だいたい殴れば解決する 作:三回転半ドリル土下座
帳が降りる数分前――
姉妹校交流会団体戦の観戦室では、悟が気に入らない相手(保守派筆頭おじいちゃん)を煽り散らしながらも、比較的和やかに進んでいた。呪術師の集まりでは、暴力沙汰にさえならなければ穏当なのだ。
が、そんな時間も一瞬にして破壊される。壁に貼り付けていた、呪霊とリンクさせていた呪符、それが一斉に弾けた。
「え?」
歌姫のつぶやきが漏れる。
「東京校が全部祓った? 一瞬、一撃で?」
疑問に思うのも無理はない。これが京都校だったならば、大地が飽きて本気を出したというだけで終わっただろう。
そもそも、いくら低級とは言っても複数の呪霊を一瞬の遅滞なく同時に祓うなど、一級ですらまず無理だ。唯一可能だとすれば狗巻棘だが、彼だって敵が一カ所に集まってなければ不可能だ。当たり前に、呪霊を探して始末しろというゲームで、ひとまとめにしておく筈がない。
考えられるのは、外部からの干渉――つまり襲撃だ。
(とはいえ、それはそれで意味がわかんないんだよなあ)
肘を突きながら、悟は考えた。
姉妹校交流会自体は、秘密でもなんでもない。ちょっと調べれば分かることだ。これはどうでもいい。問題は、学生など襲ってどんな意味があるか、という点だ。
確かに今年度は、御三家縁の者が五人もいる。攻撃を仕掛けたという事実があるだけでも、動揺を誘えると言えば、まあそうだ。次代を担う若人を始末するという意味でも、抹殺は全く意味がない訳ではない。あくまで殺せれば、だが。
ただし、それが目的なら呪霊を祓ったりはしないだろう。子供を殺すならば、襲撃に気づかれるのは一秒でも遅らせたいはず。
となれば、目的は別にあると考えた方がいい。
「狙いは忌庫か薨星宮あたりかな?」
独り言に、不思議そうにしたのは歌姫だ。察しが悪い彼女に言ってやる。
「これは宣戦布告だよ。今から学生を襲いますよーっていう。ま、多分囮だけどね。本命は何をするつもりなのやら」
一連の特級呪霊騒動から地続きだとしたら、間違いなく特級が投入されている。それも、特級呪霊の中でも上澄みの。
あるいは、囮がブラフという可能性もある。こちらが意識せざるをえない状況だと思わせておいて、実は何もかもが終わっているとか。いや、こんなことで悩まされている時点で、相手の思う壺か。
「じゃあ急がないと!」
「なんで?」
「なんでってアンタ……! 生徒が危険じゃない!」
「大地がいるでしょ」
悟が余裕綽々で悩んでられるのはそれが理由だった。あそこには天童大地という、特級という枠すら鼻で笑う化け物が存在する。彼がいる限り、生徒が死ぬことだけはありえない。それこそ大地が負けるような相手なら、誰が救援に向かったところで被害を大きくするだけだ。
とりあえず気勢を削がれて座り込む歌姫。
こちらの優位は、攻撃を受けた場所に天童大地という特級呪術師がいる事。欠点は、敵の目的を読み切れないため複数箇所を警戒しなければいけない事。
心情としては、今すぐ東京監督所に行って虱潰しに敵を探したい。だが、もしも襲撃犯の中に火山頭や準精霊呪霊クラスが別の場所で暴れていた場合、大地で全員守り切れるかは怪しかった。死にはしなくとも再起不能、という事は十分にあり得る。というかむしろ、彼は命さえ無事なら後はいいだろ、という思考があった。無条件で任せるのは多少ならず怖い。
悟が即座に向かって特級を始末、とんぼ返りで東京監督所へ向かうというのが正道と言えば正道だが。
(多分、この動きこそが相手の狙いだよねえ)
五条悟は斃せない。この前提条件に則るならば、すべきことは先手を取って、想定外の動きをさせないというのが絶対だ。
などと考えているうちに、帳まで降り始める。窓の外では、何もないはずの空に黒いインクが零れていた。
「ま、将棋じゃないんだ。こっちが何かする前に駒を進められるだけ進めてるか」
「悩んでいる暇はないな。俺は天元様の元に、残りは生徒の保護を……」
「いいや」
夜蛾正道の言葉を遮り、手を振る。
「生徒の方は僕だけが行く。残りは残穢を探して。んで、こっちが終わったらすぐ向かうから」
「……大丈夫なのか?」
「むしろそっちが大丈夫なのかって話でしょ。侵入者は特級呪霊ないしは呪詛師の可能性が高いんだから。僕が行くまで死ぬ気で時間稼ぎしてよね」
椅子から立ち上がって、ふと思い立つ。
「歌姫。ここにいる人間と生徒以外の術師に連絡取れる? 特に監督所に近い人」
「ちょっと待って」
言って、彼女はスマホを取り出し、連絡をした。何秒か後に、眉をひそめながら耳から離す。
「駄目、出ない」
「てことはそっちにも侵入者がいるのは確定だ。冥さん、念のためそっちにもカラス送ってよ」
「承知。賞与ははずんでくれよ?」
「いくらでも払うよ。お爺ちゃんが」
最後の言葉は、楽巌寺から無視された。
方針も決まったところで、悟は瞬間移動をする。何かと制限や利用条件の多い能力だが、東京高専内であればいくらでも利用可能だ。速攻でシメて即侵入者をブチ殺す、そう決めながら帳の中に入ろうとして。
「ッ痛ってぇ!」
思い切り弾かれた。
何事かと思いながら再び帳に触れる。やはり、伸ばした指に電気が走ったかのような感覚の後、押し戻された。
(僕を弾くほど高度な帳だって?)
理論上はあり得ない事ではない。ただし、信じがたい事ではある。
眼帯を除けて、六眼で帳を確認した。一通り解析を終えて、なるほどと呟く。
五条悟を通さない代わりにほかの全てを素通しする帳。計算としては合っているが、言うほど簡単な事ではない。
帳とはつまるところ、結界術の一種だ。呪術師として三流でも向いていれば使える隠蔽に特化したものだが、反面、凝ろうと思えばいくらでも凝れる。五条悟の排除を考えるならば、まず悟の呪力を完璧に覚えつつ、それを結界の要にインプットする必要があった。ただでさえ縛りで成立している帳に、追加で縛りを加えるのだって簡単ではない。つまり、敵の中には飛び抜けた結界術の使い手が存在する。
帳の規模と強度から言っても、呪物による補助があるだろう。ここまで来ると術師本体は周囲におらず、術を付与した呪物だけ渡して機能させている可能性すら考慮しなければならない。それほど飛び抜けた結界術の使い手だ。
さすがにこんなレベルの呪詛師がいるのは想定外とはいえ、失策を自覚せざるを得ない。
「まったく、裏目裏目に出るなあ」
今更他者を呼び戻すには、余分が過ぎる。かと言って生徒を放り出してここを離れる訳にもいかない。高出力の帳など長続きしないのだ。いつでも乱入できるようにしておかなければならなかった。
ため息をつきながら、悟は帳が解除されるまでその場で待ち惚けた。
京都府立呪術高等専門学校二年、三輪霞。一般家庭出身の呪術師であり、中学一年の頃に師匠と出会いその道に入った。
呪術師になった理由は、単純に金だ。命を掛ける上に、適性が全ての仕事だけあって、支払いがとてもいい。できれば最前線で活躍でき、基本給も成果給も跳ね上がる準二級になるべく早くなりたいと思っている。
二学年で三級呪術師というのは、高くも低くもなく、およそ普通の成績だ。同学年に一級特級がそれぞれ一人ずつ居るため、感覚が狂いそうになるが。本来は学生のうちに準二級か二級になって卒業というのが普通なのだ。いや、学生のうちに二級にまでなるのは、十分エリートか。
ともかく、霞は誰もが認める普通だ。いずれ学生のうちに準二級になって、恐らく二級が最終到達点であり、二級以下の呪霊をちょろちょろと倒しては弟達の学費を稼ぐ。そういった、呪術師にしては平凡に過ぎる人生を送るものだと思ってた。
だから。
だから。
特級呪霊に死ぬほど追い回されるのなど、人生のプランにはない。
「ああああああ!」
「うるさいぞ三輪!」
「しゃけしゃけ!」
背後から、植物が訳の分からない成長速度で押し寄せてくる。成長速度もおかしいが、何より厄介なのはその質量だ。どれだけ膨大な呪力がそれを可能としているのかは分からないが、収容人数200人を超える校舎を、軽く飲み込める程に成長している。その後ろから、これだけの呪力を消費してもなお余裕綽々といった様子でこちらへ向かってきてるのが、いかにも植物系といった様子の呪霊。
事の始まりは、多分十数分前だろう。
運良く虎杖悠仁暗殺計画を妨害された霞は、憲紀と一緒に投げ飛ばされた。大地の乱暴なやり方に思うところがなかったわけではないが、それでも計画殺人などする必要がなくなった安堵が勝る。
投げ飛ばされた先には、不運にも伏黒恵と狗巻棘というエリート天才コンビがおり。こちらが状況を理解する間もなく、放たれる呪言。
『吐け』
この言葉に、三輪は意味が分からず困惑するしかなかったが。対極的に、憲紀はべらべらとしゃべり出した。
曰く、虎杖悠仁暗殺計画の真の実行法。密かに飼い慣らした準一級呪霊が運び込まれており、悠仁が消耗したところでこれをけしかけ、名目上は事故という形で殺してしまおうという作戦を。
これを知った時点で、霞は「加茂先輩の馬鹿野郎!」と叫びながら頭をひっぱたきたい衝動に駆られた。卑怯を通り越し、人道を逸脱したやり口である。これを考えた学長も、実行を請け負った憲紀も、人格を疑わざるをえなかった。控えめに言ってドブカスクソ野郎だ。
当たり前に、恵と棘の目は危険な鋭さが宿る。悠仁が消耗しきる前に、絶対戦闘不能にするぞというとんでもない意気込みが感じられた。
ここで一歩引ける勇気があればよかったのだが。悲しいかな、三輪霞は小市民。権力には逆らえないし、クソ野郎とは言え学校の先輩は見捨てられなかった。
でもやっぱり小物なので、適度なところで負けようなどとも。呪言対策である脳を呪力で覆うのをわざと止め、倒される準備は万全にしていた。まあ結果は、二人揃ってガン無視される、であったが。接近戦しかできないのに、葵や大地に十割負ける程度の力なのだ。残念でもないし当然である。
そして、いざ開戦というところで特級呪霊の襲撃があった。
はっきり言って、霞は全く状況に対応できていなかった。それこそいきなり近くに馬鹿でかい呪力が現れても、アホ面下げてただけ。死なずに済んだのは、『逃げろ』という呪言が届いたからだ。
そこからは、もうただひたすらで闇雲な逃走劇。
『止まれ』
相手の攻撃が来るたびに、棘の呪言で動きを止め、攻撃を加えながら距離を取る。相手が固すぎて有効打を与えられない以上、これ以外に取れる手段はなかった。
けほ、と棘が咳き込む声。一度呪言を発するごとに、声が濁っている。声からでなくとも、一発ごとにごっそりと減る呪力から、彼の消耗がとんでもないものなのだと分かった。この状況は長く続かない。
「このまま外まで逃げ切れるか?」
「いえ、多分無駄です。この状況で五条先生が気づいてない筈がない。ということは、どこかで足止めを食らっているという事です。一番可能性が高いのは帳ですね。目指すなら外じゃなくて天童先輩の方がいいかと」
「運がいいのか悪いのか……あそこには東堂もいる、か。あの二人で倒せないならどのみち。人任せというのは嫌いなのだがな」
暢気な――という罵りは、かろうじて漏らさずに済んだ。こっちは逃げ惑うので精一杯だと言うのに。
「三輪、お前も何か攻撃しろ」
「無茶言わないでくださいよ! 私は接近戦の、それもカウンター特化ですよ!? あんなのに近づいたら死んじゃいますって!」
「役立たずめ」
自覚はあったが、いざきっぱり言われると、ちょっとへこむ。言い訳をするならば、そもそも遠距離攻撃手段があろうと、特級呪霊相手では何をしたって無駄なのだ。自分は所詮、人間が武器を持った程度の戦力であり、相手は都市破壊規模。根本的に比べるのが間違っている。
第一、二級一人、準一級二人がいてなお歯が立たないような戦場に三級がいるのが場違いだ。
(と言っても、本当にただのお荷物で終わるわけにはいかないんだけど!)
棘によって、再び動きを止められる呪霊。それに体し、霞は極端な前傾姿勢で構えた。
シン・陰流、簡易領域・拡張。飛び居合い。
簡易領域の拡張術式とも言える技。わざと簡易領域を前方に歪ませ、飛び込みながら居合いを放つ。前提としてシン・陰流の簡易領域は両足を地に着けている必要があり、この場合はオートで抜刀をしてくれない。代わりに、霞が会得した技術の中でも数少ない先手を取る技だ。
これは『弱者の力』を掲げるシン・陰流秘伝の技術であり、おいそれと人に見せていいものではない。広まれば必ず対策を取られる。が、出し惜しみをしていられる状況でもなかった。
角度良し。速度良し。呪力も乗っている。最高とは言えないまでも、渾身の一撃が首に食らい付いて。甲高い音を立てて、刀は半ばからぽっきりと折れた。
「私の刀がー!」
《……ナマクラですね》
声と言うよりは、脳に直接意味を叩き付けてくるような呪霊の言葉。
飛び退さりながら鞘を投げ、視界を隠す――目があるべき所から枝が生えているので、どれだけ効果があるか分からないが。
タイミングを合わせて、恵の鵺が鞘に雷撃を当てる。砕けて飛び散った鞘は呪力を撒きながら、簡易のチャフとなった。呪力感知能力が高いと、案外こんなものでも動きを鈍らせてくれる。
「ローン組んだのに! 三百万円もしたのに!」
「三輪先輩、こっちの刀使って」
と、渡されたのは、刀と言うより長めのナイフといったものだった。切っ先近くが膨らんでいて、重心が遠い。三輪のただできがいいだけの刀と違って、一流の呪具だ。しかし。
「私、居合い刀しか使えない!」
「ほんと使えねえな、アンタ」
付き合いのない年下の言葉は、顔見知りに言われるより数段胸に刺さった。
棘が苦しそうな顔をしながら、再び言霊を飛ばそうとする。様子から見て、限界は近い。甘く見積もって、あと三度が限界といった所だろうか。息を吸い込み、停止を命じようとしたその時。
「狗巻先輩!」
恵が声を張り上げて、ある方向を指さした。
棘は視線だけで彼を確認し、すぐさま発する言葉を変える。
『ぶっとべ』
まるでカタパルトに乗せられたように、呪霊が弾き飛ばされた。恵が指さした先へ、一直線に飛んでいく。
《ぐ、ぅっ》
呪霊も樹を伸ばして体を止めようとしたが、さすがにこの急制動にはついて行けなかった様だ。伸ばした枝もむなしく空振りし、宙を舞う。
ほとんど同時に、棘が大量の吐血をした。呪言の過剰使用で喉が張り裂けたらしい。放っておけば失血死するのではないかという勢いで血を吐きながら昏倒する。
「狗巻君!?」
「休ませてやれ。ダメージもだが、呪力が枯渇している。三輪、狗巻を連れて安全圏まで逃げろ」
「え? でも……」
「どのみちお前も戦力外だ。いいから行け」
すげなく言われてしまえば、渋々と狗巻を担ぐしかなくなる。刀だけは返し、棘を背負った。意識のない人間を固定するのはかなり難しく、襲撃を受ければまず抵抗できない。退避要員が必須だという理屈は分かるのだが。
弱さを突きつけられるのは痛い。それこそ無能よりも遙かに。
「俺達はどうします? 天童がいるなら邪魔にしかならないかも」
「いいや、行く。東堂の術式は――いや、これはマナー違反だな。とにかく、奴は人が増えれば増えるほど強い。攻撃が通らずとも、周囲をうろついているだけで意味がある」
「なら……鵺」
恵が掌印を作ると、地面から鳥型の式神が現れる。二人くらいは簡単に乗せられるようで、一緒になって乗っていた。
鵺の飛翔に合わせて、憲紀は言葉を残す。
「三輪! 他者に会ったら状況を教えろ! 判断は本人に任せるんだ!」
「分かりました!」
羽ばたきで、声はほとんど届かなかっただろう。それでもしっかりと返事をする。
彼らの姿が小さくなるより早く、霞は移動を始めた。弱者である彼女ができる唯一は、信頼に応える事だけだったから。