僕の名は森近霖之助。喫茶兼、居酒屋兼、古道具屋…… そんな不思議な店「香霖」の店主をしている。
この店は特殊な立地で、世界線の狭間に存在している。詳しい説明は難しいが、要するに様々な世界の様々な時間から様々な人々がやって来る、という事だ。
前回は隻眼の工作員、スネークがやってきた。
そして今宵もまた、何処かの世界線から迷い人がここに。
***
時には、僕のような者も甘い物を食べたくなる時がある。
思い立ったが吉日とはよく言ったもので、僕はすぐに材料を手にすべくここの大家的立場の妖怪に交渉を持ちかけた。
「貴方が甘い物を食べたいだなんて」などと訳の分からない苦笑をされたりなんかしたが、何とか材料を手にすることが出来た。
小麦粉に卵、牛乳と砂糖にベーキングパウダー。作るのは手短に作れる洋風菓子の代表。
そう、ホットケーキである。
材料を順序なんて考えずに分量だけを見てボウルに投入して混ぜ合わせる。仮にその手の料理人なんかが見たら激怒するようなやり方だ。
そんなやり方をしているから、やはり失敗もする。どうやら牛乳の分量を間違えたようでやたら生地が水っぽくなってしまった。
一か八かで焼いてみるも、フライパンに落とされた生地は薄く拡がってそのまま膨らむ素振りを見せなかった。これではホットケーキというよりクレープである。
小麦粉を追加投入して粘度を調整するか。いや、そうすると今度は固くなりすぎるか、どうしたものか。そんなことを考えているときだった。
軽快なドアベルの音が店内に鳴り響いた。
客が来たのか。そう思い僕は店の入り口を見たのだが、そこには誰もいない。場所が場所なだけに風でドアベルがなるとかそういうことはないはずだ。
勘違いだったのかもしれない。僕は再び水っぽい生地との格闘に戻った。
だが、その闘いに水を差すように今度は店の端で物音がした。
その方向を見ても、やはり何もない。変な怪異にでも居着かれたのだろうか。
僕が物音がした方向を凝視していると、またもや物音がした。別の方向だ。
僕はカウンターから出て、恐る恐る物音のした場所に歩いていった。
そこは家具の置き場だ。何か稼動部のある家具が鳴ったのかもしれない。そう思って家具を一つ一つ確認したが、どれにも動いた形跡がない。
「どういうことだ」
僕がそう呟いたときだった。
肩を叩かれた。僕は振り向いた。
「ワッ」
そこに居た何者かが声をあげた。僕は思わずバックステップで何者かとの距離を空ける。慣れない動きをしたものだから着地と同時によろめいて倒れそうになった。何とか倒れずに体勢を立て直すと、その何者かを見た。
目の前に一人の少女が居た。乾いた血のような暗い赤髪の少女だ。闇に融けるような黒いコートをまとっている。
少女は僕を指差して笑っていた。
「ハハハ、お兄さんビビり過ぎ。ちょっとおどかしただけじゃん」
僕はいささか不機嫌になった。
しかし、その僕の不機嫌さを軽く上書きするような情報が、僕の眼に入ってきた。
少女の額に三角形の白い布切れを見つけた。それまるで……
「亡霊なのか」
「お、当たりー」
少女は両手を顔の前にぶらりと下げ、典型的な幽霊のポーズをとった。正確には幽霊と亡霊は違うものだが、ここでは気にするまい。
「ひゃうんっ」
不意に、少女が甲高い悲鳴をあげる。足元を見ればそこにビール瓶のような胴体の茶色い蛇が這いずっていた。
「えぇ、何これ何これ」
先日の客、スネークが代金の代わりに置いていったツチノコだ。食材として置いていったようだが、僕にはそういったゲテモノ食の趣味はない。なので、店内で放し飼いしてペットにすることにした。
「うわぁー、変なのー」
少女はしゃがみこんでツチノコを突っついては、子供のようにはしゃいでいる。その姿を見て僕の警戒心はすっかり無いも同然になった。
「で、君はなんなんだい。客か」
「そうだよ」
少女はツチノコをいじりながら、顔だけをこちらに向けてそう答えた。なんというか、調子が狂わされる。僕は頭をかいた。
「ええと、お好きな席へどうぞ」
少女はツチノコをいじるのをやめて店内を見回した。そして二人掛けのテーブルを指定してそこへ座った。
「注文は」
「カフェオレと……」
少女は考える素振りを見せたあと「お兄さんの食べてるやつ」と言って僕が先ほど焼いたホットケーキもどきを指差した。
「これは僕の食べかけだよ」
「新しいのに決まってるでしょ!」
少女はふんすと怒って席にふんぞりかえった。僕はそれを横目にカウンターへと入って、新たなホットケーキもどきを焼く作業に取りかかった。
「そういえば君は、何ていうんだい?」
「サラ・ホーク、世界線ERX-177出身の享年17歳でーす」
聞いていないところまで答えてくれた。それはそれとして、なんというかその、僕は顔をひきつらせた。そして気を紛らわすように焼けた生地をひっくり返した。
「それにしても、アンティークな店だね。……あ、あれ?」
サラが店の端を指差した。そこにあるのは一丁の銃。
「クリスの銃じゃん」
あれは前にここへ訪れた客、クリスの銃だ。クリスを知っているのか。
「君は彼を知っているのかい」
「知ってるも何も幼なじみさ。そして」
サラはうつむいた。
「僕を殺したのもクリスだよ」
「……そうか」
僕はフライパンを見る。そろそろ生地が焼き上がりそうだ。
「妙なことをきいてしまったね。申し訳ない」
「いいんだ。本当のことだし」
それから少しの間、店内に重い沈黙が流れる。
沈黙を破ったのはホットケーキの焼き上がりだった。僕はクレープのようにペラペラのホットケーキもどきを気まずそうにサラの前に置く。
「お、美味しそうじゃん」
それまでの表情を一変させて、サラはキラキラとした眼でホットケーキもどきを見つめた。
コロコロと気分が変わる娘だな。僕はそう思った。さて、もう一品を作らねば。
冷蔵庫からパックのコーヒーと牛乳、それに冷えたグラスを取り出した。グラスにコーヒーと牛乳を同量入れて軽く混ぜ合わせ、ストローを差してサラの前に置いた。カフェオレの完成だ。
「シュガーは?」
「砂糖は入れない主義なんだ」
「いやお兄さんの好みじゃなくてさ……」
サラは仕方なさそうにストローに口をつける。
「んーおいしー」
しかしその数秒後。
「んへぇ、やっぱ苦いよぉ」
やれやれ、仕方なくシュガーポーションを差し出した。
「君の様な娘が幼なじみじゃあ、クリスもさぞ苦労したろうね」
「だから今の奥さんの良さがしみるんでしょ」
クリスの奥さん。詳しくを僕は知らない。サラは知っていると言うのだろうか。ということは他にもクリスについて知っているのか。僕はかねてより気になっていたことをきいてみた。
「君は、クリスの能力についてどこまで知っている」
「どこまでも何も、全部さ。いつどのように手にしたのかも知ってるよ。だってついこの間までクリスに憑いていたんだもん」
想像の斜め上の回答が返ってきた。亡霊が人に憑くというのはかなりの執念がないと出来ない芸当だ。この娘、意外と重たいのかもれしない。もちろん重量的な意味ではなくて。
すると、サラが悪っぽい顔をしてこうきいてきた。
「知りたい? クリスの能力の出所」
僕は少し考える。こうして本人のいないところで勝手に聞くのはどうなのかと。
しかし、好奇心の前にはそんなものは些細な障害だった。
「教えてくれ」
「クリスの能力は、元々奥さんの物だったんだ」
……話が読めない。クリスの能力と奥さんに何の関係があるんだ。僕は黙って話の続きを待った。
「クリスは、ERX-177に居た頃のクリスはある子に酷く嫉妬心を持っていてね。その心の隙をラウって奴につかれて洗脳されちゃったんだ」
ラウ。ラウ・イブリエス。前にこの店に来たことがある。V世界線という厄介な世界線の総統で、色々な世界線に戦争を吹っ掛けている張本人だ。洗脳なんて芸当も出来るのか。
それにしても、あのクリスが嫉妬か。それほどクリスを知っているわけではないが、クリスが嫉妬するなど相当な人物なのだろう。
「クリスはその子とP-A-14.5-MRで決闘したんだ。結果は僅差でクリスの負け。その決闘の場所は竹林の上空だった。負けたクリスは竹林に墜ちて、そこをある一人の老婆に助けられたんだ」
ずいぶんと物騒な話だ。
「ここからだよ、最初クリスはこの老婆を普通の人だと思っていたんだ。でも目の前で見せられちゃったんだよ。リザレクション、つまりよみがえりの能力をね」
リザレクション。よみがえりの能力。僕が知る限りこの世に四人しか持つものがいないはずの能力。
「その老婆は一体どこでその能力を」
「さあ、そこまでは分からない。でも目の前でそんな魅力的な能力を使われちゃあ、魔が差すってものでさ。よみがえりと同時に若返った老婆、いや少女と呼ぶか。少女はクリスを居候させることにしたんだ。二人は竹林で生活をするんだけど、クリスは日に日にその能力への渇望が酷くなっていくんだ。あの能力があればアイツに勝てる、ってね。そしてある日、クリスは寝ている少女に襲いかかった」
僕は顔をしかめた。
「そういう意味じゃなくて、まだそっちの意味だったら救いはあったんだ。でもクリスの狙いは不死身の能力。この能力はある薬によって得ることができるんだけど、薬の成分は肝臓に溜まる。つまり能力者の肝臓を喰らえば自分も不死身になれるってことさ。クリスは少女の腹を裂いて肝臓に貪りついた」
あのクリスがそんな乱暴なことをするなど、嫉妬とはそれほどまでに人を歪めてしまうのか。
「クリスは不死身になったと歓喜した。でもそのすぐ後に気が狂うほどに後悔した。不死身とはいえ、自分を介抱してくれた少女を私欲のために無惨に殺して肝臓を喰らったと。そんなことでアイツに勝てるはずなどないと。こんなことに手を染めた時点で永遠に自分の敗けだと。錯乱したクリスは銃で自分の頭を撃ったんだ」
そう言ってサラは店の端に立て掛けられた先ほどの銃を指差した。
「しばらくしてクリスは目を覚ました。目の前には腹を裂かれて死んだはずの少女がいて、涙を流しながらクリスを揺さぶっている。少女は自分を殺したことよりも、不死身の能力に手を出したことを責めていたんだ。不死身の恐ろしさをしっていたからさ。良い人だよね、自分よりも他人のことを考えられるんだ」
不死身の人間の悲惨さを想像できないほど、僕は自分を愚かではないと思っている。だがそれを理由に、他人のために涙を流せるような人間がいるとは。僕の想像力の頭打ちが見えたということか。
「それからなんだかんだあって不死身同士、二人はくっつきましたとさ。めでたしめでたし」
サラはパンパンと手を鳴らし、少し不機嫌そうに言った。
「そうなのか、そんな経緯があって」
結局、大元の能力の根元が何だったのかは分からずじまいだったが、クリスがどうやってあの能力を手にしたのか、それが分かっただけでも儲けものだ。
「ごちそうさまでした」
いつの間にかサラの前に空の皿が置かれていた。話ながらも食べていたようだ。果たして美味しかったのだろうか。
「お代は…… 三途の川の六文銭ならあるけど、いる?」
「いいや、それだったら結構だ」
成仏し損ねられても困る。
その代わりと言ってはなんだが、ふと僕は踏み込んだ質問をしたくなった。
「君は、君を殺したというクリスを恨んでいるのかい」
「恨んで? ないないない。だってクリスが僕を殺したのは僕がラウに洗脳されて、敵対したからだもん」
「じゃあなんで、取り憑いたりなんか」
「恨みなんかじゃなくて、心配だったんだ。これから先、クリスがどうなっていくのか」
そうか、この娘はクリスのことを。
「でも安心した。良い奥さんに出会って、あの子とも和解した。これで僕はもう成仏できるんだ。この店を出たら、僕は閻魔様のところに行くよ」
「そうなのか。で、どっちの閻魔に裁かれるんだい?」
「P-A-14.5-MRの方さ」
「そうか。あそこの閻魔は、イケメンらしいね」
「へぇ、参考にするよ」
そう言ってサラは店の出口に向かって歩いていく。
「じゃあね」といって笑顔をこちらに向けたあと、ドアを開け出ていった。
死人というのはあんなに明るいものだったろうか。まあ、いつだったかに会った亡霊の姫君もあんな感じだったし、珍しくは無いのかもしれないな。
そういえば、最初の怪現象は一体なんだったのだろうか。サラがやったのだろうか。だとしたら、姿が見えなかったのは一体どういうからくりがあるのか。あとになってから非常に気になる。
「聞いておけばよかったな」
僕は一人になった店内でぼそりと呟いた。