竜娘が巡る終末世界【完結】 作:春の日びより
「……婆ちゃん、寒くない?」
「炭さ、たんと取ってきてくれたから大丈夫だよ」
布団に横になった婆ちゃんが、枕元で覗き込む私の頭を撫でてくれる。
婆ちゃんは風邪だった。最近、急に寒くなったから体調を崩したのだと言っていた。
私が……寒さに鈍感だから気づくのが遅れた。ちゃんと気をつけておけば外の作業は全部私がやったのに……と後悔が頭をよぎる。
婆ちゃんは何年もここで冬を過ごしてきたから、少し疲れただけで大丈夫と言っていたけど、世界は人がいなくなってから年々寒くなっている。
私は部屋にある火鉢に炭を足し、網を置いてヤカンを乗せる。
部屋はできるだけ温かくしないといけないけど、火を焚いているから換気もしないといけない。でも、外の雪はあれから止まずに降り続き、少し前まであった秋の名残が消え去るほどに気温が下がっていた。
「お前たちは元気だねぇ」
――コケ――
雪が降る中、巨大樹木の林にある鶏小屋……に爺ちゃんが改造した物置に顔を出すと、鶏たちが寄ってきた。
この物置は最初からここにあったそうで、上手く樹木の浸食を免れ、巨大樹木のおかげで雪も積もらないから、この寒空の下でも元気に鶏たちが落ち葉に下にいる虫を探して地面を突いていた。
料理に使った余りの部分や、夏の間に畑の草取りで抜いていた雑穀や雑草を撒くと、寄ってきた鶏たちが一斉に啄み始める。
「あ、今日はあるね。貰うよ~」
――コケッ――
……私の言っていること理解しているのかな。
あとは雪に埋もれていたネギとショウガを採って井戸で洗い、秋の間に割っていた薪を取って、軒の下にあっても半分雪に埋もれた竈を掘り返して火を熾した。
台所で婆ちゃんに習ったとおりにネギとショウガを刻み、雪降る中、土鍋で昆布を水から煮て沸騰する前に取り出し、水に浸けていたお米とショウガを土鍋に入れて、水を多めに炊いていく。
頭や尻尾に雪が積もるのも気にせず、私はその場で吹きこぼれないように火加減を調節する。
雪の降る中で素肌を晒し、素足で雪を踏んでも私は少しも寒くない。
でも
「……出来たかな」
最後に玉子と刻みネギを入れて余熱で火を通し、婆ちゃんの作った梅干しとお味噌を小鉢に入れて、土鍋を婆ちゃんのところへ持っていった。
「婆ちゃん、お粥できたよ」
ネギとショウガの玉子粥。初めて一人で作ったから手順が間違っているかもしれないけど、味見はしたからたぶん大丈夫。
「……すまんねぇ。でも、毎日お米でなくてもいいんだよ?」
「駄目だよ。ちゃんと食べて元気にならないと」
婆ちゃんは少ないお米を毎日お粥にすることに消極的だ。
「……嬢ちゃんはちゃんと食べとるけ?」
「私はなんでも食べられるから大丈夫だよっ」
逆に私がご飯を食べているのか毎日聞いてくる。
婆ちゃんが風邪を引いてからもう三日になる。婆ちゃんが言うには、今年は冬が来るのが早いと言っていた。その急激な気温の変化で風邪を引いたらしい。
その間、婆ちゃんの栄養になるような魚を獲ったり、キノコや山菜を探したりしたけど、婆ちゃんは日に日に食が細くなっていた。
たぶん、ビタミンが足りない。果物があればいいのだけど、この近くにそんな物はない。山のほうへ行けば金柑くらいは生っていたかもしれないのに、まだ秋だからと時間を無駄にした。
干し柿が使えればいいのだけど、まだ出来上がってはいなかった。
「ジンベエは雪が降っても大丈夫かなぁ……」
昔は冬でも外の犬小屋で寝ていた寒さに強い日本犬だから、ジンベエなら雪の中を駆け回っていそうな気がする。
私のご飯は本当に適当でも大丈夫。魚も身は婆ちゃんにあげて、頭と骨を丸焼きにして食べられるから。
以前立ち寄ったお寺さんにも寄って、桃缶を全部貰ってきた。
他にも婆ちゃんが食べられそうなスープや栄養のありそうな缶詰を持って帰るけど、婆ちゃんはあまり食べてくれなかった。
次の日も、その次の日も婆ちゃんの体調は戻らず、婆ちゃんの〝気配〟が少しずつ弱くなっていることに焦りを感じ始めたとき……ふと思い出した。
「婆ちゃん、病院に通っていたんだよね? お薬とか飲んでいた?」
「……昔は沢山あったんだけどねぇ」
当時でも八十歳のお年寄りだった婆ちゃんは、重大な病気ではないけど、血圧や血栓予防、内臓系のお薬を沢山貰っていたらしい。
沢山貰いすぎて調子の良いときは飲まない日もあり、偶に飲むこと自体を忘れたこともあって、沢山の薬が余っていたそうだ。
薬も数年分は残っていたことから、ここに残るときも調子の悪いときだけ薬を飲んでいた。
でも爺ちゃんが亡くなってから婆ちゃんは体調を崩すことが多くなり、薬を飲む量も増えて沢山あったはずの薬はいつの間にか無くなっていた。
「この引き出し?」
「……んだ」
婆ちゃんに教えてもらい、居間にある箪笥の引き出しを開けると、空になった錠剤の包装が入っていた。必要なのは五種類。特に内臓系の薬が必要だ。それと解熱薬も欲しい。
この近くにも調剤薬局くらいあるかもしれない。でも、そこですべての薬が揃うかどうか分からない。同じ効果のある薬でも私には判別もできない。
だから同じ薬があるはずの婆ちゃんが通っていた病院に行く必要がある。
その場所は……
「……以前立ち寄った、あの病院だ」
私が巨大猿の群れと遭遇して逃げ出したあの病院。
当然、見つかれば巨大猿四体との戦いになる。
婆ちゃんにお粥を作り、枕元から立ち上がろうとした私の毛皮の衣装を細い手が握る。
「……行かんでいい。あそこは危ないよ。おっぎな猿がおる……」
「うん、知ってる」
心配してくるのは嬉しい……でも、私が嫌なんだ。
何もせずに婆ちゃんが大変なことになるなんて、絶対に嫌だ。
私は婆ちゃんの手をそっと外して、ニコリと笑う。
「大丈夫だよ。こっそり行って、こっそり帰ってくるから」
「……危なかったらすぐに戻りなさい」
「うん」
婆ちゃんの枕元に水を置き、火鉢に炭とヤカンに水を足して、私は再び眠ってしまった婆ちゃんに『行ってきます』と小さく呟いて部屋を出た。
「……行くぞ」
持っていくのは角槍だけ。できるだけ身軽なほうがいい。
私は気合いを入れて一度自分の頬を叩き、雪の中を駆け出した。
あの日から雪は一度も止んでいない。
吹雪ではないけれど、道を覆っていた落ち葉や雑草をさらに雪が覆い隠し、しんしんと雪が降る真っ白な街を、火のように赤い私が駆け抜ける。
雪の中でも遠くにあの高層ビルが見えるので迷うことはない。でも、真っ直ぐに向かえば巨大猿とぶつかる可能性が高まるので、前と同じように川方面から向かうために迂回する。
日が暮れて夜となり、さらに気温が下がった気がした。
気ばかりが急く。その焦りが〝熱〟となって、私の脚も速くなる。
あの巨大猿がビル周りを縄張りとしていたことで、この辺りにいた単体の巨大動物はどこかへ消え、結果的に婆ちゃんは無事で済んでいた。でも、今はその巨大猿が最大の障害だ。
一時間以上かけて迂回し、ようやく木々の隙間から懐かしくもないあの廃病院が見えた。
どこから入るか? 一階を覆う樹木の根を破壊するのは時間が掛かるので、結局は前と同じように上から入るしかないか。
あの巨大猿らしき〝気配〟は感じない。緊張をほぐすように軽く息を吐き、登れそうな大きな木を探したそのとき――
――ォウ、ホホッホ――
近くで猿の鳴き声が聞こえて振り返ると、病院近くの大きな木に、こちらを見て吠えたてる通常の大きさの猿がいた。
「――っ!」
見つかったっ! 私はその猿を黙らせるため、角槍を投擲しようと大きく振りかぶる。
キィイイイイイイイイ!!
でも、その後すぐに呼び出されるように次々と猿が現れた。
まずい! ここで騒ぎになって巨大猿までが現れたら、病院が壊され、薬が瓦礫に埋まってしまうかもしれない。
私は即座に廃病院から離れるように走り出す。
猿がどうしてここにいた? ここも猿たちの縄張りなの?
それとも……私が前回立ち寄ったせいで、巨大猿が警戒して見張りを置いていた?
その私の行動を邪魔するように、どこにこれほどいたのか数十もの猿が木々の上から吠えたて、私に襲いかかってきた。
ただの猿でも大きめの個体は人間の握力を超えるという。
一匹一匹は大したことなくても、無数の猿に取り付かれたら面倒なことになる。
「邪魔を……」
吠えたてる猿を睨みつけ、角槍を握る私の両手が真っ赤な鱗に包まれた。
「するなぁああああああああああああああああああああああっ!!」
一閃――。横薙ぎに振るった角槍が、前を塞ごうとして襲いかかってきた猿たちを吹き飛ばし、樹木やビルに叩きつけた。
これで前は開けた。このまま引きつけてどこかへ連れて行き、また病院まで戻ってくればいい。
でも、その瞬間、私を貫くような視線と強い〝気配〟が私の足を止める。
『ゥホォオオォオオ……』
ビルの上で私を見る一体の巨大猿。
私は廃病院から離れようとして、いつの間にか巨大猿の縄張りへと誘い込まれていた。
巨大猿との戦い。
次回、『婆ちゃんの家 その6』