実質過去回です。
「スーさん、それ何読んでるの?」
ある夜。運良く見つかった宿で手帳を読んでいた私は、そう声を掛けられた。
スーさん、というのは、「支配の魔剣宮」で出会った同行者、ニトが私に付けたあだ名だ。
「これ? 手帳だよ」
「何が書いてあるの?」
「前回魔剣宮が現れたときの、それぞれの特徴。聖剣宮の資料を写させて貰ったんだ。まあ、前回と今回とが全く同じってこともない気はするけどね。でも、同じ魔剣が生み出してるなら、傾向は似るはずでしょ?」
そう言って、私はパラパラと手帳を捲って見せる。
「ちょっと見せてもらってもいい?」
「別にいいけど、ニトは読めるの?」
「うん。外ではどうか知らないけど、『支配』の中じゃ、読めずに困ることの方が多かったから覚えたんだ」
そう言って窓際のベッドから起き出してきたニトに、手帳を渡す。受け取ったニトはしばらく手帳とにらめっこしていたが、不意に私に突き返してこう言った。
「ごめん。読めない」
「あ、あはは……」
手帳を受け取りながら、私は苦笑した。ニトが読めなかった理由は分かっている。
字が汚いのだ。
「だってこういうの、私の役目じゃなかったし……」
椅子の上で膝を抱え込みながら、私は思わず拗ねるように呟く。
「役目?」
「うん。故郷にいた頃は、こういう文字を書くのはベル――幼馴染に、任せっきりだったからさ」
それを聞いた途端、ニトの顔が険しくなった。ベッドに腰掛けると、足をぶらぶらと揺らしだす。どうやら改めて寝直すのは諦めたようだった。
「その、『ベル』って名前、例のアイツのことだよね?」
「……うん」
「何があったの?」
ニトが言っているのは、「支配の魔剣宮」でのことだろう。これまで聞かれることがなかったのは、気を遣われていたのだろうか。
「別に、言いたくないんならいいんだけどさ」
「……何が、っていうのは?」
「幼馴染なんでしょ? 仲が良かったんじゃないの?」
仲が良かった、のだろうか。
「……そう改めて言われてみると、分からないなあ」
「分からない?」
「うん。……ちょっと、話してもいいかな」
ニトが頷くのを視界の端で捉えながら、私は少しずつ話し始めた。今から何年か前、まだベルと普通に話していた頃の記憶を。
◇◇◇
私とベルは、同じ村の出身だ。小さな村ではあったが、今になって考えれば、それなりに豊かな場所だったのだろう。都や街からは遠いが、日々の暮らしにも少しは余裕があるような、そんな村だった。
私とベルとは、ちょうど同い年。でも、私が覚えている限りでは、ある時まではほとんど話したこともなかったはずだ。とはいえ、私が話したことがないのは別にベルに限った話ではなかったのだけど。
最初の転機は、私達が7つくらいのときの祭りだった。その時、珍しく酒に酔った私の両親が、ベルに言ったのだ。
「ステラをよろしくね」と。
もちろん、「よろしく」というのは字面通りの意味ではなかったはずだし、あくまでも酔っ払いの冗談だったはずだ。でもその日以来、ベルは心なしかよく私を遊びに誘うようになった。輪に入れず困っていたときはそれとなく混ぜてくれるようになった。決して特別扱いとかではなかったけど、その不器用な気遣いが、当時の私には何より嬉しかった。
いつの間にか、ベルが誘いに来るよりも先に家を飛び出すようになっていて、他の子たちの輪におっかなびっくり混ざりながら、一緒に遊ぶようになっていた。
二度目の転機は、そこからほんの一、二年ほど後の秋のこと。その日、私達はいつものように村のすぐ近くの山に入って遊んでいた。山、とは言っても、村の大人たちが狩りにも入らないような、子供でも山頂まで軽く辿り着けるような、小さな山だ。
きっかけは、ほんの些細なことだった。一緒に遊んでいた何人かのうち、一人が転んで怪我をした。それだけなら、まだどうということはない、いつものことだ。けど、打ちどころが悪かったのだろう。その子は足を派手に擦り剥き、ひどく痛がって泣いた。
ここまでならばまだ良かった。でも、その子が泣き止んだのはもう日が暮れかかっている頃で。辺りはあっという間に暗くなってしまったのだ。
明かりの無い夜の山は、恐ろしかった。私は震えながら、他の子どもたちと同じようにベルの腕に縋り付くことしかできなかった。
『大丈夫』
道中、ベルはそう言って、何度も私たちを励ましてくれた。でも今にして思えば、あれは他でもない、ベル自身に向けての言葉でもあったのだろう。
結局村に戻ることも出来ずに、私達はその場で一夜を明かすことにした。あの日の夜の、恐ろしく騒がしい静寂は、今でも時々夢に見る。
月がちょうどてっぺんに登りきった頃だっただろうか。その頃には、私とベル以外は疲れからか眠ってしまっていた。うっかり眠ってしまわないようにと、どちらからともなく、私達はぽつぽつと言葉を交わしていた。
正直に言うと、どんなことを話していたのかは全く覚えていない。覚えているのは、崖に開いた小さな横穴の中で、夜の寒さを紛らわす為に身を寄せ合った時の、ベルの身体の温もりと、震えるような息遣いだ。
その時突然、近くの茂みが揺れた。そしてその茂みから、「何か」が姿を現した。それが熊だったのか狼だったのか、それともそのどちらでもなかったのかは分からなかった。ただ、その何かが現れた瞬間に、ベルが私達を守るように覆い被さったのは、暗闇の中でも分かった。
そこから先は、それまで以上によく覚えていない。
気付けば私は、ベルと獣との間に立ちはだかっていて、また気付けば私は、母親の腕の中で泣き腫らしていた。
それからしばらくの間は、怖くて外に出ることもできなかった。またあの獣に出くわすのではないかと、怯えて家に閉じこもっていた。ベルも、以前のように遊びに誘いに来るようなことはなくなった。きっとベルも私のように家に閉じこもっているのだと、私は勝手にそう思っていた。
でも、そうではなかった。
ある朝、いつもよりも早く目を覚ました私が目にしたのは、見たこともないほど険しい顔をして、村はずれへと駆けて行くベルの姿だった。外への怯えも忘れて、思わず私はベルのことを追いかけていた。
――ベルは、村はずれに住んでいる老人に怒鳴りつけられながら、必死の形相で剣を振っていた。次の日も、そのまた次の日も。私が外に出ていない間、ずっと剣を習っていたであろうことは、想像に難くなかった。
朝早く起きて、村はずれへと向かうベルの後をつけ、日が暮れるまで剣を振る姿を眺め、ベルより少しだけ早く家に帰る。私の生活は、決して健全ではないながらもそんな風に変わった。
◇◇◇
「ステラ!」
ある日の夕方、いつものように帰ろうとしていたところを、私はベルに呼び止められた。
ベルに気付かれているとはつゆほども思っていた私は、虚を突かれて逃げ出すこともできなかった。ずんずんとこちらに歩み寄ってくるベルから目を離すことができず、すぐに私はベルを見上げるような形になる。
「ちょっと前から、ずっと俺のこと見てるよね。それも一日中」
「う、うん」
責めるような口調に、今更ながら後ろめたさが湧いてくる。目を合わせ続けるのが気まずくなり、私は思わず視線を足元に落とした。
「明日から、隠れてないでもっと近くに来いよ」
「……うん。もう来な――え?」
ベルの言葉は、私の予想とは全く違うものだった。
一瞬何を言われたか分からず私が呆けている間に、ベルはさっさと帰ってしまった。
次の日も、そのまた次の日も、同じことがあった。そして、それから三日目の朝。
私は痺れを切らしたベルに無理矢理連れられ、何の因果か一緒に剣を習うようになっていた。
◇◇◇
「……とまあ、大体こんな感じかな」
どうだった? とニトの方を見ると、まだ不服そうな顔をしている。何を言うか迷っている様子だったが、しばらくして口を開くとこう言った。
「……じゃあ、なんで狙われてるのさ」
「それは……」
思わず言葉に詰まる。今の話ではしなかったところだからだ。たぶん、ニトの中ではベルの印象はかなり悪い。これ以上悪くは思って欲しくなかった。
『お前に、俺の気持ちは分からねえよ』
「……分からないんだ。三年前、ベルが家出した時、私はベルが何を考えていたのか全く分からなかった。……心当たりが、無いわけじゃないんだけど」
足元に立て掛けてあった聖剣を手に取り、抜き放つ。聖剣は、蝋燭しか明かりの無い、暗い部屋にあってさえ輝いて見えた。
「いつからかは覚えてないんだけど、ベルは凄く『聖剣』に拘ってたんだ。きっと今も。……だから私は、ベルに認められるようにならなきゃいけない」
「……そうなんだ」
ニトはなおも何か言いたそうにしていたが、やがて諦めたのか嘆息し、「寝る」と一言だけ呟いてまた布団を被ってしまった。それを見て、私は手帳を懐に入れ直し、蝋燭を吹き消して自分の寝台に倒れ込む。
「……そうだよね、ベル?」
窓から夜空を見上げながら、誰にともなく呟く。
私達が「狂乱」の魔剣宮に辿り着く、二日前の出来事だ。