序章 世界滅亡
この日、1つの世界の人類史が終わりを迎えた。
空には一切の光を通さない暗雲が拡がった。草木は枯れ果て、肥沃であった土地も地割れを起こしていた。城や城下町、この世界に存在する全ての集落が倒壊し、人類が長年をかけて築き上げた文明が一瞬にして灰と化した。その建物のそばには、決まってかつて人間であったものの遺骨が転がっていた。
そんな世界の崩壊の中心地に、勇者はいた。腕と足が1本ずつ欠損し、胴体には一目で致命傷であるとわかるほどの風穴が開いた状態で、地面に転がっていた。なぜ生きているのかがわからないくらいの重症であったが、どのみち数刻もせぬ間にその命を散らすであろうことは明確であった。
そしてこの場にいるもう1人、勇者との死闘を制した魔王は左腕を失っていたが意にも介さず勇者を見下ろすように両足で地面を踏み締めていた。
魔王は勇者に回復魔法をかける。
「貴様の肉体は損傷が酷すぎてもう助かる見込みはない。が、聞きたいことがある故、少しばかりの延命措置をとった。」
こともなげに魔王は勇者に告げた。
「勇者よ。私は今まで数多の勇者を殺してはその世界を滅ぼし、そして数多の勇者に封印され、その度に長い年月をかけて蘇るという無意味な生を繰り返してきた。」
魔王はまだ息のある勇者に語りかける。戦闘中に見せたこの世の悪意の全てを煮詰めたような邪悪なオーラも、この時だけは鳴りを顰めていた。
「故に断言できる。貴様は今まで相手にしてきた勇者の中で、最も強かった。それこそ封印などではなく、我の存在そのものを消滅させることができるぐらいにはな。」
勇者は朦朧とする意識の中で、魔王の語る声にどこか悲壮感のようなものを感じた。
「故に問いたい。なぜ貴様には、仲間がいなかったのだ。我の攻撃を退ける盾となる者が。貴様の行動を支える魔術師が。傷ついた肉体を癒す聖者が。仲間がいれば、永劫に続くこの我と勇者の意味のない戦いに終止符を打てたというのに……。」
それは、勇者もずっと思っていたことであった。
盾となるものがいれば、傷を負う機会が減っただろう。
支援する者がいれば、相手の攻撃を気にせずとも攻撃できる機会が幾許かあっただろう。
治療してくれる者がいれば、相手を打ち滅ぼすまで戦いを続けられただろう。
「全員……、パーティから抜けていったんだよ。あの薄情者どもめ……。」
タンクの奴は最愛の女ができたという書き置きを残して消えた。
魔術師の奴は道中で戦ったドラゴンに殺されかけたことで限界を感じたという書き置きを残して消えた。
聖女は盗賊に攫われた身寄りのない子供達の居場所を作ると言い出して頭を下げて出ていった。
魔術師の奴は仕方がないとして、後の2人に対しては文句を言いたくなったし、実際面と向かって脱退を宣言した聖女に対しては、勇者としてあるまじき罵詈雑言を吐いた。魔王を倒さなければその子供達にも明るい未来は来ないと説得したが、子供達は今、困っているのだと頑なに譲らなかったからだ。
勇者であるが故、世界のために命を賭して戦う覚悟は当然持っていた。だが、仲間の助けもなく、単身で魔王に挑みただ無駄死にする気概までは持ち合わせていなかった。無謀と理解していながらも己の心に鞭を打って剣を抜いた。
その結果がこの敗北であり、今はむしろどこか清々した気分になっていた。木の棒1本で魔王退治に向かわせた王に、ただ俺の勝利を願っているとしか言うだけで何もしない王女。薄情で、臆病で、偽善をばら撒く仲間。俺のことを何でも屋だと勘違いしているこの世界の住人たち。かつてはこの世界を守りたいと心から願っていたが、腹をぶち抜かれ地面に転がっている今となってはこの無情な世界に価値はあったのかと考え出す始末である。
それを聞いた魔王は特に表情を変えるわけでもなく、ただ「そうか」とだけ呟いた。
「貴様が我の前に現れた瞬間から槍で体を貫かれる瞬間まで、一度も貴様の目は己が勝利する未来を描かなかった。まるで敗北が当然であると考えているかのようにな。」
故に、と魔王は言葉を続ける。
「故に、我は疑問に思うたのだ。何故貴様は剣を抜いた。敗北以外が存在しないにも関わらず、貴様は戦う意志を見せた。自暴自棄といえばそれまでだが、どうにもそれだけとは思えぬのだ。」
勇者は思考が霞む頭をぼんやりと回しながら魔王の問いに答える。
「わからないというのが……本音だ。もしかすると……国か民か、はたまた特定の誰かを、守りたかったのかもしれないし……お前が無いと切って捨てた自暴自棄かもしれない。腹ぶち抜かれた衝撃で、飛んでいっちまった。俺が命を賭した理由が……。だが、逃げる選択肢が存在しなかったことだけは覚えてる……。」
勇者の回答に、魔王はどこか納得したような顔を浮かべる。
「敵前逃亡は辞書にない、か。抱いたものが希望か蛮勇かはわからぬが、どちらを抱いていたとしても、貴様は正しく勇者であったということだ。」
魔王がちょうど話し終えたところで、勇者の意識がだんだんと遠のいてくる。しかし、魔王の言葉だけははっきりと頭に入ってくる。
「ふむ、もう時間か。短いものだな。」
「もう細かいことは話せぬが、これだけは聞いてほしい。我は、死を求めている。誰かを殺し続けるだけの無意味な生を何百、何千年と続けてきたからな。もういい加減、我は眠りにつきたいのだ。
確実な眠りを手に入れるために、我はありとあらゆる分野の研究に力を入れた。その過程で、生物は皆死すれば世界を渡り、再び新たな生を享受するという真実に辿り着いた。その際、生まれ変わる命にその魂の記憶は宿らぬが、才能は引き継ぐということもわかっている。
ならば、我を殺せる可能性を持った者が死んでしまったとしても、記憶を持って生まれ変わることができたならば、必ずや、我を殺すことができるであろうと考えた。」
勇者は目を閉じているが、魔王はまだ声だけは聞こえていることを悟り、言葉を続ける。
「輪廻に干渉するということは、世界の理に触れるということ。そしてそれは生物には過ぎたる行い。たとえこの魔王たる我であったとしても、この潰えぬ生涯に一度が限界である。故に、我は待ち続けた。我を確実に殺せる力量を持った者を。」
魔王が詠唱を始めると、勇者の体を中心として直径15メートルを裕に超える魔法陣が大地に浮かび上がる。詠唱が進むにつれて、勇者の体は徐々に浮かび上がり、暖かな光を放ち始める。
最後の一節を唱え終えると、魔法陣が徐々に収縮していく。そして最後に勇者へと語りかける。
「貴様を転生させた後、私はまた別の世界へと赴くことになるだろう。人が営む世界へとな。我の勘にはなるが、まだ我が滅ぼさねばならぬ世界はごまんとある。だからこそ、貴様が次の世界で生きている間にあい見えるであろう確率は0にも等しい。」
しかし、と魔王は続ける。
「これも我の勘になるのだが、貴様とは、またどこかの世界で同じように出会える気がするのだ。そしてその時は、必ず……」
勇者は彼が放つこの言葉を、決して忘れることはないだろう。悲哀に満ちたこの声を。魔王ではなく、彼自身の声を。
「私を、殺してくれ。」
その言葉を最後に、勇者は己の記憶と共に、世界を越えた。
「さて、次に出会えるのは、何百年後だろうね。」
彼の声は、荒廃した大地に消えていった。