ。
大地と宿儺の戦いは、状況が変わったと言えばそうだし、何も変わらないと言ってもまた間違いではない。
強い忍耐が要求される駆け引きの時間。どちらが先に手札を切らされるかの我慢比べ。
宿儺――というか御廚子――の手札は、文献に曰く一定していない。宿儺と同じように斬撃という記録があれば、炎を出したという情報も出てくる。実のところ、現代にもこれから枝分かれしたと思われる術式は覆い。七海建人の十劃呪法もその一つだ。
瞬間移動に偽装していた時間停止は、すでに感付かれている。ただし、どの程度の精度や持続時間までかは分からないはずだ。相手の予想を大きく外れてもいないだろうが。
加えて、極ノ番。こちらは触れれば発動程度は分かるだろうが、詳細まで推察するのは難しい。流石に時間停止と同時に使えないとは知られているだろうとは思う。問題はそれがどの程度か。相手はこれを、喉から手が出るほど知りたい筈。
先手を取りたい。故に、先制できない。そんなジレンマの削り合いを行っていた。
(まあ、根負けするのは確実に俺だが)
宿儺の呪力量は、大地の三倍以上。あらゆる能力を最高に近い効率で回していると言っても、流石にこれだけ差があればどうしようもない。
つまり、いつ時間停止を発動するかという問題だ。
(仕掛ける瞬間、宿儺は必ずカウンターを放ってくる。それも、俺の思いも寄らない形で)
それが何かという楽しみとは別問題で。一撃が致命的である可能性も考えなければならない。迂闊な踏み込みをするべきではなかった。
面倒だと思う反面、それが楽しい。これが命の駆け引きの妙。百戦錬磨同士でしか味わえない感覚。敵の一挙一動に神経を削る、宿儺が相手でなければ味わうことの出来なかった戦い。ならば、全てを飲み込まなければ損というもの。
宿儺は刻一刻と進化している。
一言で言えば、重くなった。
変な表現になるが、宿儺の斬撃は、危険はあっても脅威はなかった。
切れ味が恐ろしく鋭い。呪術師のなかでもぶっちぎりの肉体強度を持つ大地ですら、気を抜けば斬られてしまうほどに。反面、攻撃には質量をほとんど感じさせなかった。これは、通常の切断とは別のロジックで機能しており、重さは重要なファクターではないからだろう。同じように、一度切断力に対抗できれば、砕くのもそう難しくはなかった。
しかし今の斬撃は、強度と重さを重視している。早い話、攻撃そのものの危険性が下がった代わりに、一撃一撃で押し飛ばされるようになった。
「なら次は」
当然、切れ味重視と押し戻し重視の複合。並列して行われる、呪力操作による隠蔽。それこそ一発たりとて同じものはないと言えるほど。
やることは変わらない。見抜いて、必要なものを叩き潰す。相手の技が高度化したからといって、基礎は違えない。
あらゆる物事に近道はあるか。答えは否だ。
一瞬、一度限りであれば、それで上手く行くとこもあるだろう。しかし成功し続けるには――つまり強者であるならば。必要なのは必殺の技でも冴えた発想でもない。過分と言えるほどに積み重ねてきた基礎。それのみ。だから五条悟に次ぐほど呪力制御を高め、彼を上回るほどの呪力感知能力を得た。
実際、宿儺の斬撃を見極め、精密に呪力を流して防御する方法は大地にしかできないと思っている。まあ、悟にはいらないと言ってしまえばそれまでだが。
傷を受ける機会は増え、宿儺に接近するのも難しくなった。しかしそれは、大地が不利になったという訳ではない。
「やることが多くて大変だな、宿儺」
彼の顔を見る。目から血が流れていた。当然、殴られた為に発生したものではない。
「行動が限界を超え始めているぞ」
呪力は腹で生み出し頭で回す。これは実際に呪力が腹から発生しているという訳ではなく、初心者向けのコツみたいなものだ。そうすると呪力の運用を掴みやすくなる。ただ、脳で逐一制御しなければならないという点に関しては、どの程度習熟していようと共通していた。
不慣れな術式の行使。本来放てば当たる攻撃を、当てるために全ての刃を支配下に置いて操っている。その上で特性まで調整し始めたのだから、脳が悲鳴を上げるのも当然だった。
「貴様こそ、随分と賑やかな姿になったな」
対し、大地が行っているのは、あくまでいつも通りの延長上。精度こそ桁違いだが、慣れた行為であるのは変わりない。
そのため、と言うべきだろうか。斬撃は着実に命中しており、飛び散った血液が体を斑に染めている。その度に反転術式を行っているのだ。ただでさえ負けている呪力量、さらに減るペースまで宿儺を上回っていた。
(懐かしいな)
小さく笑った。反転術式を憶えたての頃、体を壊しては治すという事を繰り返した。あの経験も、今の大地を作る一助になっているのだろう。
両者はすでに、未知の領域に足を踏み入れている。知っているはずの限界は、すでに霞の中へと消えていた。どこで潰れるか、本人にも分からない。
下手にバランスを崩せば一気に喰われる。もしくは、あっさりと喰えるかも知れない。何も分からないからこそ、バランスを崩した時、有利な位置にいるための陣取りだ。
じっくりとした睨み合いだったからこそ、盤面を崩す者は外からやってくると、共に予想はしていた。
三方向からやってくるのは、それぞれ強烈な存在感を発している式神。『八握剣異戒神将魔虚羅』、『龍』、そしてドルゥヴ・ラクダワラの『
存在を確認して小さく舌打ちした、のは宿儺だけではなかった。
介入に腹を立てた訳ではない。事前に分かっていたこと、元からそうなる手はずであったし、その時が来れば利用しようと考えていた。
ただ、間が悪い。
今の天秤は、僅かにだが宿儺に傾いていた。勝負を決めるには至らないタイミングだ。文句を付けても仕方の無い事ではあるが、もどかしくはあった。
「無駄ァァ!」
それでも一応、攻撃は試みる。やはりと言うべきか、あっさりと斬撃に押しとどめられた。その間に、宿儺が距離を大きく開ける。
時を止めてでも追撃すべき。そう思ったが、宿儺の行動は実行するより早かった。
いや、正確には終わっても気付かなかったと言うべきか。ともかく全てが一瞬で始まり、そして予兆にも気付けず終わった、らしい。
なぜ分からなかったのにそこにだけは気付けたかと言うと、式神がいきなり反転したからだ。一体だけならばともかく三体同時にとなれば、宿儺を疑わない事こそ難しい。
「……くくっ」
宿儺が小さく、嬉しそうに笑った。
「やはり貴様には何も発生せんか」
「ということは、やはりお前が何かしたんだな。御廚子……ではない。別の何か」
「雑魚は捨てなければ進めん。強者は顧みぬ。振り返って得られる程度の力など、粗末なものなのだからな」
意味が分からない。
大地の反応など無視して、宿儺は訥々と続けた。
「なにより凡夫は過去に失ったものを惜しむ。その行為に何の意味すらないとすら気付かずにな。切り捨てたそれはやがて汚穢となり、色をくすませる。
「……何の話をしている?」
全く話が見えずに眉をひそめる。
大地の様子を見て、宿儺は満足げに笑った。まるで、お前はそれでいいとでも言うように。
「ただの余興だ。小鼠を追い払うだけのな。貴様にとっては、こちらの方が重要だろう」
宿儺の背後から、滲み出るように陽炎が生まれる。靄でしかなかったそれはやがて実態を生み出し、最終的に人型となった。造形は大地の式神と全く違いながら、しかしどこか共通点を思わせる。
「大呪縛」
「正解」
「なるほど、伏黒の十種影法術を写し取れていたのか」
「それも正鵠」
大呪縛については誰よりも理解している。考案者だなのだから当然だ。
大地は式神の生成方法を、ざっくりと三種類に分けた。至近距離直結型、遠距離間接接続型、術式運用型。
至近距離直結型は生得領域と式神を直接的に接続し、自分自身の延長として運用する。射程距離が短い代わりに術者以上の戦闘能力を得られた。逆に遠距離間接接続型は、基本的な戦力こそ術者並みかそれ以下になるが、代わりに術式の拡張および延長、場合によっては遠隔を得意とする。術式運用型が少々特殊で、式神と言うよりも自立行動する呪具と言った方が正しい。一度発動すると定められた機能しか果たせない代わりに、共有するのは生得術式のみのため、ダメージを共有することはない。
宿儺がこの中のどれとして大呪縛を施したか――というのは、実のところさして重要ではない。術式を二つ持つ者が片方だけに大呪縛を施した場合、どうなってしまうのか。
いくつか予想はついた。少なくともいい方――双方が干渉し合って共に弱体化――ではない事は分かるが。
(こういう時は、悪い予想が当たるんだよな)
宿儺の式神――鉄の体に赤と黄色の服を着たような姿の亜人が、宿儺から大きく距離を取っていく。軽く十メートル以上離れたという事は、至近距離直結型ではない。とりあえず、式神本体の攻撃能力はさほど高くはないと思っていいだろう。ただしそれは、恐らく何の救いにもならない。
式神の方が与しやすいと判断し、追おうとするが。宿儺の牽制により、それは叶わない。やがて十分に両者が距離を開けた所で……
「チィッ!」
予想通りの最悪、第二術式端末を利用した第一術式の多方面波状攻撃が始まる。
さすがにたまらず、大地も式神を出して対抗するが。流石に対応は難しかった。
そもそも手数が倍になっただけでも厄介極まりないのに、その上微妙に位置をずらしている。見たところ、式神の行動範囲が宿儺から50メートル低度でしかないため、本当に些細な差だが。御廚子相手に数ミリの誤差は、それこそ命を落としかねないほどに大きい。
仕方ない事ではあるが。隠している札の質、量共に宿儺が圧倒している。最終的には、より有効な札を持っているのはどちらかという話になるので、どうでもいいと言えばどうでもいい。
問題は。
(確実に時間停止対策は取られている。が、流石にタイミングまでは分かっていない――以前戦ったときは、最後の一回までわざと測らせなかった。必殺を期待できる状況以外じゃ見せたくなかったんだがな……)
押し切られる前に決断する。
狙うは式神。
遠距離間接接続型の弱点と言える機能がある。
そもそも大呪縛により発生した式神は、能力が全て本体基準だ。例えば大地のような至近距離直結型であれば、パワーとスピード、継続戦闘能力で大地を大きく上回り、精密動作だといくらか優れるといった程度。遠距離間接接続型なら、間違いなく使い手と同等かそれ以下だ。これは希望的観測ではなく、大呪縛のロジックとして上回ることができない。大呪縛の構造的な問題だ。
実際、宿儺の式神は、挙動という点で本体より数段劣る。術式の影響範囲と効果時間に力を引っ張られすぎて、式神にまでパワーが回らなかったのだろう。
宿儺としては期待したものと違うかも知れないが、こればかりは生得術式と同じく運次第なので仕方がない。
「
呪詞を唱える。ごく短時間ならば呪詞なしでも発動するが、長時間維持するにはこうする必要があった。
凍った時の中で、式神に対し、腹に一発、胸に一発、頭に一発、拳をお見舞いする。羂索の時は体の七割を破壊して殺したと思ったため、失敗してしまった。まさか脊髄を完全に破壊して生きている人間がいるとは思わなかったのだ。故に、今回は頭部まで完全に破壊する。
全て貫いたのを確認した後、時間停止を解除して。瞬間、式神の
威力は完全に集中している。貫く事はあっても、弾けることはない。ましてやそれが全身などと。
理由はすぐに知ることが出来た。
「破壊されていない……分解!」
「式神は悲しいほど弱かったが、いい面もあった。生半可では壊れない柔軟性だ」
大呪縛は、通常の生得術式と違う面がある。それは、ほんの僅かにだが、使い手の『願い』が反映されるという点だ。
もしかしたら宿儺は、対天童大地を最初から想定していたのかも知れない。『天童大地に殴られても壊れない式神』を願ったとしたら。静止した時の中で拳を叩き込み続けても、殺しきれない可能性がある。
そうでなくとも、彼にとっては、式神本体が強い必要など一つとしてない。元より御廚子は中長距離タイプ。絶対に壊れない術式の端末である事を望むのならば、この上ない機能だ。
式神自体の戦闘能力は低く、精密な動きもできない。ただし何をしても壊れず、ただひたすらに御廚子を活かす。
予想していたより遙かに大呪縛を理解しており、それ以上に――面白い。
「こういうサプライズがあるから、戦いは辞められない」
「嘯くか。だが、全くの同意だ。ああ、ついでに言っておこうか」
宿儺が式神をあごでしゃくる。
「別に、現代の法則に倣う必要もないのだが、俺はこれを
「多分だけど、それ皮肉だろ」
「分かっているではないか」
名称から察するに、第二術式は集団戦でかなり
余計な事に気を揉んでいても仕方が無い。全てを忘れて、再度宿儺に集中した。
『おい……! 誰か! 返事してくれ! 何がどうなってんだ!?』
通信機から、きゃんきゃんとわめく声が聞こえる。対宿儺・羂索包囲は軍用回線と呪的回線の二つが存在し、それぞれ独立して機能している。いざというときは全体に発信できるようになっており……つまり今も声が二重に聞こえているわけだ。それがなおさら鬱陶しい。
がんがんと鳴り響く頭を手で押さえながら、石流龍は答えた。
「うるせェな、聞こえてるよ」
『あっ、よかった! マジよかった! 全滅してるのかと思ってめっちゃ焦ったよ!』
「てかお前誰だ?」
『俺、虎杖悠仁。もう一人は東堂』
誰だったか、としばし考えて。そういえば、宿儺の器がそんな名前だったかと思い出した。
正直、今となっては全く価値のない情報である。
「どうって、逆にどういう事だよ」
『いや、なんて言うかさ。気付いたら周囲で戦ってるみたいな気配があって、本部に連絡したけどそっちも繋がらないし。で、仕方なく全体に飛ばしたんだ。ええと、アンタ……』
「石流龍」
『そか。んで、石流が最初に返答してくれた』
つまりそれなりに妙な事態という訳だ。
情報を纏めようとして、しかし頭が回らない。脳の中に膿が溜まっているようなだるさは、呪力の急激な低下特有のものである。思考はそうそうに諦めて、思いつく端から口にした。
「ざっくり言うと敵が出てきたんだよ」
『敵……って、誰? 呪霊?』
「いや、俺」
『は?』
間抜けな返事が返ってくる。
気持ちは分かる、と龍は思った。自分だって、同じ事を言われたら、同じような返事をする自信があった。
「俺って言っても、過去の俺だ」
『それって……』
「呪物になる前のだな。多分、他の二人も同じだ」
生まれた年代が違うため、正確な事は言えないが。龍にとっては、懐かしいような、ついこの前のような気分だった、
着崩した小袖に袴といった、少々行儀の悪い装い。ここだけはという拘りで、しっかり手入れしていた髷。ご丁寧に伊達で下げていた刀まで差していた。当たり前のように、強さも再現されていたのだが……
正直、現れる場所が悪かったとしか言い様がない。
龍のチームは、仙台にいた人間で固められている。つまり残りは烏鷺亨子とドルゥヴ・ラクダワラ。それぞれ得手不得手がはっきりしていたので、致命的な相手と戦った。
そして、たまたま最初に勝ったのが龍というだけである。
救援に入ろうとは思わない。戦力が増えるよりも、下手に干渉して戦略が崩れる方が痛いと判断したためだ。横やりは危険になった時だけでいい。幸いにも、龍の得意とする戦い方は、距離を開けた状態から即干渉するのに向いている。
『もしかして、受肉タイプの
「用途が限定的すぎるだろ。それに、本部と連絡がつかない理由にもならない」
『じゃあなんで、俺のとこは何も起きないんだろ』
「俺に言われてもな。術者……誰だかは知らないが、そいつに聞いてくれ」
とにかく発動条件が分からない以上、何を言える訳でもない。
短い沈黙の後、悠仁が伺うように聞いてきた。
『なあ、これって別の所へ救援に向かった方がいいのか?』
露骨すぎるほど、経験不足を露わにした質問。
ガキかよ、と呟きかけて、そういえば包囲に参加している者の何割かは本当に子供だったのを思い出す。
「辞めた方がいいだろうな。タイミングを見る限り、あっちの目的は式神をひっこませる事だ。この上包囲まで崩したら、いざという時に抑えきれねえ。崩れてない戦力があるってのは、それだけでプレッシャーになる」
例え逆方面から逃げればいいだけだとしても、ないよりはマシだろう。それこそ、現状の戦力をどこに投入しても意味がなさそうならばなおさら。
根本的に、この包囲とて苦し紛れという事を忘れてはいけない。
宿儺に対抗できる戦力があの二人だけという判断がどれだけ正しいかは、山梨県の惨状が証明している。遠巻きにうろつくだけで危険とあっては、なおさら下手に動かない方がいい。
『クソッ! もどかしいな!』
「それほど心配する必要はねえだろ。所詮は過去の自分だ。苦戦する事はあっても、負ける事はまずない」
『そうかな……』
とりあえず悠仁を落ち着かせる言葉を吐く。どうやら失敗ではなかったようで、いくらか気勢は落ち着いたようだった。
ただし……と口の中だけで転がす。
この能力が、本当に過去の自分を呼び覚ますだけであれば。そんな言葉は、外に出さなかった。
それぞれ二時、四時、八時の方向。さらに外から何人かの気配もあるが、そちらは今のところ、意識しなくていい。
連携能力は……どうなのだろう。正直なところ、上等とも下等とも判断がつかない。まあどちらだろうと関係ないか。所詮出来損ないなのだから。三者の動きは欠伸が出るほどに鈍い。
囮として突っ込んできた正面の相手を、カウンターで頭を潰す。容赦はしない。本命だろう左斜め後ろの者から迫ってくる打拳を、腕に乗るような形で躱した。ついでに、肘をひねって壊しておく。浮いた体で、最後の一人の顎を蹴って割り、二人目の首をすれ違いざまにへし折れば、全て調理が完了。
着地をしながら手に着いた埃を払い、直哉は軽薄に笑った。
「はい終わり。やっぱカスはカスやな。群れへんと何もできん雑魚とかはよく聞くけど、群れてすら何もできんとか、ホンマ救いようがないわ。そこんとこどう思う?」
残った敵――と言っていいかは微妙な所だが――とにかくそんな連中が、とりとめの無い恨み節を吐いていた。控えめに言って、聞く価値がない。全て聞き流した。
「しかし兄さん方、俺が思っとったより遙かにポンコツやん。なんやねん今の。猿の阿波踊りか思ったわ。パパも草葉の陰で泣いとる」
自分の言葉に、くくっ、と小さく笑って肩をすくめた。
「いや、パパ死んでへんけどな。というか、兄さん達もいくらか死んでへん奴おるやん。どういう選定基準なん?」
聞いたところで、まともな答えは返ってこない。相変わらず、会話の成立しない恨み言を勝手に囁いている。
「正直言うと、
やれやれと、顔を伏せながらため息をつく。
視線を外したのを隙と取ったのだろう、一人が躍りかかってきた。直哉は、そう思える三流以下の思考に心底呆れながら、軽く躱して掌底を合わせた。衝撃が肋骨を貫通し、心臓が破裂する、面白くもなんともない感触。
ずるりと体が力をなくし、それから程なくして溶け落ちる。その様は、どこか呪霊の消失反応に似ていた。
「で、残りヘボ三匹。キミらはどないすんの?」
大した能力もない、無能としか言い様がない兄もどき三人。しかもそのうち一人は、術式すらない。
直哉が無能と呼んだのは、ただの烙印とは言いがたい。なにせ、彼らはふて腐れた。
ただの三流であれば、能力の上昇幅によっては術師として認めてやらないでもない。例えば真希のように。しかし、彼らは早々に努力を放棄した。
大地ほどの人間であっても、血の滲むような努力をしている。なのに、才能が無いと言い訳をしてそれすらしない者のなんと無価値な事か。持たざる者はがむしゃらになるしかない。なのに、あれこれと言い訳をして研鑽すら放棄した愚か者。そんな連中など、本物だろうが影だろうが、容赦するに値しなかった。
(しっかしまあ、ほんまめんどいわ)
数だけは多いので、無駄に時間がかかる。いっそ逃げるなり何なりしてくれれば楽なのだが。
残ったゴミクズを適当に相手しながら(向かってこないため一網打尽というのが難しい。投射呪法はあまり対対数に向いていないし)、周囲はどうなっているか確認した。
とりあえず、最重要の歌姫。彼女はそこらの岩陰に隠れている。理由は知らないが、彼女は襲われていなかった。とはいえ近づいたらどうなるかまでは分からないので、英断である。ざっくり実力を測ったところ、兄の中でも一番の雑魚であればなんとかできるかもしれない力を持っているが。まあ当然、無用なリスクを負うべきではない。
冥冥、こちらはどうやら、自分自身と戦っているようだ。ただし外見は大分若い。学生か、卒業してどれほども経たない頃といった位に見える。直哉の場合は兄で、冥冥は己の過去。呼び出される者には何かしら法則があるのだろうが、今のところつかめそうにない。
最後に父を見ようとして、振り向きかけたその時。
どん、と、背中に何かが当たるような感触がした。
「あんなあパパ、暴れるんもエエけどもうちょっと周り見て……」
言いながら、背中にのしかかるそれを振り払おうとして。思わず言葉を詰まらせた。
ぶつかってきたのは、大方父に吹き飛ばされた誰かだと思っていた。しかし、そこにいたのは。顔から血を流し、やや息を荒らげた父本人。
そして。直線上にいるのは、魔人――禪院甚爾。
「……こらあかんわ」
「手伝え馬鹿息子。俺一人には荷が重い」
「甚爾君相手やと一人でも二人でも変わらんやろ」
天与呪縛。先天的に“縛り”を結んで生まれてきた者の総称。正確に言えば、その中でも『自覚できる』レベルの者をそう呼ぶのであって、狭義の天与呪縛は現在知られているよりもっと多いだろう。呪術師の“縛り”という技術は、これを元に生まれた。
その中でもとびきりの存在が、禪院甚爾だ。呪力の一切から脱却した代わりに、物理のあらゆる束縛から解放されたような身体能力を持つ。それこそ半端物の禪院真希など比べものにならない。人呼んで、天与の暴君。
その実力は。恐らく、呪力を使わない大地ならば圧倒する程だろう。
勘違いする者も多いが、天童大地の力は呪力ありきではない。呪力のない状態でも、人間の限界値を超えた身体能力を持つ虎杖悠仁を軽くねじ伏せる極まった技量を持つ。それを制圧できる程の存在が禪院甚爾だ。
「甚爾君、若ない?」
「若いな。丁度、禪院家を出た頃か」
正確な年齢は分からないが、十代半ばといった所か。亡くなったのが三十路手前くらいだった筈。全盛期でないのは救いだろう。
呪的には全く価値のない、しかし生物的な恐怖を呼び起こさせられる圧力に身をさらされながら、直哉は呟いた。
「あー……こら今日が命日かも知らんな」
「馬鹿言ってんな。俺ぁ老衰で死ぬぞ」
「前は生涯現役とか言うてへんかった?」
「生涯現役で戦って老衰で死ぬのだ」
「とんちか? それともお脳の棺桶に片足つっこんどる?」
人生最後になるかもしれない軽口を叩きながら、二人は同時、真逆の方向に跳ねた。
甚爾はどっしりと構えている。これは油断ではなく余裕だ。彼の足は、その気になれば最大加速時の投射呪法に追いつく。当然、カウンターを叩き込むだけならもっと簡単だ。相手の気まぐれ一つで簡単に死ねる。
――無能共は分かっていない。術式の有無で、呪力のあるなしで、人のランクは変わる。持っていればいるほどいい。しかし、そんなものを鼻で笑う存在はいるのだ。一定ラインを超えてしまえば、持ち物の有無などまるで無意味。全てを嘲笑うが如き『本物』がいることを分かっていない。
禪院甚爾は『本物』だ。恐らく直哉に勝ち目があるとすればただ一つ……
「おい、先に言っておくぞ」
思考を遮るように、或いは読み取ったように、直毘人が声を掛けてくる。
ただでさえ音速以上の速度で走っているのだ。変な方向から聞こえてくる上に、異音でやたら聞き取りづらい。
「記録によると天与呪縛のフィジカルギフテッドに領域展開は効かんぞ」
「クソゲーやん。どないしたらええねん」
一番通じそうな手段が早速否定された。
他のあらゆる手段が、純粋なフィジカル差に潰されるのは分かっている。
(希望があるとするなら……甚爾君が若いって所やな)
いくら呪力がなく冷遇されていたいと言っても、禪院家直系。体術の訓練は御三家で一番積んでいる。とはいえ、十代半ばでは、まだ全ての技術を習得してはいまい。ましてや戦闘技能の習熟にはほど遠い。
さらに、肉体も成長途中であれば、肝心の身体能力がまだ完成しきっていない。未熟や粗はそこかしこにあるはずだ。
問題は、全てが理想通りに付け入ることが出来ても、まお負ける可能性の方が遙かに高い点か。
速度を落とさず二人は息を合わせ、すれ違いざまに三発を放る。
単に威力と言うなら、一秒間に24連打をする方が上なのだろう。ただしこれは、片手で対処される恐れがある。直哉と直毘人が対極から同時に放ったとして――予想でしかないが、勝負にもならない。ましてや足を止めれば、殺してくれと言っているようなものだ。
とてつもない破裂音は、衝撃波のせいか、それとも拳が甚爾に触れたからか。ただ、今の一当てで理解したのは、これは勝てないという事だった。
強さの次元が違う。できるのは時間稼ぎのみ。ということは、救援が期待できない以上、ここは遠からず皆殺しにされる。年が若い事などハンデにもなっていない。
(せやったら……!)
誰も知らない初見の技が、必殺であれと願う。これ以外にない。
それができるのは、余裕綽々になってこちらの攻撃を棒立ちでいなしている今だけ。
かつて直哉は大地と戦った時、完璧主義が徒となったと言われた。あれはぐうの音も出ない正論だった。しかし今となっては、それでよかったと思う。外から見た場合、普通の術式と極ノ番を見分けられないほどに迷彩できるようになったのだから。
再度の接近。右拳を放つ、というフェイクの裏に左鉤突き、と見せかけて下段足刀。を、捌かれる前提での極ノ番発動。接触したふくらはぎに待機させていた術式、それに呪力を流し込む。
「『
瞬間、甚爾の体が無茶苦茶に減し曲がる。全ての関節が連動せずに別方向へ折りたたまれ、筋肉が異様な収縮をする。
極ノ番『
通常の投射呪法が「先んじて設定した以外の動きをするとフリーズ」するのに対し、『
全ての筋肉を相反するように動くよう強要し、自壊させる。それが『
しかし。
その程度で膝を突くようなら、禪院甚爾は『暴君』と呼び称されなかっただろう。
気色の悪いうごめき方をしていた甚爾の体が、いきなり停止した。体が膨れ上がったかと思うと、ぎちぎちと音を立て、少しずつ元に戻していく。
「ウッソやろ!?」
「彼奴、術式の強制を力で無理矢理打ち破ったのか? つくづく、化け物よの」
――『本物』とは、凡夫の想像が及びつかない領域で生きている。
全ての楔をねじ切った甚爾が、にやけた面で、握りしめた拳を撃ち出した。
と、その時。急に、甚爾の瞳に理性の色が宿る。握っていた拳から力が消えた。いや、戸惑いで解けたというべきだろうか。
「あ……? なんだこの状況」
呟きが終えると同時に、びくん、と甚爾の体が跳ねた。
『
変化が終わった頃には、二十代後半――つまり彼が死んだ頃の年齢になっていた。今まではなかった唇の傷もできているから、生前をなぞっているのだろう。
「おいクソジジイ。どういう状況だこりゃ」
「誰がクソジジイだ糞小僧」
「あん?」
「おん?」
「この忙しい時にアホみたいな喧嘩せんでくれる?」
長引きそうな睨み合いを途中で止める。
と、甚爾が今初めて気付いたかのように、直哉へ視線を向けた。
「オメェは、あー……誰だっけ? なんか見たことある気はするんだが」
「甚爾君、俺の事憶えとったん? 禪院直哉、キミの従兄弟やで」
「……そういや本家でちょろちょろしてんの見た気がすんな」
彼の記憶に引っかかったのは、本当にたまたまだろう。なにせあの頃の直哉は、兄たちと比べてすら優越していると言えるほどの能力は持っていなかった。ましてや最後に見たのなど子供の頃なのだから、それこそ憶えられていたのは奇跡だ。
それでも憶えられていた事に、小さな優越感を感じる。やっぱり自分は、カス共とは違うと。
「んで、話を戻すけどよ」
甚爾は、あえて誰も意識しなかった方を親指で指した。
「ありゃどういう事だよ。ハリウッド映画の撮影か?」
あえて誰も意識しなかったが。そこでは、国を滅ぼす勢いで大地と宿儺が戦っている。
「時間が無いから省くが、ざっくり言うと今は決戦の最中だ。その途中で何故か貴様が現れて、何故かいきなり我を取り戻した」
「後半については心当たりがあるわ。大方、肉体の情報が強すぎて、術式……だかなんだかの情報が負けたって所だろ。たまにいるんだよな、天与呪縛がどういったものかを舐めてるやつ」
「いや、そんな事が起きるのは貴様だけだ」
「甚爾君、ほんまは人間ちゃうやろ」
どう考えても甚爾の理屈は意味不明だし間違っているが、雑で阿呆な彼にまともな考察など望むべくもない。何を聞いても、大体「肉体が勝った」と返ってくるだろう。
要所は押えるのに理由は求めないと言うか。まあそういう気楽さがあるからこそ、裏社会でやってこれたのだろうが。
あと、と甚爾が続ける。
「術式の方も、意識を取り戻した時になんとなくだが分かった。過去に『捨てた』という認識がある『人間』を呼び出す。そんな能力らしいぜ。俺の場合なら、クソジジイが十代の俺を『捨てた』と思ってるって事だな」
「あー、そういう絡繰りやったん」
だからクソ雑魚の兄達がわらわらと出てきたし、対象の生死は関係なかったのだ。
しかしまあ、発見ではあった。ごく希に『捨てざるをえないもの』は存在するし、その中に『光り輝く宝』がある。とはいえ今の禪院家ならば、当主大地の力で全ての意見をねじ伏せる事も可能なため、甚爾ほどの本物をわざわざ外に出す必要はないだろうが。
「あのー……」
ひたすら申し訳なさそうに、消え入りそうな声。物陰に隠れていた歌姫が、小さく顔を出している。
「もう出て行っていいんでしょうか?」
「ええよ。おいで」
ちょいちょいと手を振ると、恐る恐るといった、小動物のような様子で近寄ってくる。やたらに甚爾を警戒しているのは、今までの戦いを見ていたからだけではないように見えた。過去に接触があったとも思えないが……
そう言えば、彼女は五条悟と同時期に東京校に在籍していた。禪院――もとい伏黒甚爾を、直接見てはなくとも、悟伝いに聞いてくらいはいるだろう。ならば恐怖を理解しているのも頷ける。呪術師にとって、五条悟を殺しかけたというのは、どのような手段であっても恐れるに足るものだ。
そう言えば今更だが、どうも彼女は聞いていたより大分若い、というか幼い。外見が三十路を目前にした者のそれではなかった。流石に聞いていたのと身長差が20センチ近くあるのはおかしいと思うのだが……
まあクソ生意気なよりはいいか、とスルーした。
「
「え? あ、はい。それはもちろん……?」
どこか釈然としない様子の歌姫に、直哉は満足げに頷いた。
雑魚の男は救いようがない。が、女は雑魚でも、顔が良ければまだ価値が生まれる事がある。そういった点を弁えている奴は嫌いではない。
「……なあ、あいつクソほど性格悪くねえ? アンタの子供はあんなのばっかかよ」
「おめーが言えた義理か。まあ直哉は俺の子の中でも飛び抜けちゃいるが。いいのだ、俺には優秀で可愛い孫がいるからな」
「全部聞こえとるで。あと大地君は孫ちゃうって何度言ったら分かるん」
「誰だよ大地」
「あそこにおるよ」
指さした先には。当然、魔界大決戦が広がっている。
甚爾は嫌そうに、ぐえーと舌を出した。
「ありゃもう、どういう類いの化け物かって所から定義すりゃいいのかに困るな」
「単刀直入に聞く。甚爾よ、貴様はあの戦いに介入できるか?」
「馬鹿言え」
直毘人の質問を、甚爾が切って捨てる。
「ありゃ両方とも、どう見ても五条の小倅と同系統の化け物だろ。俺が
「つまり貴様ほどの力があれば、まとも
にたりと笑った直毘人に、冷めた視線を向ける甚爾。
「だとして、俺が言うことを聞く理由は?」
まあ最終的に、そこへ行き着くだろうとは思っていた。
彼は嫌悪を抱いている。憎しみを超えた先にあったのがそれだ。呪術師という存在から構造に至るまで、何もかもを気に入らないと思ったが故に、対呪術師専門の裏社会にたどり着いた。
これでまだ生きていれば、金で雇うという方法もとれただろう。しかし彼はすでに死者、偶然が重なってここにいるだけでしかない。その上で直毘人が、何か秘策でもあるのではと沈黙を貫いていたが。
「ない」
思い切り断言されてしまった。
「だがその場合、俺は
瞬間、馬鹿でかい殺気が甚爾から溢れた。
直哉をして鳥肌が立つ程のもの。歌姫など、小さく悲鳴を上げて縮こまっている。そんなものを受けて、直毘人は涼しそうな顔をしていた。こういった所は、さすがに半世紀を最前線で戦い続けた呪術師と言わざるを得ない。
恐怖を起因とした寒気は、長続きしなかった。すぐに甚爾がやる気をなくし、引っ込めたためだ。そして、小さく笑う。
「禪院家はこの世のクソ溜まりの中でもさらに最底辺だ。どんな言葉も効く価値はねえ。が、アンタに舐められるのは癪だ」
ふん、と鼻を鳴らして。
「何かあるんだろ。言えよ」
「おう。あっちの方角に乙骨という、五条派である事以外は中々見所がある若造がおってだな……」
ちょくちょく余計な言葉を挟みつつも。必要な情報を一通り渡した。
「待て」
甚爾が駆け出そうとした寸前に、直毘人が止める。早速水を差され、鬱陶しそうに眉をひそめた。
「今度は何だよ」
「持って行け。俺が遊ばせているよりは役に立つ」
腰に差していた刀を投げる。
甚爾はそれを受け取り、刀身を出して眺める。瞬時に、それが何かを理解した。
「釈魂刀」
「素手では格好がつかんだろう。そこらの呪具よりはマシだしな」
「返さねえぞ」
「ふざけんな返せクソガキ」
何度か釈魂刀が降られる。空を切っている筈なのに、何故か金属の板でも無理矢理引きちぎっているような音が聞こえた。
釈魂刀は、正しく観測した存在を何でも切り裂く能力を持っている呪具。何もない所で振って空気以外の何かを斬ったという事は、甚爾は別の世界が見えているのだろう。
刀を納めて、今度こそ甚爾は跳ねて消えた。
五条悟と羂索はどちらが強いか。両者を知る者は、全員が五条悟と答えるだろう。それは、羂索が無下限六眼を手に入れても変わらない。評価はラブトレインまで含めても、覆ることはないだろう。
しかし、さらに全人類を人質に取られれば、流石に話は変わる。
羂索を殺すには一撃必殺こそが最適解というのは変わらないが、下手に攻撃できないというのは、プロセスを組み立てる上で大きな足枷になっていた。
(ええと、大地は前回どうやってたんだっけ?)
余計な事がありすぎて、微妙に巡りの悪い頭を無理やり動かす。
(ダメージの押しつけは前回の時点で存在していた。だから、押し潰し続ける事で
当たり前に、悟が手出しできないからと言って、相手が手加減する理由はない。周囲では、山のような無限が荒れ狂っている。攻撃のためというより、無下限呪術の感触を掴むためと言った様子だ。
六眼があるため、動きは丸見えだが。地味に鬱陶しい。
(全く参考になんないなあ。こっちはむしろいかにして
もっとも、彼の一番恐ろしい部分はそこではない。今の悟と同じ状況になった時、数千万人
(ダメージの軽減効果はない。そこだけは明確に呪霊操術と違う)
ラブトレインはあくまで攻撃が体に届く前の時点で無力化するのであり、食らった攻撃は普通にダメージとなる。
とはいえこれも、羂索が高度な反転術式の使い手であるため、付け入る隙とまでは言えなかった。
いっそ破れかぶれの全力攻撃でも試しにかましてみようか、などと詮無い事を考えた所で。不意に、羂索の動きが止まった。
「なんだよ、もう燃料切れか?」
六眼を持っていてそれはない、と分かっていながらも挑発する。
当然それに羂索が乗ってくるはずもなく、淡々と呟いた。
「宿儺の大呪縛だ」
「だから何だよ。オマエら仲間だろ」
「情けない話だけれど、あまりそう思われていなくてね。日に日に私の扱いが軽くなっていくのを感じているんだ」
わざとらしく困り顔を作って、肩をすくめた後。
「それに、シビル・ウォーは敵味方の判別なんてしてくれない。できてもしないだろうけどね。とにかく、私も一時的に、そちらの対処へ追われる訳さ」
「あ? 何を言って……」
まるで悟までがそうなるような言い草に、違和感を憶えて。
いきなりすぐ近くに気配が現れたのを感じた。
現れたというよりは、今ここで産まれたと言った方が正しいのだろう。六眼でも持っていなければ知覚できない速度で、それは急激に収束して人の形を作り、やがて鼓動まで生み出す。
地表あたりで戦うのが好きらしい大地達とは違い、悟が戦場に選んだのは上空。それも結構な高度だ。しかし産まれたそれは落ちるでも飛ぶでもなく、まるで縫い付けられたように空中を揺蕩っている。
攻撃が来る。そう予感して振り返り拳を振るおうとして。しかし実際に起きたのは、小さく袖を引かれるだけだった。
目の前に。
あり得ない。
筈の。
生きている。
訳がない。
かつて。
助けられなかった。
天内理子――
急激に嫌な吐き気がこみ上げる。戦闘中だからと精神を尖らせていなければ、盛大に嘔吐していただろう。
偽物だ、と断じる。それは、ほとんど自分に言い聞かせるような形だった。
何をしているでもなく、浮いている理子。彼女は、悟が何をするよりも早く、口を開いた。
『なぜ……』
ぽつりとしたうわごと。それは本当に、ただのうわごとだった。
様子がなおさら、天内理子は死んだのだと自覚させてくる。死んだ上で――死んだからこそ吐かれる言葉。死者の呪詛。
『なぜ私が星漿体だったんだろう。ううん……それはいいの。とっくの昔に諦めてた』
彼女の瞳は、悟へと向いている。しかし光のない瞳は、正面に居る男を捉えていない。
黒々と底のない穴となった目で、彼女は一体何を見ているのか。
『でも殺された。私に私の理があるように、彼らにも独自の理があった。それは分かってる。でも。でも……。普通に生きられなかった。本当はただの人間として生きたかった。なのに、せめて星漿体としての責務を全うする事すらできなかった。…………私の人生は、何だったの?』
言葉は。
予想はしていた。しかし彼女は言わなかったし、悟もあえて聞こうとしなかった。目をそらし続けていた、彼女の本音だ。
偽物だ。これも極論、言葉ではなくただの音。破壊なり祓うなり殺すなり――表現はなんでもいい。とっとと消滅させるべきだ。
分かっていても、体はぴくりとも動いてくれなかった。
それは……
『ねえ、黒井、五条、夏油……。誰でもいいから、教えてよ』
五条悟という人間の今を創った起点は、全て彼女だ。幼年期の終わりの象徴。五条悟という人間は、彼女を経て大人になった。
天内理子という存在はある意味において、夏油傑よりも心の柔らかい部分。触れれば必ず出血する疵痕なのだから。
今更。捨て去り忘れていた過去が、膿んでくる。
『悟』
いきなり別方向から声をかけられ、ぎょっとしてそちらを向く。理子に気を取られ、そこに発生していたことも気がつかなかった。
ひゅっ、と息を詰まらせる。
そちらは、すでに
以前と違うのは。六眼から送られてくるあらゆる情報が、彼を偽物だと断じているのに。魂が強烈に、彼を本物だと語っている点だった。
『君は未だ、
恐らく。傑が生きていてそれを問われたならば、返す言葉もなかった。答える必要の無い偽物が相手だというのは幸運だ。目をそらせるという意味で。
『悟、君は目的に本気ならば、真っ先に総監部を皆殺しにするべきだったんだよ。全ての反発を力で抑えつけ、独裁者と誹られながらも改革を実行する。次世代が育ったらなんていうのは、見苦しい言い訳だ。少なくとも私は、君の軌跡を本気だとは認めない。断じて認められない』
やめてくれ。そんな目で見るな。喉の渇きに痛みすら感じながら呻く。
認められたいからやっていた訳ではない。それでも、傑にだけは否定して欲しくなかった。受け入れて欲しかったのとは違う。ただ、何というか……傑なら同じ視点で見てくれる。そんな風に期待していた。
いつの間にか、理子の手が悟にめり込んでいた。一切の感覚を感じない。
肌から感覚がなくなったわけではなく、まるで天内理子という存在が唐突に質量を失ったようだ。物理的な軛から解放された理子は、悟の体といとも容易く重なった。
両者の体が交わった部分から、半透明の青白い膜が発生する。それは悟を飲み込もうと、大きく口を開けた。
これこそが敵の攻撃、その真骨頂だと悟る。絶対に食らうべきではないが、しかしそれでもいいのかも知れないと感じた。悟が犯した数々の罪、その清算がこれならば避けるべきではないのだろう。ぼんやりと思考が定まらないまま、膜が広がっていくのを見送って……
いきなり、理子と傑が破壊された。
誓って、それらは悟が手を下したのではない。そこまで彼の精神は回復していなかった。
手を下したのは呪霊、なのだと思う。はっきりしないのは、悟がぼんやりしていた上、呪霊らしきものは二人を食ってすぐ消滅したからだ。
「全く……君は馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど。なんで少しも学習しないのかね。流石に呆れるよ。悟の性格で妙にメンタル弱いってのは普通に笑うけど」
軽い調子の声。小馬鹿にした、しかし心の底では相手を案じている声。とても――懐かしい。もう10年以上、これを知らない。同時に、10年前には確かにあったもの。
化け物が浮かんでいる。顔や手足はまるっきり呪霊のそれだ。何故か来ている服は、法衣と呪術高専の制服を足して二で割ったようなもの。
頭を満たしていた濃霧が、少しずつ晴れていく。
「ていうかさ、事前に私と会ってるじゃない。なんでいちいち同種の精神攻撃に負けてんの。なんかそういうルールでもあるわけ? 君、ルールとか嫌いじゃん。超ウケる」
「うっさいな。お前のために感傷に浸ってやったんだろ。泣いて感謝しろよ」
そこには。
特級過呪怨霊・夏油傑がいた。