こうしてつらつらと考えていると、改めて思えてくるものがる。
私は先ほど人間は例え悪意がなかろうとも、人殺しの錬磨をしてしまうと述べた。そう、人にはそうした側面がある。そしてそれが非常に残念なことながら、凄惨な殺しあいに発展してしまう道に繋がっている。
だが、逆に魔族はどうであろうか。私が知り、また伝え聞く限り、魔族は人間を害する際、即ち言葉を弄して欺く時も、力に任せて蹂躙するときも、悪意を持っていないのだ。
強力な人類の魔法使いと相対した場合については、悪意ではないにしろ「敵意」は持っている傾向はあるらしい。だがそれは、魔力によって絶対的なヒエラルキーを構築する魔族にとって、自分並または自分より大きい魔力の持ち主に対する、言い方を飾らずに言えば「負けん気」のようなものだと察する。
いずれにせよ、魔族は人類とは異なり、「争い」ということに直面した際に、その相手に対して「悪意」を持たない。人類であるならば、それこそを動力源にする感情を持ちえない。
いや、考えてみると、人間同士で争う際に、悪意というものは不可欠なのかもしれない。その不合理な感情なくしては、そもそもにおいて不合理な、同族同士の殺し合いなどで出来ようはずもないのではないか。
しかし、魔族にそれは無い。そして「悪意」がないのだから、その反対の感性ともいえる「善意」もまた持ちえない。
魔族とは、人類の感性から見れば、悪意なく非道を行い、善意なく正道を行う生き物なのだ。肉食獣が獲物を狩る際に悪意がないように、魔族も人間を害する時にそれを持ちえない。
クヴァールは、人類を憎悪していたから、人を殺し続けたわけではない。
アウラは、人類に悪意があったから、不死の軍勢を集めていたわけではない。
ただひたすらに、いっそ清々しいほどに一途に、己が定めた命題ともいえる魔法の研鑽を続けた結果なのだ。クヴァールはより人を殺せるように魔法の精度を極め続け、アウラもまた傀儡の具合を楽しみながら探求していた。
人類の感情と比べ彼らのそれは、非常に乾いている印象を受ける。
人類の持ちえる悪意という感覚は、私の拙い言葉で表すならば、非常に重たく湿っているものだ。粘り強く残り、ぐつぐつと煮えるように湧いてくる、持っていて決して愉快にも幸福にもならない感情、それこそが悪意であり憎悪に準ずるもの。私個人としても、長く持っていたい感情とは思わない。
そうして見ていると、まるで魔族の方が生き物としての純粋性が高いように思えてくるのは、周囲が言うように私が変わり者だからだろうか。
だがそうではないだろうか。魔族は魔力という、彼らにとっては比較が一目瞭然のものを唯一のアイデンティティとし、それによって絶対的な上下関係が築かれる。一方それでありながら、例外なく個人主義で余程の事態にならない限り、強者が弱者になにかを強いるということはしない。
残念ながら人類は異なる。人類は富や権力という、目に見えず分かりづらいものを共同体の軸に添え、それを行使して強者は弱者を虐げることすら珍しいことではない。
例えば、そう、ヴァイゼだ。あの都市は北方諸国の流刑地のごとき存在であり、いうなれば陰惨な政争に敗れた者たちを追いやる左遷の地であった。そしてその都市の中ですら、追放されてきた者たちは同じように凄惨な政争を繰り広げた。謀殺、暗殺、誹謗中傷という、「悪意」にまみれた行いを続けた。
だがある時を境に、そのヴァイゼの腐敗は正されていった。そしてそれは人間たちの自浄作用によるものではなく、一人の魔族の登場によって成されたものなのだ。黄金卿のマハト。彼が領主のグリュック卿のもとに現れたことにより、腐敗の極致にあったヴァイゼは一変し、穏やかで平和な街へとなった。
マハトがヴァイゼにいたとき、彼が人々に対して片時も「悪意」を持たなかったことは、支配の宝環の存在が証明している。
人間の悪意によって腐敗の底に堕ちていた都市は、悪意なき魔族によって浄化されたということだ。
このヴァイゼの事象は、果たしてこの一つの地方都市でたまたま起きた特例だっただろうか。私がふと気になってしまったのはそこである。
そもそも魔族とは、人間にとって本当の意味で害なのか?
魔族という存在がいなければ、我々人類は同族同士で今よりもっと凄惨な殺し合いをしていたのではないだろうか? 我々は魔族という途方もない脅威があったからこそ、その内に煮えたぎる「悪意」を互いに向けることがなかった、という考え方は、そう不思議なものであろうか。
我々人類は、穏やかな心の生き物だから互いに争わなかったのではない。ただ魔王が倒されるまでその機会に恵まれなかっただけだった。
魔王が倒された後、この大陸に平和が訪れた。一時は三分の一にまで減少した人類の生息領域を取り戻したのだ。
そしてその後も人類は互いに争いことなく、数十年の平和を満喫する。この結果だけを見るならば先ほど私が述べた論などは、頭でっかちの学者が陥りがちな杞憂でしかなく、人類を悪く見すぎた偏屈者の意見として一笑されて終わりだろう。
だが、現実は過酷だ。
その平穏は、勇者ヒンメルという平和の象徴にして調停者がいてくれてこそのものだった。そして彼の死後になるとまもなく、魔族や魔物の影響が弱い南側諸国は、人類同士で争うという愚行を始めてしまった。
その止めどない欲望のまま、煮えたぎる悪意をぶつけ合う戦いを始めたのだ。悪意によって戦乱が始まり、戦乱によって憎悪が生まれ、生まれた憎悪がさらなる憎悪を生み出す悪循環。その戦乱によって多くの被災者や戦災孤児を生み出しながら。
最近では魔物の影響が強く、魔族の残党が未だにみられる北部ですら、人類同士の争いが見られるという。
魔王が健在であり、七崩賢たち大魔族が猛威を振るっていた時代では、考えられないことだった。
悪意なき魔族という存在こそが、我々の悪意の防波堤となっていたのだ。ヴァイゼの事象を大陸全土に波及させた結果こそが、これまでの人類VS魔族という構図ではなかっただろうか。
生きている限り生まれ出でる悪意というものの方向性を、自分たちより強大で恐ろしい魔族に向けることが出来ていたのだ。そしてそれによって醜い同族間の戦争を最小限にすることが可能となっていた。
このような事を述べれば、きっと魔族の襲撃で肉親や友人、親しい誰かを失った人たちは憤慨するであろうが、敢えて言おう。私は魔族に滅んでほしくない。だがかつてのように強大無比な魔王のような存在もまたいてほしくない。
非常に虫のいい事を恥知らずに述べてしまえば、仮想敵として弱すぎることもなく、かといって脅威になりえるほど強すぎにいてほしい。人類が仲間割れしない程度に目立った存在でいてくれれば、これほどありがたいことはない。そして今の時代の魔族は、まさにそのちょうどいい塩梅でいてくれていた。
しかし、クヴァール、アウラ、マハトと、かつての戦乱を生き延びた大魔族も近年になって皆討たれた。残る名高い魔族といえば、「戦神リヴァーレ」と「終極の聖女トート」くらいなものだろう。その後台頭してきた存在の名前も聞かないので、魔族の脅威度は往年のそれと比べれば格段に落ちている。
私は望む。魔族よ、どうかその悪意なき乾いた心を変えないまま、人類の歯止めとなり続けて欲しい、と。このような考えを弄ぶ私は、ともすれば人類の裏切り者と指さされても仕方ないが、それでも人類同士で、本来分かり合え慈しみ合える存在に、悪意と憎悪を向け合い、それこそ「人を殺す魔法」を際限なく撃ち合うような未来になるよりは、まだ相互理解が不可能な者たちと争っていた方がマシだと思える。
人語を操る人ならざりし怪物たちよ。人類の悪意を留めるため、我々には悪意なきお前たちが必要なのだ。
ドラクエⅦのようなドロドロヒューマンドラマより、ドラクエⅢのような光と闇のファンタジーの方が好きってだけの話
これにて終了。