僕の名は森近霖之助。喫茶兼、居酒屋兼、古道具屋…… そんな不思議な店「香霖」の店主をしている。
この店は特殊な立地で、世界線の狭間に存在している。詳しい説明は難しいが、要するに様々な世界の様々な時間から様々な人々がやって来る、という事だ。
前回は異界のメカ、ヴァイスのパイロットであるルアン・ローランドがやってきた。
そして今宵もまた、何処かの世界線から迷い人がここに。
***
平穏な日常というものはいとも簡単に崩れてしまうものである。僕にはそういう確信があった。何故ならば、今それを現在進行形で味わっているからだ。
僕が店内を珍しく掃除していると大きな物音、正確には何か大きな物が床に叩きつけられた時のけたたましい音がした。
そして慌てて音がした場所に向かうと、そこには一人の男が居た。男はまるで高い場所から着地したかのように四つん這いの姿勢で下を向いている。
僕はその場で固まって恐る恐る男を観察した。緑系統の迷彩が施されたボディスーツの上に黒色のベストとナイフホルダーを着て、腰にはやや小さめのポーチバッグと銃のホルスターのようなものを付けている。頭には深緑色のバンダナを巻き、右目には眼帯を着けていた。
ただ者ではない。僕がそう認識した時、不意に男が顔を上げ僕と目があった。
次の瞬間、男は流暢な動作で腰のホルスターから拳銃を、胸のナイフホルダーからナイフを取り出して、それらを組み合わせる独特な構えをすると僕へ銃口を向ける。
僕は両手を挙げ敵意が無い事を示した。
「そんな物騒な物を向けないでくれよ」
「ここは何処だ。何故俺はここに居る」
低い声だ。だがただ低さだけではなく、なんと言うか渋さを感じられる、そんな声だった。同時に鋭い眼光が僕を貫く。
「ここは世界線の狭間。君は何処か別の世界線から転移してきたんだ」
僕は正直に言った。
「世界線の狭間? 転移?」
男が気の抜けた声をあげる。
「バカな事を言うんじゃない。そんな話、今時子供ですら真面目に取り向かんぞ」
男が語調を強めて言う。素直に答えたと言うのに。僕は少々頭にきた。
「じゃあ君は何故ここに居ると思う? ここは何処だと思う?」
僕がそう言うと男は黙り込んで僕をじっと見ている。僕も男を見返した。
そして数分が経った。
「……もう一度言う、ここは何処だ。何故俺はここに居る」
男は同じ質問を繰り返してきた。そこで僕はカチンときた。普段はそこまで感情を露にしない僕だが、今回は何故か頭にきた。
「ここは世界線の狭間、僕の店『香霖』さ。君は何処か別の世界から転移してきたんだよ! なんでかまでは僕の知ったことじゃない!」
僕は怒気を混ぜてそう言った。なのに
「だから……」とまだ男が続けようとしたので
「じゃあ窓の外を見てみろよ!」と僕は言った。
銃を僕に向けたまま、男は後ずさりするように壁に向かうとそこについた窓から外を覗いて、固まった。
窓の外は紫色の空間が広がっている。そこを時折不可解なものがまるで無重力空間を行き交うかの如く、浮遊している。それは時に二十キロ制限の自動車標識だったり、時にカーネルサンダース氏の人形だったりする。
何より異質なのは『目』だ。三次元の世界に浮かぶ二次元的な無数の『目』がこちらを見ている。僕も最初の頃はおっかなくてしょうがなかったが、今となっては見慣れた物だ。
「こいつは一体……」
あの渋い声にやや怯えが混じった。ここがどういう場所なのか少しだけ理解したようだ。
「分かったかい? ここは『こういうとこ』だ」
男はしばらく黙って窓の外を見ていた。
それから僕の方に向き直って「俺はこれからどうなる」と不安そうに聞いてきた。
「別に帰れないわけじゃない。だが、せっかく来たんだ。何か食べていけばいい」
僕はカウンター席を指差しながらそう言った。
男は少し考えた後、拳銃とナイフをしまってカウンター席へと着いた。
僕は内心安堵した。これでもまだ敵対的な行動を続けられたらどうしようかと思っていたところだ。
「注文は」
「何だったらあるんだ?」
「大抵はあるさ、多分ね」
男はしばらく腕を組んで考え込んだ後「とりあえずコーヒーをくれ」と言った。
僕はカウンターの向かいにある戸棚を開けて中を探った。コーヒーはいつもここに入っている。……なかなか見つからない。
やっとのことで目当てのビンを見つけた僕であったが、すぐに落胆した。ビンの中身は空っぽだったからだ。
「悪いね。コーヒーは切れてるみたいだ」
「大抵はあると言っていたじゃないか」
「多分ねとも言ったろう」
男はやれやれと首を振った。
するとその時、男が何かを閃いたようだ。
「……見たところ、あんた日本人だろう? いちど生粋の日本食ってやつを食べてみたかったんだ。なんかないのか?」
いきなり難易度の高いことを言われた。第一に日本人だからって日本食を作れるかって思われても困る。アメリカ人は全員アメリカ料理を作れるのか? ……アメリカ料理って何だよ。
「日本食ねぇ……」
急にそんなことを言われても困ったものだ。正直なところ、ここにはまともな食材はほとんど無い。
少し考えて、あるものを思いついた。あれも一応は日本食と呼べるだろう。
「ラーメンって知ってるかい? 元は大陸の料理だったんだが、それを日本風にアレンジした料理なんだ」
「ああ。即席の物を何度か食べたことがある。あれは旨かった」
「その即席ラーメンで良ければ僕の常備しているものがある。なに、具材も少しならある」
「……悪くないな、ではそれを頼む」
「了解」
僕は先程の戸棚から即席ラーメンの袋とヤングコーンの缶詰を取り出し、次に冷蔵庫からメンマの瓶詰めを取り出した。男はそれを興味深そうに見ている。
それから鍋を用意して水を入れてコンロにかける。沸くまでの間、僕は男と話をすることにした。
「君の名前は?」
男はしばし考えた後、「スネークだ」と答えた。
「スネーク、か。変わった名前だね」
「コードネームだ。これでも色々と秘密の多い立場でな」
「コードネームねぇ。まるでスパイ映画か何かみたいだ」
「まぁ、そんなとこだ」
「なるほど、どうりで物騒な物を持ってるわけだ」
鍋の水が沸騰した。僕はそこに乾麺を入れる。
「あれはまあその……すまなかった。俺も気が動転していてな。今もそうではあるんだが」
「だろうね。気がついたらこんな場所にいるんだ。仕方はないさ」
男、スネークが再び窓の外を見る。外は相変わらず不気味な光景が広がっていた。
「……やはりここはソ連内では無さそうだな」
ソ連。妙な単語が出てきたな。
「ソ連? ソ連ってあのソヴィエト連邦のことかい?」
「そうだ、アメリカと対を成す超大国。数にものを言わせた物量戦が得意なあの国だ」
「そうか、君が来た世界線ではまだソ連があるのか。いや、ソ連が健在な時代から来たという線もある……」
僕は呟いた。それにスネークが反応する。
「その言い方、どういうことだ? まさかソ連が無くなったりなんかするわけがっ!」
スネークが声を荒げて言った。
「そのまさかだよ。僕がここに来る前の世界線では、ソ連は崩壊したんだ。多分、君の世界でもそう遠くない日にそうなるよ」
麺が湯だった。僕は用意したどんぶりにスープの元を入れ、麺のゆで汁を注いで溶かし、そこに麺を盛り付けた。
「そんな馬鹿なことが…… 世界のバランスごと崩壊しかねんぞ」
スネークの表情は焦燥としていた。その前で僕はメンマとヤングコーンを麺の上に盛りつけている。
「実際、かなり混乱は有ったみたいだね。まあ僕の居た地域はそういうことと無縁な場所だったから、具体的なことは分からないけどね」
盛り付けたどんぶりをスネークの前に置く。湯気がもんもんと上がり、我ながら旨そうに出来たと思う。
「……俺は、ソ連に亡命したある人物を抹殺する任務を受け、ソ連へと潜入していた」
スネークがぽつりと呟いた。そしてどんぶりの前に置かれた箸を手に取る。自分で置いておいてなんだが、箸を使えるのか。
スネークが麺をつかみ上げ、おもいっきりすすった。そして「旨い」と呟く。
「……その人は俺の恩師だ、聡明な人だった。そんな人が後先考えずに敵対国への亡命なんて馬鹿げたことをするはずがない。まして、あんたいわくそう遠くないうちに崩壊するような国に」
僕は黙ってスネークの呟きを聞いていた
「……だが、あの人が亡命したという事実は変わらない。そして俺はあの人の抹殺を命じられている」
ヤングコーンをかじりメンマを喰らう。麺は吸い込まれるように口の中へと消えていった。
「……俺はどうすればいい。教えてくれ、ボス」
スネークは一息ついてからそう言った。
「ボス?」
「ザ・ボス。あの人のコードネーム、本名を俺は知らない」
「そうか…… 僕が言えるのは、ただ直接本人に会う他ない、ということだね」
「……やっぱりな」
そう言ってスネークは喉を鳴らしながらどんぶりのスープを一気に飲み干す。
「ふぅ、旨かった」
空になったどんぶりがカウンターに置かれた。
「お粗末さま」
スネークは親指を上に突き立ててグッドのジェスチャーをした。それから真剣な表情を浮かべる。
「俺は、決着を付けに行く」
「そうだね、それがいい」
スネークは立ち上がると、腰のポーチを探って何かを取り出した。
次の瞬間、僕は面食らった。カウンターの上に何かのケージが置かれたからだ。明らかに腰のポーチに入らないサイズのものだ。一体どうやってこんな大きさのケージをあんな小さなポーチに入れていたんだ?
「あいにく通貨の類いを持っていなくてな。これを代替わりにしてほしい。……こいつは旨いぞ」
そう言うとスネークは店の出入り口であるドアに向かって歩いていく。
ドアノブに手を掛けて、少し待った後、スネークはドアを開けて出ていった。
残された僕はどんぶりと鍋を洗った。そしてスネークが置いていったケージを見た。
ケージにはやや土汚れが付いていた。中からがさごそと何かがうごめく音が聞こえる。
「旨いって、どういう……」
僕はケージの隙間から中の様子をうかがった。
そしておもわずうおっ、と声をあげた。
ケージの中に居たのは、ビール瓶の様な胴体に茶色の体色を持つ珍しい蛇。
『ツチノコ』だ。一体どこでどうやって捕獲したのだろうか。
「確かにお代としての価値はあるが、食べたのか、これを」
ただ者ではないと思っていたし、実際にただ者ではなかった。だからといってツチノコまで喰らうようなゲテモノ好きだとは考えてもいなかった。
人間って恐ろしいな。僕はそう考えたのだった。