悪食と偏食のプレリュード・ノン・ムジュレ(短編集) 作:古守
( それはもう息ができないほどの )の続きです。
そんな中で訪れた転機は、いつも楽郎と挨拶を交わす合流地点に差し掛かった時だった。
冬休み中であるため明日の朝楽郎に会うことはない。下手な誤魔化しが必要なく気詰まりもない分、プレゼントを渡すのは来年になってしまうのだなと、玲は自然と足を止めた。
徒労感に厳しい冷え込みが重なり頭が働いていなかったのもあるが、なんだかんだと悩み悶えたところで玲の底の部分は至ってシンプルにできている。原動力たる、乙女心。
一目でいいから「楽郎君に会いたい」であった。
そう声に出したのが良かったのか。それとも空回るほどの思考能力が残っていなかったのが良かったのか。年内にクリスマスプレゼントを渡したかった、そう伝えればいいとだけ決めた玲の足は、躊躇なく陽務家へ続く道を選んでいた。
あれこれ悩みすぎて本音や本題から遠ざかりがちな玲の、会心の一手である。
二十一時前のアポなし訪問は流石に非常識だろうと、玲は、待ち時間の憂いが嘘のようにすんなりとメッセージを飛ばした。挨拶、クリスマスの贈り物を用意していた旨と、家へ向かっているが少し時間をもらえるかの確認。内容は大体そのようなもので、楽郎からの返信もすぐに届いた。
えっ!? という驚きからはじまった言葉の中には疑問だとか少しの遠慮も見えたが、最後には『問題ないよ』の承諾もあり、玲は楽郎が無事であったことも含め二重の意味で安堵する。
やり取りを挟む間にも目と鼻の先に迫っていた陽務宅からは、白布一枚分ほど薄く積もった雪の上へ暖かそうな光が洩れ落ちている。その明かりを横目に玄関先へ立った玲は、インターホンを鳴らそうと伸ばした手を触れる直前に引っ込めた。微かに届く声はおそらくご家族のもので、団欒のひと時を妨げることを気が咎めたからだ。
せめて静かに、楽郎だけを呼び出した方が幾分かマシだろう。そう思い再び端末を手にしたところで、出し抜けに目の前の扉が開かれた。「ちょっと出てくるー」と、内側へ向けられた声が聞こえたのとほぼ同時であった。
手にした端末を落とさん勢いで肩を跳ね上げた玲はずざざざざと反射的に数歩分後退する。
「ぅおわっ!! れ……玲さんもう着いて……?」
「っ~~あっ、う、ここ、こんばんは! 急に押しかけてしまってすみません。今、着きまして丁度楽郎君へご連絡をしようか、と」
「はいこんばんは。って、いやいやそうじゃなく取り合えず屋根の下に、玲さん傘は」
「……へ? ……あ、ああえっと、わ、忘れ……て?」
「家出るときもう降ってたでしょ。そんなうっかり──って、つっめた!?」
後退したまま楽郎を見つめていた玲は、手招きをされゆっくりと距離を詰める。
胸の軋みが全くないと言えば噓になる。喉が少し窮屈であったり目の奥が僅かばかり痛みもしたが、いつもと変わらない調子の楽郎の反応と、元気な姿を見られた喜びの方が勝ってしまうのだ。好きになった方が、惚れたほうが負けとは聞くが、本当にそのとおりだと玲は思う。
急かすように手を引いた楽郎の指先から伝わる熱で、諸々溶かされている気さえするのだから。
◆
引くために取った指先が氷のように冷え切っていたことに疑問を抱きながら、一先ず玲さんが被っていた雪を払い落す。そして抱く疑問がまたひとつ。
いつもは弾むように軽やかな髪の毛がぺしょんと力なく萎れているのだ。傘も差さず歩いてきたのだからそう不思議に思うことでもないのかもしれないが、そも、手抜かりの少ない、どちらかと言えば用意周到なタイプである彼女が傘を持っていないことからして
もしそれらが正しいのであれば余計におかしい。例えばこれが我が妹なら、汚れたり濡れたりする事態は確実に避けるはずだ。彼女はそうじゃない可能性もあるが、家に来る前にどこか別の場所に寄っていたと考えるほうが自然だ。ただそうなると。
じゃあなんで玲さんはこんなにも白い顔で、何かを堪えるように笑うのかという話にもなってくるわけで。
……イラ、としたのが感覚的に分かる。この、土足でテリトリーに踏み入られたようなひりつきは初めてのことではないが、長らく不要としていたせいで未だに慣れない。
一体誰がそうさせたのか。なんて考えたところで分かるはずないと理解していても、すぐ目の前にいるこの人の意識を奪われたままでは面白くない上に、防寒対策という観点で随分と心許なく隙のある首回りをなんとかする方が今の俺には優先度が高かった。
予定も順序もあったもんじゃないが致し方ない。俺は片手に提げていたショップバッグから取り出したマフラーを玲さんの首へ引っ掛けるように回し、前でクロスさせて最終的に後ろで緩く結んだ。
自分でも呆れるほど幼稚だが、意識も視線も奪えたので結果オーライ。
「へぁ、えっ……えっ?」
「ん。これで少しはマシになんだろ」
「あの、これ、」
「クリスマスプレゼント。俺から、玲さんへの」
いつもの発作のようなバグに見舞われることこそなかったが、そう伝え終えると、玲さんは目を白黒させながら首を覆ったマフラーに落ち着きなく触れる。
登下校時に見たことのあるものとは色も大きさも異なるそれは、玲さんの好みから大きく外れていなければあって困るものではない
……結び方は知らん。何かもこもこして似合ってるからいいだろ別に。
「ど、どうして……」
「どうしてって、そりゃまあクリスマスだし? 特別世話にもなってるし? 玲さんなら用意してそうだなと思ったし実際してたし?」
「っでも」
「あー……取り敢えず家入らない? 玲さん冷えすぎで心ぱ──」
「ここで良い……です。大丈夫、ですから」
連絡をもらい迎えに行くつもりで着込んできた俺は問題がなくとも、玲さんをこのままにして話を続けるのは忍びない。そう思い家へ上がってもらうことを提案したのだが、ドアノブに手をかけたところで玲さんの掌が力なく腕を止めてくる。
「いやでも」と重ねた言葉も、渡したばかりの大判のマフラーに口元を埋めて「とても温かいので、……ありがとうございます」と今日はじめての少し綻んだ笑顔に打ち消されてしまった。
彼女のその笑みを引き出したのはきっと俺で。その事実に僅かながら余裕を取り戻せたまではよかった。
ただ俺は、その後玲さんが続けた「私も、今年のうちにお渡ししたかっただけですから」の方が妙に引っかかって。もっと正確に言うならば、嫌な方の予感めいたものが一瞬にして体中を駆け巡ったような居心地の悪さを覚えた。脳裏にふたつの説が浮かぶ。いずれも、最悪の説だ。
「今、なんて?」
「……? お渡ししたら、すぐに帰りますと」
「ごめんその前」
「今年……年内にお渡ししたかっただけですから?」
「…………明日の夜、という選択肢は」
「明日ですか? ……確かに、今日事前に許可をいただき、明日に訪う方が円滑でした、ね」
「あああああぁぁぁいやそれはそうだけどそうじゃなく、うん。ちょいタイム」
事実その一、その二、その三。俺が見て分かるほどきちんと着飾っている玲さん、妙に冷え切っており、浮かない顔。確定その一、玲さんの中に
即座に端末を取り出し、履歴を遡る。玲さんとのやり取りの多くは登下校中であり、予定を立てるほとんどが口約束だ。それで事足りていた。会話で不足したと思えばお互い前もって確認の連絡を投げるようにして、間違ったことはない────の、だが。
「ねぇ、な。……送れてなかったか……いや、」
「……楽郎君?」
念のため、日程確認のメッセージを投げたはずだったのだが見当たらない。めっきり使用頻度の減ったメールアドレスの方まで確認したが矢張りない。相手が外道どもであるならば記憶に残っているかすらも怪しいが、相手が玲さんなのだから確かに……ってまてよ? 外道? そういや何故か重なるようなタイミングでペンシルゴンからメッセージが来て………………あ。
「誤爆……」
「ら、楽郎君? あの、」
「いっそコロセ」
「きゅっ、急にどうしたんですか!?」
「いやでもだとしたら普通大激怒とか、……うわ全く想像できねぇ」
「……戻ってきてください、楽郎君」
「玲さん」
「ひょぁっ!? あい!」
「もしかしなくても、今日ツリー見に行ったり?」
「っ! ……ぁ……い、いえそんな、違……違うんです。……す、すぐに帰りました、よ?」
唐突に問えばびくりと反応する玲さん。取り繕ってくれてありがとう、嘘が下手で助かる。
……ケジメ案件だこれ。後で鉛筆から罵倒の限りを尽くされても足りねぇくらいの。
曇らせた原因、俺じゃねぇかよ。
「っっっごめん!! 明日の十八時だと思ってました!!!!!!」
全力で腰を折り曲げる。地面に頭を擦り付けてもいいが、困らせると分かっているので気持ちだけコンクリに頭を打ち付けん勢いで。
いやどうするよこれ。玲さんの性格上相当待ってくれていたはずで……待った上で雪の中歩いて帰っ…………やべぇ洒落にならん心臓が痛ぇ。連絡一切来てないのが何でか問いたいがそうじゃない、毛ほども責めるつもりはない。てかそうだよ玲さんこそ俺を責めて然るべきで、怒りの凸なりなんなりしたって構わないのに、この人ときたら。
「……っご、ごごごごめんなさい! 確かにわ、私、去年に引っ張られて二十四日だと……自分の中でそう思い込んでしまっていて。……私が、日にちをお伝えし忘れていたんですよね……?」
深々と頭を下げているのが気配で分かる。
すっぽかされた側がこんなにも潔く頭を下げ返すなんておかしいだろ。しかも、約束を反故にされて尚プレゼントを年内に渡そうなどという考えに至る思考回路、全く分からん。いやこの殊勝さが尊重したくなる所以でもあるし、気にかけて、気持ちに触れてみたくもなるのだが。動かなければきっと埒が明かない。
視線を上げ、矢張り頭を下げていた玲さんの肩をそっと叩くと彼女もおずおずと姿勢を正す。
「一度は口頭で聞いてんだと思うよ。だから、玲さんが謝る必要は全くない」
「そ、それを言ったら私も、楽郎君が確認してくれたのを聞き逃していたかもしれません」
「あー……日付と時間確認のメッセージは送ってたんだけど、それ別の奴に誤爆してて」
「…………! 先ほどのはそういう」
「うん。まあ完スルーの言い訳にはなんねぇから、本当にごめん」
「あっ、謝らないでください……私があの、連絡をしていれば解決していたことで……その、今日プレゼントを渡そうと思わなければ、明日楽郎君に同じことをしてしまう、ところでしたし」
「いやまあ俺はテキトーに飲み食いも出来るし、多分すぐ連絡するから?」
「そう、ですよね……」
「あいやっ、咎める気持ちはマジでないからね!? 玲さんもっと怒ってくれと思ってるくらいで……ほら、誘ってくれた時も時間の心配してたし、受験とか、そういうこと気にしてくれたんだろうなって」
「…………いえ、その……私は……っ」
「自分だけが浮かれていたと思うのが嫌で」玲さんはきまり悪そうにそう言った。
それから「忘れられたと知るより、なかったことにしたほうがまだ楽だと……自己中心的な考えですみません」とも足して視線を落とす。
それは、確かにそうだ。
ソロでクソゲーに興じる俺は自分が楽しむことを優先するきらいがあるし、なんなら慣れすぎてしまっているとも言えるが、敵や仲間がいてこその面白さを知らないわけでもない。何より、
だから、分かる。今の俺の方が確実に。
「自分だけ、とは心外だ」
「……へ?」
「一番仲が良いと思っている女子から誘われるわけじゃん? それも高校最後のクリスマスに。…………ンなもん浮かれるだろっ!! DKの単純さを舐めてもらっちゃあ困る!」
「は、え、えっ?」
「玲さん俺はね、恥を承知で鉛筆にも知恵を借りぃ、前もってせこせことリサーチを重ねたりもしたわけでぇ」
「…………ら、楽郎君、が……?」
「格好つかないんでそれこそなかったことにしたいところだけど」
驚きと惑いでまんまるになった瞳を向けられ、いたたまれない心地で視線を横へ逸らす。
誘ってくれた時の玲さんの必死な様子を思うとできる限りで応えたいと思ったし、楽しんでもらいたかった。一緒に楽しもうと思った。タイミング的に俺自身絶対に失敗したくない理由もあり、使えるものは惜しみなく使い潰してやろうくらいの気持ちで臨み…………結果はこのザマである。
それでも、なかったことにされるのは困る。気を使っているわけでも、挽回のために嘘を並べ立てているわけでもない。明日を心待ちにしていた本音が同じだからこそ、誤解されたままでいたくはなかった。
逸していた視線を戻すと、玲さんは視線を上や下へ彷徨わせながら酷く戸惑っている様子。そりゃあ約束を破った今日の今日では疑わしくも見えるだろう。勿論俺も口だけで許してもらおうなどとは思ってはいない。この時間から巻き返すのは難しいが、となれば残るは。
「俺が行かなかった事実は覆らないから、玲さんは怒っていいし許さなくていい」
「……そんな」
「ただ言ったとおり俺も楽しみにしてたわけでして」
「んぅっ、は、はぃ」
「だから仕切り直して、明日俺とデートしませんか。玲さん」
「デッもひゅ」
「今日の分も足して十ろ……十五時から待ってるから。玲さんがもし、俺と過ごしてもいいと思えるなら明日──……って玲さん?」
来てくれると嬉しい。そう続ける前に正面の異変に気付いた。何やらぷるぷると震えているのだ。ついに寒さが限界突破でもしたのかと念のため支えると、青白いような色をしていた玲さんの血色はいつもの温かそうな赤に戻り、そして同時にふしゅうっと、膨らませた風船から空気が抜けるような音が鳴った。
あまり見ないし聞かないタイプのバグだ。雪の中待ちぼうけさせたせいかもしれない。いやその可能性大いにあるぞ。……もしかして熱? やっぱり少々強引にでも家の中で、と悩んでいれば今度は先ほどよりもはっきりと息の漏れる音がした。
見れば、巻いたマフラーに顔を埋めこむようにした玲さんが小刻みに肩を震わせていた。いつも以上に含み、籠もったような声ではあるがこれはバグではなく────、
「え……そんな面白いこと言った?」
「んくぅ、ふっ……んふ、く、ふふっ」
「いや、うん……楽しいならなによりだけども」
「っはふ、ふ……ちが、ぁ、っ~~あの、んふしゅ、あ、安心、したの、と」
「お、おう?」
「嬉しい、のと……ふふ、混ざって、おかしくてっ……ん、」
「あー……なるほど、なるほど?」
「っ、はぁ……だって、私怒ってないのに楽郎君、ってば」
「ああいやまあ、特別怒ってるように見えてたわけじゃ──」
「ふふ、行きますよ。私。行くに、決まってるじゃないですか」
漸く笑いの収まった玲さんと目が合う。ほくほくと温もった、期待に満ちた目だ。
「忘れられていたら悲しい、とは思いました」「でもそれが勘違いであったなら、楽郎君も楽しみにしていてくださったなら、怒りなんて湧きません。ただ嬉しいだけです」と、玲さんはすっきりした顔で重ねた。そしてもう一度「なにがなんでも絶対に行きますから」とも。
「なんていうかさ、玲さん、俺に甘くね……?」
「そうでしょうか……? 楽しいことや感動できるようなことを共有したいとは思っていますが」
「……俺は自分に苛立つくらいのヤロウなのになぁ」
「自分に?」
「イエコッチノハナシ。あー……それ、俺へのプレゼントは明日までオアズケにしよう」
「……本当に気にしてないんですよ、私」
「いや流石に俺の気が済まないといいますか。……ああでも、荷物になるか?」
「……あっ、そういうことでしたら」
何か閃いたようにぱち、と手を合わせた玲さんが取り出したのは、半透明なビニール包装に入った青い球体。「プレゼントは明日の朝以降の開封。こちらは待ち合わせ場所に持ってきてください」とショップバッグと一緒に手渡される。よくよく見れば、小袋の方はツリーに飾るオーナメントだった。
「……ああ~、そういや飾れるんだっけ?」
「……ふふ」
「その“本当に調べてたんだ~”みたいな顔」
「ぷふすっ、んふ、明日……一緒に飾りませんか?」
「……もちろんでございます。合流したら、今日の分まで遊び倒そーぜ」
「はいっ!」
いや、良かった。一時はどうなることかと。
まあでも? 妙に笑ってくれた分のお返しと、勘違いでも傷つけて待たせた分の詫びをせねば。
「さて、じゃあ行きましょうかね」
「え? 行くってど……!?」
「一名様ごあんな~い」
日曜に限り、陽務家の朝と夜の食事は家族揃ってとる決まりだ。そこにイベントごとが重なれば食卓は自然と豪華になるのだが、今年のクリスマス前夜のメインは鱈ちり鍋である。冷え切った体にはさぞ染みるだろう。
玲さんの手を引き玄関を潜れば後ろから「楽郎君!?」と今日一の焦ったような声。それを無視して「母さん俺の友達も飯食ってくから~」と先手を打ってしまえば、流石の玲さんだろうが簡単には逃げられまい。律儀で真面目なこの人は、俺を待っている間に「腹減ったから先食っちまった」なんてできるタイプの人種ではなく、きっとほとんど何も口にしていないのだから。今できるせめてもの贖いとして。
あとはまあ、やらかした分外堀くらい埋めたって悪くはないだろうという俺の思惑込みで。