「…………」
ミゲルの蹴りを受けた五条は、パンダと狗巻を転送した地点まで吹き飛ばされていた。
無下限呪術により空中に留まるミゲルを睨みつけながら、五条は自分の失策を思い知らされる。
しかし五条の心境はそれほど緊迫したものではなかった。寧ろ早期決着を狙っていた当初より落ち着いてすらいた。
(対象の存在を分割し、精霊化して支配下に置く……なるほどね。
僕を相手取るに不足はないって訳だ)
手を握り、開く。
本来の握力と現在の握力のギャップを急速に埋めていく。
(呪力総量、呪力出力、膂力まで削られたと来たか。本来なら無限による防御は力を削られたからと言ってどうこうなるものでも無いけど、向こうも無限を展開してくるとなるとフルオートの無限は一時的に突破される)
(殴られた瞬間だけ無限を強化すれば触れられる事は無い……しかし、今の僕は全力の7割程度しか出せない。術式を開示された事を考えれば、小さい僕の出力は3割強……今の僕と比べたら半分程度の力まで出してくる……)
五条は現在の状況を整理し、自身が圧倒的に不利な状況に置かれてる事を再認識し———笑みを浮かべた。
「アイツの攻撃を防ぐには無限を強く保たなければならない」
「無量空処は効かない、向こうも無限の防壁を展開してくるから無下限呪術を使わないとダメージを与えられない」
「そもそも全力の赫を耐えてくるフィジカルに加えて体術も呪力も負けている……か」
「いいね、楽しくなってきた」
五条悟は狂人である。
全てが自分本位なのもそうだが、圧倒的な力を持ちながらギリギリの戦いを望んでいる。
自身の術式は相手に反撃も許さず叩き潰す性能だと言うのに、本人は心躍る戦闘を夢見ていると言うのは、考え方によっては不幸なものですらある。
しかし、今日の五条は幸福だ。
「術式についてはブラフの可能性もあるが……僕の勝利条件は無量空処を通す事、もしくは茈をぶつけて大ダメージを与える事」
「何はともあれ、まずは小さい僕の破壊だな」
現状について一通り整理した後、戦略を決定する。
奪われた力の回復もそうだが、無量空処に対する耐性を剥奪する事が重要。
自己申告とは言え、一本編むのに数十年の時を要するという呪具を惜しみなく使ってまで領域を当ててきたのだ。
まず間違いなく、無量空処を確実に防げる程の領域対策は持っていないと言う事になる。
「とはいえ、アイツが時間稼ぎする気マンマンなのがめんどくせーな。小さい僕を他の術師への妨害に向けてやがる」
唯一と言ってもいい五条の弱点は、術式を使って戦うと味方を巻き込んでしまう事だ。ミゲルはそれを理解して、精霊五条を術師たちの傍に置き続けることで、破壊から守っているのである。
「ドウシタ五条悟!コノ程度デ
ミゲルが叫ぶ。
五条は一つ大きな溜息をつき、ミゲルに向かって跳躍した。
「……どっちにしろ、僕が相手をするしかないのは変わらないか。
後悔させてやるよ」
しかし、物事はそう上手くは行かないものだ。
精霊五条の破壊どころか、五条はミゲルの前に釘付けにされていた。
『『
双方の領域が激突する。
その押し合いは……ほぼ発生しない。
ミゲルの谺喚山嶺は一瞬でかき消され、無限を内包する宇宙が展開される。
しかし、幾ら領域の押し合いに勝った所で何の意味もない。
なにしろ今のミゲルには無量空処が効かない。無量空処には物理的なダメージを与える機能がないため、実質的に術式が付与されていない様なもの。
対する五条はもう一度谺喚山嶺を喰らうと、合算6割以上の力を奪われて確実に負ける。
よって、意味がないとわかっていながらも領域を展開せざるを得ない。
「Hey!サッキマデノ威勢ハドウシタ!?」
「クソ……!」
それに加え、領域を解除するのが遅れると次の領域勝負に術式の回復が間に合わない。領域を維持したところでそもそも効果が無い事もあり、五条は押し合いを制した瞬間に領域を解除しなければならない。
無下限の防壁が解かれる。領域解除直後は術式が焼き切れ使用困難となり、それは五条といえど例外ではない。
しかしミゲルの精霊躁術は術式が焼き切れようと問題がない稀有なタイプの術式である。
術式を使っていなくても精霊五条は健在だ。元気に術師たちに突っかかり、呪霊との戦闘を妨害している。
精霊躁術は契約を長期間維持することができない代わりに、精霊と契約さえ結んでしまえば術式が焼き切れようとも契約が切られることはない。
故に。
「普段ト逆ノ立場ニナッタ気分ハドウダ? 五条悟!」
「最高の気分だよクソッタレ」
双方の術式が焼き切れているが、ミゲルは精霊五条を通して無下限を身に纏う事が可能である。術式が焼き切れている五条は無下限を中和できず、ミゲルに攻撃を当てることができない。
つまり、領域直後の術式が焼き切れている間は、通常時の真逆。
ミゲルが無下限呪術による絶対防御を持ち、五条はダメージを与える手段が無いという状況になる。
そして、術式が回復しようと———
「オット!逃ガサナイヨ」
「こっちのセリフだ」
『『
————再度領域が展開される。
ミゲルは領域を維持可能な時間を1秒間に絞る、領域の強度を極端に下げるという二重の縛りで消費呪力を大幅に下げている。
しかし、それが分かっていながらも、不意打ちで本来の領域を展開される可能性がある限り、五条は全力での領域展開を強制される。
(めんどくせぇな本当に……!
このままだと先にこっちの限界が来る……まさか僕が呪力切れを気にしながら戦う日が来るとはな……)
圧倒的な呪力効率を誇る五条であろうと、限度というものがある。
この一方的にミゲルに有利な領域勝負を続けていると先に呪力が切れるのは五条だ。
(とはいえ、この展開は僕にも都合がいい。正直今のコンディションで全開の領域勝負になると勝てるか怪しいし、かと言って領域が保てなくなるほどのダメージをアイツに与えるというのも無理がある。
アイツとしては傑が来るのを待ってるんだろうし、実際傑が来たら詰みなんだが……)
五条の狙いは変わらず、ミゲルそのものではなくミゲルが使役する精霊五条。これを破壊しない事には勝利はない。
(ただ待つのは愚策も良いとこだが、他に手はない。僕の精霊を確実に破壊できるタイミングが来るまではこのまま耐えるしかないか……
マジで頼むよ? 一級術師のみんな)
「『シン陰流・居合-夕月-』
……抜刀!」
一級術師の中でも最上級のフィジカルを誇る日下部の一撃が精霊五条にヒット……しなかった。防御姿勢どころかほぼ意識すら向けてはいない。
『ケケケッ』
「オイオイオイオイマジで無下限呪術じゃねぇか!なんなんだコイツは!?」
「やめときな日下部。ダメージを与える手段がないよコレ」
何せ、本当にどうしようもない。
精霊五条は呪力量だけならそこらの一級術師の平均程度。だが、無下限の壁を突破するには特殊な技能が必要となる。
「ふむ……簡易領域内で刀を振るったら必中とか出来ない?」
「簡易領域を何だと思ってんだ。出来るわけねーだろ」
『ケケッ』
「何よりも五条の顔してんのがクソ腹立つな……オラァ!」
精霊五条を警戒する片手間に、寄ってきた呪霊を祓う。
実際のところ呪霊はかなり減っている……と言うよりも、そもそも新宿に配置された呪霊の数が少なく、質もそこそこと言った具合だ。
京都側からは特級呪霊撃破の報告が数件上がっているのに対し、新宿では一級呪霊すらほぼ見かけない。
「それもこれも全部アイツが居るからだろうな」
「いやはや……五条君相手に足止めを出来るだけでも相当な化け物なのに、見る限り互角以上に張り合っている。外国人に見えるけど、なんであんなのが居るんだろうね」
新宿に招集された術師に共通して言えることだが、彼らは五条を手助けする気は全く無い。
『五条悟は1人で戦う時が最も強い』という共通認識があるからだ。
「五条君以上のフィジカルに加え、何度も領域を展開しても問題ない程の呪力量、対象の分霊を作り出して操る術式……と言うよりも、領域に付与された術式が分霊を作る術式で、本来の術式は使ってすらいない様にも見える」
「元々の術式は降霊術系の何かなんだろ。五条に通用するものじゃないのは確かだ」
「ともあれ、五条くんとそのちっこいのを引き剥がしてると言うことは、五条くんならそれを破壊できると言うことだろうね。無下限は無下限で中和できると言うのが最有力かな?」
「つまりは……っつーかいつもと同じだが、ヤバすぎる相手は五条に任せるって訳だな」
どうにかして精霊五条を無下限呪術の効果範囲外の距離まで引き離し、五条が処理する。
それさえ出来れば五条の有利だ。
「それじゃあ、今小さい五条君は日下部君にご執心みたいだし……別行動と行こうか。伝達は任せたよ」
「チッ、仕方ねーか……」
そうと決まれば話は早い。
窓を含め全員に状況を伝達。行動を指示する。
とにかく呪霊をさっさと一掃し、できる限りバラバラに位置取ること。
そして精霊五条に目をつけられた者はどうにかして精霊五条を振り払うこと。
精霊五条を振り払えなければ、五条に巻き込まれて死ぬ覚悟を決めること。
(って自分で言ったは良いものの!俺はどうにかして
専ら犠牲者の筆頭候補である日下部だが、他の一級に押し付けられないかと苦悩していた。
(クソが!)
とは言え、彼もそこまでクズではない。
五条の戦闘に巻き込まれて深傷を負う覚悟はあるし、一応信頼のおける一級以外には近付かないようにしている。
『あ゛あ゛……』
「おっと!」
目の前に現れた呪霊を切り裂く。
(畜生、このままだと先に呪霊が尽きちまうだろうが!早くそこらの一級に……?)
後ろを振り向くと、精霊五条が何かを持っている。
「……トーテムポール?」
どうやら先ほど祓った呪霊の腹に隠されていたようだ。
精霊五条は手際よくそれをアスファルトの上に並べていく。
『ケケッ』
まずい。
精霊五条を止めに入ろうにも、日下部1人では止められない。
その上、近くに仲間がいない……!
「サテ、round2ダヨ」
「あ゛ぁ!?
領域———」
そこで、五条は気付く。
(領域を展開しようとしない?それどころかコイツ、無下限を解いて……?)
「
その呪力は、契約の糸を辿って精霊五条に。
「術式の遠隔発動……!」
「精霊ガ遠隔デ術式ヲ使エルンダ。ソノ逆ガデキナイナンテ都合ガ良スギルト思ワナイカ?」
その3本のトーテムポールには、聖霊を呼び出す為の霊媒が仕込まれていた。
1本目には屋久島から調達した、2000年生きる屋久杉の種を。
2本目には日本海溝の底に棲む、ダイオウホウズキイカの嘴を。
3本目には富士山の火口から採取した溶岩を。
それらの素材を使ったとしても、本来は対象が巨大すぎる故に呼び出す事すら不可能な存在。
神に等しい大自然の化身が形を成し、顕現する。
その中の一体、タコのような精霊が日下部に向かって手を翳した。
ただそれだけの一工程で津波に等しい莫大な量の水が出現し、日下部はなす術なく押し流され……否、弾き飛ばされてしまう。
「ぐあ……!」
五条はそれを見て、すぐさま日下部の元に向かおうとするが、ミゲルがそれを許さない。
当然、再度領域を構えている。
「この野郎……!」
「オ前ノ相手ハ俺ダト言ッタハズダガ?」
『『
そして一瞬の領域勝負が終わり、再度五条の術式が剥奪される。
「サテ……暴レテキナ、大自然ノ精霊達。術師ヲ殺シテハイケナイヨ」
燃えたぎる活火山を宿した大地の精霊。
揺るがぬ大木を思わせる森の精霊。
雄大さと拭い難い恐怖を併せ持つ海の精霊。
(並の特級なんて目じゃねぇ……!それが3体……!)
『……』
森の精霊が地面を触る。
すると、アスファルトに覆われた地面から樹木が出現し、街を飲み込みながら呪術師たちに襲いかかった。
(なんだこの馬鹿げた規模は!? くそ、潰され……!)
「来訪瑞獣二番・霊亀ッ!」
「猪野!」
間一髪のところで二級術師猪野琢磨が助けに入り、術式による水を使った高速移動で日下部を助け出した。
しかし、樹木の勢いは止まらない。とんでもない勢いで新宿を覆い尽くそうとしている。
「ヤバすぎっすよ日下部サン!どうするんですかコレ!」
「どうするもこうするもあるか!戦える術師全員かき集めてどうにかするしかねぇんだよ!」
「んな事言ったって五条サンじゃなきゃどうしようもないでしょコレ!」
「おい!猪野!前!」
「え……うわぁ!?」
あまりの緊急事態に、2人は冷静さを欠き……その隙に大地の精霊が高速で前に回り込んで、目の前で炎を構えていた。
(まずい!やられ———!)
不幸な事に、高専側は九十九由基と最後まで連絡が取れなかったため、最高戦力の特級術師は五条1人しか百鬼夜行に参戦していない。
とは言え、元々誰も悲観などしていなかった。
所詮は呪霊の軍隊と、小規模の呪詛師集団。
首魁である夏油傑は特級呪詛師と言えども、五条悟と比較すれば明確に一段落ちる。
厄介ではあるが、玉砕覚悟と言うほどでもない。
五条悟の強さを疑う者など誰1人として存在していなかったし、敗北の可能性どころか苦戦する姿さえ想像もしていなかった。
なので五条がいる新宿側の戦力よりも京都側に強力な術師を多数配置し、御三家の精鋭を全て京都に集めた上で東京側に所属する一級術師を派遣していた。
実際、呪霊の数や規模を見てもその采配はプラスに働いていた。
「クソッ……!」
しかし、ミゲルの存在が唯一の誤算。
五条を除き、新宿にはこの精霊3体を倒せる戦力が無い。
———本来ならば。
「オラァ!!」
『……!?』
大地の精霊は突如何者かに殴り飛ばされ、日下部と猪野を焼こうとしていた炎は不発に終わる。
「お前……秤!?」
「お、日下部先生じゃないっすか」
「じゃないっすかって、お前京都に……冥冥の弟の術式か!」
「ヤバいってんで駆けつけましたよ。んじゃ、1つ貸しってことで」
「(貸し?なんかタカろうとでもしてんのか……?図々しい奴だな……)
しゃーねぇな、それじゃあ火山ヤローは任せたぞ!」
「んじゃ、忘れないでくださいよ!」
秤はそのまま大地の精霊に突撃する。大地の呪霊は地面から小さな火山を生やし、噴火による即死級の大火力で秤を狙撃するが、立ち登る莫大な呪力に阻まれて決定打にならない。
「いやー良かった良かった。ちょうどムシャクシャしてたところだったんでな。遊んでもらうぜ富士山野郎」
『……!』
「領域展開」
しかし、その領域は数秒で解除された。
けたたましい音楽が鳴り響き、秤に無限の呪力が与えられる。
秤は京都にいる時点で確変状態に入っていた。そして今日の秤は、いつにも増して運がいい。
「悪いな……奇数図柄だ」
「姉様!」
京都から増援を連れて戻ってきた憂憂が冥冥に駆け寄る。そのまま笑顔で抱きつこうとし、額を突かれて止められた。
「助かったよ憂憂。しかし、もう1人くらい連れて来れたんじゃないかい?」
「それが……『五条悟が劣勢』と伝えたら他の術師が皆拒否してしまいまして」
「……ま、しょうがないか。その前提で救援要請とか私でも拒否する」
「それで、姉様は?」
「烏たちではスピードが足りないせいで墜とされてしまうが、直撃すればそれなりのダメージを与えられるだろう。
あの状態の秤君なら1人で大丈夫だろうし、他の2体との戦闘のサポートに入ろう。漁夫の利で臨時ボーナスを狙わせてもらう」
「流石クレバーな立ち回りです!姉様!」
大量の烏を従え距離を取る冥冥。
その道すがら、相変わらずミゲルからの殴打に耐え続けている五条を横目に、絶対的な信頼と一抹の不安を込めて呟く。
「私たちの方はなんとかなるかも知れないが、結局はそっちの結果次第さ……信じてるよ、五条君」
次回はもう少し早く投稿できるはず