死合いの駆け引きは単調で、特に変化のないワンパターンな展開の繰り返しだった。
本体と分身のカオルコが地を蹴り空を蹴り、縦横無尽に駆け回り、飛来するモノを斬り迫らんとし。悟や傑は斬撃の軌道に身を置かず、回避に重点を置き術式を行使し遠隔攻撃に終始する。
曲芸として見る分には退屈しない。しかし同じことを何度も何度も繰り返していては、いずれ飽きがくるのも事実だろう。もしもこの場に観客がいたなら野次が飛び交っていたに相違ない。
地味で地道。見世物としてはひどく出来が悪いのだ。魅せるならもっと立体的かつ劇的でないと、とても面白い殺陣だと言えないだろう。エンターテイメント精神が足りていない。
しかし当事者である傑と悟は掛け値なしに真剣で、本気だった。遠隔攻撃の類いをどのように工夫しても必ず斬られ、領域展開も多種多様な術式も、意味を成さずに無効化される。攻め手に欠けているのだ、戦闘の盤面が地味になろうとも構わず、ひたすら回避に重点を置き長期戦に持ち込んで当然だ。
なぜならば、悟と傑は特級に相応しい呪力量を誇る。呪力の消費も悟はほぼゼロで、傑とて無駄なロスを生んでいない。術師としては遥かに格下のカオルコの方が、先に呪力を切らしてしまうのは自明である。カオルコが呪力を使い尽くして、身体能力が並の人間ほどに低下するのを待てば確実に勝てるのだ。忖度なしの殺し合いで長期戦に持ち込まない理由はない。
無論、確実ではあってもそんな消極的な勝機を待つのも簡単ではない。逃げの一手を打ち続けるだけで攻略できるほどカオルコはヌルくないし、また悟と傑は負けん気の強い少年だった。合理的に確実な勝機を掴み得る戦術の択を選んでいても、積極的に攻め入り実力で勝利を奪う気概を失っていない。
隙があれば攻める、そして勝つ。二人にはその覚悟と自信、確固たる戦術の判断力を持っていた。
だが。
しかし。
心の熱が最高潮に達している二人は、若さ故の未熟さを克服できていなかった。
敵は天下無双の剣聖。手にするは無下限の守りをも切り裂く凶悪な妖刀。最悪の壊人との対峙は、彼らの神経を蝕み無意識の内に疲労を蓄積させていた。如何なる術式、如何なる呪力も斬られて壊人の斬撃に身を晒す二人の総身は、尋常でなく発汗し、息が乱れ始めているのだ。
歴戦の経験値を過不足なく活かす呪霊の器は、呼気を整える呼吸法により外見上は疲労が見えない。呪力量こそ磨り減っているものの、一切パフォーマンスを低下させていなかった。
加えて。
壊人カオルコは無想のままに、勝ち筋を固めつつある。嫌というほど妖刀を振るいながらも、カオルコは拡張術式の効力を反映させた術式反転を行い分身を作り出して以降、一度たりとも刺突をお披露目していないのだ。剣術に於いて無類の威力を発揮する刺突を封じたまま、悟と傑の目に線の軌跡を焼き付ける作業を淡々と続けている。両名を仕留める為の布石を打っているのだ。
そして。
カオルコの呪力量が残り3分の1を切った時。単調な戦局に意識が麻痺して、悟と傑の自覚なき疲労でほんの一瞬気が緩んだ時。長い、長い前置きの末だ。勝負は、一瞬にして決した。
「 」
悟と対峙する本体が馳せる。瞬きのタイミング、呼吸の合間に緩まる筋肉の弛緩、双方を完璧に悟から盗んだカオルコが、膝から崩れ落ちるようにしながら姿勢を低くして、地面を滑るように脚を動かした。超短距離に限定された、瞬間移動に等しい高速の踏み込み。悟が瞬きをした直後、見失った敵に背筋を凍らせ、青く輝く双眸を限界まで見開いた。
いない。カオルコが視界から消えた。現代最強の呪術師の動体視力を以てすら見失うという異常。カオルコが悟の死角――左斜め後方から、神速の片手突きを放っている。だが悟は天才的な反応速度で、紙一重でそれを回避した。だが首を斜めに傾けての決死の回避行動は――なんの意味も成さなかった。
片手突き。現代剣道にもある、一足一刀の間合いから左脚で深く踏み込み、体を前に押し出しながら左腕一本で刀を前に押し出す技。この時、反対の右腕は後ろに引いて自身の体を
だがカオルコの片手突きは、無銘ながらも剣聖の技である。突いて終わりではない。左脚で深く踏み込んで、引いた右腕を刺突直後に前方へ伸ばして刀の柄頭を握っている。開いた体を閉じながら素早く右脚を半歩分前に進め、強靭な体幹を駆使して踏み込んでいた左脚を後方に下げて、更に両手で握り直した刀を手首と共に返して神速の二の太刀を閃かせた。
斬首。
継ぎ目のない流麗な剣。五条悟は両目を見開いたまま首を刎ねられた。夏油傑も同様の末路を辿る。奇しくも同じタイミングで、同じ技で、首を完全に切断されて傑の生首が虚空を舞った。
勝負あり。この立ち会い、勝者は呪詛師カオルコ――
「ハハハハハ――!!」
哄笑が轟いた。
現代の異能たる天才は、ほんの刹那の閃きで、常識を容易く打ち砕く。
五条悟は自らの首を刎ねられると理解した瞬間に、無下限呪術を切り直前から全力で反転術式の行使に集中していたのだ。再び迫る死の瀬戸際、一か八かの奇策に己の全てを賭け――平然と当たり前みたいに賭けに勝った。
「やれば意外とできるもんだなぁ! 最っ高に気分がいい――!」
死んだかと思った! 今度こそ疑いの余地なく、絶対に死んだと思った!
前回、首を半分斬られたことで、首を治す経験があったからなんとかなった部分もある。
偶然と才能、技量と奇跡。カオルコの剣閃が鋭すぎた故に切断されてもすぐには首と胴体が泣き別れしなかった幸運もある。似ているようで全く違う、幾つもの要因が重なったお蔭だ。
確実な死を潜り抜けた故の超絶の高揚、興奮。スリルの極限を堪能し、分泌される脳内物質で最高にハイになって。絶対の死を才能と技量で覆してのけた五条悟は笑いながら反撃し、残心する間もないカオルコの頭部を、術式順転の『蒼』を乗せた拳打で柘榴の如く打ち砕いてのけた。人の歴史、人の技を嘲笑う理不尽な力を以て勝利したのだ。
首を狙われていると察知して、反転術式のみに集中していたからできた。たがそれでも恐るべき反転術式の精度、そして呪力操作と行使速度だろう。たとえ特級呪術師であろうと再現不能の、世界中でただ一人、五条悟という規格外にしかできない斬撃への対処方法である。
「分かっていたさ、まともにやって勝てないことぐらい。だが私は呪術師だ、呪いを相手にまともに戦うわけがないだろう」
そして。
刎ねられた傑の生首が虚空で溶け、肉体も崩れ、呪霊の術式を用いその影に潜んでいた本物の夏油傑もまたカオルコに勝利していた。
傑が用いたのは影と本体を入れ替える術式だ。果たして影に成り代わり、影を操って無数の触手とした傑は、カオルコの分身を雁字搦めにして捕らえ、生殺与奪の権利を奪い取ってのける。
二人の最強の呪術師が、最悪の呪詛師に勝利したのだ。
「 」
二人は確かに戦う者としてはカオルコの後塵を拝していた。戦士、或いは武術家として遥かに劣るのが現実。しかし悟と傑は呪術師なのである、そして術師としてなら戦闘者の格の差は真逆のものに逆転し、彼我の戦力差を完全に埋めてしまえる。呪い呪われの世界に天下無双の剣士はお呼びでないのだ。
本体が殺され、分身に本体が置換されても。新たに本体になったカオルコは傑に拘束されている。
勝敗は決した。勝ったのは少年たちで、敗けたのは剣聖だった。
「何か言い残すことはあるかい?」
「あるわけねぇだろ! コイツの意識は縛りを破ったせいで閉ざされてるんだぜ。さっさと――」
傑が勝利宣言に等しい言葉を投げかけるのに、悟がトドメを刺すべく嗤いながら呪力を漲らせて。
彼の六眼は、女の状態を見抜いた。
「ん……」
縛りを破った代償に自閉してしまった女の本体が死んだ。分身に本体情報が置換されたとはいえ、一度は確実に死んだせいで縛りを破った代償もまた初期化されてしまったらしい。もう二度と目覚めぬはずの女が自意識を取り戻し、その瞳に自我の光を灯した。夜明けに目覚めた寝坊助のように。
「んんぅ……? あれ……? 私……なんで?」
「あーあー……すぐに殺さねぇから目を覚ましちまったじゃねぇか」
「降伏勧告は無意味だったね。可哀想とは思わないが、せめて苦しまないように殺してあげよう」
呪霊『妖刀』を調伏するには、まず憑いている対象を除かねばならない。
あくまで取り込むつもりなら、だが。傑には妖刀を取り込む意思はない。この妖刀は存在してはならない。祓い、存在自体を無にした方が世のため人のためになるだろう。被害者である女性は本心では哀れんでいたが、この手に掛ける覚悟を込める意味で冷徹な台詞を口にした。
カオルコは……薫子は、目をぱちくりとさせて。ようやっと状況を把握したらしい薫子は。
「……ふふ」
笑った。
「……何が可笑しい?」
「おい、聞くだけ無駄だぜ傑。コイツはもう壊れてるんだからな」
思わず訊ねた傑に悟が苦言を呈するという、いつもとは立場の異なる光景であった。
しかし薫子は構わず微笑んでいる。先程、殺されかけていた時には無様に泣き喚いたというのに、随分と余裕のある表情だ。まさか、と傑は気づく。
「ッ――悟!
「なんだとッ」
呪力云々ではなく心理状態の出ている表情で気づいたのだ。
悟は六眼で視ているのに気づけなかった事実に驚愕し、周囲に素早く視線を走らせ、何も見つけられなかったのか目の前の薫子を睨みつけた。
本物だ。だが、よくよく目を凝らせば微かに違和感がある。確かに本物ではあるが、術式による別の肉体であると判別できる。今までで最強の難敵を下した高揚で見落としていたのだ。
悟の六眼ですら判別に注意を要しているのにも理由がある。
薫子の分身は、偽物だが本物なのだ。クローン人間に近い。薫子の本物は先程死んだが、偽物が本物に成り代わって存在しているに過ぎなかった。
狂気の沙汰である。人間としてのアイデンティティが許容しないドッペルゲンガー――この場合はスワンプマンといった方が適当か――を、自ら生み出して成り代わりを許容している。
紛れもなく本物。最初の本物が死んだら次の本物が現れるという、筆舌に尽くし難い気持ちの悪い現象となっている為に、六眼を以てすら看破を困難にしているのだ。
傑の気づきは正しい。傑が捕らえたのは本物になった直後の偽物だが、分身は他にもいた。
偽物の状態の分身もまた本物なのだ。虚式『茈』により消し飛ばされたはずの分身二体の内、一体は半身を吹き飛ばされてなお即死せず、死んだふりをして反転術式で復活していた。
つまり。
もし最初の本物が死んだことで縛りの代償が満了し、解消され薫子の意識が戻っていなかったら。
無念無想の剣聖が、勝利を確信していた二人を今度こそ、死角から気づかぬ間に斬殺していた。
「っ……」
戦慄に背筋が凍る心地になる。薫子は依然、微笑みを絶やさない。
「何があったのか分かんないけど……でもなんとなく危ないのは分かるよ。離してくれる?
痛いよ」
「……クソッ。スワンプマンが一丁前に痛がってんじゃねぇよ」
「やられたな……だが、なぜ今の隙だらけの私達を斬らなかった」
「? なんでって……私は綺麗なものを見せたいだけだし、後ろから斬るわけないよ」
そういうことだ。薫子は後ろから斬らない。だって後ろからは綺麗なものを見せられないから。
薫子の破綻した論理故に、少年達は斬られずに済んだ。そして壊人ではあっても死にたくないという感性がある薫子は、危なくなったら逃げる。分身は薫子が意識を取り戻し、現状を把握した途端に呪力を分子レベルで操作し隠蔽、身を隠して遁走していた。つまりこの薫子を殺しても何も解決しない。
悔しげに歯噛みする少年たちに、薫子は満足げだ。満足げに、不吉なことを言った。
「もう二人にはたくさん見せたみたいだし、もういいかな」
「……何が?」
「綺麗なもの、見れたでしょ? もう君たちには見せに来なくてもいいよね。
腕白すぎるよ、君たち。危ないし怖いから、私も近寄りたくないかなって」
「――――」
薫子の言葉は。
もう二度と、悟と傑の前に現れるつもりがないという意思表示だった。
それは悟たちですら危うい特級呪詛師という脅威が、闇に潜んで現れなくなるということ。となれば今後、どれだけの犠牲者が量産されていくことになるのか。
あまりの悍ましさと危機感に傑が咄嗟に口を開いた。だがそれより先に、薫子は別れを告げた。
「それじゃあバイバイ、イケメンのボク達。お姉さんとは縁がなかったということで!」
「待っ――」
かくん、と薫子の首が折れるように前に倒れる。
気絶したように、本物が偽物に置き換わった。
そしてどこかに逃げた偽物が本物になり、偽物を解除した。
傑の操る影の触手に捕らわれていた女が、妖刀ごと消え去る。
「畜生……!」
斯くして少年達の物語は苦いものを残しつつ一旦の終わりを迎えた。
この後、薫子は呪詛師集団Qからも姿を消し。
護衛対象の天内理子が何者かに殺されているのに気づいた二人が絶句することも。
悟と傑がさらなる研鑽を積み、薫子を追って全国を駆け回ることも。
その最中に襲い来る悲劇も。
全ては十年後の物語に繋がるだけの、余興に過ぎなかった。
悟
屈辱
傑
戦慄
薫子
スワンプマン。満足
甚爾
生存