「……ぐっ、クソッ……」
身体中のあちこちが上げる悲鳴を無視して、俺は夜の街を歩く。三日三晩続いた宴はようやく終わりを迎え、疲れ切った人々は眠りについた。そのおかげであたりは静まり返り、俺はこうして、誰にも咎められることなく活動できる。
確かに俺は勝ったはずだった。それなのに、何故、何故、何故。その思考が、俺に取り憑いて離さない。聖剣が無いからか? 俺が勇者じゃないからか? それとも俺に――。
『余計なことを考えるな』
「がっ……」
思考が、頭に響いた言葉に中断される。同時に走った激痛 に、俺は思わず呻いた。
……そうだ、余計なことは考えなくていい。あいつの攻撃で城から落ちはしたが、幸運なことにこうして立って歩けている。俺が、次に為すべきことは……。
『狂乱の魔剣宮へ向かえ』
思い出した。再びの頭痛に顔を顰めながら俺は息を吐く。あいつらが次に向かうであろう場所。六つの最大の剣宮の一つ、狂乱の魔剣宮。使い手に人を超えた力を与える代わりに、その理性と、心を喰らい尽くす魔剣が統べる場所。
……次こそ、聖剣を手に入れる。聖剣を手に入れて――手に入れて、どうする?
『余計なことを考えるな、と言ったはずだ』
「ぐ、ぁっ……!」
頭に走った一際激しい痛みに、俺は思わず蹲った。
いつからだろうか、頭痛に悩まされるようになったのは。答えの出ない疑問を抱えながら、俺はよろよろと立ち上がる。背中で剣が揺れ、カチャリと控えめな音を鳴らした。
俺は、――俺の名は、レイベル。聖剣を、手にする男だ。口中で呟き、俺はまた、次の場所へ向けて歩き出す。
◇◇◇
「いよぉし、これで、八、百、八十三!」
目の前で倒れ伏した巨大な狼が靄となって消えていくのを見て、ベスタは思わず腕を突き上げる。同時に周囲から上がる歓声が一際大きくなった。
ここは「狂乱の魔剣宮」。「狂乱」の名を持つ剣が、より強い使い手を求めて生み出した闘技場。毎日、生み出される怪物と闘い、生き残り続けること。それこそがこの魔剣宮を攻略する唯一の方法だ。
得物を再び担ぎ上げたベスタは、なんとなく「観客」たちに手を振りながら出口へと歩いて行く。
暗い天井を照らす松明が、ちろちろと揺れた。
「お?」
その途中、ベスタと入れ違いに闘技場へと進んでいく影を見て、ベスタは思わず振り向いた。
ボロボロの外套を羽織り、目元を覆う仮面を着けたその青年は、ゆらゆらとした足取りで、今しがたベスタが通ってきた出入り口へと向かっている。普段なら気にも止めなかっただろう。だが、その姿がベスタには妙に気に掛かった。
闘技場へと入った青年が剣を抜くのと同時に、出入り口に鉄格子が降り始める。その奥で、靄が巨大な猿の形を取っていくのがベスタの目に映った。
猿に向けて足を踏み出した青年。だが直後、糸でも切れたかのように青年の身体から力が抜ける。
ベスタは、反射的に駆け出した。今にも閉じられようとしているその隙間に滑り込み、闘技場へと転がり込む。
「こっちだ、馬鹿猿ッ!」
最大限の気合と共に発した言葉は、猿の注意を引くには十分なものだった。背負った大剣を抜き放ち、ベスタは猿と相対する。
「畜生、やってやるよ馬鹿野郎!」
吐き捨てるような言葉とともに、ベスタは駆け出す。
歓声の中で、大剣が閃いた。
◇◇◇
「おっ、目が覚めたか?」
パチパチという木が燃える音とともに、そんな声が少し離れたところから降ってきた。
「ここ、は……?」
どこだ、と声の主に尋ねようとして身体を起こした俺は、思わず咳き込む。そういえば、最後に他人と話したのは、支配の魔剣宮でのことだ。それ以来まともに喋っていないことを思えば、喉がいかれるのも当然だった。
「なんだ、覚えてねえのか? ここは『狂乱』だ。全く、闘う前にぶっ倒れやがって。連戦だぞ? それもお前からあの猿野郎を遠ざけながらときた。金でも払って欲しいもんだっての」
その声の主は、俺の枕元にどっかと腰を据え、杯を煽りながらそう言った。赤い髪をした、俺よりも一回りほど年上の男だった。見れば、確かに革鎧のそこかしこに真新しい傷が付いている。出入り口ですれ違った時には無かったものもあるから、今この男が言ったことは事実なのだろう。
「……すまない」
「まあ、そんな気にすんな。俺が好きでやったことだからよ」
「……」
「……」
俺と男の間に、気まずい沈黙が流れる。耐えきれずに、俺は思わず俯いた。
「あぁクソッ、しょうがねえな」
沈黙を破ったのは、相手の方だった。悪態を吐くと同時に杯を一気に飲み干し、さらに姿勢を崩して俺の方へと顔を寄せる。微かに酒精の混じった吐息に、俺は思わず仰け反った。
「お前、ここに来たのはいつだ?」
「……二週間前」
「……今、何戦目だ」
「大体、百、くらい」
俺の言葉を聞いて、長い溜め息が男の口から漏れる。
「いくら初めは強くないとはいえ、そりゃあ馬鹿だろ、お前……」
男が脱力し、天井を仰ぐ。その声は多分に呆れを含んでいた。
「……聞きたいことも言いたいことも山ほどあるけどよ、もうちょっと寝とけ。さもないとお前、次は死ぬぞ?」
見ず知らずの俺のことを心配しているのだろうか。だがその言葉の意図がどうであれ、俺はそれを無視しなければならない。ぼんやりとそう考えながら、感覚の戻ってきた身体で俺は立ち上がる。
「おい、俺の話聞いてたか!?」
「……ああ」
「いや聞いてねえだろ!?」
狂乱の魔剣は、およそ千試合、そのすべてを勝ち抜いた者の前に現れる。あとおおよそ九百、それを勇者たちが来る前に片付けなければならない。ここに来るまであとどれほどだろうか。そう時間も無いだろう。もっとペースを――。
「ああもう待て!」
「……何だよ」
ぐいと、腕を掴まれた。
今の俺は相当酷い目をしていたのだろう。ほんの一瞬だけ、男が怯んだのが分かった。だが、男はすぐに強い意志の籠もった瞳で俺を見つめ返した。
「お前にどんな事情があるのか知らないけどな、万が一にもこのまま死なれちゃ寝覚めが悪いんだよ」
「……あんたには、関係ないだろ」
「ああ関係ないね。だからこいつは俺の我儘だ。悪いこと言わねえから今日はもう休め」
「……」
俺の腕を握る手に込められた力はそう強いものでもない。振り解こうと思えばすぐにでもそうできただろう。
そんな簡単なことが、俺にはなぜかできなかった。
「八百八十四」
「……何だよ、急に」
「今の俺の
嘘だとは簡単に分かった。俺が順番を待っている間に見た男の戦いには余裕があった。
……信じて、いいのだろうか。
「別に信用しなくてもいい。……まあ、二人で組めば相手は多少強くなるだろうが、」
そんなことよりも、と男は続ける。
「こんなんで死なれちゃ寝覚めが悪いんだよ」
俺を射抜くような目。物心ついた頃から近くにあった、今となっては忌々しいとさえ言えるステラの目にそっくりだ。
「……分かった」
自分でもよく分からないうちに、そんな言葉が俺の口から零れ出た。それを聞いて、男が破顔する。
「そういや、名前もまだだったな。俺はベスタだ。なんだかんだでここには三年くらい潜ってるな」
「……レイベルだ。ベルでいい」
「おう。宜しく頼むぜ、ベル?」
突き出された拳に対して、仮面を外し、素顔を晒してこちらも拳を軽く合わせる。
「何だ、仮面なんて着けてるもんだから、どんな顔してんのかと思ってたけどよ、中々可愛い顔してんじゃねえか」
「……余計なお世話だ」
半ば強制的に組まされたコンビ。だがそれにも関わらず、俺の心にかかった雲が、少しだけ薄くなったような気がした。