殺意はない。緊迫感もない。
足取りはさながら散歩に出掛けた猫のよう。
しゃらりしゃらりと歩を進め、しゅるりしゅるりと絹のように
一振りで首が飛ぶ。一振りで花が咲く。それはそれは綺麗な演目、斬撃舞う華の道。
一つ、二つ。一人、二人と命散り。一本、二本。一体、二体と骸伏す。
陽だまりのような日常が。少女が未練としていた宝物が。秒を経るごとに、病に冒され赤い血化粧に汚されていく。心が軋み、割れそうだ。
悲鳴。断末魔。暴れる音。そこに逃げ出す気配は一つもない。
全員が全員、身動きを封じられているのだ。
磔。鉄骨じみた柱に括られて、手脚を縛り付けられている。
それは、星漿体たる少女、天内理子も例外ではなかった。
「やめよ! 貴様の狙いは妾なんじゃろ!? 関係ない者を殺すな!」
悲痛な叫び。聞こえぬ悲鳴。
なんの変哲もない校舎は、悍しい血の池で満ちた平地と化している。
障害物は何もなく。足場は血池、空は黒く、一点の偽りの満月のみが鎮座する空間。
呪詛師による領域に囚われて、非術師は横並びに整列させられ、順番に斬首されていた。落とされた首は血の池に落ちて、未来永劫に浮かんでこない。
「やめよと言っている!」
一つ。二つ。三つ。首が落ち。
少女の叫び。喉も裂けよとばかりの怒号。
どうして、なんで、こんな酷いことを? 少女は大切な日常を、土足で踏み荒らす殺人鬼を見た。
「やめて!」
虚飾を投げ捨て、平凡な少女そのものの悲鳴を迸らせて。
それでも、殺人に至る斬撃へ酔う鬼は、標的であるはずの少女を見ない。
順番に、順番に。焦らず、騒がず。
理子に告白した少年が死んだ。
理子と挨拶を交わした少女が死んだ。
理子が一年生だった頃の先生が死んだ。
理子にとっての友人が死んだ。
「やめてよぉぉ!」
泣き叫び、涙を流し、顔面を猿のように歪め、狂ったように絶叫する。
「ァは。次は、君。ほぉら、綺麗な斬撃だよ? ちゃんと、見て」
血塗れの女が、理子の前に達した。
そして、因果は間に合う――理子にとっては、手遅れなのに。
天元。
彼女は呪術高専東京校地下最深部『薨星宮』本殿に隠遁する呪術師であり、存在そのものが日本呪術界の基底とも言える存在である。
天元は国内に敷設されている、あらゆる結界を強化しているのだ。
天元がいなければ、補助監督の行使する『帳』などの結界は成り立たない故に、彼女はあらゆる術師にとって、紛れもなく重要人物であった。
――しかし、時代は一つの節目を迎えている。
天元は不死化術式により千年以上も生きていた。が、不死ではあっても不老ではない為、500年近く老化すると術式の効果によって肉体が『進化』を開始してしまう。人間からより高次の存在へ進化すると天元の意思は失われ、最終的に天元が天元ではなくなってしまう可能性があるのだ。となれば結果として天元による結界が失われ、ともすると人の敵になる可能性まで生じるらしい。
現状維持か、秩序の崩壊か。そんな不確かなIFを予防する為、500年に一度天元に適合する肉体を持つ星漿体――新たな器になる人間と同化する事で、肉体の初期化を行なう必要があった。
天元と星漿体の同化は、呪術界の趨勢を左右する重大な案件だ。これはなんとしても成功させねばならない儀式なのだが――その星蔣体の所在が、悪意を持つ第三者に漏れてしまった。
星漿体の少女を狙っている者は、大きく分けて二つの勢力。
天元の暴走による呪術界の転覆を目論む呪詛師集団Qと、天元を崇拝する宗教集団の盤星教、時の器の会だ。天元と星蔣体の同化は二日後の夜である。それまで少女を護衛し、天元の下まで送り届けるのが――若くして特級術師に認定された二人の少年、五条悟と夏油傑に課せられた任務であった。
「――おい、傑」
「なんだい、急にそんな……まさか」
気怠そうに護衛対象の許へ向かっていた五条悟が、不意に纏う空気を張り詰めさせて。
流石に特級、遠く離れていても呪力探知の感度は鋭敏。行き先に禍々しい、呪霊めいた呪力を察知して夏油傑も顔色を変えた。
「――大変です! 星漿体・天内理子のいる学校が……!」
「遅ぇよ。俺、先に行ってっから」
「ああ。私もすぐ追いつく、行ってくれ」
補助監督が慌てて駆け寄ってくるのを一瞥し、悟は好戦的な笑みを浮かべて一人、先行した。
傑も空を飛べる虫の呪霊を呼び出し、空路を急行する。だがそんな傑よりも悟は数段以上速い。
無下限呪術の術式順転『蒼』による瞬間移動だ。
悟はその眼に映る呪力から、思っていたよりも手強い呪詛師が襲撃しているのだと察し、少しは楽しめるかもしれないと期待していた。
しかし、不遜で傲慢な少年である悟をして、目にした光景には思わず絶句させられる。
校舎全体を覆う『領域展開』による結界の外殻。領域の結界は内部からの攻撃には強いが、外殻の外側からの攻撃には脆く、悟でなくとも領域を外部から破壊するのは可能だろう。
だがその内部。悟の双眸に輝く六眼は、結界構成と内部の様子までも読み取り、結界内で行われる惨劇をも目撃していた。非術師――雑魚がどうなろうと知ったことではないと嘯く悟も、この無意味な殺戮の様子には言葉を失くした。しかしいつまでも茫然自失とはしない。彼は護衛対象へ迫る呪詛師の女に気づいたのだ。胸糞悪いと言いたげに舌打ちした悟は結界へ突入する。
「――気分悪ィもん見せてんじゃねぇよッ!」
領域の外殻へ呪力を込めた拳撃を叩き込むや、ガラス細工が割れたように結界が崩壊する。
黒い空と満月が消え去り、地面を覆う血の池と共に非術師達を拘束していた柱と枷も消えた。
自由の身となった被害者達は、恐慌の悲鳴を上げて散り散りになって逃げ出したり、腰が抜けて座り込む者が散見された。だが肝心の護衛対象は呪詛師のすぐ近くに位置し、その呪詛師の女も領域が破壊されるなり機敏に反応する。瞬時に振るった刃は涙を流して自失したままの少女の首を狙って――理子を抱えて距離を取った少年の肩を掠めるだけだった。
「あぁ……」
残念そうな吐息。危険な色香を吐き出す、人の形をした呪い。
敵意に満ちた眼差しで妖刀を睨む少年へ、女は失態を嘆く素振りを見せた。
刀を待つ手をブラブラと揺らして。
「君ってもしかして五条悟? ツイてないなぁ、もっと早く斬ってればよかった」
「……テメェ」
悟は理子を降ろし、真っ直ぐ立ち上がると睨みつけた。
女、ではない。彼女が握る一振りの妖刀を、だ。
蒼く輝く六眼は、一目で彼女の真実を看破したのである。
「随分物騒なモンに
「……あ、気づくんだ。六眼って怖いなぁ」
薄く、
図星だ。現代でも著名な刀匠が遺し転じた無銘の妖刀は、本体が生きているのに加え数々の怨念と恐怖を帯びたことで、生きた刀……すなわち呪具でありながら呪霊と化していたのである。
呪具なのに生きている為の変化。本体は刀であることに拘りがあるため喋らない。しかし呪霊化して歪んだからか、妖刀として憑いた相手を壊してしまう性質があった。妖刀が具える知識や経験のフィードバック、および使用者を汚染するのは、妖刀本体が呪霊として具える術式の一部なのであろう。
つまり、敵はこの女ではない。
気に食わない。呪霊『妖刀』……人を斬りすぎて、妖刀という概念への恐怖から転じ、人間から呪具へ、呪具から呪霊へ転生した
悟は自身の肩を軽く抑え、血が出ているのに眉を顰めた。
「――ァは」
「何笑ってんの?」
「流石師匠だなって。最強と呼び声高いあの五条悟にも、傷を付けられるだなんてね」
「そうかよ。俺から言わせたら、笑ってねぇで念仏唱えてろってもんだけど」
「これから誰か死ぬの?」
「言わなきゃわかんない?」
「わかるよ。死ぬのは君達。最期に綺麗な
――る、と言い切る前に。
ぴくりと眉を動かした女が、感心したように悟を見た。
「……意外とクレバーなんだね。周りに呪霊が沢山……呪霊操術って奴? 私とお喋りしてくれてたのはただの時間稼ぎだったんだ」
「まあな。俺一人で十分だけど、万が一にも逃がす気はないから」
「……お前は」
校舎の外には、百体を優に超える数の呪霊がいた。
それを操る大柄な少年が、この地獄のような現場を見て、青筋を額に浮かべて義憤を吐いた。
「存在してはいけない。ここで、祓ってやる」
「ふーん……」
女は気のない様子で、刀で肩を叩く。それから校舎に侵入してきた傑と悟の顔を見比べ、最後に標的である少女――青い顔で呆然と学友達の死体を見る天内理子を見た。
やおら、女は居住まいを正して一礼する。まるで武道家のように。
「――私、呪詛師集団Qに属しまする姓を式守、名を薫子と申す者。訳は特にございませんが、ここで果てる気もまたございません。押し通らせて頂きます」
正々堂々、逃げると告げた。
その名乗り。名前もそうだが、武道家めいた態度は全ての武道家への冒涜、正々堂々とした物言いは正しく生きる者達への侮辱だ。存在そのものが呪いと言える。
斯くして個として最強、群として最強を誇る二人の特級術師は、特級呪詛師に認定されることになる式守薫子と対峙したのだった。
数多の骸、夥しい血と死臭の真ん中で。
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