僕の名は森近霖之助。喫茶兼、居酒屋兼、古道具屋…… そんな不思議な店「香霖」の店主をしている。
この店は特殊な立地で、世界線の狭間に存在している。詳しい説明は難しいが、要するに様々な世界の様々な時間から様々な人々がやって来る、という事だ。
そして今宵もまた、何処かの世界線から迷い人がここに。
***
軽快なドアベルの音が静かな店内に響いた。誰かが入ってきたようだ。僕は読んでいた本に栞を挟んで椅子から立ち上がった。
「いらっしゃいませ」
客は店を一覧した後、入り口正面のカウンター席に座った。僕はその向かいに立つ。
客は恐らく男だろう。恐らくと言ったのは被っていた白いシルクハットや着ている白いスーツから推測したに過ぎないからだ。肝心な顔は奇妙な仮面を着けていて確認できない。
「注文は」
「コーヒーを一つ」
仮面の奥からかしこまった若い男の声が聞こえた。僕の予想は的中したようだ。
僕は後ろの戸棚から少し珍しいビン詰めのコーヒー豆を取り出して、カウンター上に置かれたコーヒーミルに豆を流し入れた。
豆を挽きながら僕は彼に話しかけた。実はこの店にやってくる者は大抵が『ツウ』の者だ。それは要するに『世界』の構造を理解している者ということだからだ。そしてそういう者は面白い話を持っている。
「『何処』からいらっしゃったんです?」
僕は質問をした。新しい客が訪れる度に、僕はこの質問をするのだ。すると彼はややうつむき気味になり、
「あまり言いたくないですが、V世界線と言えば分かるでしょう」
と言った。
「ああ、なるほど……」
V世界線、その言葉を聞いて僕は気が滅入った。その世界線はいわゆる『厄ネタ』という奴だったからだ。
誤解を混ぜつつも簡単に説明すると、V世界線は言うなればゴリゴリの軍事国家で、他の世界線に片っ端から戦争を吹っ掛けるという蛮行の真っ最中な訳だ。故に厄ネタなのだ。
折角面白そうな話を聞けると思った矢先にこれである。僕はうなだれた。
「気にしないでほしい。なにもこの店を攻めようとかって訳じゃあない」
「そうは言っても、気は引き締まるものですよ。まあ、客相手に言うことじゃないですがね」
「ほんとうに」
彼は仮面越しに笑った。良かった。見た目は奇抜だが、意外と話が通用しそうだ。
「おっと、失礼。そういえば仮面を外していなかった。モノを飲食する場でこれはいけない」
そう言って彼は自らの仮面を外した。その下から現れた顔を見て僕は息をのむ。
言動から読み取れる限り、それなりの立場の人間なのだろうと予測はしていたが、現実は僕の予測を遥かに越えていた。
若い、三十代になるかならないかといった具合の男の顔が現れた。
その顔は有名だ、なぜならば、
「ラウ、イブリエス…… だと?」
「ご名答。不思議かね?」
彼の名はラウ・イブリエス。V世界線を統べる『ヴィクティム解放戦線』の総統。要するに親玉ってやつである。
「なにゆえ、ヴィクティムの総統閣下がこんな店に?」
「コーヒーが飲みたい。それだけでは不満だろうか?」
いつの間にかコーヒー豆は挽き終わっていた。僕はミルの下に溜まった粉をドリッパーに入れてお湯を注いだ。カップにコーヒーが落ちると同時に芳ばしい香りが辺りに広がる。
「コーヒーは良い。私の世界ではもはや幻の品と化してしまったが、ここでは普遍的な物だ。羨ましい」
滴るコーヒーを眺めながらラウは言った。
「他の世界から幾らでも輸入出来るでしょうに」
僕はやや皮肉を交えて答える。戦争に明け暮れてなどいないで、友好を広めればいいのに。そういう意味を込めて。
「それが出来れば、とっくの昔にやっているさ。……我々の実情を何処まで知っている?」
「あいにく無知なものでして。戦争を片っ端から仕掛けているとしか知りません」
「そうか」
コーヒーがカップ一杯に溜まった。僕はドリッパーを外して、ラウの目の前に置いた。
「……我々はなにも戦争をしたくてしているのではない、せざるを得ないのだ」
ラウはカップを手に取り、一口飲む。そしてアンニュイな表情を浮かべた。
「我々の世界には、他の世界線から忘れられた者達がわんさか流れてくる。そしてそれだけの人数を養うほどの土地と資源は存在しない。いつからか、我々は溢れた人々を資材として還元、使用するまでに追い詰められた。……人が人として生きることはおろか、死ぬことすら出来ぬ世界となってしまった」
悲痛な表情を浮かべるラウ。しかしながら、僕にはそれがほんの少しばかり演技がかって見えた。
「我々は他の世界線を攻め、その中でせめて戦士として、人として死ぬことで、この残酷な世界に歯向かおうとしているのだ。」
ラウは一気にコーヒーを喉へと流し込んだ。僕はそれをなんとも言えない表情で見つめる。もう少し味わったらどうなんだ。
「だが、この頃新たな選択を見つけることが出来た。我々を根本から叩き潰してくれる希望だ。始まらなければ終わらない。種は蒔かれた、もうじき芽吹いた力が我々を滅ぼすだろう!」
ラウは両手で顔面を覆いながら狂ったように笑った。直前の言葉にしかり、何を考えているのか分からない。だが確実なのは近く、戦争に何か大きな変化が起こるということだ。
「……そろそろ時間だ。行かねばならぬ」
ラウは立ち上がる。そしてポケットを探って数枚の硬貨を取り出すとカウンターに置いた。
「価値は、ここの世界に合わせてあるはずだ」
「やっぱりこれも、原材料は人なんです?」
僕はカウンターに置かれた硬貨を何か恐ろしい物でも見るかのように恐る恐る見つめた。見たことのないデザインのものだった。
「心配することはない。人体は量子レベルに分解還元されたあとに材料として再構築されている。DNAの一本も残ってないさ」
「そういうことじゃあないんだよなぁ……」
「……では失礼」
ドアベルの軽快な音と共にラウは店を出ていった。店には僕と、『人体を量子レベルに分解還元した後に再構築した』という不気味な硬貨が残された。
僕は硬貨に触れることなく、元居た椅子へと向かって歩きだした。
「ずいぶんと、賑やかな客だったな」
僕は椅子に腰かけると栞を挟んでいた本を開いて続きを読み始めた。