殺人剣 式守薫子 出現
富士の樹海の片隅にて、自らに封を課していた特級呪霊が現世に返り咲く。
妖刀の封牢を監視していた呪霊から報告を受けた羂索は、遂にか、と内心呟く。
相変わらずなんとも言えない、微妙な時期に出てくるものだ。ここまで間の良し悪しが判別し難い時期に出てこられると、一周回って感心してしまいそうである。
「アレが貴様の言っていた式守薫子とかいう人間……か?」
大地への恐れから産まれた、火山頭の如き頭部を持つ単眼の特級呪霊、漏瑚。羂索が仲間に引き入れた、おそらくあの宿儺の指
漏瑚が見遣るのは人混みを歩く一人の女。羂索の評の通りアレは自分達が束になって掛かっても、鎧袖一触に斬り散らされる人魔一体の怪物なのか。漏瑚は単眼を細めて見極めんとするも、彼の傍らに立つ巨漢――森への畏怖から産まれた未登録の特級呪霊、花御が興味深そうに言う。
「漏瑚、よく見たら分かりますよ。彼女は人間ではない。多少生身の部分があるようですが、我々と同じ呪霊と見て間違いないでしょう。彼女をこちら側へ引き入れないのですか、羂索」
白い蝋のような肌、筋骨隆々の体躯、二つの眼窩から生えた枝。ここにはいない陀艮を含め、異形の怪物達だ。彼ら呪霊の群れの頭目、真人だけが人間に近い姿をしている。
花御の言に羂索は露骨な反応を示した。概要すら知りもしないまま、手前勝手な想像だけで専門家に
隠す意味もないから自らの名を伝えていた羂索だったが、迂闊さの目立つこの呪霊と接する内に早計だったかもしれないと微かに後悔しはじめている。
だが賽は投げられている。妙なやらかしを仕出かさないように、あらかじめ釘を刺しておいた。
「悪いことは言わない。そんな馬鹿な考えは今の内に捨てた方が賢明だよ」
「馬鹿、ですか」
「気に障ったかな? だがアレを知ったら君も思い直すはずだ。
いいかい花御。実態はどうあれ、彼女の自意識は人間のままだ。
加えて首尾よく仲間に出来たとしても、善性の人間として身内には優しくするだろう。
だがそれがうまくない。式守薫子の善意は殺害に直結するんだ。
親密になっても百害あって一利なしだよ」
「……なるほど。それが本当なら、確かに馬鹿な提案でしたね」
――と、口ではそう言いながらも、花御はまだ薫子を侮っていた。
羂索の言っていることが本当でも、力で屈服させてしまえば、言うことを聞かせられるはず。自己認識が人間でも本質は呪いなのだ、難しい話ではないだろう、と。
産まれてから十年も生きていない呪霊共。羂索からしてみれば赤子同然の未熟者達。海千山千の呪いに溢れた世界で生きてきた羂索は、花御の内心を見透かしていた。
正直な話、羂索は彼ら呪霊の群れを早期に取り込むつもりでいた。この千年間で屈服させるか、契約して従えている呪霊は500万を超える。それらは後の計画の為に温存しておきたいが、無為転変の術式を持つ真人以外は必須ではないのだ。その真人すら、術式が育ち切れば簡単に取り込んでしまえる。
なぜならば。
羂索は既に、八握剣異戒神将魔虚羅――縮めて『魔虚羅』――を、
無論、魔虚羅を調伏するのは簡単ではなかった。しかし羂索も平安の時より生きる怪物であり、今の彼には十種影法術の他に呪霊操術がある。歴代の術者とは前提条件が違った。たとえ魔虚羅が肉弾戦なら宿儺を超え得る化け物であり、適応の異能と退魔の剣を有していても、無尽蔵の手札と強力な攻撃手段、最高峰の結界術を扱う羂索なら勝てなくはない。
羂索は魔虚羅の調伏へ臨むにあたり、最初から領域を展開して、多数の呪霊を呼び出し、百万の呪霊を取り込んで収束した極ノ番のうずまきを放つ準備をしてから儀式を開始した。そして魔虚羅が完全顕現した瞬間に、速攻で片をつけようとしたのである。結果、従えている呪霊の半数近くを費やした挙げ句、消滅させられてしまったが……魔虚羅さえ手に入れてしまえばお釣りが来る。
これで羂索は無下限と六眼の抱き合わせや、呪いの王という『最強』達と同じステージに立ったが、当然ながら羂索は驕っていなかった。魔虚羅を従えて同じステージに立ったと言っても、それだけで勝てるなら苦労はしない。精々彼らを『それなりに苦戦させ楽しませる』のが限度だと見切っていた。
とはいえそれは五条悟や両面宿儺、式守薫子が相手の場合に限る。それ以外には無敵であろう。魔虚羅を従えた羂索という、悪夢のような存在なら、以前のままなら厳しいと言わざるを得ない、漏瑚や真人たちを単独で取り込んでしまえる域に達している。そこへ花御や陀艮を加えても同様だ。
真人の術式が育ちきった時が彼らの最期だ。それまでの辛抱である。
とはいえ。
(実際問題、式守薫子の動向は読めなくもないが……確実じゃない。
チョロい性格が幸いしてるけど、チョロ過ぎて五条悟に利用されたら盤面はグチャグチャにされる。
魔虚羅は私の切り札と言えるが、適応云々以前に一撃で殺されるだろう。
五条悟も私の存在に勘付いている。彼が私を探し回っている現在の状況も良くはない。
呪霊達の迂闊さのせいで尻尾を掴まれたら詰みかねないな)
仕方ない、と羂索は内心呟く。
杞憂かもしれないが何かが起こってからでは遅い。これは必要なリスクヘッジだと割りきろう。
(式守薫子と一度会っておこう)
必要だと分かっていても、猛獣の前に身を晒すのは恐ろしいものだ。
願わくばあの呪いが満腹であらんことを。
そう思うのに。千年生きてきて、一度も出会ったことのない異例の存在と対面することへ、内心ワクワクしている自分に羂索は苦笑した。性分だな、と。
お腹が痛い。
お腹が、痛い。
コンディションは最悪だ。
お腹の子が元気過ぎるせいで。
だが母として、子を責める気はない。
産まれてくる子供に罪はないのだ。
早く生まれてきてほしい。そうすれば綺麗なものを沢山見せてあげられる。
夫との間に授かった、大切な大切な子供。この子の為ならなんでも出来る気がした。
「体調が悪そうだね。大丈夫かい?」
声を掛けられる。お腹の方に意識を割いていたから、声を掛けられるまで体が反応しなかった。
聞き覚えのない声に視線を上げると、そこには見覚えのない少年がいる。
薫子は目を細めた。姿形は見覚えがないが、額の縫い目と呪力の性質、体幹の癖から洞察する。
「羂索さん?」
「正解。相変わらずの眼力だ、感心しちゃうね」
「男の子の体に乗り移ったんだ……相変わらずなのはそっちもじゃん。
酷い人。怖い人。そんな子供に乗り移るだなんて、男の子が可哀想」
「ハハハ」
君に言われちゃお終いだ、と羂索が失笑しているのは置いといて。
薫子はとある民家のリビングで、横になったまま動かない家主に謝る。
この人、私の知り合いです。不法侵入を見過ごしちゃってごめんなさい、と。
既に事切れている男に謝る壊人に、そこも変わってないと羂索は思う。
薫子は平安から生きる呪詛師を見る。彼の傍らに方陣を具える異形の巨漢――魔虚羅と。鵺、虎葬、円鹿、大蛇の四種を『渾』により複合した、女性的な形をしている嵌合獣・顎吐がいた。他にも玉犬・白の術式と呪力を黒へ継承させた玉犬・渾もいて、規格外の巨体を誇る式神以外を侍らせている。
「十種影法術。魔虚羅と……知らない何か。禪院の男の子だったんだ」
知っている、妖刀に読み込まされた記録があるから。
安土桃山時代の妖刀使いが、禪院家の当主と相対したことがあるのだ。
結果は――言及する必要性を感じない。最高位の式神達から発される呪力の圧力は怪物的だが、薫子は目に見えて身構えたりはしなかった。羂索に殺気がないからだが、彼女の肉体は弛緩していても瞬間的に最高速度を発揮できる。襲われた直後に最速の迎撃が能うのである。
そも、殺意や殺気の類いを薫子は有さない。あるのは純然たる剣気。そこには異様なことに狂気などは寸毫たりとも含まれておらず、彼女の佇まいは聖人の如く透明だった。
念の為、羂索は片手をヒラヒラと振って意思表示をする。
「ああ、誤解しないでくれないか。私に君とやり合う気はないよ」
「……急にメールしなくなったの、怒ってないの?」
そんな理由で敵対する馬鹿が何処にいる。いや探せばいるかもしれないが、無駄に薫子と敵対する輩は、愚者を通り越した真正の狂人だろう。理性の人を自認する羂索には有り得ない選択肢である。式神達を出しているのは、あくまで不意に斬り掛かられても対応できるようにする為でしかない。
「怒ってないさ。人にはそれぞれ事情があるものだからね。
それに君は新婚だったらしいじゃないか、手が離せなくなるのも仕方ない」
「……」
新婚。あの、五条悟と。
普通なら身の程知らずで白痴に等しい妄想だし、普段なら笑っているが、相手が薫子なら話は途端に色合いを変える。五条悟には同情していた。
剣聖の剣気に照準されると、どうにも不安になる。今も自分の首が胴体に繋がっているか、直接手で触れて確かめたくなるのだ。鋭利極まる剣気を、呼吸同然の自然体で発する壊人に、伴侶と見られて執着されるのは、好奇心の赴くままに生きてきた羂索でも御免蒙りたい災難だった。
羂索は頬を掻く仕草でそれを誤魔化しつつ話を広げる。
「アポイントメントも取らず訪ねて悪かったと思うけど……薫子ちゃん、体調が悪そうだね。
「……ホント?」
伊達に色んな体を渡り歩いていない。
羂索は薫子の不調が、女性特有の苦しみから来ていると察していた。
とはいえ相手は五条悟ではないだろう。式守薫子の性質からして、他の男の種を受けたわけでもあるまい。となれば彼女の性質を鑑みるに、想像妊娠のようなものだろうと会話するまでもなく見抜いていた。このあたり、多くのイカレた呪術師や呪詛師と知己を結んでいる、埒外の賢者に相応しい見識だろう。
不安げに瞳を揺らす薫子に、羂索は鷹揚に頷いた。
「ああ、私達は友達じゃないか。友人の悩みは私の悩みでもある。
はじめて子供を生んだ時は、私もそれなりに苦労したからね。悩みを共有できるはずだ」
「……友達。メル友……ママ友? ァは。ぁハハ、いいねぇ」
どうやら羂索の物言いがお気に召したらしい。魔虚羅を筆頭に強力な式神を傍に置いているのに、全く安心できないことに不条理さを感じながらも、羂索は努めて柔和な笑みを維持した。
「ならさ、その、このお腹の痛み、どうやったら耐えられると思う?
痛いの。とっても、痛いんだ。ねぇ、羂索さん。どうしたらいいかな」
「その痛みは大切なものだ。子供が早く生まれたい、早くママに会いたいって訴えているんだよ。
どうこうしようとするんじゃなくて、しっかり向き合った方が良い。
それでも耐えられないなら、お腹の子が産まれた後に何がしたいか考えてみたらどうだい?」
「おぉー……熟年のママ感がすごい……これがママ友……!」
「あと、これは所感なんだけど。身重の体なら、あんまり無茶はしない方が良い。
できるだけ安静にして、運動は最低限にしておくんだ。でないと子供に悪影響が出かねない」
「そうなの? そうなんだ……分かった」
よし、と羂索は内心ガッツポーズした。
薫子がこれで大人しくなると踏んだのだ。
目的は達したと見ていい。早々に撤収しよう。
「十年近くも音信不通だった友達の安否は確かめられたし、私はこれでお暇するよ」
「え、もう? そんな慌ただしくしないでも……」
「実際、忙しいんだ。特に手の掛かる奴も抱えているしね」
「ふぅん? なら仕方ないかもだけど……久し振りに会ったんだし、せっかくだから綺麗なの――」
「まだ見なくていいかなッ」
「なんで」
食い気味に拒絶すると薫子は露骨に不服そうにした。
せっかくの善意を袖にされると不愉快なのだ。羂索は慌てながら言い繕う。
「――
君ほどの達人が魅せる斬撃だ、折角なら檜舞台で堪能したい。
もし舞台が整えば招待するから、その時は応じてくれないかな?」
「近いうちって、いつ?」
「年内だよ。場所は……おそらく、都内になるだろうね。構わないかな」
「……年内、かぁ。ママ友の招待なら応じてあげよっかな?
それまでに子供も産まれてるかもだし」
「(よしッ!)……よかった。ならその時を愉しみにしているよ。
ところで薫子ちゃんは子供の名前を考えてるかな? よければ名付け親になっても――」
望外の成果に小躍りしたくなるも、羂索の提案に薫子は首を左右へ振った。
「ごめんだけど、名前は決めてるんだぁ」
「あ、そう。ちなみにどんな名前なんだい?」
名前を訊ねたのに意味はない。
ただの会話の流れであり、羂索の頭には早く帰りたいという一念しかなかった。
しかし、薫子の出した名前に、羂索は考えさせられる。
呪術的に見て、名前には重い意味があるからだ。
「甚爾。良い名前でしょ」
其れは天与呪縛のフィジカルギフテッドの名。
羂索は、一瞬呆気にとられ。
次いで、嗤った。
「いいね」
ママ友たちは笑い合った。
長閑な光景だ。とても、とても呪いに満ちていて。
漏瑚、花御
呪霊組。変化なし
羂索
スーパーウルトラ羂索。徹底的対策と開幕速攻で魔虚羅も調伏済
そこまでしてかなりの損害を被ったが、魔虚羅でお釣りがくる
とりあえず薫子を大人しくさせ、任意に呼び出せるようにした
薫子
安静にしておくことにした新米ママ(妄想)
ママ友にクラスチェンジしたメル友にご満悦
やることなすこと、ついでに言うことまで全て呪い