悪食と偏食のプレリュード・ノン・ムジュレ(短編集)   作:古守

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(ご想像にお任せします)
※玲さんが留学した世界線の社会人if、露骨な描写はありませんが匂わせがあるためR15


終宵、空白を埋めるは

「────……    、どう お  で」

 

 今、なんと言った?

 そんなはずはないのに、水の中に沈められたように音が遠い。幕が張ったような響きで、上手く聞き取ることができなかった。

 呼び止めたいが、しかし声も出ない。

 ゆるやかに首元に手をかけられているような圧迫感。喉が窮屈で、呼吸さえもままならなくなる。

 

「…… ろそろ     あり   う、来て    てと もう   」

「────ッ、」

「そ では、  待って    ら」

「~~~~っ!?」

 

 届け、届けッ!

 強く願い、藻掻きながら必死で伸ばした手は虚しさを掴んだだけだった。待ってくれと喉を絞っても、漏れるのは音にもならない掠れ潰れた呼気だけ。彼女は、振り返らない。

 

 どうして。なぜ、彼女の進む先が見えない?

 霞む視界のせいか、それとも本当に灯りひとつない暗闇なのか。分からない。ただただ彼女がそこへのまれるのを見ていることしかできず、もしも、失うようなことがあったらと。そんな考えに至った瞬間全身が震え上がった。

 絶対に受け入れられない。拒んでいるのに、体中に重りをつけられたように、沈んでいる感覚だけが巡る。頭にも靄がかかり、今にも思考が途切れそうだ。

 

 ああ、もう消える。と悟った直後にできたのは、信仰心のカケラもない人間の形ばかりの祈り。ぎりぎりで、両の手を結んだ。

 どうか、どうか彼女だけは────

 

 

 

 ◆

 

「──……    く っ」

「────」

「 くろ  んっ! 楽郎くんっ!」

「…………ッ! ぷはっ」

「は…………あっ……よ、良かった。漸く起きてく──!?」

 

 アレが夢だ。そうに違いない。いやそうでないと困る。

 余裕なく引き寄せ閉じ込めたこの温もりこそが現実で、本物の玲さんだ。間違いない。俺は、知っているのだから。

 どこもかしこも柔らかく滑らかなのに緊張から動きが硬くなるのなんてまさに──と、起きぬけの頭を動かせる程度には、呼吸もまともになってきたらしい。大きく吸って、整えるためゆっくり時間をかけて吐き出すのを二往復。そうして漸く両手の力を緩め僅かばかりの隙間を作れば、腕の中に収まる剥き出しの白く細い肩がふるふると震えていることに気付いた。

 

「しっ……しんぱい、したんですよ、本当に」

「ん、あー……魘されてた?」

「……はい。とても息苦しそう、で……呼びかけても、中々目を覚まさなく、て」

「すんげぇ嫌な夢見てた」

「い、痛いところや苦しいところは、ありませんか?」

「少し頭痛はあるけど、玲さんのおかげでほぼ落ち着いたかな」

 

 当惑している様子の玲さんを落ち着かせるべく努めて冷静に応えると、彼女も詰めていた息を静かに吐き出し、安堵したように目元と口元に弧を描いた。

 割合本気で生きた心地がしなかったが、だからこそ近くに在る温もりが心底ありがたい。

 落ち着きを取り戻し、今度は別の意味で目を泳がせているであろう玲さんに逃げられる前にもう一度隙間を埋めて密着すると、あっとかうぅとか、らっとかくゅとか意味をなさない言葉を転がしたのち彼女も観念したように静まった。おずおずと、より収まりが良いように位置を調整してくれるのがなんとも愛らしい。

 高めの体温も、今のメンタルに効くという意味で心地よくて堪らなかった。

 

「…………あー、俺もう玲さんのこと好きだったんだろうなあ」

「すッ、だ!!?!」

「玲さんの留学が決まった時。今更だけど、結構自分のこと騙して納得したフリしてたんじゃね? と思って」

「……び、びびびっくりしちゃいますよ、急に、な、何を……」

「いやほんとそれな。気付いたところで、言ったところで何が変わるわけでもねぇのに」

 

 当時気付いていたとして、引き止める権利もなかったのだから結果は同じだ。ただ、今口にしたことで自分自身得心がいったようにも思う。

 後悔し続けていたとか、考えないようにしていたなんてことはないのだが、いざ思い返すと、ああそういうことかと妙にスッキリ纏まった考えが答えとしてぽんと浮かんでいたのだ。

 

「大きく変わるものは、確かにないと思いますが……」

 

 耽っていた俺の思考を引き戻すように玲さんの指が頬に触れ、視線をやると、どこか困ったような、それでいて仕方がないと子を許すような慈しみを乗せた瞳とかち合う。

「今更でも、私はそれが聞けて嬉しいですよ」と微笑んだ玲さんは、「ちょっと救われた気持ちです」とも控えめに添えた。

 救い、救済か。まあ、過去の自分を今の自分が理解してやれるのは当時の俺にとっちゃ救いなのかもしれないが……って、ん? 玲さんにとっての救い?

 

「とは言ってもですね、私は今十分すぎるほど幸せで……楽郎君が私を見つけてくれたという事実だけでお腹いっぱいなんです」

「あのエンカなぁ、自分でもよく気付いたもんだと今でも思う」

「髪も伸ばしていましたからね。……ふふ、私が先を譲ったのもあの時くらいのものです」

「見つけるの? それは言いすぎじゃ」

「いいえ、少なくともあの時点では……ほら、よく思い出してください。学生の時大抵私から声をかけていたと思いませんか?」

「ええ……んなことは…………、……いやいや。…………んんん?」

 

 よくて同時とか、か? 気付いて声をかけずにいると結局玲さんが声をかけてきていたからつまり俺も気付かれていたことになり……おおっとぉ。

 であれば帰国直後の玲さんを空港で発見したことが相当異例なことに思えてくる。連絡先も知らず、当然日程も知らず、海外旅行に行くという妹の足として偶々空港にいただけの俺……うん。マジでよく見つけたわ。

 邂逅してなかったら恐らく今はないんじゃなかろうか。……いやまてよ、噛み合うことが意外にも多い玲さんとならそうはならないかもしれない。願望込みで。

 

 学生時より長く、発見時よりは短くまとまった細い髪に触れると、見つけるという行為に強い拘りを持っているらしい玲さんは勝ち誇ったように「言ったとおりだったでしょう」と少し語気を強めた。

 いやその通りですが。それってぇとアレ、要するにアレよ?

 

「引き止めてたら、実はそこそこ勝算あったり?」

「…………楽郎君。ここまで知って聞くのは野暮というものです」

「……それもそうか。じゃあ野暮な男として心置きなくもう一個聞くんだけど」

「き、聞かない選択肢はないんですかっ!?」

「まあほら大事なことだし」

 

 声に少々真剣みを持たせるだけでこちらの話に耳を傾けるの玲さんが迂闊なのであって、俺が卑怯なのではない。

 流石に全ての警戒を解くことは叶わなかったが、「な、なんでしょうか」と次の言葉を待つ玲さんの耳元へ、そうする必要もないのに顔を寄せることに成功した俺は声を潜めて大事なことを告げる。

 

「催事の続きを請うても?」

 

 それだけ言い終え表情を窺うと、直後はきょとんとしていた顔が数秒後には真っ赤に茹る。うっかり口元が緩んでしまうほど想像通りで、すっぱり断られても問題ないと思えるくらいには気分もいい。

 

 なんてことを言い出すんですか! のニュアンスだろう「な」が震えた声で続き、時折「ま」が挟まれるのはさてなんだろうか。まさか覚えているんですか? とかか。

 残念だったな玲さん、俺ほどライオットブラッドに魂を売った人間ともなれば、レジストは最早取得必至のスキルだ。試行回数が効果範囲を明らかにし許容範囲を確立するのだから、酔いのコントロールなど赤子の手を捻るより容易い。……とは、強ち嘘でもないが。

 ザルの恋人を相手にするならシンプルに量は控えるしぶっちゃけ言うほど飲んでない。アルコール()

 

 だからまあ、消え入るような声で紡がれた「お、覚えて……?」にも深い頷きで返すし、夢は兎も角、堕ちる前までの記憶はそれはもうはっきり残っていると言えた。

 狼狽える彼女には正体なく酔っ払い眠りこけたとでも思われていたのだろうが、そうじゃないってことだ。アレはほぼG社が寄越した新作(試作?)とやらの()()だ。色んな意味で溺れたので()()()と言えなくもないところが小憎らしいが。

 ライオットブラッドがアレなことはいつものことと割り切り────さて、

 

「           」

 

 お互い明日──日付が変わって今日が丸一日休みである。普段きちんとしがちな彼女がそのままの状態にあり、その他の形跡も残っていたこと。更に。己の状態の一切は棚へ上げるが、俺は玲さんに拒みの色が見えればこれ以上進める気はなく、それと同じくらい、恥をかかせる気もないということ。

 前提としては、良好ではないか。

 

 シーツに広がる髪を押さえ込んでしまわぬように腕をつくと、上体を支えるその下で彼女もまた体勢を変えた。照れていたり、物言いたげな表情が加わると一層扇状的だが、決め手となるのは大抵瞳の奥の燃えるような熱が絡んだ瞬間だ。

 どちらからともなく移り混ざった熱情は、結果的に双方を焼き切るのが常だから。

「           」との返答までもらえたなら、あとはもう推して知るべし。

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