悪食と偏食のプレリュード・ノン・ムジュレ(短編集) 作:古守
ふたり揃って朝食をとることも、スーツに袖を通すこともすっかり日常となった第四水曜日。偶数週の水曜だからビン・缶の日か、とシンク横へ視線を振ると既に指定の収集袋にひとまとめにされたゴミが置かれていた。
昔に比べると減りはしたものの、まとめられた内の七割は俺が積み上げたものだ。視線に気付き正面から飛んできた「今日もお願いしますね」にも当然否を唱える理由はない。寧ろ未だにRB摂取を容認してくれることに感謝すらする。
「楽郎君、あの、まだお時間ありますよね?」
「ん……? ああうん、余裕」
「でしたらその、い、今から私が話すことは楽郎君を納得させるのに十分な大義名分が立つものとしてっ!」
「お、おう急にどした? 座って話聞く?」
「いっいえ、そ、のまま……そのままで、大丈夫です」
大義名分だの口にする奴は大抵それらしい口実で言い訳を並べてくるものだが、玲さんが言うなら何かしらの根拠ありきで話があるのだろう。俺を納得させる? なら頼み事か提案か。このままでいいらしいので一先ず提げていた鞄とゴミ袋だけ置き改めて玲さんへと向き直る。
学生の頃とは違い顔全体を真っ赤に染めてはいないが、眦のあたりに化粧とは違う朱が差している。まばたきに合わせて上下する睫毛を長いなぁとぼんやり見つめている間にも、どうやら彼女は言葉を組み立て終えたらしい。はたと視線が合うのを合図に、玲さんは口を開いた。
「私、見送りというものが当たり前にあった環境で育ちましたから、いつもしていて」
「あー確かに。言われてみれば」
「しないご家庭もあるみたいなのですが……その、楽郎君のご実家なども」
「まああの家族だしみんな気にしてなかったね。あって声かけとか」
「ですよね? ただ私は、したくて、毎日玄関まで……」
「うん。……うん?」
これはつまり──……どういうことだ?
今までどおり続けていいか? だけでわざわざ確認はしないようにも思うが、かといって誰かに咎められたなんてことも流石にないだろう。実家で慣れている分見送りはなくても問題ないしそもそも気にしたことがないんだけど……ああいやでも、今更止めると言われると逆に違和感はあるか。
「玲さんがしたいならいいと思うよ。俺も嬉しいし」
「……嬉しい、ですか?」
「もしかして気になってたのそこ? ない方に慣れてたのは確かだけど、玲さんから“いってらっしゃい”って笑顔で送り出されたらそりゃあ嬉しいですよ?」
不満持つ奴いたら控えめに言ってクソじゃね? 第一俺の相手玲さんだぞ。ねーわ。
嬉しい、の一言だけでぱっと表情を明るめた玲さんは、不安げに遊ばせていた指同士を胸の前で組み合わせて少し前のめりに続ける。
「でしたらあのっ! も、もしよろしければっ……ハグ、っキ!」
「歯茎?」
「~~っ、ハグなどもして、してみませぅか!」
「あ~……と、なるほど。いいよ、する?」
「なぜこのような提案をしたかと言うとハグによるメリットとしてまず────……ぁえ? い、い?」
「あんまり詳しくないけど幸せホルモン的な、幸福感得るんだっけ」
「しょ……そ、うです。あの、えっと……ほんとうに」
「準備してたなら話してからでもいいけど。しながら話す方がお得よ、玲さん」
さあさあと両腕を広げてみせれば、数拍おいて「失礼します」と控えめな温もりがやってくる。夫婦でハグをするのに口実は必要ないだろ、と内心ツッコミを入れつつも律儀にメリットを連ねる玲さんが一生懸命なので俺は黙ってそれに耳を傾ける。
セロトニンにオキシトシンね、うんうんなんか聞いたことあるけど人に話せるほどは知らんってレベル感の話だわ。てか事故率減ったり寿命伸びたりすんの? マジ? まあ言霊なんて言葉が存在するしあり得ないとも言えないか。毎日いってらっしゃいとセットで「気を付けて」も添えられているし、自然と、玲さん待ってるからな~とか思ってることあるわ。
リラックスとかストレス軽減の方はより分かる。今がまさにそうだし。丁度よく腕に収まっている感覚とか香りとか。同じ洗濯洗剤使ってるはずなのに、なぜこうも違うんだってくらい良い匂いすんだよなぁ玲さん。体温高めだから冬場は素直にありがたいし折角ならコート脱いでおけば良か……ないな! 別の問題が出てくるから駄目だな! …………ゆるっゆるな顔してさぁまったく、俺はこれからオシゴトなんですが? しごとシゴトお仕事ァ! よし煩悩は消えた。
「にしてもなんで急に? 昨日の名残とか?」
「んぅ、今日は、いい夫婦の日なんだそうです。十一月二十二日で、イイフウフ。ですから、少しでも何かできることはないか、と」
「……ほぉーん……ってことはこれ、今日限定なわけだ」
「えっ」
「俺の健やかな生活と長寿のために毎日してくれんのかぁって期待したんだけど」
「なぁ、っい、いえあの! もも、もちろんっら、楽郎君さえよければ私は、毎日でも吝かではないですがっ!?」
うーんなんという役得。言ってみるもんだなぁ……そーか、そーかぁ。
話をするため申し訳程度空いていた隙間を更に広げるように玲さんの両肩へ手を添える。温もりを名残惜しみながら引き離す代わりに少しだけ腰を折り、それから顔を覗き込むのは確認のためというよりはダメ押しだった。
「マジ? 玲さんから積極的にしてくれるって思っても?」
「しょあっ、は、いっ! け、健康と、長寿のため、ですからね!」
「ん、決まり。……そんじゃまあ、答え合わせでもしましょうかね、玲さん」
へ。と目を丸める玲さんから視線を外し取り出しますは俺の携帯。必要なワードを手早く入力し、指を滑らせ該当箇所を映したならばお次はそれを玲さんの眼前へ差し向ける。
表示した文字を追うや否やみるみる茹で上がり、開いた口の輪郭を波打たせ慌てるサマはまさに想像した通り。多少のからかいへは耐性もついてきている玲さんだけど、不意打ちにはまだまだ弱い。そして残念なことに、俺はそれを誰よりも、下手したら本人よりも知っている。
「ハグだけじゃ花丸満点はあげらんないなぁ」
「らくっ……もし、かして……し、知って?」
「ハグキ、ハグなどって言い方と、玲さんの話から推し量ればそうだろうなと」
「ほ、ほとんど最初からでゃっ!?」
「何年一緒にいると思ってんの」
当初はクソゲーマニアの方が攻略されただのなんだのと各所から散々煽られまくったものだが、人間とは成長するもんなんだよ。大人な俺は誰とは言わんが。分かるか? 外道ども。まあそれは捨て置くとして、携帯をしまい改めて玲さんを見据えると、きゅっと引き結ばれた口元と訴えるような双眸から微かな悔しさが見て取れる。
……さて誰に似たのやら? この人も中々の負けず嫌いになったものだなぁと悦に入り笑んでいると、穏やかさに不服を乗せた「らくろうくん」が彼女の声として届き、
「────はなまる満点、くれますよね?」
あ。と思うより先に塞がれて、したり顔でそう問うてくる時には奪われたあとだった。
流石は玲さん。無駄なく襟を掴み機動力を殺した上で紙装甲への容赦ない一撃……俺のことよく分かっていらっしゃる。ウソ分かってない。これ毎日やるって正気かオイ?
「ずるいから
「そんなっ……ん、え? 満点を越え、て?」
「違う違う百八だから。満点は帰宅後に俺が取れるまでやる」
「っそれ、」
「明日祝日で休みだし。それじゃ玲さん」
いってきます! と家を飛び出した俺はゴミ出しクエストを終え、即座に除夜の鐘の音をBGMにチョイスし職場を目指した。取り敢えず玲さんには如何に自分が高火力持ちかってことを知ってもらうところからだな、うん。身が持たん。