「剣には様々な人間の意志が宿る」、というのは、この世界の常識だ。剣を鍛えた人間やその所持者は勿論、世間の風聞やら何やらが剣に力を与え、これまでにも多くの名剣を生み出してきた。
◇◇◇
「一日歩けば剣宮に当たる」
そんな冗談を言っていたのは、誰だったか。剣宮は、力を持った剣――魔剣が、己の主に相応しい人間を探す為に生み出す空間だ。当然、最奥に眠る魔剣に到達するまでにはかなりの困難が待ち受けている。魔剣を手に入れることを目論み、内部で命を落とす人間はこの世界ではそう珍しくない。
聖剣宮を出た俺が辿り着いたのは、一見すれば林か何かと見紛うような、小さな剣宮だった。
「……入ってみるか」
俺がこの時、なぜそう思ったのかは、よく分からない。剣宮の実際の規模は、その外見に比例しない。外から見たらごく小さかった剣宮が、内部は途方も無い程広大であっただとか、或いは侵入者を殺す為の仕掛けに満ちていたとかいう話は枚挙に暇がない。未知の剣宮に入るというのは、生半可な覚悟でしてはいけない危険な行いなのだ。
特に俺は、そのことを身をもって知っているはずだった。
剣宮の内部は、どこかの館のような、石造りの廊下になっていた。左右には無秩序に絵画が掲げられ、壁には無数の傷が付いている。絵画の下に貼られたプレートに書かれた年代はバラバラで、何の規則も見つからない。
だが絵画自体には、二つだけ共通点があった。
絵画の人物たちはどれも勇者だ。何百何千と逸話のある者から、名前すら聞いたことの無い者に至るまでが、聖剣の特徴的な柄を握っている。
そしてもう一つ、聖剣の剣身が描かれていたであろう部分だけは、全ての絵において引き裂かれ、判別出来なくなっていた。
「……っ」
そう長くない廊下の出口、そのすぐ手前で俺の足が止まった。
理由は分かり切っている。すぐ隣に掲げられた絵。そこには、線画ではあるが、他ならぬステラが描かれている。まだ未完成なのであろうその姿は、それでも尚他の勇者たちと比べても全く遜色は無かった。
その時俺は、確かにステラに見惚れていた。
不意に奥から、コツン、という床を石が跳ねる音がした。
「――誰だっ!?」
咄嗟に身構え、いつでも剣を抜けるようにしながら叫ぶ。奥にいるであろう何かは、一切の動く気配を見せない。背中を、冷や汗が伝った。
一秒、二秒、三秒。そして、心の中で四秒目を数えた瞬間。
「――ッ!?」
目の前に迫った白刃を咄嗟に弾き飛ばし、大きく後ろに距離を取る。激しい金属音と共に弾かれたその剣は、床に落ちることなく浮かび、こちらに剣先を向けた。
「ほう。死なないか。少しはやるようだな」
「……いきなり、何しやがる」
通路の奥から剣に遅れて現れたのは、外套に身を包んだ長身の男だ。フードを深く下ろしているため顔を窺うことはできず、体型も隠され知ることはできない。
ただ、一瞬でも気を抜けば殺される。そう思わせるだけの気迫が、眼前の男にはあった。
「貴様のような者に名乗る名など無い。……が、その実力は放っておくには僅かに惜しいな」
「……っ、ゴチャゴチャ何を言ってやがるっ!」
叫びながら、男に向かって一歩踏み出した。再びこちらへと飛翔してくる剣を弾くと同時に、袈裟懸けに剣を振り下ろす!
「……は?」
気付けば俺の身体は宙を舞い、勢い良く壁に叩きつけられていた。全身に激痛が走り、身体のそこかしこで嫌な音が鳴る。
「くそ、がっ!」
ほとんど意地だけで眼前に迫った剣を反射的に前傾して避け、そのまま身体を沈めて突進。無防備に立つ男の胸に、俺が突き上げる剣が刺さる――。
「『破壊』の攻撃を受けてなお立ち上がるとはな。ますます惜しいな」
だがその渾身の一撃は男がどこからか取り出した剣に阻まれ、その拍子に俺の体勢が大きく崩れた。強引に一歩踏み出し倒れる身体を押し留め、跳ね上げるように剣を振り上げる。
だが、それより早く男の腕がブレた。悲鳴のような金属音と共に、俺の剣が半ばほどで消える。
そしてその直後、俺の背中から胸にかけて、焼けるような痛みが走った。
「ぐぁっ……」
必死に目を動かし、自分の胸元に視線を下ろす。
一本の剣が、俺の胸を貫いていた。
その事実を認識した瞬間、俺の足から力が抜け、堪えきれず横倒しになる。視界が、暗くなる。床が冷たい。
どこか遠くで、からん、と剣が地面に落ちた音がした。
「う、あ……」
嘘だ。こんな、ところで。俺は。ステラは。
「随分とつまらないところに来たと思ったが、思わぬ収穫だったな。……ふむ、こいつには、さっきのアレでも持たせてみるか」
俺が最期に聞いたのは、男の、そんな言葉だった。
◇◇◇
――あの日、私は勇者になった。そしてそれと引き換えのように、かけがえのない幼馴染を失った。
初めは確かに、その背中を追い続けていたはずなのに、いつの間にか彼の姿はどこにも見えなくなっていた。そして私がそのことに気付いたのは、もはや取り返しがつかなくなってしまってからだったのだ。
『勇者サマが、何の用だよ』
数年ぶりに聞いたその声は、ぞっとするほど冷たかった。沢山言いたいことがあるはずなのに、口からは呼吸が漏れるばかりで何の音も出て来ない。
『お前に、俺の気持ちは分からねえよ』
もう一歩踏み出せば、手が届くのに。「待って」と、「行かないで」と、心の中でなら言えるのに。
また、言葉にすることが出来ない。
そうして不格好な体勢のまま、また、その姿が闇に消えていく――。
「――はっ!?」
またこの夢だ。あの日以来、ずっとそうだった。
未だに慣れない寝台の上で、一つ、大きな息を吐く。胸に当てた手が、汗で湿った。
「……レイベル」
数え切れないほど呼んだ名前を、小声で呟いた。ベル――レイベルが村を出て以来、もう二度とその名前を呼べる機会なんて無いと思っていた。先生の勧めで聖剣宮を訪れたときもそうだった。聖剣に選ばれて勇者になって、なんだか分からないうちに馬に乗せられて。
そうして、また彼に出会った。
路地裏にいたベルと目が合ったとき、きっと私は、祈っていたんだと思う。彼であって欲しいと、まだその場にいて欲しいと、何度も何度も祈っていた。ちらりと見えた横顔も、力強い眼光も、私のよく知っているものだったから。
確かに奇跡はあった。生まれて初めて、心から神様なんてものに感謝した。
もう一度、昔みたいに笑い合えると、本気で信じていた。
「ベル」
もう一度呟く。何千何万と呼んだ文字の並びは、いつまで経っても新鮮な響きを放っている。どれだけ経っても、あの笑顔を思い出せる。
でもきっと、それはもう手に入らない。私が彼の夢を奪った。私が、彼を裏切った。
「……レイ、ベル」
レイベル。古い言葉で、「勇気」。そのことを思い出した途端、視界がぐにゃりと歪んだ。堪えきれなかった。
月の光が差す部屋に、私が啜り泣く声がこだまする。もう私は、貴方の隣に立てないんだ。
いくら過去を悔いても、時間は絶対に巻き戻らない。そして聖剣は、もう貴方を選ばない。
だったら、だったらせめて、私が全部の魔剣を封印して、誰よりも何よりも誇れる勇者になったとき。
あなたは私に、もう一度笑いかけてくれますか?