「うぅーん……」
式守薫子は悩んでいた。
過日のことながら、二人の少年によって死にそうになったあの日のことは克明に思い出せる。
せっかく人が善意で綺麗なものを見せてあげたのに、こちらを殺そうとするだなんてイカレてる。あんなのはヤンチャや腕白なんて表現で受け流せる範囲を超えている。人を殺そうとするだなんて殺人未遂だ、犯罪だ、警察の人に逮捕されろと常識的に思うのはともかくとして。薫子にはあの危機的状況を打開した記憶が特にないのが気がかりだった。
「私、どうしたんだろうね。ね、お姉さん?」
仕事でくたびれた様子のOLさん。疲れているだろうに家に上げてくれた親切な人。
すっかり疲れ切って寝落ちしてしまった人に語りかけつつ思案する。
「実は私に隠された力があって、危険を前に覚醒して気がついたらなんとかしてた? やだ、私ってば実は主人公……!? なぁーんて、思わないでもないけど」
実際、完成させた覚えのない分身の術をマスターしていたし。
くるくると包丁を手の中で回転させて、すとん、と俎板に刃先を突き刺す。
うんうん唸って思索を重ね、やがて薫子は結論を出した。
努めて明るく、分かるようで分からない独り言を吐き出す。
「現実問題、あんな危ない子達が野放しになってるなんて怖すぎるし? 暫くは日本から出て海外漫遊とでも洒落込もうかなぁ。普通の世界の法律で裁くなんて無理だろうし、自分の身を守れるのは自分だけってね。ついでに武者修行しちゃう? 師匠もあの戦いで私が一皮むけたって言ってたし」
言っていない。そもそも意思の疎通すら行えない。
しかし架空の、妄想上の師の言葉は薫子に衝撃を与えていた。
――薫子の自らの状態を診断する能力は卓越している。故に正確に己の正体を把握していた。
今の式守薫子は偽物であり、本物だ。術式で作り上げた仮初の肉体を本物と定義しているだけのスワンプマンに過ぎず、本当の意味でのオリジナルは死んでいる。壊人である薫子はそのことに頓着していないが、今の自分が根源的には呪力で構成された物体だと理解していた。
生身ではある。構築術式のように、物質を此の世に生み出せる力があるように、呪力によって確立されたこの肉体も本物の人間として存在していた。だが同時に致命的に本物の人間とは存在規格がズレており、そのせいで自らに憑いている呪霊『妖刀』の影響を受け、限りなく呪霊に近づいているのだ。
謂わば実体のある呪霊こそが今の薫子の正体。そしてほぼ呪霊と化して、呪霊でも呪具でも呪物でもない此の世でたった一人の新人類となったことで、薫子は本来なら呪霊『妖刀』単体でしか行えない現象を行使できるようになっている。――
空間切断、因果切断も、今の自分が修練を重ねれば出来なくはない。稀代の才を有する天才、式守薫子は広がりを見せた自らの限界を認識できている。
それを踏まえての海外漫遊だ。久しく積んでいなかった修行を行う気に彼女はなっている。だって綺麗なものがもっと綺麗になるのなら、見てみたいと誰でも思うはずだろう。五条悟や夏油傑のような危険人物とエンカウントするのを避けるのにも海外漫遊はベストな選択であった。
「――
言いつつ、何時の間にか握っていた妖刀を縦に振ると――距離が斬られ、ゼロになる。
忽然と彼女の目の前に、一人の女が出現した。
一瞬の驚愕、戦慄、鎮静。すぐ落ち着いたショートヘアーの女は、身構えて呪力を練り、臨戦態勢になりながらも友好的な挨拶を口にする。『キッショ、なんで気づいたんだよ』と心の中で盛大に愚痴っているのは秘密にして、額の縫い目に冷や汗を浮かべた女性は動揺を押し殺していた。
「――はじめまして、式守薫子。急なお招きにどう報いたらいいかな?」
「はじめまして覗き見さん。私は式守、ってなんで名前知ってるの? もしかしてストーカー? やめてよ私はレズじゃないし。気持ち悪っ」
「いやいやストーカーなんかじゃないさ。私は君が持ってる妖刀を……知り合いから探すのを頼まれていてね。あの五条悟に勝った今代の妖刀使いがどれほどか、ついでに確かめに来たのさ」
「え? 師匠を知ってるの?」
(師匠? ……あぁ、そういう)
平凡で凡庸な嫌悪感で満ちた目をしていた薫子が、女の台詞に興味を惹かれる。
女はいつでも動けるように身構えつつも、優しげかつ親しげに応じた。
「知っているとも。しかし……君は私が知る限りでもぶっちぎりだ。まさか半分、いや九割近く呪霊に堕ちていながら人間のままでいるとはね。こんな事例は見たことがない、面白いよ」
「一方的に知られてる私は面白くないけど。貴女は誰? 名前ぐらい教えて」
「
「? あぁ……脳味噌が本体なんだ。キモ」
「……その通り。参考までに、なぜ気づいたか教えてくれるかな?」
すんなり、あっさりと、羂索を名乗った女の正体を看破した薫子に得体の知れなさを覚える。
本格的に嫌な予感を覚え、羂索と名乗った女が問うのに対し、薫子は面白くなさそうに返した。
「根拠は三つ。呪力の感じが混ざってる、体の方の癖と意識に染み付いてる癖が混ざってる、そして頭に縫い目がある、私以前の師匠の使い手を知ってる。これだけ揃ったら分かるよ流石に」
「……四つだね、根拠」
「あれ?」
キメ顔の薫子は羂索のツッコミに首を傾げた。
だが羂索から笑顔は消えている。
恐ろしい洞察力だった。呪力の感じが混ざってる……? 言わんとしていることは分かるが、羂索ですら知覚しておらず認識もしていなかった感覚の話。二つ目は辛うじて理解できるが、薫子が距離を斬ってから――羂索からすれば意味不明な強制転移による引き寄せだ――まだ身動ぎしかしていない。体と意識の癖の齟齬なんてどうやって見破れるというのか。
的確に脳が本体だと見抜いた眼力、会話の端緒を掴んで理解する頭脳、どちらも驚異的だ。薫子の力量を察した羂索は嘆息する。元々戦闘の意思はなかったのだ、イカレているらしいこの女が
「覗き見したのは謝る。この通りだ……ごめんなさい、赦してください」
「ん……」
頭を下げ、しっかり謝罪。
戸惑った様子の薫子に、羂索は畳み掛けた。
「もう二度と君を覗き見しない。用がある時はきちんと正面から、礼儀を正して訪問する。本心から約束するよ……なんなら縛りを結んだっていい」
「うん、じゃあ結んで? 羂索さんって呪詛師でしょ、信用できないし」
「ありがとう。縛りの内容は今言ったことに加えて、この場では互いを害さない、妖刀をこちらに向けないというのも足していいかな?」
「えー……羂索さんにも綺麗なものを見せてあげようと思ったんだけどなぁ」
「(どうせろくでもないものだろう)……遠慮しておくよ。私は綺麗なものを見せてもらうよりも、自分で見に行きたいタイプだからね。見たくなったらこちらからお願いしに行くさ」
「そう? まぁ、それなら……丁度私、もっと綺麗にできそうだし、今はいっかな」
イカレた輩の話は否定しない、拒絶するにもやんわり遠回し、かつ肯定的に対応する。羂索の人生経験が光る話術と危機感知能力だった。
対応は正しい。そして運も良かった。もし薫子が今、自身の斬撃が飛躍する可能性を識り、もっと綺麗なものを追求しようとしていなかったなら、たとえ正しい対応をしても押し売りの善意で斬撃をお見舞いしていた可能性は高い。そして羂索がもし敵意や殺意を持っていたなら問答無用で敵対していた。
なんであれヤバげな事態を無事に切り抜けたと判断した羂索は、イカレ女が気分を変えない内に縛りを結んだ。そうしてやっと安堵の息を吐く。
羂索は知らない。薫子は
だが羂索は幸運だった。興味本位の質問をすることで、それを察する機会に恵まれたのだから。
「ふぅ……ところで式守薫子、私は結構離れたところにいたはずなんだけど、どうやって私をここまで転移させたのかな? 興味がある、よければ教えてくれないかい?」
「え、距離を斬っただけだけど」
「……? 距離、を……?」
「うん。ちょっと前まで無理だったけど、今の私の状態ならできるって師匠が教えてくれたんだ」
「……すまない、少し理解できない。論理的な説明を頼めるかな」
「簡単だよ? 羂索さんと私の間にある距離を斬ったら、距離が死んでゼロになっただけだし」
「……?」
話を聞いても理解不能。故に、そういう術式だと仮定して、推理する。
(妖刀の術式は『斬撃』だったはず。その拡張術式により概念をも斬れるようになった? だが今までの妖刀使いにそんな芸当が出来た人間は……いや、そうか! 式守薫子はほぼ呪霊! 存在の規格が妖刀に近づき一体化しつつあるのか、それで妖刀の術式も使えるようになっているとしたら……!? 素晴らしい。概念まで斬れるなんて無法過ぎる、あの宿儺が拘るだけあるな)
元々薫子は妖刀に憑かれている。そんな薫子が呪霊に近づくとなれば、最も身近な呪霊に傾くのも自然な流れだと言えた。はじめて目にするケースに、羂索は内心テンションが上がる。
危機感も増したが。
もし薫子が縛りまで斬れるとしたなら、結んだ縛りも気紛れに破棄されかねない。君子危うきに近寄らずと云うが、関わるだけで大きすぎるリスクを負う存在だった。
できれば仲間に引き入れるか手駒にしたかったが、これは無理だ。ほとんど呪霊だから万一何かが起こり薫子が死んでも、死体を乗っ取るのも不可能。呪霊操術などで取り込むのも半端に生身があるから可能か怪しい。関わりを持つのは百害あって一利なし、式守薫子は台風か何かだと思って行動を縛らず、やり過ごすかそのやらかしを利用する程度に留めるべきだろう。
(それにしても距離を斬ったときたか。私がいた位置と式守薫子の位置をそれぞれAとCだとして、間にあるBという空間はどう処理された? 距離が死んだと口にするのは簡単だ、だが術式によるものならなんらかのメカニズムが必ず存在する。Bをどう処理したかが分かればいいんだが……射程は? 連発は可能か? 分析するには一度だけでも目の前で実演してもらいたいところだ)
好奇心が刺激される。が、口にして頼み込むのはかなりリスキーだった。
羂索は過去、妖刀使いと戦い殺害した経験がある。しかし当代の妖刀使いは歴代最強だろう。今回は妖刀の確保を依頼されていたから見に来ただけだが、奪い取ろうとするのは自殺行為だ。勝てないとは言わないが敗けないとも言えない、ほしいなら自分で手に入れろと断りを入れることにして、義理立てのために所在だけは掴んでおく方に方針を転換した。
「――凄いな、式守薫子。いつか君の言う綺麗なものを見せてもらえるかい? 見たくなった時の為にも連絡先を交換したいんだが、構わないかな?」
「いいよ! いつでも見せて上げるから! 気が向いたらいつでも来て?」
「ああ、ありがとう」
携帯電話を取り出すと、薫子も携帯電話を取り出す。呪詛師集団Qに渡されたものだ。
あっさり連絡先を交換してくれる薫子は、駆け引きの相手として非常にちょろい。少し心配になりそうなほどの無防備さは、純粋培養のお嬢様めいた無垢さだ。
「ついでに私と友達にならないか? 実は気軽に遣り取りできるメル友がいなくてね、いつでも連絡を取り合える相手がほしいんだ」
「やだ。だって羂索さんって呪詛師でしょ? 悪い人は怖いよ」
(どの口が……)
堪らずツッコミを入れたくなりながらも、羂索は友好的に微笑んだ。
「袖振り合うも多生の縁と言うだろう? 確かに私は世間一般で言う悪人かもしれないが、呪い溢れるこの世界に通じてる私との伝手を得たら、君の言う怖い人を避けるのにも役に立つ筈さ」
「む」
「それに君、友達いないだろう?」
「むむ、言われてみたら確かに……」
「同じ女同士なんだ。しかも私は滅多に会いに来られないから、君が怖い目を見ることもない。私は君には無害なんだし、メル友になるぐらいはいいと思うよ」
「むー……口がうまいなぁ。でも確かに友達はほしいかも。人付き合いとかしたことないし、友達作りの練習相手になるならいいかも……?」
「いいね友達作り。自慢じゃないが私は友達が沢山いる、君の友達作りも手伝えるよ! ついでに君が知りたいことがあればいつでも聞いてくれていい、これでも物知りな自信はあるからね」
「押し強。でもまあ、いっかな? メールの作法とか知らないけどよろしくお願いします」
「よし。じゃあこれからは親しみを込めて名前で呼ばせてもらうよ、薫子ちゃん」
「いきなりちゃん付け? 馴れ馴れしいなぁ、もぉ」
不満げにするも、薫子はどこか嬉しそうだった。自分を盗み見ていた相手に対して、なんとも甘い反応である。やはり普通の感性をしていない。
羂索は丁重にお別れを口にして、首のない女の死体を避けて玄関から普通に出て行った。
自然な流れを心がけつつ、アパートの一階まで階段で普通に降り、一定の距離まで余裕のある足取りで歩いて――もういいと判断すると一気にダッシュして離脱する。
薫子は自分のケータイを見ながらニヤニヤしていた。なんだかんだ友達はほしいので、メル友になろうと誘ってきた羂索から連絡が来ないか、とてもワクワクしながら待っているのだ。
抜け目なく羂索はメールする。走りながら。
「ァはっ」
またね、カオルコちゃん。
文面はそれだけ。絵文字もついてる。薫子は喜んだ。
そしてすぐに二通目のメールが来た。
『覗き見したお詫びに耳寄りな情報を提供しよう。
五条悟と夏油傑が、君を探して回っている。
ほとぼりが冷めるまで海外にでも出たらどうだい?
必要ならこちらでパスポートとか用意するよ』
「え。あの子達が?」
思わず声に出して、薫子は思いっきり顔をしかめた。
怖い。
もともと海外に出るつもりだったが、これが最後の一押しになった。
薫子は『お願いします』とだけ拙い手つきで返信し、少し間を置いて、これだけじゃ味気ないかなと絵文字も送信してみる。いいリアクションだよと返されて、少し嬉しくなった。
『パスポートを用意するから、それまで少し待っててね。また連絡するよ』
「はい……とっ!」
ポチポチぃ! と勢いよく返信する。
あの人、意外といい人かもなんて薫子は思うのに対して。
羂索は試験的に薫子が利用できるか試すことにした。
なんたって厄介な事案がある。計画のためにも利用できれば御の字だろう。
(上手くいけば……
物は試しだ。
あまり拘りすぎないように注意しつつも、羂索は密かに動き出す。
予定になかった展開だが、別にいい。これだから此の世は面白い。
薫子
歴戦のボッチ。実はちょろい
渡米予定
日本にいるのはあと数カ月のみ
羂索に「綺麗なの見せてー」と呼ばれたら即帰国する
羂索
強運+経験+話術=メル友
割とヒヤッとした
実力で言えば(戦闘用肉体なら)勝率は五分五分、将来的には不明
悪巧みしてみることにした
評価ください☆