ピロン。新調したケータイ――スマートフォンというらしい――がメールを受信する。
入手経路はいつも通り。気前のいい女性から譲ってもらい、手に入れたばかりのスマホへメールが来たのなら、それは自分あてではなく元の持ち主へあてたものであるべきだ。
しかし薫子が確認すると、メールを送ってきたのは羂索である。いったいどこからこの連絡先を入手したのか不思議だが、薫子は特に訝しむことなくメールに目を通す。
「えぇっと……なになに?」
『薫子ちゃんに相応しい舞台を開く日時が決まった。
場所は渋谷スクランブル交差点。時間はハロウィンの昼十二時。
できれば君の伴侶も招きたいけど、連絡先を知らないから、よければ君が連絡してくれ。
私からの招待だとは伝えないでほしい。私が直接サプライズしたいからね。
もし都合が合わないなら早めに連絡して。
遠慮は要らない、これは君の為の舞台だ。薫子ちゃんが出たくないならそれでもいいよ。
追伸。お腹の子供は元気かな? 産まれたら教えてくれ。ご祝儀を包んで送り届けるから』
「――気遣い屋さんだなぁ、羂索さんは」
それに伴侶! 伴侶だって! きゃー!
などと、両手で頬を挟んで身をくねらせる。
新婚気分で恥ずかしがるが、嬉色の滲んだ悲鳴はわざとらしい。
だがしかし、最後に触れられた話題を目にした途端、薫子は首を傾げた。
お腹の子供? 何それ? と。
それは、忘れていた
暫し頭を悩ませて思い出すと、あっ、と声を漏らしてしまう。違うのだ、最近は大人しくて、特に意識しなくて済んでいただけなのである。決して忘れていたわけではない。本当だ。
「うっ」
現に、ほら。ちょっと意識しただけで、またお腹が痛くなってきた。
生得領域に沈殿する数多の生首。その総てを自身の残機に置き換える作業を行なっているのに、何年掛けてもイジれない情報がある。首から上しかない、欠損した肉体情報を変換できないのだ。これこそが、自分の子供であろう。そう、
額に脂汗が浮かび出るほど、その情報はバグとエラーを吐き出している。
薫子は両手で掌印を組み、術式を行使した。
「んもぉ、困ったちゃんだなぁ。術式反転『自財放流』っと。
そろそろ産んどこ。お腹痛いのもう嫌だし」
薫子を中心に血の絨毯が湧いて出て。にゅるり、と一つの人型の頭部が浮上する。
それは、一人の男性の頭部。作り替えられた肉体情報を、接続した頭部だけで容易く上書きし、女性のものであるはずの肉体が屈強な男性のものへと置き換えられた。
彼の肉体は天与呪縛のフィジカルギフテッド。かつて薫子に敗れ、殺害されて取り込まれた者。
本来なら彼も薫子の残機の一つに貶められるはずだったが、その肉体情報は薫子の術式による干渉を全く受け付けず、今日まで残留していた異物である。
名を伏黒甚爾。別名を天与の暴君、術師殺し。
薫子は目の前に現れた男性に目を細めた。どうやら笑っているらしい。
「ハッピーバースデー! 産まれてくれてありがとう、甚爾くん!
……甚爾くん?」
「……」
立ち尽くしたまま、その場に佇む甚爾に薫子は首を傾げる。
展開していた血溜まり――悍しき生得領域――は霧のように溶けて消えた。しかし甚爾は能面のような無表情で佇んだまま、まるで動こうとしなかった。
暫し観察していた薫子は、不意に眦へ涙を溜め、えんえんと泣き出してしまう。
「うわーん!
そう。ここにあるのは肉体のみ。死した魂はどこにもない。
仮に他人の魂を降ろしても、圧倒的な肉体はその魂を押し潰し、自らの魂を発生させる燃料にしてしまい新生するだろうが、肝心の魂がないならデクノボウにしかならないのだ。
故に、えっぐ、えっぐ、と幼子のように咽びつつも。
薫子はスマホを取り出し、淀みなくメールを打った。
「羂索さん降霊術の術式持ち紹介して場所さえ分かったら私が出向くから、っと。
もうちょっと待っててねぇ、甚爾くん。君の魂、呼び戻すからね?
そしたら私と一緒に、悟くんに会いに行こうねぇ」
可愛い子供。私の子供。悟くんとの愛の結晶。きっと喜んでくれるよね?
微笑む薫子には、以前まではあったはずの、元の人格の名残もなくなっていて。ただの呪いへと完全に堕天し、千切れた蜻蛉の頭ぐらいだった意思の残り滓が消えたことで、不意の自殺衝動に悩まされることもなくなっていた。犠牲になったのが降霊術を扱う、無辜の人々を食い物にする呪詛師の老婆だったのは、辛うじて救いと言えるかもしれないが……もはや誤差の範囲だろう。
薫子は来たる檜舞台を夢想し、独り笑みを湛える。
「――あ? 俺あてに手紙が来ただぁ?」
端正な眉を顰めたのは、呪術高専東京校の校庭で、京都校と東京校の生徒たち全員を
少年少女達が死屍累々とばかりに倒れ伏し、全身から汗を流して荒く呼吸している中、悟だけは汗一つ流さず涼しい表情をしている。同じ特級の乙骨憂太を含め一蹴しているあたり、別格だ。呪術の力を抜きにした、純粋な体術だけでも群を抜いている。まさしく最強と言える力量を存分に見せつけた所だ。
そこへやってきた補助監督が持ってきた手紙を見て、悟は胡乱な貌になる。
「うへぇ……」
受け取る前から差出人は分かっていた。
白い封筒にハートマークのシールで封をしているのだ。高専を介しているとはいえこんなものを悟に送り届けそうな奴の心当たりなど、残念ながら悟には一人しかいない。
見たくない。が、見ないわけにもいかない。
悟はげんなりしながら乱雑に封筒を千切り、中の便箋を取り出した。
女性的で丸い文字の羅列。ああ、見覚えのある字だ。やっぱアイツかよと内心毒づきたくなるも、手紙の内容を理解するにつれて悟から表情が消えた。
「……せんせー、どうしたんだよ?」
「ん……あぁ、ちょっとな」
倒れている生徒の一人、虎杖悠仁がゾンビみたいな声を発すると、悟は便箋を握り潰し苦笑する。
アイツとの戦いに連れていけそうなのは、憂太と金次、後は葵と
乙骨憂太と秤金次は言うに及ばず。東堂葵と釘崎野薔薇の術式は役立つだろう。悠仁は――彼には悪いと思うが、封印されている方の宿儺を利用できたら文句はないと悟は企んでいた。
「式守の奴からラブレターが来たってだけだ」
「……アイツから!?」
悟の口から出た名前に、悠仁が反射的に跳ね起きようとしたのだろう。しかし悟の拳打を浴びた体は言うことを聞かず、上体を起こすのが限界だった。
他の生徒達も視線だけを悟に向けている。全員、身動き一つ取れていないのに、まだ幾らか動ける悠仁の肉体強度は破格といえる。
悟は涼しい表情で言った。
「今年のハロウィン、渋谷でデートしようよ――ってさ。
いやぁ、モテる男は辛いね。……いや、ホント辛ぇよ。なんで俺を旦那扱いすんだよアイツ」
「ハロウィン……」
一瞬醸し出された哀愁には気づかず、悠仁は鸚鵡返しに呟く。
ハロウィンの日に、渋谷であの呪いは何をしようというのか。
どうせろくでもないに決まっているが――悟は掌を叩いて景気良く言った。
「……というわけで、お前らにはハロウィンまでに強くなってもらうぜ。
式守の前に連れ出しちまったら俺でも守ってやれねぇからな、最低でも反転術式は覚えろ。
ソイツを使えねえ奴は戦力外だ、役に立ちてぇなら死ぬ気で俺の扱きに耐えろよ?」
「押忍……ッ!」
元気のいい返事は、悠仁から。他はまだ、グロッキーだった。
(これでよし。後は時間との戦いだ)
――そして。
薫子が呪術高専に出向き、手紙を補助監督の男に押し付けたのを呪霊の視覚越しに見届けた羂索は、ひとまず企み通りの展開に入ったことに安堵する。
タイムリミットは設けられた。
後は来たる10月31日の、決戦に備えるのみ。
乗るか反るかの大博打だ。
総てを失うか、総てを手に入れるか。自分らしくはないが、ここに乾坤一擲の全力を注ぐ。
さもなければ何もかもがご破産になりかねないからだ。
全く以て――
(面白い女だよ、薫子ちゃん)
羂索→
該当の人物への伝手はある。
けど紹介するのには少し待ってくれ。
なにぶん、多忙な人だからね。(時間稼ぎ)
←薫子
りょ。
甚爾
……。