だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
術式とは、使い手の解釈によって無限に変化する。これは、上級の呪術師、つまり術式の解釈を広げる段階まで行けばなおのことだ。
俗に言われる『相伝術式』とはこれの真逆を行くものである。木を整頓し枝を整え、一画化を望む。この整然とされた段階のものが術式の教科書と呼ばれ、考え得る限り最高効率で機能させられると判断されたものだ。相伝術式が伸ばすのは枝ではなく葉。これによって、常に整然とした、間違った解釈のない術式を行使する戦闘集団となる。教科書に逆らうのであれば、つまり自分が教科書の執筆者となる覚悟を持たなければならない。
例えば、同じ術式を持つが全く接触のない二人がいたとする。彼らはおのおのが手探りで術式の可能性を暴いてく。やがて出会った時、あまりの違いに目を見開く事となるだろう。
彼らが長く付き合い、互いの術式をすりあわせて体系化した場合、それは高確率で『相伝術式』に近い形となる。
逆に袖がすり合うだけであった場合、さらに尖った進化を始めるだろう。異様に変形させられた術式は、やがて生得領域にまで影響を及ぼし始める。術式の元呼ばれていたものから、本質以外の全てが変化するのだ。この変化こそが『術式の分裂』と言われるものであり、つまり新しい術式の誕生だ。術式の解釈と練度が生得領域に影響を及ぼし、生得領域の変化が生得術式を作り替える。どの時代でも新術式が割とぽんぽん産まれる理由であった。
術式の名称には時代が大きく関係しており、近代以降に産まれた術式は大体が漢字に当て仮名をつける形となっている。分かりやすいものだと、『
大呪縛は、ざっくり言ってしまえば、生得領域を極端に先鋭化して再構築するものである。故にその個性は、通常の『術式の分裂』など比較にならないほど大きい。
羂索は呪霊操術に大呪縛を使用する際、呪霊操術の真価は圧倒的物量と、それら全てと支配下に置ける縁だと考えた。故に『運』というものまで解釈を広げ、全人類に呪的な繋がりを構築するまでに変化した。戦いに価値を見いださず、無自覚に自分以外の全てを見下す傲慢、事実上の王。彼の性格を象徴するものだった。
故に。夏油傑が呪霊操術に大呪縛をかけたとして、同じものになる筈がなく。
傑にとって、呪霊操術の本質とは呪霊を飲み込む行為そのもの。
もっと言えば、屈服させた呪霊であれば飲み込めるほどの玉にまで圧縮できるという不可思議な現象。それこそが呪霊操術の全てだと断じた。
『面白い話だと思わないかい?』
昔、傑はそんな風に、悟に話しかけてきた。
『これは肉体で例えるなら、心持ちで肉体の構造が変わるようなものだ。順序が逆転している。実に興味深いよ』
その頃の二人は、まだ親友どころか、友と呼べるほどの仲ですらなかった。ただの同級生以外の何者でもない。
だからだろうか。悟は特に茶化す事もせず、かといって誠実にもなりきらず、いい加減に意見を述べる。
『それは術式……もしくは生得領域そのもが体って事なんじゃねーの?』
『それだと普遍的な形状がなくなってしまうね。人という大枠での精神構造が存在しない事になってしまう。ただまあ、考え方の一つとしては悪くなかったよ。そもそも精神面でのそれを、物質的なものと結びつけるのが間違いだと言われれば、否定のしようが無い。或いはそれが、一般的な呪術師の
あまりにも雑な対応に、しかし傑は気分を害する様子もなく、うんうんと満足げに頷いていた。
『御三家の意見、実に参考になったよ』
『ナニそれ、馬鹿にしてんの? それとも喧嘩売ってる?』
『はは、違う違う。言い方が悪かったね。呪術師旧家の考え方が勉強になったんだ。別に君自身や実家がどうとか言うつもりはないよ。本当に皮肉ったつもりはない』
実は、傑が気心知れた相手には短気だと知ったのは大分後の話で、この頃は大人の余裕があった。いや、悟と同じように、彼も実のところ相手の言葉をさほど真剣に受け止めていなかっただけなのだろう。
ともあれ、悟が夏油傑という人間を視界に入れ始めたのは、こんな他愛のない会話を何度か繰り返したからだ。
傑がこちらを理解しているのと同程度には、悟も傑を理解している。過去に見たことがあるというのも大きな要因だろう。傑が命を賭ける覚悟。命を賭してまでやり遂げようとする強い意志――
「君が呪霊操術以外で攻撃を届かせないようにするというのは、打たれるだろう手段の有力候補だったよ。いやあ、私にはない発想だった。まさか支配下にある呪霊にダメージを肩代わりさせるなんてね。そんな手を取るんだから、身を守る術は必ず増やすと半ば信じていた。当て込んでいたとも言うけどね」
傑が両手を伸ばす。掌の間には何もない。本当に、六眼で見ても何も起きていないように見えた。
しかし彼は、自信を持ってそこに何かが存在していると確信している。
「同じ方向で勝負しても勝てない。が、元々右に倣う必要はないんだからまるっきり無関係ではあった」
「――正直、君にはもう興味がないんだけどね。面倒だから相手はしたくないんだ」
「そう言わずに聞いてくれよ」
つまらなさそうな羂索の声。彼は本当に、傑に対しては興味も脅威も感じていないのだろう。
しかし羂索がそうであるように、傑も彼をまるで相手にしていないかのように続ける。
「私は術式を伸ばすという意味に置いて、身勝手な解釈こそが一番の成長に繋がると考えた。奇しくも、天童大地が至った答えと同じだね。残念ながら、私には彼のような才能などなかったけど」
「今更、無能の告白などされてもねえ」
「これは手厳しい。ともかく、私のような非才でも、天才の敷いたレールさえあれば、上に乗って走る事くらいはできる訳だ。……こんな風にね」
言いつつ、両手を広げてみせる。相変わらず、そこには何もない。全く一つも、それこそ呪力の欠片すら感知できなかった。羂索が呆れたような顔をする。
気づけたのは、傑を知る悟のみ。
「君がいつ復活したかは知らないけど、どれだけ長く考えても十数日といった所だろう? 仮に私と君の才能が同等であっても、数百倍は経験値に差がある。やめておきなよ。大呪縛を施すだけなら十分な時間だけど、使いこなすのは難しいんだ。仮にも私の本体だったんだ、あまりにも情けない姿を見るのは忍びない」
「私はこれをしゃぼん玉だと勝手に思っている。あまりに儚く愚かで幼い……私自身への自戒としてね。残念ながら、それを生かせる機会はないけど」
「傑!」
悟は絶叫した。羂索とて気付いているだろう。
絶対に手の届かない領域。しかし呪術師には、そこに手を届かせる、都合が良すぎる手段があった。縛り。たった一度きり、命を捧げた縛りであれば、大抵の事はこなしてくれる。
声は確かに、傑へ届いた。だからこそだろうか。いともあっさりと拒絶される。
「これは私の正しい命の使い方なんだよ、悟。せめてこれから続く呪術師の薪となる」
「必要ない! 僕が……俺が倒す!」
「言っただろう。自戒なんだ。必要な儀式なんだよ」
全てを無視し――或いは覚悟し、傑は己の全てを注ぎ込む。
「
言葉を最後に。傑の姿は、この世から完全に消滅した。
嘆息は、羂索から聞こえたものだった。今までのように、どこから見下ろすようなものではない。本気で愚行を嘆いている。
「なぜここまで分不相応である事が分からないのか、理解に苦しむな。命を賭ければ何でもできるというのは、愚者の夢でしかないというのに。根本的な能力の欠如は、縛り程度でどうにかなるものではないんだよ」
それでも悟は構えていた。傑が何かを残したと信じて。例え何も感じられずとも、不発だとは考えない。ただそれだけが、彼にできる事だった。
しかし。
本当に何の予兆もなく、羂索の喉がえぐり取られた。
「あ……え……?」
ごぼりと喉から血が溢れ、穴からも盛大に吹き出している。当人である羂索すら、何が起こったのか分からないと言った様子だった。呆然と焦点が合わない瞳が、虚空を行き来する。誰の理解も追いつかない間に、何もない何かは体を突き抜けた。
悟が先制できたのは、二つの要員がある。ダメージを受けたのは羂索側だった事と、最後まで傑を信じることができていた事。
頭部に近い部位を欠損、特に出血量が多いことで、頭まで血が回らなくなった。そのためだろう、術式の防御が僅かに綻んでいる。
どうしたって撃ちっぱなしのラブトレインより、無下限の方が制御が難しかった。無下限呪術で自分を巻き込んでしまった術者は、枚挙に暇がない。六眼があっても正常な頭の動作が不可欠だと、悟が誰よりも知っている。そのために、わざと無下限を緩め、反対にラブトレインがひときわ強く発光した。
(最速の一撃で逃がす可能性を残すよりは、最強でブチ抜く……いや、僕にはもうある。最速最強の一撃が)
逡巡はなかった。ただ、傑の献身を無駄にしないという一心が、頭より早く体を動かす。
五条悟には、切り札が
掌印を組む。呪詞は紡がない。これは、呪詞などなくとも十分な殺傷力を持っている。
悟が大地に劣る部分は、実のところ多い。例えば近接戦闘能力だったり、攻撃力だったり、防御力だったり。とりわけ致命的なのが、格闘能力と火力の欠如だった。
大地の
時間停止だけはかなり本気でどうしようもない。正直に言って、悟では対抗手段を思いつくこともできなかった。だが他に関しては話が別だ。
色即是空によって、接近イコール死という状況からは脱した(大地の場合、術式など関係なく殴り殺される自信がある)。しかしこれだけでは、彼の肉体を貫けない。驚くべき事に、大地は年々防御力を高めているのだ。前に一度、七海建人に術式ありで殴らせ、それを耐えるという鍛錬をして、あまつさえ耐えきっていた。後から話を聞いて、さすがの悟も顔を引きつらせた。
ともかく、すでに彼の基礎防御力は『茈』の迎撃に失敗しても耐えきるのではという程に堅固なレベルへと達している。
必要なのは矛だ。それもただの矛ではない、とびきり切れるもの。鈍重な武器も要らない。必要に応じて、時間停止より早く放てる必殺。
「虚式」
五条家に秘されている、無下限呪術の教本には、当然、順転『蒼』の極ノ番も記されている。しかしそれでは、全く足りないと感じた。今はなんとか通じても、遠からず無傷で耐えられる。
故に、望んだのはその上。
「
だから悟は、『茈』をさらに発展させることにした。
汎用性など要らない。後に続く誰にも使えなかったとして、知ったことではない。求めるのは究極の一。ただただ貪欲に強欲に、たった一人、己だけの最強を知らしめるための技。
これは、色即是空の処理能力と術式性能向上がなければ実現しえない力だ。完全に悟の才覚頼りの技術。もはや術式というより、異能と言った方が正しいかも知れない。
ただでさえ虚式の使い手など、呪術師の歴史でも数える程だと言うのに、変形領域展開の最中に虚式の発展系。ある意味において、これは閉じない領域に匹敵、或いは凌駕する能力だった。
当然のように。必殺という意味に置いて、閉じない領域など歯牙にも掛けない。
「『紫陽花』」
世界が悲鳴を上げ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、最終的に
虚式・極ノ番『紫陽花』。五条悟の集大成とも言える力の名である。
いきなり目の前に現れた仮想質量に、羂索は想像できる対策の中で、一番妥当なものを選んだ。仮想質量と自分の間に『赫』を発生させ、双方を外側に弾いて無理矢理引き剥がすという方策。
『茈』は元々、単体では然したる威力を発揮しない。作り上げた仮想質量を亜光速で撃ち出す事で、破壊力が宿るのだ。仮想質量を維持できる時間は短いため、射程距離は数キロと短い(普通の術師からしてみれば十分に長い長距離攻撃だが)。
しかしこれにはもう一つ、えげつない攻撃手段が存在する。
『茈』は『蒼』と『赫』を完璧な配合でぶつけ合う事で発生する。仮想質量が生まれる一瞬だけ、空間的なひずみが発生し、簡単に言えばミキサーのような状態を作るのだ。これはその特徴を先鋭化したもの。
音もなく、球体がひび割れ破裂した。弾けると同時に、仮想質量の球体は消滅する。代わりに現れたのは、数え切れないほどの「無限」と時空間の崩壊。
無限と時空間崩壊。片方だけであれば、どうという事はない。少なくとも羂索であれば、十分に対処できただろう。ただしそれらが同時に起これば、発案した悟すらもが青ざめる破滅をまき散らす。
無下限により顕在化された「無限」を時空間が巻き込み、連鎖的に飲み込んでいく。それは物質的にはおろか、羂索が作った無限の防壁や、果ては理屈不明である運命の光膜すらも抜けていった。亀裂が抜けた後には、虚無すらも残さない。この世から完膚なきまでに隔離されて。
羂索の周囲20メートルほどが、全て闇に飲まれた――という表現は正しくない。正確には何もないし、悟にだって見えていないのだ。何もかもが消えたそこには、光すらも存在できないから、結果的に黒く見えているというだけで。
だから、黒い球体が縮んでいくように思うのも、人間の蒙昧な感覚では、他に表現のしようがなかったのだ。完膚なきまでに削り取られた世界が、修正作用として周囲を引き延ばし、欠落を埋めていく。悟は、事象の地平線ならば同じような光景が見られるのではないか、と思っている。
全てが終わったそこには、何も残っていなかった。世界を無理矢理引き延ばしたため、よく見れば多少の違和感がある。が、所詮はその程度。薄らと無数に飛び散っていた光も、崩れるように消えていく。
そのまましばらく警戒を続けたが、何も起きない。数分してやっと、暗躍まで含めれば1000年以上も呪術師を祟っていた最悪の術師が死んだことを信じられた。
「紫陽花。見た目としては、まー不可視の花火とかの方が正しいんだろうけどさ」
腰に手を当て、体を伸ばす。まだ領域は解かず、徐々に高度を下げていった。ここで解けば、上空数百メートルから真っ逆さまだ。悟なら無傷で着地できるだろうが、好んで自由落下するような趣味はなかった。大地のトンデモ呪力制御みたく、呪力の足場を作って降りるのも面倒くさいし。
心情としては今すぐ宿儺へ向かいたいが、正直残り時間はほとんど無い。今から向かっても接触してすぐ術式が焼き切れ、また離脱する羽目になる。
向こうもピンチという様子ではないし、向かうのは術式が回復してからだ。今は脳の一部を潰して、無理矢理再生するような無茶をする時ではない。
「それだとひねりがないから、『茈』にかけて紫陽花って名付けたんだけど。まー、僕ってネーミングセンスないね。色即是空然り」
誰に向けているのかも分からない言葉を独りごちる。本当は傑に聞いて欲しかったのだ、という本音からは目を背けた。彼はもういない。納得して逝った。ならばそれを、悟が後からとやかく言うことはできない。
体をほぐし終えて、周囲をぐるりと一周見渡す。
「どっちかと言うと、大地より回りにいる奴らの方が危なそうだなあ」
もしかしたら、そっちの救援を先にしなければいけないかもしれない。それを当て込んだ術式なのだとしたら、羂索とは別方面に同じくらい嫌らしかった。
「てかアイツ、なんで何事もなかったかのように宿儺とだけ戦ってるんだろ」
楽しそうに殴りかかってる大地を、胡乱な目で見る。
本当に。呪術師なんていう仕事をしておきながら、いろんな意味で規格外な奴だった。