竜娘が巡る終末世界【完結】 作:春の日びより
暗い部屋の中で花椿の全身が真っ赤な鱗に覆われる。これまでの人の姿を強く残した手脚や背中だけ覆われていた姿とは違い、腹や顔まで鱗に覆われていく。
〝竜〟の因子が強まったことで体内の〝熱〟により毒素が分解され、静かに意識が覚醒していくと同時に、花椿を隔離していた病室の温度が上がり始めた。
夏場によりすでに三十度を超えていた室温は、五十……七十と上がり続け、まだかろうじて生き残っていたスプリンクラーから水が噴き出し、高温によって大量の水蒸気を巻き上げた。
警報が病院内に鳴り響き、避難のために持ち場を離れて研究資料を纏めていた研究員たちが慌てて戻ってくる。
「何が起きている!?」
「わ、わかりません!」
隔離室に通じる前室にある大きな硝子窓の向こうは大量の水蒸気と水滴に覆われ、中を窺うことができない。それ以上に硝子越しからでも分かる熱気に研究員たちが困惑する。
「……巨獣の襲撃によりスプリンクラーが不具合を起こしたのか?」
研究員の一人が呟くが、それではこの異様な熱気が説明できない。電気のショートで火災でも起きたのかと考える年嵩の研究員に、若い研究員が青い顔で振り返る。
「それよりもこの熱で、被検体が死んだりしたらっ」
そもそもこの〝竜〟の特徴を持つ被検体を確保できたことが前提で作戦が動いている。もしそれが死亡したとしたら自分のたちの責任問題になると慌てる若い研究員に、年嵩の研究員は顔を顰めて人手が必要だと気づいた。
「いますぐ、防護服と応援を呼んで――」
――ミシッ――
そのとき硝子窓の向こうから何かが軋む音が聞こえて言葉が止まる。その音に彼は、軍からの報告書にあった被検体の特徴――身体から手袋が発火するほどの〝熱〟を発していた記述を思い出した。
「まずい……」
〝熱〟が被検体由来なら本人が死ぬことはないだろう。だが、スプリンクラーの作動によって定期的に病室に散布されていた睡眠ガスが無効化されている可能性に気づく。
「兵士を呼べっ、いますぐだ!!」
――バキンッ――
金具が壊れる音。目覚めた被検体が拘束具を壊したと察した年嵩の研究員は、備え付けのロッカーから拳銃を取り出した。
「主任っ!」
「巨獣が来ている今、こいつまで外に出たら収拾が付かん!」
この被検体を死なせることはできない。たとえ人間ではなくても、銃を向けられたら大人しくしたがってくれるかもしれないと、年嵩の研究員は予備の銃を若い研究員に投げ渡す。
「すぐに準備を――」
ボォオオオッ!!
硝子窓の向こうで真っ赤な炎が噴き上がり、大判の耐火硝子に罅が奔る。
バキンッ!!
「うわぁあっ!?」
硝子が割れ、溢れだしてくる炎と水蒸気に二人の研究員は転がるように廊下に飛び出した。
「熱いっ、熱いっ!」
「狼狽えるな!! 来るぞ!」
水蒸気火傷を負った研究員が苦痛に転がり回り、年嵩の研究員は自らも火傷を負いながらも赤くなった両手で銃を構える。
ドォオオンッ!!
その瞬間、隔離室の鉄扉が吹き飛び、研究員の横の壁に突き刺さる。
水蒸気の向こうに見える異形の〝影〟。年嵩の研究員は火傷の苦痛さえ忘れ、それが被検体だと理解した彼は、慌てて銃を向けた。
「……と、止まれ!」
かろうじて声をかける年嵩の研究員。だが、動き出した〝影〟からまるで睨むように金色の輝きが向けられ、思わず引き金を引いてしまう。
バンッ!
至近距離で放たれた弾丸が運良く被検体に命中する。しかしその銃弾は硬質な何かに弾かれ、それが引き金になったように異様な音が響き始めた。
『――――――――――――――――――――――』
人には発することのできない〝声〟が大きさを増し、その瞬間、その咆吼は巨大な閃光となって放たれた。
***
「怯むな!! ライフル隊、展開せよ!!」
破壊された壁からなだれ込んでくる巨獣の群に、特殊部隊の隊長は後退をしながら声を張り上げる。二台ある機関砲のうち一台は装甲車ごと巨大鰐に潰されたが、もう一台は生きている。その穴を埋めるように展開した特殊部隊員が、対物理ライフルで狙撃を始めた。
(くそっ! いきなりこんな数が来るとはっ)
隊長が指示を出しながら心の中で独り言ちる。
せめて十体程度なら、対巨獣部隊を頼らなくても巨獣を倒せたはずだ。東京を根城にしている巨大ライオンの群すべてが襲ってきたとしても、たとえ市民に被害が出たとしても機関砲で追い払うことはできただろう。
(あんなガキどもの損耗など考えず、もっと巨獣の駆除をしていれば良かったのだっ)
隊長は自分の力を示したかったはずが、数年ぶりの危機的状況となって思わず本音が漏れる。
自分たち旧人類とは違う、今の世界に適応した新人類。旧人類の末路など数百年程度で新人類に駆逐される未来しかないことは、考古学者が教えてくれた。
その〝未来への恐怖〟が必要以上に対巨獣部隊の子どもたちを冷遇し、自分たちと違う別種と思うことで使い潰すことの罪悪感を薄れさせた。
自分たちは滅ぶべき旧人類ではない。
それがこの拠点を管理する上層部が抱く潜在的な考えであり、新人類との共和を考えず、必要以上に意固地にさせていた。
「対巨獣部隊っ、前線に出て巨獣を抑えろ! お前らの存在意義だろうがっ!」
***
「……みんな、前に出るよ!」
特殊部隊から離れて猛獣の群に対処していたジェニファーは、隊長の命令に、下の子どもたちへ苦渋の決断をする。
まだ精神を保っている子どもたちが絶望の表情を浮かべる中で、心をすり減らして感情が希薄になった子どもたちは盲目的に指示に従ってくれる。
そんな状態の子どもが前に出れば被害が出ることが分かっている。あえて生存に必要なスキルを学ばせられなかった子どもたちは、この拠点で〝居場所〟を失うことを恐れていた。
ジェニファーも自分たちの居場所を確保するために恐怖を押し殺し、取り返した狙撃ライフルとお守り代わりに持ってきた〝角槍〟を握りしめる。
「私に続け!」
一人でも多くを救うためにはジェニファーが前に出るしかない。
取り返した狙撃銃を構えて恐るべき速さで突入する彼女に巨大ハイエナが襲いかかるが、ジェニファーは肩に噛みつかれながらも、食い千切られる前に腕ごと口内に突っ込んだライフルの引き金を引く。
ドォオンッ!!
その反動で互いが弾かれ、それでも即死しなかった巨大ハイエナが憎悪の目でジェニファーに襲いかかろうとした瞬間、他の子どもたち数名が槍で巨大ハイエナの首を斬り裂いた。
「ジェニファーっ」
「大丈夫……行くよ!」
駆け寄ってきた子どもたちに、ジェニファーは苦痛を見せないように笑みを作る。
背中に括り付けた〝角槍〟が一瞬だが巨獣の牙が食い込むのを防いでくれた。ジェニファーは唯一自分たちを心配した〝あの人〟の顔を思い浮かべ、再び狙撃ライフルを構えた。
これ以上、仲間を死なせない。感情を消したいほど辛くても、まだ子どもたちの心は死んでしない。希望があればきっと心も戻るはず。
そのためにもジェニファーは歯を食いしばり、先頭を切って巨獣の群に飛び込んでいく。
「食い止めろっ! 家族の所へ行かすな!」
避難民から志願した一般兵士たちが門の上で銃を撃つ。ここで引きつけ食い止めなければ、襲われるのは彼らの家族なのだ。
だがその生き残りは少なく、ジェニファーたちが辿り着いたときには数個の小隊が残っているだけだった。
「特殊部隊はっ!?」
彼らと共に食い止めるはずの特殊部隊の姿が無い。巨獣と戦いながら視線を巡らしたジェニファーの瞳に、いつのまにか後退して、それどころか一般兵と対巨獣部隊を囮にして、地面に設置した迫撃砲を撃とうとしていた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!
「全員、散ってっ!!」
咽が裂けんばかりに叫んだジェニファーの声は掻き消され、次々と放たれる迫撃砲弾が巨獣の群ごと焼き払うようにジェニファーたちに降りそそぐ。
ジェニファーも唖然としている一般兵士に手を伸ばすが、その兵士の近くに砲弾が落ちて彼を背中から吹き飛ばした。
「……なんで」
その血肉を浴びたジェニファーは唖然としながら思わず呟き、そんな彼女を男の子の一人が抱えて走り出す。
「しっかりして!」
「わ、私は……」
なんのために戦っているのか? わずかな希望を求めることさえ許されないのか。
『ガァアアアアアアアアアアア!!』
「うわぁ!」
砲弾の中を掻い潜ってきた巨大雌ライオンの一頭が、血塗れになりながらも何かに怒りをぶつけるように二人を吹き飛ばす。
「くっ!」
倒れた男の子は頭から血を流して動かない。男の子を庇うジェニファーに巨大雌ライオンが爪を振り上げた。
「誰か――」
――助けて――
魂の叫び――。その瞬間、離れていた病院棟の一つを貫くように一筋の光が放たれ、それは巨大な槍を振るうように数頭の巨獣を焼き払い、ジェニファーを襲っていた巨大雌ライオンの頭蓋を貫いた。
「なにが……」
〝何が〟ではない。その方角から〝何か〟強い気配が来る。
まるで炎を噴き上げるように大気を陽炎のように揺らし、爆炎を巻き上げながらその途中にいた巨大鰐の胴を両断し、一瞬で燃やし尽くした。
蒸発する真っ赤な水蒸気の中で、〝それ〟は炎を吹き上げる〝翼〟で血煙を吹き飛ばし、その姿を現した。
全身を覆う鮮血のような赤い鱗。四本の紅水晶の角を生やし、身長ほどのある太い尾を水平にしならせながら、四つ脚になるように前傾姿勢を取ったその背には、鱗で出来た大きな翼がきらめくように炎を吹き上げていた。
正にその姿は、伝説の――
「――ドラゴン――」
そのとき〝人〟は、人の形をした一体の〝竜〟を目撃する。
〝竜〟と化した花椿。
その意思は人か竜か――