十話目、ベル視点からです。
夢を見た。
幼い頃の夢だ。まだ俺が、何の気兼ねもなくステラと笑い合えた日の夢だ。
他の子どもたちと一緒に山に入って、山で過ごすことになったあの夜、俺は、何もできなかった。何があったのかなんて、ろくに思い出すことができない。何が起きたのかも、何を話したのかも、誰がいたのかさえも。
それでも、一つだけ、覚えていることがある。
一緒にいた他の子たちは皆疲れからか眠ってしまい、起きていたのは俺とステラだけだった。夜の山の刺すような冷たさに、息を潜めて時間が過ぎ去るのを待っていた俺達の前に、「何か」が現れた。
それが何だったのかは、何度思い出そうとしても分からない。獣だったのかもしれないし、そんな存在は端からいなかったのかもしれない。けれどその何かは、当時の俺を怯えさせるには十分だった。
何も見たくなくて、考えたくなくて、俺は目を背けてステラたちを腕に抱いた。
その時だった。
腕からステラの温もりが消え、ザッ、と地面を蹴る音がした。
思わず振り返った俺が見たのは、腕を広げ、俺達を庇うように立つステラの姿だった。
◇◇◇
……どれだけ、時間が経っただろう。いつの間にか、「何か」の気配が消えていた。
「……いなく、なった……?」
早鐘を打つ心臓に邪魔をされながら、俺は呟く。
それが聞こえたのだろうか。仁王立ちしていたステラが、膝から崩れ落ちた。
「っ、ステラっ!?」
地面にへたり込んだステラに、俺は思わず駆け寄り、ステラの方に手を伸ばす。
その表情は暗い中でよく分からなかったけれど。
その震える肩と、荒い息は、いっそ恐ろしいまでによく分かった。
「……ベル?」
気づけば俺は、ステラを抱き締めていた。
「泣いてるの?」
俺は、知っていたはずだった。ステラのことを。輪に入ることもできずにうじうじしている姿を。
それなのに、それなのに。
◇◇◇
俺はそう呟いた。目を開いたというのにも関わらず、視界は暗い。頬に触れる冷たさと、硬い感触。朧気な意識の中で、どうやら俺は床に寝ているらしい、という考えがぼんやりと浮かぶ。
「い”っ……!?」
剣が無い、そう思って立ち上がろうとした瞬間、背中に走った痛みに、思わず呻いた。
(ここは、どこだ?)
そんな疑問を頭の片隅で抱きながら、少しずつ腕を動かして辺りを探る。カラン、という音がして、指先が馴染みのある柄に触れた。
どうにか掴み取った剣を支えに、立ち上がる。四方を見渡して見ると、どうやらここは一本道の通路のようだった。少し先では通路が広がり、広間のようになっている。
動かない頭を少しずつ回しながら辺りを眺めていると、不意に、叫び声と共に、広間の方からぐしゃり、とか、べきゃり、という音がした。続けて一つ、二つ。そしてだんだんと、辺りに鉄臭いような匂いが漂ってくる。
俺は覚束ない足取りで壁に背を預け、身体を床の方へと滑らせた。
「……夢、か」
懐かしい夢だった。この数年、久しく見ていなかった夢だ。
……俺が剣を志したのは、なぜだろう。少し前までの俺であったなら、一も二もなく「勇者になりたかったからだ」と、「聖剣を振るうためだ」と、そう答えられていただろう。
「何してんだ……」
ため息と共に、そんな言葉が溢れた。誰と話すわけでもない声は枯れ、口から出たのはほんの断片に過ぎなかったが。
『「呪怨」の魔剣を手に入れろ。
妙な声が頭の中でする。その声は響くたびに大きくなり、俺の頭を締め付けてくる。
「……わかってる」
少し前までは、この「声」に従っていれば楽になれた。何も考えなくとも、俺の本心を代弁してくれると思っていた。
……だが、本当にそうだったのだろうか。この声に従って、
そのとき俺は、満たされるのだろうか。
◇◇◇
「呪怨」の魔剣。聖剣宮に置かれていた文献によれば、その剣は見ただけでも生命力が奪われ、一度斬りつけられれば、ほんの掠り傷でさえ身体の弱い者なら死に至るとも言われる凶悪なものだそうだ。
「……なんか、拍子抜けだね」
隣でニトが、思わず、といった風に呟いたが、その思いは口に出さずともベスタも同じようなものだろう。もちろん、私も。
馬車の中で教えてもらった情報に反して、その魔剣宮の内部は至って平穏なものだ。事前にそうと聞いていなければ、ここが魔剣宮であるとは夢にも思わないだろう。美しく整えられた石造りの壁面や天井、床は薄くぼんやりと光り、通路全体を照らしている。道は入り組んでこそいるものの、罠が仕掛けられていたり、怪物が潜んでいたりするような気配は無い。
「……行き止まりだね」
前方に現れた白い壁を見て、思わず嘆息してしまう。渡された地図を見ても、どうやらここが最奥だろうということ以外は分からない。
「うん。やっぱり行き止まりだ」
ぺたぺたと壁を触っていたニトが頷きながら言った。釣られて私とベスタも壁を撫でたり叩いたりしてみるが、通路のものや床、天井のそれと変わりのない、ただの壁だ。
本当に、何も無い魔剣宮。
だというのに。
「なあ、
「……分からない。でも、ここまでの案内をしてくれた人も、ここの説明をしてくれた人も、嘘を吐くような人じゃない……と、思う」
「にしたって、こんな何も無い場所でいなくなる?」
どうやらここで、先に調査をしていた聖剣騎士団員が、一部隊――六名まるまる行方不明となっているらしい。
「とにかく一回、休憩を挟もう。考えるのはそれからだ」
はいよ、りょうかーい、というベスタとニトの声を聞き流しながら、私も剣宮の床に腰を下ろす。保存食を取り出し始めた二人を横目に見ながら、ぱらぱらと手帳を捲った。
――「呪怨」の魔剣。最初に確認されたのは、現状最後の「魔剣使い」が暴れていた頃。魔剣になった経緯は不明だが、出自だけははっきりしている。とある村で、村人全員が惨殺されていた。その下手人と思しき遺体に握られていた剣だ。
平和な村で起きた、凄惨な事件。それによって、魔剣は「成った」。
「……」
だが、その魔剣の領域は、余りにも殺風景だ。数十人も惨殺するような狂気と共にありながら、この魔剣宮にはそれが感じられない。
……何か、何かが足りていない、そんな感覚。
手帳を閉じ、目を瞑って壁に背を預ける。私たちが今いるのは、行き止まり。そのはずだ。
「……スーさん?」
目を閉じたまま立ち上がった私に、ニトがそう声をかけてきた。
壁に手を置きながら、慎重に一歩ずつ足を踏み出す。確か、行き止まりの壁まではおおよそ三歩だったはずだ。
一歩。かちゃりと背負った剣が揺れ、音を鳴らした。
二歩。何かを察したのか、ニトとベスタの息を呑む音が聞こえた気がした。
三歩。呼吸が荒くなるのを感じる。心臓を打つ早鐘に、一瞬、次の足を躊躇した。
そして――四歩目。私の足は、