黒の剣士、リリベルから転職してリコリコに行くってよ 作:グランドマスター・リア
桐ヶ谷和人は激怒した。
必ず、かの
和人には上の事情が分からぬ。和人は突然この世界に飛ばされ、アランの使徒に見出され、リリベルとして戦う日々に身を投じてきた。
……それなのに。
それなのにだ?
「こんな馬鹿な話があってたまるか!」
もう一度言おう。
俺、桐ヶ谷和人はぶち切れた。
ドンとテーブルを叩き、眼の奥にゆらゆらと燃える火はまさに怒り心頭の証である。
こんなにも腹立たしい思いをしたのは何年ぶりだろうか?
少なくとも、セントリア修剣学院でライオス達から執拗な嫌がらせを受けていた時以上の物である事だけは断言できる。当たり前だ。何しろ、二年も務めた職場でちょっと勤務態度が悪かっただけなのに、任務対象もろとも夜の闇に紛れて殺されかけたのだ。
そんなしょうもない事が原因で蜂の巣にされるなど、そんな話があっていい訳がない。
現在、俺はリリベルにも割れていないセーフハウス五号に潜伏している。本当なら今すぐにでも本部に殴り込み、司令の髭面に渾身のグーを入れてやりたい所だが、まずはこの状況をどうにかしなければ自由に外出も出来ない。
「もっと早くリリベルなんて辞めとけば良かった……」
少なくとも職場の不満が爆発する前に手を打って置くべきだった。
「これからどうしたもんかな」
元の世界に帰る事はもう半分は諦めている。
最初こそ『元の世界への帰還』を第一次目標にしていたが、待てど暮らせど手掛かりらしき物の一つも掴めず、いつしか俺の中で帰れないという事を受け入れてしまっていた。気が付けば目的もなくこの世界で生きていた事に気が付き、途端に虚しなる。
異世界に来たからと言って、必ずしも心躍る毎日遅れる訳ではないのだと思い知らされる。初めは、この不可解な体験にも何か意味があるのだと言い聞かせていたが、そんな物はないのだと気付いた時、残るのは血に濡れた両手だけだ。そりゃあ、虚しくもなるだろう。
やるせなくなって脱力した体をソファーに投げ出す。
「……ん?」
と、それから数分とせずして携帯が鳴った。
リリベルから支給されていた物は当然、既に破棄しているので今持っているのは俺が個人的に契約しているスマホだ。見れば、かけてきたのは知らない番号だった。そこは不思議ではない。何しろ、こっちの携帯には誰の番号も登録していないから。
取るかどうか迷ったが、何だかそれすらも馬鹿々々しくなって、ため息をついて通話に出る。
「――ハイハイ、どちら様?」
大方、間違い電話か何かだろうと予想していたが、掛けてきたのは意外な人物だった。
『やあ、桐ヶ谷君』
「な、その声は!」
電話越しでも、その人物が誰なのか分かった。
忘れるはずもない。二年前のあの日、アランの使徒として俺をリリベルにした張本人であり、恩人でもある。あれ以降行方をくらましていたが、二年経った今でもその声が彼の物であるとすぐに分かった。
「吉松さん、なのか?」
『あぁ、久しぶりだね。元気にしてたかい?』
ちっとも変わらない様子の声音に、本来なら恩人との感動の再開を喜ぶ所だが、俺は皮肉たっぷりな言葉で答える。
「お陰様で、職場はやめさせられるは、殺されかけるはで散々な思いしてますよ」
『それは気の毒だったね、心中お察しするよ』
平然と返された。怒りゲージが二割上昇する。
「ッ、元はと言えばあなたがあんな場所に放り出した癖に連絡も一切取らないから、こんな事になってるんですけどね?」
『連絡を取らなかった事は悪いと思ってる。アランでは支援した者との個人的な接触が禁止されているからね。私自身は会いたがったがどうする事も出来なかった』
「そう言う割に一切悪びれてる様に聞こえないのは、俺の気のせいですか?」
『……さあ、どうだろう』
怒りゲージが五割上昇。
グググとスマホを握る手に力がこもり始める。
「こっちは現在進行形で散々な思いをしているんだ。冷やかしなら切りますよ?」
切れる寸前にまで迫った所で、通話停止ボタンに指が伸びる。
『悪いわるい、ちゃんと要件はある。桐ヶ谷君の今の状況は、こちらも理解しているとも。決まりがあるとは言え、こんな状況になっても放っておくのは、流石に無責任だと思ってこうして二年ぶりに連絡を取ったのさ』
嘘、ではないのだろう。
この人はのらりくらりとしていて掴み所はないが、下らない嘘を付くような人ではない。誠実とは言い難いが、だからといって一方的に憎むことも出来ないのがこの人と関わる上で難しい所だ。
「まさかとは思いますけど、次の職場でも紹介してくれるんですか?」
『察しが良いね、正にその通りだ』
適当に言った事が当たって意外さに眉をひそめる。
「……言っときますけど、俺は戸籍とか無いんで普通のアルバイトとかは出来ないですよ」
リリベルになった時点、俺の戸籍やら住民票は抹消されている。日本における基本的な人権や身元を保証する物がない状態なのだ。そんな状態で就ける職業など、アングラな裏稼業くらいに限られる。
『無論、それも把握している。その上で、君にピッタリな勤め先を斡旋してきた』
胡散臭い。
外面上はこんなにも出来る大人感があるのに、どうして言葉の節々はこんなにも信用ならないのだろう……
俺だって恩人にこんなこと思いたくないよ。でも、残念ながらこの人にはリリベルなんて、ヤバい組織に放り込んでそのまま音信不通になった前科がある。即切らなかった時点で優しさだと思って欲しい。
「…………」
『詳しい事は追って連絡しよう。どうするかは、それを見て君自身が判断して欲しい』
この人が腹の底で何を思っているかなんて分からない。
俺がどうしようと、それを真の意味で理解する事はないのだろう。今更、それを知りたいとも思わない。
「一つ、良いですか?」
『何かな?』
これが最後。
そう思って、この二年で張らせなかった鬱憤も含めて言葉にした。
「顔合わせて話す事は出来ますか?」
『すまないが、それは出来ない。さっきも言った通り、私達は支援した者と個人的に関わる事は許されていないからね。この電話一本ですら、本来なら有り得ない物なんだ』
まあ、そんな事だろうとは思っていた。
特段落胆する訳でもなく、目を伏せた。
「……分かりました。仕事先の事は、ありがとうございます。では、また」
『ああ、君の健闘を祈っているよ』
そう言って、通話切られた。
その後、同じ番号にかけても既に繋がる先はなく、数時間後に送られてきた職場の資料を最後に再び吉松とは連絡が取れなくなった。
「またかよ……」
なんかもう、色々と疲れた。
■
後日、俺は送られて来た諸資料を元に指定された場所に向かった。
紹介されたのは一見すればダイシーカフェの様に何の変哲もない喫茶店で、資料には『店主にも君の事情は既に話してある。礼には及ばない、頑張りたまえ。By吉松』との一言メッセージが付属していた。
「喫茶『リコリコ』……ここで会ってるん、だよな?」
間違いない。
店名も一致している。
外観は幾何学模様のステンド硝子やレンガ仕立てに小さなテラスと洒落た佇まいで、リリベル本部のような仰々しさは欠片もない。裏稼業の『う』の字にも結びつかない様な平穏そのものな様相に拍子抜けする。
吉松のメッセージでは店主の男も裏の世界の人間との話だったが、紹介先を間違えたのではなかろうか?
「……おじゃましまーす」
恐るおそる扉を開き、店に入る。
ただ喫茶店のアルバイト募集に来ただけなのだから、堂々とすればいいのにリリベルでの二年間が完全に一般的な感性を鈍らせたせいで今はこの様だ。
今朝のニュースが流れる店内は一階から二階まで吹き抜けた広々とした作りで、内装は全体に木造メインでありながら、細かい所までこだわりや趣向が凝らされている。二組分の座敷や独特の木組みは、心休まる和風然としたテイストをふんだんに表している。
一目で「良い店だな」なんて思って、緊張が解れた。
カウンターには色黒の長身で着物姿の眼鏡をかけた男とその向かい側に緑の着物を着た女性が居て、まず頭を下げる。
「すみません。知り合いからの紹介で来た、桐ヶ谷なんですけど……」
「来たか。桐ヶ谷君」
目前にまで来ると、俺との身長差は二回り程もあり、その圧は凄まじかったが声音から温厚な人だとすぐに分かった。
「へぇ、アンタがリリベル辞めさせられたって言う?」
いきなりリリベルの名前が出た事に多少驚いたが、どうやら吉松が言った通り裏の世界に通じているというのは本当らしい。
『辞めさせられた』というニュアンスに乾いた笑いをこぼした。
「はは、耳が痛い話です」
あんな組織はこっちから願い下げだ。
今こうならずとも近いうちに辞表叩き付ける予定だったのんだから、早いか遅いかだけの話なのだ。
「私はこの店の管理人のミカだ。彼女はミズキ。元DAで、所属は情報部だった」
「元、ですか?」
「嫌気が刺したのよ。アンタもあの場所に居たんなら、分かるでしょ?」
ミズキの言わんとする事を察して頷く。
「まぁ、何となく……」
先日、いきなり殺されかけた身としては気持ちは分かるなんて物じゃない。
リリベルもリコリスと同じで、所属はDAであり、どちらも袂が同一の隷下組織である事には変わりない。内情なんて、どちらの司令部も対して変わらないという事だろう。
「ミカさん、早速なんですけど……」
業務の説明を求めようとした所で、店の前からバタバタと慌ただしい声と音が聞こえてきた。
それは段々近づいてきて、ミズキが「うるさいのが来た」と悪態をこぼす。入り口に視線を移すと、扉が開き現れたのは見覚えのある白髪だった。
「千束が来ましたー!」
赤い制服に身を包んだ少女は、月下の下にあらずとも花である事には変わりなく。
夜の最中では彼岸花を彷彿とさせた印象も、快晴の昼前と来ればひまわりのように明るい。
「先生、今日新人さんが来るんだったよね?もう来た……て、え?」
「は?」
電波塔の英雄、錦木千束。
たったの一人で十人単位のリリベルを捻り潰した少女が、何故か目の前に居た。