黒の剣士、リリベルから転職してリコリコに行くってよ   作:グランドマスター・リア

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ジンと戦う回です


黒の剣士、静かなる暗殺者と戦う

 

正しいか、正しくないかで仕事をするな。

何てことをよく、リリベル時代に教官から言われた。

 

正しさの本質は、誰に肩入れをするのか。その是非でしかない……と。

 

なのに、今でも、眠りにつけば鮮明に蘇るのは『誰かを殺した』"いつか"の感覚。血の生暖かさとか、返り血の赤とか、まあ色々だ。

 

「……また、あの夢」

 

ベッドから起き上がると、汗でしっとりしたルームウェアが張り付いてうざったい。そして、気持ち悪いな夢の情景が何度も視界にちらつく。もういちいち泣くほどでもないが、だからといって罪悪感に苛まれるこの感覚は文字通り最悪そのもの。

 

顔を洗って、風呂に入って、朝食を食べて、ようやく夢の景色は薄らいで意識はしっかりとする。リコリス制服に着替え、女装メイクも完璧に施し、外に出れば、俺は桐ヶ谷和子(・・)としてこの社会に一歩を踏み出す。

アパートの前に停車している黒いバイクに乗り込み、走り出す。

 

「しっかりしないとな。今日は大事な仕事の日だし……」

 

そう。今日は、海外から来たお客様……それも、余命宣告を受けた大企業の重役の護衛という、リコリコにとっても非常に重要な大仕事がある。寝ぼけた頭で臨むわけには行かない。

仕事の詳しいミーティングは昨晩のうちにリコリコで行い、今頃殆どのメンバーがリコリコに集結してお客様を迎えている事だろう。しかし、ならば俺はこんな朝っぱらから都心でブラついてて良いのか?というと、当然これも任務の内である。

 

「依頼内容は東京観光。天下のファーストリコリス様を伴って、とは贅沢だな……都心を水上バスで移動しつつ、風雷神門を初めに様々な名所を巡る。か、今のところ事前の打合せ通りだな」

 

クルミからスマホに送信されてきた旅のしおりを確認すると、双眼鏡を覗き、視線の先には二人のリコリスと車椅子の男性を認める。

千束とたきな、特に千束はそれはもう楽しそうにお祭り巡りをしている。

 

「……あいつ、依頼内容が護衛って事を忘れてるんじゃ……」

 

本当なら俺も二人と一緒に近くで護衛するのがセオリーだが、それだといざって時の奇襲やトラブルに対応しきれないかもしれない。

そうなった時に、二人が身動きが取れない状況にならないとも限らない訳だ。つまり、俺の役目はリスクヘッジで、動かないに越したことはない。千束は当然駄々をこねていたが、任務の為だと一時間くらいかけて納得させた。

 

『和人。ジンに動きがあった、引き続き追跡を頼む』

 

「了解。全く、人遣いが荒いな」

 

インカムに通信が入って、俺はバイクを動かす。

三十メートルほどの距離を保って、千束達を突かず離れずの距離から追跡する一台のバイクを尾行する。目標の名は『サイレント・ジン』、俺でも名前を聞いたことがある本物だ。実際、ミカも彼の事を知っているようだし。

 

(流石に正面からやりあうのは心許ない相手だな。負けるつもりはないが、逃げられるのが関の山だ)

 

「顔も割れてないし、発信機を付けに……なんだ、下道に降りた?高架下に移動……まさか」

 

ジンはそのまま高架下に移動すると、柱の隣にバイクを止める。

 

『上から確認できない。奴の位置は?』

 

「いや、多分これバレてるよ」

 

瞬間、銃撃の音が街中に響く。

それによってクルミのドローンがあっけなく撃墜された。

 

「ほらな。たく、厄介な相手だ」

 

何処からかは分からないが、割と早い段階で尾行はバレていた可能性が高い。

だからジンは高架下の柱の影に移動してドローンの追跡に死角を作り、銃撃によって撃ち落とした。ここまででも凄まじい判断の早さと的確さだ。何しろ淀みがない。俺はこの場の会敵はまずいと判断して、速攻でその場を離脱。

インカムごしに通信を繋げる。

 

「ミズキさん、予備のドローンをお願いします。クルミ、プラン変更を頼む」

 

『ああ、依頼者を一旦避難させて、予備のドローンとミズキの追跡でジンを見つけ次第、こちらから一人打って出る。和人は一旦、ミズキと合流してくれ』

 

指示通り、俺は予備のドローンを車から出したミズキの元へと向かう。

だが、その途中でミズキの叫び声が鼓膜を揺らした。

 

「誰かぁ!ここに変質者がいまぁす!」

 

「なっ!?この声はミズキさん?まさかジンか!」

 

インカムからも何やらもみ合う音が聞こえた末に、通信が途絶えた。

俺はバイクを乱雑に乗り捨てると、声の方向へと急ぐ。すると、そこには気絶させられたミズキとそれを何やら倉庫みたいな場所に押し込もうとしているジンの姿があった。

 

「ジンを見つけた。交戦する!」

 

『待て、(かず)――』

 

ミカの制止を振り切って俺は、ブレードを取り出すとジンへと疾走する。

距離およそ十メートルほどの位置でジンは俺の接近に気付いたようだったが、既に俺は剣を後方に構えて足に力を込めていた。

 

「フッ!」

 

〈ソニックリープ〉のように迅雷の如く距離を一息に詰め、流れるように一閃。

ジンは寸前で体の軸を逸らしてそれを躱すと、カウンターの上段蹴りで応戦。それを俺は合気の要領で受け流し、鋭い敵意をジンに向ける。

 

「今のを避けるか……けど!」

 

銃を構えたジン。

間髪入れずにマズルフラッシュが煌めいて発砲すると、その一連の動作を加速的意識で捉えた俺は剣を左右交互に〈ホリゾンタル・スクエア〉の様に振って弾丸を弾く。

 

「ッ!?」

 

これには流石に驚いた様子のジンだったが、一秒と待たずにバックステップで距離を取ってくる。

 

「っ、逃がすか!」

 

俺はそれを追跡しようとして踏み込むが、同時にジンの銃口が僅かに右に逸れたのを捉える。

その射線の行く先は俺ではなく、倉庫に横たわるミズキ。

 

「ちっ」

 

舌打ちしながら俺は急速ブレーキをして方向転換、体を右に投げ出すようにして躍り出る。

そこにジンが銃撃。迫りくる弾丸を二度剣を振って弾くと、アスファルトの上を転がりながら、銃をサッチェルバッグから抜いて数発ほど立て続けに発砲。だがこれは一発を除いて彼には命中せず、その一発の防弾性のコートに弾かれる。

 

と、そんなやり取りのうちにジンは自身のバイクに乗り込んでそのまま走り去ってしまった。

 

「ジンを逃がした!恐らく美術館に向かってる!」

 

『分かった。和人はそこにある予備のドローンを起動して、ミズキの安否を確認。その後、美術館に向かってくれ』

 

「了解」

 

俺は指示通りに転がっているアタッシュケースからドローンを取り出して電源を入れる。それが飛び去ったのを確認してから、倉庫に横たわるミズキの安否を確認する。見たところ主だった外傷もなく、脈も正常。どうやら気絶しているだけのようだ。

一応、近くに居た作業員に彼女を預けると俺はすぐさまジンを追う。

 

「――奴のコートは防弾性だ!無力化する時は肌の出ている部分を狙え、腕前も相当だからどちらかは松下さんの警護を続行」

 

『分かりました。では私はジンを迎え撃ちます』

 

通信で最低限の情報を千束達と共有して、簡易的な打ち合わせを済ませる。

恐らくジンはすでに館の中に潜入している。余談は一刻も許さないだろう。

 

迎え撃つのはたきな。警護は千束。そこに俺が合流する形でジンを挟撃する。

 

「到着っと……ジンは」

 

『ジンです!屋上へ向かいました!』

 

と、どうやら先に館内でジンと遭遇したたきなのカウンターによって、ジンは屋上へ向かったそうだ。それを聞いて俺はすぐさま駐車場の裏口から階段へと上って、一直線に屋上へと向かう。

 

「そこで挟みうちにするぞ!クルミ、場所は?」

 

『室外機の裏だ』

 

屋上へ出ると、同時にたきなも館内側の扉からそこへ到着したようだった。お互いに言葉なく頷き合うと、それぞれ別方向から指定の場所へ向かう。

 

「三、ニ、一。ゴー!」

 

合図で俺とたきなが挟み込むようにして、出るとそこにはジン本人ではなく、彼が着ていた防弾性のコートだけが残されていた。

 

「居ない?まさか松下さんの方に……」

 

この状況で俺とたきなまで捲かれるとなると相当に面倒だ。

しかし、駐車場側の階段で奴と鉢合わせしなかったのを考えると、奴の行き先は自ずと館正面側に続く作業用通路か、裏手の工事場へスロープ経由で降りるルートしか有り得ない。

 

「俺は裏手の脱出ルートを潰す。たきなは館正面側に回ってくれ!」

 

「はい!」

 

素早く別行動に出ると俺はダッシュで裏手側のスロープに向かう。

単純な階段になっている訳ではないが、幾つかある工事用の足場やスロープを経由すれば脱出は可能だ。しかし見た限りだとジンの姿はなく、こちらは外れ。

 

「だとしたら、たきなの方か……あれは?」

 

すぐさま応援に向かおうとするが、踵返すより早く銃撃の音が響く。そして、突然現れた二人の人影が俺の目下の工事現場に落ちた。

 

「た、たきな!?それに一緒に落ちたのはジンか?くそっ、作戦も何もあったもんじゃないな」

 

悪態をつきながら下の現場に向かう。

落下によって銃を失ったたきなと、それを仕留めんと追うジン。やがて飛来する銃弾のうち一発が彼女の足に掠り、鮮血が飛び散るのが見えた。

 

「たきな!?っ、間に合え!」

 

足をやられた事で彼女は格好の的。もはや一刻の猶予もなく、絶体絶命のピンチだ。

俺はなりふり構わず足場から飛び降りて、銃口をジンに向けて発砲。当然、俺の技術で飛び降りながらの高等技術なんて到底無理だが、一瞬でも注意をこちらにひかせられさえすれば問題ない。

 

「和人!?」

 

滑るようにパルクールして足場を二度経由した後にたきなの前に降り立つのと、ジンが再度発砲を始めるのは同時。

流れるようにして片手剣七連撃スキル〈デッドリー・シンズ〉を回転するようにして放ち、襲い来る銃弾を撃ち落としていく。

 

「させ、るかッ!!」

 

鋭い気合いで振り抜いた剣はジンの放った銃弾をマガジン一本分すべて防ぎ切る。それを好機として、俺は即座にジンへと接近する。

このままでは部が悪いと感じたのか、退こうするジンだったが、そこに千束が到着する事で退路が断たれる。

 

「ナイス、援護」

 

懐に踏み込む。

そこから放つのは、脇構えから放たれる一閃。二連撃技〈スネークバイト〉、斜め切り上げから即座に切り返す二連撃のこの技で、俺はジンの銃を内払い、更に二連撃目を無理に避けようとした事でジンは大きく体勢を崩す。

 

そこに重単発技の〈ヴォーパルストライク〉を放つ様にして左手の銃を勢いよく突き出し、ジンに突きつける。

 

「おおぉぉおお゛ッ!」

 

ゼロ距離からの非殺傷弾による連撃が、ジンに突き刺さり吹き飛ばれた彼を即座に拘束具で捕縛する。

 

「ふぅ、状況終了。疲れた……」

 

対象の無力化を確認して、俺はようやく肩から力を抜いた。

 

「いえーい、ナイス和人!」

 

「ハイハイ、いえーい。て、そう言えばたきなは?確かにあいつ怪我を……」

 

「ここです」

 

笑顔で駆け寄ってきた千束のハイタッチに応じる。

そして、傷をかばいながらこちらに来るたきなに慌てて肩を貸す。

 

「足の傷、大丈夫か?ちょっとそこに座ってくれ、手当てするから」

 

「いえ、ご心配なく。自分でやりましたので」

 

「ダメだ。たきなは他人のはともかく、自分の傷ってなるとちょっと雑になるからな。ちゃんと見させてもらうぞ?」

 

「いやそれ、あなたが言えた事です?あ、ちょっと、大丈夫ですって……!」

 

俺はたきなの反論を無視して、彼女を座らせると傷の具合を見る。

するとやはりというか、本当に割と適当に処置されているだけで止血もかなり甘い。位置がふとももなので、俺はなるべくそこより先を見ないようにしながら手を動かす。

 

「……あまりレディの足に、気安く触れるものでは無いですよ?」

 

「治療の為なんだから仕方ないだろ?別に下心がある訳じゃ……」

 

「そうだぞー、手当てにかこつけてたきなのスカート覗いたらダメだからね?和人」

 

「覗かないから!それに中はどうせスパッツだろ?仮に覗いた所で別に……って、ごめんごめん!謝るからそんなに怖い顔で睨まないでくれ、たきなサン!」

 

後ろからいらぬ野次を飛ばしてきた千束に反論しているうちに出た、これまた余計な言葉が災いして、たきなに絶対零度の視線を向けられた。それを受けて俺はなるべく急ピッチで手当てを済ませて、たきなの前から退いた。

 

「ほら、もう終わったから。さっさと引き上げ――」

 

「殺すんだ!」

 

俺の言葉を遮ったのは、車椅子で近づいてくる老人の機械音声だった。

まず渦中の松下が何故こんな所に居るのかという話でもあるが、彼の放った物騒な言葉に俺は怪訝な反応を返した。

 

「殺す?……松下さん、この通りジンは無力化した。もう襲われる心配は……」

 

「そいつは私の家族の命を奪った男だ。殺してくれ!」

 

聞く耳持たず、か……

まあ家族を殺された恨みってのは、あながち分からない訳でもない。実際、俺だって家族同然の仲間を殺される苦しみを痛いほど味わってきた。

 

「でも……」

 

「本来なら、あの時私の手で殺るべきだった。家族を殺された二十年前に!千束っ、君の手で殺してくれ。君はアランチルドレンのはずだ。何のために命を貰ったんだ?その意味をよく考えるんだ!」

 

浮き沈みのない機械音声にも関わらず、その感情の激昂具合は伝わってくる。

千束もそれに対して、どう返せばいいのか決めかねている様子だった。

 

「松下さん。私は……」

 

「千束」

 

千束が言う前に、俺は彼女の言葉を止める。その感情に揺れる赤い瞳が向けられて、俺は首を横に振った。

 

(確かに感情的な筋は通っている。でも、何かがひっかかるだよな……今の話、ジンに関してもそうだけど……松下さんの話の起点は復讐というよりも、千束にジンを殺させる事そのものにあるように感じる)

 

わざわざ千束に殺してくれと頼み、アランチルドレンである事まで指摘する。まるで、ジンを殺すよう必死に説得する様に……復讐だけが望みなら、この場でそこまでする意味はないはずだ。

 

「あのさ、松下さん。俺達の請け負った仕事はあなたの『護衛』であって、ジンの始末じゃない。確かに、あなたの命を守る上で必要な殺しなら、それも任務の内だ。でも、無力化した相手まで殺す事は、任務内容から明らかに逸脱している。悪いけど、あなたの願いは叶えられないよ」

 

きっぱりと言い切る。

もともと松下にジンを殺す動機があっても、千束にはそれをする理由がない。よって、千束が自らの事を必要以上に話す義務もない。任務上できないときっぱり断る、これだけで十分だ。

 

返答から、数秒間沈黙が続いた。

しかし、やがて松下はこう言った。

 

「……やはり、(和人)が居ると無理なようだ。強すぎる君が、彼女の傍に居るとね」

 

「は?何を言って……」

 

その言葉の意味を問おうとしたが、直後、松下の車椅子に備えられた機器がシャットダウンする。

これによって、最後の言葉の意味も聞けぬままに場は騒然に包まれた。

 

 

 

 

 

 

あの後、松下はひとまず救急搬送され、俺達は目を覚ましたジンに事情を聞いた。

彼とミカの話によると、どうやら松下の言っていた二十年前は二人共別の場所で一緒に仕事をしていたらしく、松下の家族を殺す暇など無かったという。つまり、これは松下の嘘だったという事になる。

更に後から分かった事だが、松下と思われていた老人は、病院に入院する薬物末期患者だったそうで、事前に聞いていた素性は全てが偽りだったことが分かった。

 

だとすれば、やはり松下の皮を被っていた人物の狙いは、千束にジンを殺させる事そのものだった?しかし……

 

「誰が、何の為に……」

 

俺は尽きぬ疑問に頭を唸らせて、店の更衣室で腕を組む。

駄目だ。まずは思考を狭めるんだ。余計な情報は弾いて、要点だけを纏めよう。

 

千束と関わりがあって、尚且つアランチルドレンに詳しい人物。その中で、千束が他人を殺す事にメリットがあるとすれば……

 

「っ!まさか」

 

居る。一人だけ。それを出来るし、やる事によるメリットのある人物が。

 

(でも、あの人は……)

 

ほぼ確実な真相を捉え、なおもそれに対する確信に疑問が絶えない。

 

「一先ず、これは皆……特に千束には黙っとくか」

 

まだ確定した訳じゃないし、そうでなくとも彼女に言えるような内容じゃない。

そもそもアランの秘密自体、今の千束が知るような事でもないだろう。

 

落ち着いて、冷静に。そう自己に暗示をかけて、俺はウィッグとリコリス制服をカバンにしまうと、黒のジャケットを羽織って更衣室を出る。

 

「……て、お前ら何してんの?」

 

と、フロアに出ると座敷で寝転ぶ千束とたきなの姿があって。しかしその体勢は何とも不思議。

たきなが千束の胸に耳を押し当てているような状態になっていた。

 

「千束の心臓。本当に鼓動がないのか、確かめていた所です」

 

それを聞いて、俺は納得しつつも意外そうに千束に問いかけた。

 

「あぁ成程ね。……話したんだな?人工心臓のこと」

 

「まあねー、別に隠す事も出ないしー」

 

そこそこ重要な事ではあると思うが、本人は至ってお気楽そうな様子だ。

 

「和人は、やはり知っていたんですか?」

 

「そりゃあ、もう千束ともそれなりに長い付き合いだからな。でも、俺も聞いた時はそれなりにビックリしたよ。何せ、心臓が完全に機械だなんて……」

 

今から大体二年と半年前くらいの時、任務終わりに告白されたのだ。俺も当時は頭の整理が追い付かないくらいの衝撃は受けたが……今はもう割と当たり前に受けているので、そこまで気にした事はない。

 

「……和人も聞いたのですか?」

 

「え、何をだ?」

 

「千束の心臓の鼓動です」

 

早々に、俺は訊き返した事を後悔した。

 

「いや、それは……」

 

事実はどうであれ、ここは否定した方が身の為だろう。と思い、俺が否定の言葉を口にするより早く千束が口を開いた。

 

「うん、聞かせたよ。さっきみたいにぃ、こう胸に耳押し当ててー。和人サンが、どうしても気になるって言うもんだから特別にね?」

 

「おい千束?何を言ってるんだ?その言い方じゃあまるで……」

 

俺が千束の胸に耳をうずめる事を、頼み込んだみたいに聞こえる。

同性のたきなはまだしも、俺が千束にそんな事を頼むのは流石にデリカシーが無さすぎだろう。因みに言うと、彼女の言った事は半分事実で、もう半分は誇張表現だ。

 

「へぇ、和人。それは本当ですか?」

 

「え?あ、いや、聞いたのは事実だけど、別に俺から頼み込んだって訳じゃなくてだな?」

 

明らかに俺の名誉が棄損されようとしている。その現実に何とか抗おうとするも、どうやらそれは無駄な努力のようだった。

 

「分かってますよ?和人の事ですから、どうせ冗談交じりに興味本位で千束の胸に耳を押し当てたんでしょう?それだけ分かっていれば十分です」

 

「ちょっ、全然分かってない!?本当に違うんだって、話を聞いてくれ!」

 

あんまりな自己完結の解釈に、弁明を求めるもふいっと顔を逸らすたきなに手酷くあしらわれる。

因みに言うと、あの時心臓の音が聞きたいかと提案してきたのは千束で、俺もやはり興味はあるからそれに乗ってしまった。というのが真相だ。本当に俺から頼んだ訳でも、冗談で申し出た訳でもない。

 

「おい!千束からも何か言ってくれよ!大体こうなったのお前のせいじゃないか!?」

 

「えー?何の事だか千束さんには分かりませーん」

 

「くそ、お前マジで覚えてろよ!」

 

大仕事の後、様々な謎を残しながらも喫茶リコリコの夜は更ける。

フロアに響くいつも通りな喧騒を伴って。




次回からかなり物語に動きが出始めると思います
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