男は夢追い人だった。
夢を追うことしかしない男だった。
いつとも知れぬ世の、名もない凡俗の刀鍛冶の家に生まれ、凡庸な数打ちを拵えるしか能のない父に師事し――自ら鍛えた刀に魅入られた異常者だった。
才は具える人を選ばない。逸脱した感性を持つその男は天才だった。男の鍛えた刀は皮膚を裂き、肉を斬り、骨を断つのに力を要さず、鎧兜で身を固めた武者であろうと大過なく両断した。
男は高名な武家の一族に見い出され、召抱えられるに至り、日々刀を鍛えることのみに注力できる環境を手に入れると、ますます刀作りに没頭した。
年月を費やし打ち出された刀はやがて、世に冠たる名刀とまで称されるに至る。
武士は言った、魅入られたかのように。
この刀で人を斬りたい、一人でも多く、と。
遂には人を斬る余り血を帯びて、妖刀として忌まれるまでになった刀は幾つになるだろう。
だが、男にとっては些事であり。男の裡にあるのは、一つの妄執だけだ。
男は、刀になりたかったのである。
美しく、単一の機能にのみ特化した、人斬りの刀に。
理由とか、そういう余分はない。ただ刀になりたいという想いだけがある。
そして男は天才だったが、刀鍛冶としてよりも優れた才がもう一つあった。
呪術の才能だ。
男に具わる生得術式は、構築術式。
呪力という目に見えない、一個人から精製されるエネルギーから物体を構築する、無から有を生み出す奇跡のような術式だ。そこだけを見れば極めて夢のある、稀有な代物だろう。
だが構築術式はそんなに便利なものではなかった。
無から有を生み出せる利便性への代償――呪術界で言うところの縛り――としてエネルギー効率が非常に悪いのだ。構築した物質は残り続け、呪力を通し遠隔操作するのも不可能ではないが、そんな真似をしようものなら膨大な量の呪力を消費し、才がなければ小指の先ほどの質量の精製で限界を迎える。
しかし男の呪力量は桁外れだった。比較対象を持ってくるのも無粋になるほどに。
そして男は四つの縛りを以て自らの術式を補完/強化した。
一つ。構築術式で生み出すのは刀のみ。
二つ。呪力を用いるのは構築術式で刀を生む時のみ。
三つ。最高傑作を生み出したと感じた時、自らの命を断つ。
四つ。三つ目の縛りを完遂後、自らの魂を最高傑作の刀が破損するまで縛りつける。
以上四つの縛りと、天性の呪術センス、膨大な呪力によって男の構築術式は呪いとなった。
男はいつしか肉体で鍛える刀に限界を感じていたから。己の術式に可能性を見たから。四つ目の死後の安寧をも捨てる重すぎる縛りも、刀になりたい自分にとっては福音でしかなかったから。
やがて男は一振りの刀を生み出した。
朽ちず、欠けず、曲がらず、折れず、
そして男は満足して逝った。刀に己の魂を縛り付けて。
遺された無銘の刀はその後、様々な人物の手を渡り歩いた。
男も女も、童子も童女も、翁も婆も、呪霊も呪術師も、この刀に魅入られると人斬りになった。
これだけ美しいのだ、どれだけ斬れるか試したいと非術師は欲に駆られ。
これだけ凄まじい呪具なのだ、どれだけの性能か知る必要があると名分を用意して。
これだけの呪いは、人の身には過ぎたるものだと喜悦に惑わされ。
夥しい数の人が、呪霊が斬られて死んだ。
悍しいほどの血を吸い、帯びた呪いに染まりながらも、無銘の刀は変わらず美しかった。
やがてその切れ味に目をつけた、とある呪術師に刀は渡る。
「ほう……中々どうして、大した業物じゃあないか」
後に呪術最盛期と史に記される時代、平安の世にて史上最強と称されることとなる異形の男、両面宿儺なる男の未熟な時分。彼が最強になる前、自らの術式への理解を深めんとしていた頃。
「クッ。さしづめ、この俺唯一の師、導きの剣だな」
異形は妖刀を手に取り、振るい、人を斬った。
そしてその切れ味と、刀の深奥を理解し、お手本とした。
後に両面宿儺と呼称され、以後は宿儺と記され恐れられる怪物は、この刀の斬撃という一点に、自らの術式で発揮する斬撃の到達点を見たのだ。
「口惜しいな……極めようにも俺には時が足りん。こんな
振るえば斬撃の美々しさを魅せつける妖刀。宿儺はこの妖刀に魅了されていたわけではないが、己の術式にはまだ先があるのだと教えてくれる妖刀を、殊の外気に入っていたのであろう。
とある呪詛師に自らを呪物化して、遥か未来まで生きながらえる術を伝えられた宿儺は、この妖刀を保管して隠そうとした。自分以外の誰かがこの妖刀を所有することは許せなかったからだ。
しかし、宿儺が妖刀を、一時でも捨てると決めた時、妖刀は忽然と消えた。
「す、宿儺様! も、申し訳ありません……っ!」
「………」
宿儺の側近、裏梅が心底焦り、悔やみながら平伏するのに、宿儺は暫し無表情のまま佇んだが。やがて破顔し、笑って料理人を赦した。
「……よい。どうやらあの刀は、自らを求める声に惹かれるものなのだろう。であれば是非もない。千年後に首尾よく蘇った暁には、再びあの刀を手に入れたらいいだけの話だ」
宿儺は自らが未熟だった頃から、ずっと片時も離れなかった妖刀と離別し、ほんの微かに寂しげに唇を歪めていた。呪具如きを師と仰いだとは、なんとも滑稽なことよ、と嘯いて。
「裏梅。アレは懐が深い。今後時を重ねるにつれ、種々様々な呪いを帯びてゆくだろう。アレは確実に千年後にも在る。そして……千年後も人を斬り続けていようさ」
「……は」
裏梅は主の真意を組み、神妙に応じた。
そして、時は流れに流れて千年後。
剣の道に邁進し、剣の技を探求する心を拗らせた少女が呟いていた。
「人……斬ってみたいな」
ほんの少しの殺人衝動――というには
実際に人殺しに墜ちるほどではなかったが、その素質が少女にはあったのだろう。
彼女は遠い昔、才を枯れさせる腐った血と蔑まれ、禪院の家から逃げ出した落伍者の末裔である。呪力はあれども術式は無し。非術師として生き、時代の変遷と共にかつて呪術師だったことを忘れた無能の猿。少女もまた落伍者の娘らしく、呪術の存在など全く認知していなかった。
このまま何事もなければ、思春期特有の不安定な情緒からくる破滅的な衝動を忘れ、平凡でありながらもささやかな幸せを掴み生きていっていただろう。この呟きは時折思い出し悶えてしまう妄想として記憶し、やがては摩耗させて思い出すこともなくなっていたはずである。
しかし、そうはならなかった。これは、紛れもなく不幸なことだ。
「? これ……刀?」
彼女は中学校の日程を終えて下校中だった。今日は剣道の部活もなく、早く家に帰ろうとして、近道を辿るべく人気のない路地裏を歩いていた。年頃の少女として不用意で、不用心だろう。
しかし、ゴミ袋が積み重ねられた道の隅で、少女は見つけてしまった。
見るからに古びた、一振りの刀を。
「………」
なんとなく。そう、なんとなくだ。
若さ故の興味が――なんでか惹きつけてくる雰囲気が――少女を動かしその刀を拾ってしまった。
「すご……綺麗……」
刀は、真剣だった。錆びていない、綺麗な刀身、綺麗な刃紋。少女は感嘆の吐息を溢す。
そして。
少女は当日の夜、自らの家族を斬殺した。
翌日、通っていた学校の生徒、教職員を――欠席していた者を除き――ひとり残らず斬殺する。
「あはっ」
果たしてそれは、妖刀の具える呪いの結果だったのだろう。眠っていた生得術式を覚醒させ、凶悪な呪詛師が誕生した瞬間であった。
呪詛師となった少女の名は
対象を指定したエリアに閉じ込め、脱出を阻む結界術の亜種。
六年の後、呪詛師集団Qが擁することに相成る最高戦力だ。