俺の両親曰く、俺が一番最初に喋った言葉は「勇者」だったらしい。
勇者。それは聖剣に選ばれ、世界に害を為す魔剣を封印するという使命を負った者たち。この世界に生まれた子供が一度は憧れ、その名で呼ばれることを夢見ると言っても過言ではないだろう。当代の勇者、ステラも無論そのうちの一人だ。
◇◇◇
俺とステラは同じ村の出身だ。田舎のそう大きくない村だったから、それこそ物心が付く前から交流があった。昔のステラのことはよく覚えている。いつも輪の中に上手く入れずにまごまごしているような、引っ込み思案。そのくせ一旦言い出したら誰より頑固で、勝手に全部背負い込んではそれに潰されかけるような、不器用な少女だった。
家が近かったのと、ステラの両親の冗談を真に受けたのもあって、俺はステラとよく遊んだ。迷子になって、夜遅くになるまで帰れなかったこともある。
転機となったのは、多分十年くらい前だ。俺が近所に住んでいた元騎士の爺さんに、剣を教えて欲しいと頼み込んだ時。確か、ステラも剣を教わりに来たのだと、爺さんが勘違いしたんだったか。たまたま一緒にいただけだったんだけどな。
剣を教わるようになってからは、楽しかった。木剣でこそあれ、農作業で使う鍬やら鎌やらとは違う、本物の武器。少しずつ、爺さんの剣が見えるようになる、あの感覚。「本当に勇者になれるかもしれない」と、何度思ったことだろう。実際爺さんにも、「筋がいい」とよく言われたものだ。
そこから更に二年が経って、ステラとの差はいよいよ小さくなった。いや、むしろ俺が追う側に回ってしまっていたんだ。あの頃はまだ二回に一回は勝ちを拾えていた。けれど、それは一年も経たないうちに三回に一回になり、五回に一回になった。十回に一回勝てるかどうか、ってところで勝率を考えるのはやめた。十三才の、秋の話だ。
それからの三年は、正直に言うとよく覚えていない。仕事をして、時間の許す限り修練する。ただそれだけの日々だったはずだ。
それでも、ステラには届かなかった。
それどころか、一度開いた差は縮まる気配すら見せずにどこまでも広がっていく始末だった。
勇者になることが諦められなくて、剣を捨てるのが怖くて、焦っていたのかもしれない。些細なことから両親と喧嘩したその日に、俺は家を飛び出した。行く当ても、目的も、何一つ無かった。爺さんが成人のお祝いにくれた剣だけが頼みだった。故郷に帰ることも、どこかを目指すことも出来なかった時、長い間忘れていた「聖剣」のことを思い出した。
『「聖剣」が、勇者を選ぶ。』
ずっと、聖剣に選ばれるために必要なのは、剣の腕だけだと思っていた。でも、そうじゃないのかもしれない。そんな淡い希望を抱いて、俺は聖剣の「剣宮」に向かった。
それでも、現実は変わらなかった。
結論から言ってしまえば、俺は聖剣には選ばれることはなくて。
その代わりと言ってはなんだが、ステラが勇者に選ばれた。
◇◇◇
勇者に選ばれた奴がどんな人間か見るために、俺は聖剣の「剣宮」――聖剣宮のある都市に留まっていた。せめて自分なりに、夢に区切りを付けたかった。
楽隊の奏でる威勢の良い行進曲とともに、聖剣宮とその周辺を守護する騎士団の団員たちが、隊列を組んでやって来た。華やかな音楽と、太陽に照らされ燦然と煌めく甲冑。ここに住む者でも滅多に見ることの出来ない光景に、そこら中で歓声が上がる。路地の入り口から見える全てが、今の俺には余りにも眩しかった。
隊列の奥の方で一際大きな歓声が上がった。その訳は、このパレードの目的を知っている者ならば容易に想像がつく。
勇者だ。
興奮は瞬く間に伝染し、皆が今か今かとその時を待つ、独特の空気が場を支配する。
初めに見えたのは、流れるような金髪だった。
人々が爆発的な歓声を上げる中、その後ろで俺は、思わず息を止めた。
なぜなら、それが誰なのか、分かったから。
分かってしまったから。
一番、そうであって欲しくないと、内心で願い続けていた人物だったから。
聖剣を背負ったステラが、馬上で陽の光を浴びて輝いていた。
随分と久し振りに見たその姿は、最後に見たときよりも一層逞しく、均整の取れたものだ。魔剣という闇から人々を解き放つ光。まさに、勇者。
きっとお伽話の中の人々でさえ、勇者を見たときはこんな気持ちにはならなかっただろう。それほどまでに、彼女は聖剣を背負うに相応しかった。
不意に、ステラと目が合った。
それはただの気の所為だったのかもしれない。けれど、その一瞬は、永遠のようにも思われた。
俺はきっと、その瞬間を、生涯忘れることは出来ないだろう。
いつの間にか「勇者」は俺達の前を通り過ぎ、また先の方で歓声が上がる。興奮冷めやらぬ人々の背後で、俺は崩れ落ちるようにへたり込んだ。
「……ちくしょう……」
気付けば、涙が流れていた。
悔しかった。悲しかった。けれど、それ以上に、情けなかった。
いつかは追い付けると、もう一度、その背中に手が届く日が来ると、そう思っていた。その日が来ることを、何年も前から望んでいた。
だが、その日はもう永遠に来ない。お伽話の主人公はステラだった。俺は最初から、台詞なんて一つもない、挿絵にすらならないような存在でしかなかったのだ。
そんなことに、何もかも手遅れになってから気付いた自分自身が、何より情けなかった。
◇◇◇
「……日、暮れちまったのか……」
気が付いた時には、既に太陽の代わりに月が空の真ん中から街を照らしていた。乱暴に目元を拭い、立ち上がる。足の痺れが、妙に俺を苛立たせた。
「……これから、どうすりゃいいんだ」
勇者になると、なれると、そう信じて駆け抜けてきた。自分と同じように走っている、自分よりも才能のある人間達から目を逸らしながら。
もう、俺には何も残っていない。そんな不安が幾度となく去来する。足元を見ると、月の光で出来た建物の影が、俺の影をすっぽり包んでしまっていた。
「……いた!」
当てもなく何処かへ行こうとして、道に背を向けた時。不意に、後ろからそんな声が響いた。
忘れる筈もない。忘れられる筈がない。
「……ベル、だよね?」
「……勇者サマが、何の用だよ」
今まで吐いたこともない、冷たい声が俺の喉を震わす。少しだけ、背後の気配が怯んだ気がした。
「ねえ、今からでも、帰ってこない? みんな、心配して――」
「黙れよ」
お前の言葉なんて、聞きたくも無いのに。なぜかその声に耳を傾けている。こんな場所からすぐにでも立ち去りたいのに、なぜか足は動かない。
精一杯拒絶したはずなのに、一歩分、声が近くなる。
「っ……、じゃあ、私と、一緒に――」
「うるさい」
やめろ。俺はもう、お前の足元にも及ばないのに。なんでそんな風に、俺に声を掛ける。何者でもない俺に、何も分かっていなかった俺に、光の中にいる、お前が。
なんでお前はこんなところにいる。なんでこんなことをする。なんでお前が勇者になる。なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで――。
「私だって、心配――」
「うるさいって言ってんだろっ!」
叫び声が闇に紛れて消える。初めてステラに吐いた怒声は、口の中に苦い感触を残した。少しの空白の後、ステラの足音がした。
「……なんで、そんなこと」
絞り出すような声だった。昔は、ステラがこの声で話しだしたらすぐさま機嫌を取りにいったものだ。ぼんやりと、そんなことを思う。
でももう、そんなことはする必要が無い。する意味だって無いし、するつもりも無い。
だってもう、住む世界が違うんだから。
背中を触られる感触に、思わずこちらに伸ばされた手を弾いた。
勢いのままに振り返り、また、ステラと目が合った。
「……ベル」
今にも泣きそうな声だ。それが無性に腹が立った。
「お前に、俺の気持ちは分からねえよ」
吐き捨てるように呟いて、俺の足はようやく動き出した。どこへ行くともなく、ただこの場から離れるためだけに足を動かす。
気配は、着いては来なかった。
――これは、聖剣に選ばれた
選ばれなかった、