悪食と偏食のプレリュード・ノン・ムジュレ(短編集) 作:古守
※大学生if、名無しオリ男女、バイトなど捏造過多、微量の匂わせ
一年次からその片鱗はあった。二年次になると更に回数が増し、秋学期以降はより顕著になった。
何がと言えば、楽郎君が飲みの席に誘われることが、だ。
恋愛アドバイザーに聞く「キャンパスライフはモテる」「楽郎君は割とモテる側」という話は、正直に言えば入学するまでは半信半疑だった。
彼の容姿や対人関係に疑問があったわけではなく、ただ一点、楽郎君を語るうえで外せない
二年の夏休みを終えてからは私が隣を歩くことを許された。ゲーム友達だった時も、お付き合いが叶ったあとも、受験に集中していた期間を除けば彼と共有した時間は多い。
そういった気持ちのゆとりが油断を生んだとも言えるけれど、実家を離れての大学生活というのは想像していたよりもずっと大変で。自由な時間はあるにはある。ただし、意識して合わさなければ目に見えて会う時間が減る。同じ学部であってもお互いにコミュニティがあり……と、要するにすれ違いの時間ができてしまい、気付いた時には、楽郎君の近い場所に女の子の姿があった。
一般的な男性のことはあまりよく分からないけれど、
それはとても素敵なことで、楽郎君が仲間と談笑したりふざけあったり、時に悪巧みをしたりする姿は全て好ましい。同性にしか分からない話もあるだろうし、同じゲームをプレイした者でしか理解し得ない感覚もあるだろう。
少し羨ましくもあるけれど、それ以上に楽しそうに笑っている彼が好きだから、交友関係に口を出そうなどとは思わない。そのままでいてほしいと思う。
────ただ、楽郎君は異性から向けられる感情に少し疎いような気がして。
それだけが、時々不安や心配として心を占めた。以前女の子に誘われていた時に照れていたようにも見えたから、余計にそう思うのかもしれない。
『まあでもさ、大切にしてくれるでしょ。陽務君』と、真奈さんに言われたことがある。電話口でもとても穏やかに響いたそれは、楽郎君の人柄あってのものだ。
優しくて気さくで、別け隔てなく人と接する。そんな中でも私は、彼に優先してもらえているんだと思うことがままあって。真奈さんに言われたとおり、大切にされている実感があった。
だからこそ私のこれは──不安や心配や、嫉妬心は。抱く必要のないもので、楽郎君には知られたくない面倒くさくて卑しい感情だ。「友達」という彼の言葉を信じればそう悩むことでもないのだからと、私は今日も自分に言い聞かせる。
「え、玲さん参加すんの?」
「……はい。楽郎君も出る、とお聞きして。……もしかして不参加でしたか?」
「アイツ……いやぁ確定してたわけじゃないんだけど、そういうことなら俺も出るわ」
「…………あのっ、もし私に気を使っているのでしたら、無理には、」
「んや、ギリギリまでバイト詰めるか悩んでただけ。玲さんもそうかなって」
「ご実家に帰られたり旅行をされるようで、私は、年が明けるまで
「なるほど? じゃあ玲さん、帰省まで比較的空きあるんだ」
問いかけへ頷きで返すと、楽郎君はなるほどなるほどと思考を飛ばし思案顔。
同じ履修科目で大きめなグループディスカッションが行われ、その打ち上げをどうするかという話だったが上手い具合に流されてしまった。楽郎君が不参加なら私は今からでも断りを入れられたのだけど、「24日、25日あたりは確実に空けといて!」と足された言葉に私の意識の方が逸れてしまった。
参加すると言った時、楽郎君が浮かべた難しそうな表情の理由も聞けぬまま。
迎えた打ち上げ当日。同じグループだった友人と先に入っていた私とは違い、楽郎君は一番最後にひとり遅れてやってきた。席は離れた位置になってしまったけれど、直前まで入れていたバイトで遅れたと聞き取れた。
実入りの良い短期のアルバイトを好む彼は驚くほどフットワークが軽い。当日決めてその日限り働くなんてこともよくある話で、今日のことも私は知らなかった。楽郎君と同じグループだった人たちの中へするりと溶け込む姿はいつもどおり自然で、酷く疲れている様子もないので、今回のものは過酷すぎる内容ではなかったらしい。
ほっとして視線を戻すと、すぐににまにまとした楽しそうな視線が刺さる。
「ほんっと隙あらば見てるよねぇ」
「うっ」
「仕方ない……あとでこの席は彼に譲ってやろう」
「ああの、っそこまでしなく、ても」
「いいのいいの。ま、玲がこういう集まり来てくれるの珍しいし、もうちょ~っと私に構ってもらうけどね?」
そう言ってからりと笑う正面の友人と、近くにいたグループメンバーとの会話は思っていたよりも気楽なもので、お酒の力もあり過ごす時間は純粋に楽しいと思えた。
食事も美味しく、話題が豊富なみんなのおかげで必要以上に彼の周りを意識せずに済んだことも幸いした……の、だけれど。こういった、人が集まる場にいると聞かなくてよい話というのも自然と入ってくるもので。
「陽務やっぱいいなぁ」
「すごい話やすくてびっくりした~」
お手洗いに立った際に耳にしたソレは、初めてではないので驚きはしなかった。
情報通の友人からも「陽務くん地味に人気あるんだよねぇ」と教えてもらったことがあるし、以前も彼が褒められているのを立ち聞きしてしまったことがある。
顔が好みだとか、親切だとか、話しやすいとか。内容全てに同意でき、近くで見ていれば当然彼の良さは伝わるだろうと納得もした。趣味のゲームも娯楽に溢れた都会においては堅実なものとして扱われ、真奈さんや友人曰く、楽郎君は『
────それからもうひとつ。これは私自身のことだけれど。
「ただ彼女持ちなんだよね」
「えっそうなの?」
「あーアンタあんまり講義被ってないもんね、結構有名だよ。斎賀さん」
「サイガ……斎賀、さん? うそ、斎賀さんと陽務くん? 意外~」
「ね。私も最初は思った」
「なんかこう、ノリ……というか住む世界違うというか?」
と、思われているらしい。釣り合わないだとか、イメージと違うだとか。楽郎君が無理して合わせているんじゃないか、とか。そういった類の話を聞いたことがある。
楽郎君といるといつだって楽しいから考えたこともなかったけれど、私が彼女に見えないがために彼の周りに集まる女性がいるのなら、それは悔しい、と思う。じゃあどうすればいいかという結論はまだ出せておらず、ただ漠然と、もうちょっと積極的に動くべきなんじゃないかと思っては怖気付くを繰り返し……結局はなにもできずじまいなのだけど。
耳にする機会が増えれば、楽郎君を信じる信じないとは別に危機感も生まれる。釣り合う、のは難しくても、せめてもう少し彼女として認知されたいとは、思う。
……そうとても、思っているのだけど! どっ……どうしましょう、真奈さぁんっ!
お手洗いの外であたふたしていると「うちトイレ二階にもありますからどうぞ」と店員さんに教えてもらえた。彼にちょっかいをかけないでください! なんて突撃する勇気は流石に持ち合わせていないのでありがたく上をお借りして、一旦気持ちを落ち着けてから個室へ戻る。
楽郎君の横には恐らく先程の女性ふたりと、会が始まった時とは別の男性。楽郎君とよく一緒にいる、私を打ち上げに誘った人も場所を移動したらしい。元いた席へ戻ると丁度真横になったその人は、「普段あんま話せないから席変わってもらった」とにこやかに口にしながら、お酒のメニュー表を寄せてくる。
「玲ごめ~ん。陽務くんまだ捕まってて」
「ううん、大丈夫」
「いやでもホント斎賀さん来てくれて嬉しいわ。普段そんなに飲み来ないじゃん?」
「ええとその……大勢での飲みの雰囲気に、あまり馴染めていない気がして」
「そー? さっき楽しそうにしてたし慣れもあるんじゃねぇかなぁ。あとはほら、楽しんだモン勝ちィ! みたいなその場のノリでなんとかなるというか?」
「ノリ……楽しんだもの勝ち……」
「テキトーに流していいよ、玲」
「はい……いえ。確かに楽しむのは、大事、ですね?」
「おっいいね! 取り敢えずグラス空いてるし斎賀さんも何か飲も、すみませーん!」
楽しんだもの勝ち、の感覚であれば楽郎君を通して知っているものだ。それがその場のノリとして受け入れられるかはさて置き、幸いなことにお酒には弱くない体質らしいので、少しくらいは合わせてもいいのかもしれない。
楽郎君のご友人に合わせた生ビールの中ジョッキ。「改めてカンパーイ!」の声とともに、私も勢いよく呷った。
楽郎君が普段こうやって飲みを楽しんでいるのなら、私もそれを知ることでもっと近付けるかもしれない。その場のノリに対応できれば、他の子たちからも釣り合っていると思われるかもしれないし、楽郎君も、私が参加することに対して難しい顔をしないかもしれない。
そもそも理由を聞けたんだっけ……? 思い出せないけど、楽郎君からこういう場に誘われたことはないし、やっぱりノリが違うから、いない方がいいと思われているのかも…………、ううん。楽郎君はそんな風に人を判断したりしない。私が、少し苦手意識を持っているのを汲んでくれて……きっとそうだ。それに、理由が知りたいなら私から聞けばよかった。そうすれば楽郎君は答えてくれていたはずで、前日まで悩んで、ちょっと寝不足になることもなかったのに。
それより、何ですかっ……
だって私はこんなに、こんな…………あ。目があった。やっと、こっち見てくれた。ちょっとびっくりしてるのも、格好いい。……はぁ……少しくらいはおしゃべりできると思ってたんだけどなぁ、全然できなかったや。……二十歳のお誕生日にちょっとだけ飲んだきり、楽郎君とは、飲んでない……から、今度またふたりで、ふたりきりでお酒飲めるといいなぁ。ああ、そうだ……クリスマス。クリスマス、空けておいてって言われて、元から、空けていたけど、クリスマスは期待しても……、…………?
「らくろ、くん。手、どけてくれないと、前がみえません、よ?」
「そうしたいのは山々なんだけど他の野郎には見せたくなくて」
「……? 楽郎、くんが、見たいです」
「後ほど存分に見てどうぞ。……それとからかい半分下心半分で酒飲ませたお前、マジ許さん」
「俺だって後悔してんだよ陽務ぇ……」
「玲さんジョッキ置いて。はいこっち向いて水飲んで」
「は、い」
「陽務くん、これ玲の上着と鞄」
「ども。玲さん、立って歩けそう?」
「……平気です、わたし……酔っては、」
「腕貸すけど?」
「っ……借ります」
「うし。んじゃ俺らはこれで、お先~」
「……割とガチな感じの無視……」
「自業自得」
腕を借りてお店を後にし幾ばくか。人通りの少ない静かなルートを歩けたのも相まってほわほわ弾むような心地だったのだけれど、長夜の風にあたっているとそう時間をかけず頭は冴えてきて、同時に血の気が引いた。
(ふ、雰囲気酔、い? わ、私ったら何を……ッ!!?!)
突き抜けるほどの羞恥心に咄嗟に腕を離し、立ち止まる。あわあわと口が波打つように震えているのが分かり、引いていた血液が顔中を埋め尽くすみたいに上ると先刻とは別の意味で頭がくらついた。
足を止め振り向いているだろう楽郎君の顔が見られない。
流石に、これは……っ、
「玲さん」
「はひゃいっ」
「何杯飲んだか覚えてる?」
「……さ、……よっ……よん?」
「聞いた話だともっとだね」
「~~っ!?」
ひ、引かれた……に、違いない!!
どうしよう、どうしたら。何か弁解……いえ弁明をすれば或いは。けれどそれには前々から拗らせていた面倒な感情を楽郎君に明かさなければならないわけで……
地面に刺したまま動かせない視線の端に靴の先端が映り込み、楽郎君がこちらへ一歩近付いたのが分かる。間を置かず「俺のこと見なくていいの?」と降る声は決して冷たくはないけれど、いつもの優しい響きとは違って。恐るおそる顔を上げ窺い見た表情は、喜怒哀楽のどれとも言い難い、見たことのない複雑な色をしていた。
分からないことが不安で、喉がごくりと鳴る。
「……っあう、おっ、怒って」
「調子乗って飲ませた奴にはそれなりに。まあ、玲さんも慣れてないうちからあの飲み方は……」
「け、けぃっ、軽蔑でッ!」
「あーいや普通に心配の方。気持ち悪くなってない?」
「ほっ、ぁう、あにょ……き、気持ち悪さや、吐き気は、全くなくて……」
「まあ……だよなぁ。顔色悪くないし寧ろ……なんつーか、うん」
「なっなにか、そそそ粗相をっ」
「…………ある意味では?」
目を眇めじと、と向けられる視線には訝しさや恨めしさが乗っているような、それとはまた少し違った惑いのようなものも見え隠れし、冷汗が伝う。
兎に角、私の失態が楽郎君を困らせているならまずは謝罪を……と考えていると、頭を下げるより先に楽郎君の手と、次いで頭が肩口にぽすりと埋められた。
そう、楽郎君の顔がすぐ近く……近くにぃぃぃい!? たた、ため、溜息を吐かれるとっ息が、微かに息がっ……! 髪も頬に、触れっ、て……く、くすぐったっ、
「玲さんステイ」
「ッひぁい」
既にとれない身動きを更に封じられ、私はぴしりと直立したまま楽郎君の次を待つほか選択肢がなくなってしまった。数秒が、数時間に感じるくらいに長い。通行人が横を素通りする際も楽郎君に動きはなく、何秒、何分経ったのか、漸く身動いだと思えば彼は位置を変えることはせず言葉だけを紡ぎはじめた。
内緒話するみたいに声が近くて、心臓が跳ねる。
「隣の男ガン無視で俺の方見ていた自覚は?」
「は、えっ? そんなこっ……いえ、はい。と、途中から……?」
「うん。で、玲さんのお酒の強さって多分
「そう、なんですか?」
「一緒に飲むのは二回目だし確定ではないけど。まあそれで……これもう自惚れるしかないんだけど、俺のこと考えてんだろうなっていうのがモロに出てて」
「も゛っ!?」
「……言ってる意味分かる? 玲さん」
と、頭を上げた楽郎君に真正面から瞳を覗かれ、問われる。
確かに、楽郎君のことばかり考えていた。楽郎君のことしか考えていなかったくらい、頭の中は楽郎君で埋め尽くされて、そうしているうちにほこほこ気持ちよくなって。
でもお酒の影響はそれほどなく……そうなると、私はアルコールでも雰囲気でもなく、楽郎君に酔っていた、ということ、に……? それが、全部、顔に出て……、……つまりは、公衆の面前で楽郎君が好きだと、まるでこっ、こここっ、こくっ
「こきゃくぁッ!?」
「それはもう熱烈な」
「────死、」
「なれちゃ困るしアレは俺だけ知ってりゃいいことなので、今後留意してこうぜっていう」
「あぁぁぁっ、ぅぅぅうはいぃ……」
「っし、じゃあ送ってく。話したいこともあるし歩きでも?」
「だっい……じょぶで、す」
穴があったら入って埋まりたい私を他所に、姿勢を戻した楽郎君はさっと手を引いた。
つい先程まではあんなに遠いと思っていた彼が今はこんなにも近くて、目も当てられないようなやらかしも大したお咎めなく変わらず隣を歩いてくれる。恥ずかしいやら情けないやら申し訳ないやらで爆発してしまいそうだけれど、「玲さんなりに楽しめてたなら言うほど気にしなくていいから」「寝不足も影響してたのかもしれないし」と事もなげに飛んでくるから、いつまで経っても適わない。
一緒に歩いている間にもどんどん絡まっていた気持ちがほどけゆくから不思議だ。理由を問われると素直に答える気にもなって、謝罪とあわせて、嫉妬していたことも白状した。
「……は、え。玲さん、妬くんだ?」
「今日は特に……楽しそうでしたし」
「い、いやいやいやいや誤解! あれほとんどが冷やかしっていうか」
「楽郎君のこといいなぁって、言っていましたけど」
「まっ……ンン、好意を寄せられたことは確かにゼロではないけども! 今日のやつは本当に! 断じて! 違います! 全くもってそういうのじゃないっす」
「……楽郎君、照れていませんでしたか?」
「……それはその、玲さんとの馴れ初めやらを根掘り葉掘り聞かれたらであって」
「…………えっ」
馴れ初め……なぜそんな話に?
てっきり言い寄られているとばかり。と浮かぶ疑問に首を傾けると、楽郎君は大凡の事情を把握しているかのような確信を持った声色で「玲さんモテるんだよ」と肩を竦めた。
「それ、は……話をすり替えているだけでは」
「いやあってる。男だけじゃなく女にもモテる……好かれてるってことね」
「?」
「今日のは冷やかしでもあり祝福でもあったってこと。いい子掴まえたよね、陽務にはホント勿体ないってさ」
「そっ、そんなこと……ほ、本当に?」
「本当。……ついでに言うとそういう奴らとしかつるまないよ。講義関連だと少し話変わってくるけど、
────信じきれなかったことが悔やまれる。恥ずかしい。
どうしたら、こんなにも当たり前に人に寄り添えるのだろう。私から彼の隣を望んだのに、気付けばいつも楽郎君が歩調を合わせてくれている。
前だけを見て突き進み挑戦する楽郎君に惹かれたくせして、振り返って手を伸ばしてもらえると途端に多幸感が押し寄せる。欲張りだ、本当に。でも、だからこそもう一度きちんと伝えなくては。
情けない顔になっているだろうけど、繋いでいた手を強く握ることで引き留めては、視線を合わせた後で深く頭を下げた。
「ちゃんと考えてくれていたのに、ごめんなさい。とても……安心しました」
「あー……いや、俺も言ったことなかったし。玲さん大抵のこと許してくれるからって甘えていた部分も大いにあるというか」
「それは、楽郎君が楽しそうですから、いいんです」
「はは。何も言われないもんで嫉妬も、正直ないものかと。邪教……妹には一回指摘されてたんだけど」
「瑠美ちゃんに?」
「玲さん不安にさせるんじゃないかって」
ほらあやつ玲さんに懐いてるから。と笑う楽郎君は、握り直した手を再び引いて歩きだす。彼を見れば横顔に重なるように瑠美ちゃんの顔が浮かび、言葉が彼女の声で再生される。
好いて、慕ってもらえてとても嬉しい。気にかけてもらえることが支えになる。ああ本当に、なんて過ぎた贅沢なんだろう。悩んでいた時間が無駄だなんて思わないけれど、結果を知れば答えは全部身近にあって、温かくて、つい笑いが零れた。
頬も、勝手に緩んでしまう。
「自惚れてしまいます、ね」
「いいんじゃないでしょうか」
「ふ、ふふ。これならもう、必要以上に妬くこともなさそうです」
「そう? 俺は嬉しくもあったんだけど」
「……同じ気持ち、だからですか?」
「ははははは。今言っちゃう? それ」
「言っちゃいました」
「よぉし良いだろう受けて立つ!」
私の家まであと五十メートルあるかないかというところで、手を離した楽郎君が正面に立ち塞がる。そうして、コートのポケットから取り出した何かを拳に隠し突きつけてきた。
受け取れ、と言わんばかりの態度に慌てて両手を受け皿にすれば、ソレは重力に従いころんと掌に落ちる。
「……鍵?」
「合鍵」
「あいかぎ……、合、鍵?」
「どこのって聞かれる前に言うけど俺の部屋の」
「楽郎君の、部屋の…………………………あいぎゃぐふぃッ!?」
「ラグひどいタイプだ」
あい、あい、合鍵とは。合鍵とは! 同じ錠を開錠できるように複製した別の鍵のことであってっ……こ、これを使うと楽郎君のお部屋に、自由に出入りができてしまうという魔法の……アイテム。
こ、このような価値の高いものをなぜ、今ッ……!?
「より不安を取り除けるかと?」
「はっ……こ、声に……」
「出てたね。まーそれスペアでさ、俺が二十歳超えたら渡すつもりではいたんだよ。親に預けたところでこっち来ないし、もしもの時も玲さんなら安心だし」
「そ、わっ……わわわ私がっ、わたし、でっ」
「両親プラス妹ともに了承済み」
「コウ、ニンッ!」
「というわけで持っててくれる?」
「はっ……もももっ、勿論です絶対に失くしません!!」
「うん紛失はマジでこれっぽちも心配してないです」
掌から掴み上げれば間違いなく小さな重み。寒月の澄んだ光に翳し噛みしめていれば楽郎君は「そんな大層なものじゃない」と肩を揺らすけれど、私にとっては特別な宝石をもらったに等しいものだ。
だってこれは、この
後々専用のケースは準備するとして、一旦ポーチに入れて丁寧に鞄にしまう。改めて楽郎君に向き直るとまだおかしそうに笑っていて、それはずっと眺めていたい顔なのだけれど、突然のサプライズに思考が乱れ気味な私はそれどころではなく。
「ありがとうございますっ、あの、今すぐに返せるものが私はなにも……」
「ん? ああそれ、プレゼントの類じゃないしいいよ」
「そっ!? ……うだとしても、そういうわけにはっ……! できる範囲で何か……ありませんか?」
何かお返ししなければ流石に私の気が済まない。
逸る気持ちをなんとか抑えながら尋ねると、楽郎君はんーと間延びした声をあげながら数秒思案し、「じゃあ折角だし使ってもらうか」とひとつの頷きとともに口角を上げた。
「24日と25日、大丈夫だよね」
「二日とも問題ないです」
「よし。なら玲さん、24日の夕方までに家に来て夕飯の準備をお願いします。俺午前から16時頃までバイトだから一緒に過ごすのはそれ以降になるけど」
「は、はい……!」
「家にあるものは何でも好きに使っていいし買い足してもオーケー。飲み物はバイト帰りに俺が準備するとして、あとは……ケーキとか?」
「よっ……よろしければケーキもっ! 私が準備を!」
「マジ? じゃあ期待しとこ」
「っ、腕によりをかけて作ります!!」
ご飯を作って楽郎君の帰りを待つ……夢の、シチュエーションッ!
クリスマスらしく、それでいて楽郎君の好きそうなメニューを用意して、ケーキも失敗がないように帰ったら早速レシピを吟味しなくちゃ。肝心のプレゼントも忘れないように今日のうちに、と……舞い上がりどんどん進んでいた思考は、トントンと肩を叩かれたことで急速に引き戻される。
はっとして前を見れば、なぜだかにこーと生温かな楽郎君の目。
「俺も手伝うからくれぐれも無理はしないように」
「あ、そ、そうですよね!」
「それと泊まる準備も忘れず」
「大丈夫です! 準備は全て抜かり、な……く?」
「なら安心」
泊まる準備。泊まる準備? 宿泊。…………おとまり?
クリスマスに、恋人のお部屋に、おとまり…………ああ、そっかだから25日も、いいえ玲、そうではなく。……さっ、先走った考えはよくないです。今日のことだって結局は私が難しく考えすぎていたのも原因のひとつであって、反省したばかりじゃないですか。
そ、うだから、た、確かめればいいわけですよ、ね?
「……っあ、……そ、と、とま……泊まり、です?」
「うん、お泊り」
「ひゅぁっ、あああのそれ、それっはどの、どのよう……な、あの、」
「ははははは。今聞いちゃう? それ」
「でじゃぅぷ!?」
自分の耳を疑うけれど、すぐ目の前、月明かりに照らされた楽郎君の笑みは確かに深まって。そこに潜む妖しさを見せられた気がして。
「っ~~~~~~ま、た! じかっ、次回にっ聞ききき、ますッ!!」
「イヴ明後日だけどね」
「み゜っっっ……ありっが、おやっ、おやしゅみなしぇ!」
「ん、お疲れ。おやすみ玲さん」
挨拶もお礼も中途半端に、堪らず家まで走って逃げた。でも、逃げられない。
24日まで、48時間もない。
────……これだから気が抜けない。楽郎君は、心臓に悪すぎる。