毛利家大内に許される範囲で勢力の拡大に成功し、島2つと15村を支配下に納めた
また海に面した土地は照継の私塾から登用され、成り上がった新参の家臣達に渡され、重臣達も元々ある土地を拡張する形で加増された
しかし、内陸の領だった毛利家は水運に詳しい者がほぼ居らず、貰った領土をどのように発展させれば良いか頭を悩ませた
私塾の教師として教えを授け、内政や武将として新参家臣のまとめ役となっていた照継は彼らの悩みに答えた
まず海が近すぎる土地は塩害により田畑に向かないので塩造りと海産物、商業化させることによる税収をもって銭を得て、内地から米を買うことで食料を回す事を提案し、さらに理解を深めるべく東源神社にて20人の海に面する200石未満の家臣達が集まり勉強会を開いた
「宮永先生のお陰で我々も所領を貰い、一端の武士になることができました。半農、元商人、部屋住みで終わるハズだった我々を引き上げてくださり誠にありがとうございます」
「いやいや、皆さんの頑張りによるところが大きいですよ。これからも文武両道でいきましょう」
「「「はい!」」」
「ではまず先日も助言したように沿岸部では浜風故に塩害になりやすい。塩害に強い作物……大根、白菜、小松菜、水菜、山葵、菜の花であれば育てるのはありですが、米のように量を栽培するとなると至難、故に米の栽培は捨て、海産物を取る、塩、味噌造りそれにたまり醤油なる調味料の作り方を教えましょう。それに船造りを推奨し、商人に安く貸し出し、戦時には軍船に、平時には商船にすれば無駄は無いだろう」
更に正確な地図を作り、税率の低い商業特区の提案や道を広くすることで商いがしやすい町造りを推奨させた
「しかし、それでは防衛がままならないのでは?」
「毛利が力を付けるには限られた土地をいかに効率良く銭を生み出すかにかかっているからな。なんなら各領地に私の経営する娼館の支店を出し花町にするのも良いだろう」
「一番ダメなのが流通を阻害すること。関所を建てるのは一時的に税収は上がるかもしれないが、毛利領全体では税収を下げる結果となる。次に小領なのだからここにいる20人が連携し、全体で1つの町を作るくらいの勢いでないと税はあがらない……いや、土地を一纏めにし、税を一括で徴収し、それを各家の石高……株数に応じて再分配する方法ならばどうだ?」
「それでは我らが自由に土地を使えないのでは?」
「使えなくても利益が出た方が良いだろう。土地を商人や職人に貸し出し、儲けた金や銭を更に商人や職人、漁師に投資する。持ち株に応じて利益が戻ってくるのだからそこらの田畑を持つ領主よりも金持ちになれるぞ」
「俺はそれで良い!」
「俺もだ!!」
照継の提案に最終的に全会一致で博多や堺の様な商業都市を目指すことを決定
20名連名で土地を運用する決まりを作り、持ち株に応じた税収を受けとるというとても先進的な税の方法と約4000石分の土地を纏めて運用できる権利を得るのだった
彼らは照継のアドバイスに従いつつ、八雲屋などの商人にこの事を話すして誘致を行い、2年かけて町を整備するのであった
これが呉の町を形成していくこととなる
享禄元年(1528年)7月
「人富の計を開始して早9年、庚寅年藉(太古の戸籍制度)を参考に3年に1回更新の東源郷のみに限った人員の数は人間4580名、うちに10歳以下の子供は3270名、人型妖怪の1275名中10歳以下が890名、合計人口5855名……大人の女性の数が950名だから出生率は約4.38……うーん実にすばらです」
「そうか? この時代にしてはずいぶんと低いような気がするが」
「この童子ちゃんと死亡者も計算しております! この9年での死者数は214人、米和神の安産祈願と女性陣の肉付きが良くなったことで乳がちゃんと出ること、出なくても周囲に乳が出る母親が多く、餓えてない、戦場に絶対にならない安心感、外敵も少ない等の事から捨て子がほぼ居ない状態ですからね。ここが始まったのが9年前なので2年に1人産まれていると考えれば爆発的に人口は増えていますよ! すばらっです!」
「更に捨て子や娼館から子供を引き取ってるから更に子供が増えているな。馬や牛等の家畜の導入も始まったし、仕事量は多いが豊かになっているからな」
「そういえばようやく香辛料の栽培に成功し、本格的な栽培が始まったそうですね。すばらです」
「だいぶ時間がかかったな。次はサトウキビを輸入したいものだよ。琉球王国と貿易で交渉しているって八雲が言ってたけど成功すれば莫大な利益がでるからね」
「それは実にすばらです! ……経済力に裏打ちされた兵の動員……照継様は常備兵と呼んでいましたよね?」
「ああ、戦働きをしない純粋な兵士だね。これにはとにかく金が要る」
「生産性が全く無いですからね。今の毛利家ではとても実現できない制度ですな……すばら~」
「ああ、ただ必ず国力が上がった暁にはやらないと、高い武力の兵の増産。毛利が飛躍するためにも必ず」
「そうですね」
「童子、お腹出してあまり彷徨くなよ。風邪をひいたらどうする。お腹の子供にも影響が出るぞ」
「なんの、なんの、鬼故に風邪引きませんし、脱ぎやすい服じゃないと赤ん坊の乳やりに対応できませんし」
この時代女性に胸を隠すという概念はほぼ無く、褌は履けど、胸は暑ければさらけ出して農作業をしたりすることが殆どであった
ちなみに東源郷は平均気温が冬でも18度、夏場は30度な為、麻を使った衣類が作られていた
外界みたいに寒さで凍える心配もないのも死者が少ない理由だろう
「今東源郷の開発はどれくらいだ? 田畑何枚できたか?」
東源郷の管理は童子が主に引き受けてくれている
照継が外界の農地指導や毛利家の内政の仕事等で忙しいためである
もちろん童子だけで運営されている訳じゃないが
「四角形の田んぼを普及させたことにより数えやすくなりましたが、1反計算ですと現在田が2500反、全て上々田(収穫量が特に多い田んぼの事 1石と8斗計算)で二期作なので更に約2倍で9000石分の米と4000反分のその他の作物の畑がありますね。また東源郷の正確な地図ができました。こちらになります」
ぐるっとややいびつな円形であり、周囲を山に囲まれ、四方の山から川が流れ、中央に湖があるという地形だ
京都の町並みの真ん中に湖があり、平地を拡張したと思えば分かりやすいだろうか
「東源郷の特徴として異界故か上質な木々が山で素早く生えてくるので木材が枯渇する心配が無く、川から上質な砂鉄、山からも鉄鉱石や一部金属が取れます。湖には川魚が泳ぎ、鯉や鯰がよく捕れます。実にすばらですよ」
「鍛冶屋が25軒、造り酒屋が5軒、呉服屋が5軒、他各種職人が25軒、商家は7軒で全体の5%ほどしか土地は利用されていません。鉱夫も人員が足らずにできていない状況ですね」
「あ、あと学舎が10軒ありました。それくらいですかね」
「了解した。そのまま東源郷の運営を頼むぞ童子」
「はい! 照継様」
宍戸家が毛利に臣従を表明し、毛利家がますます力を付けているころ、大内軍は大内義隆を大将に2度目の武田家討伐戦を開始
熊谷家の離脱や周辺国人衆が大内派であり、吉川家が援軍に入ったものの武田家滅亡は時間の問題かと思われた
しかし、ここで中国地方全土を揺るがす大事件が発生
大内義興、病に倒れる
人生50年の時代、義興は52歳でちょうど良い頃合いであったが、尼子には60歳を超えても元気な尼子経久が居たので周辺国人衆達も尼子経久が死ぬ方が大内義興より早いだろうという計算で動いていたのに、大内義興の病が深刻となると嫌でも尼子の力が復活するのを考えさせられた
この一件で武田討伐戦は僅か2ヵ月で大内軍の撤退で終わり、武田光和はまたしても居城の銀山城で大内の大軍を退けることに成功する
ただ義興もただでは死なないと多数の遺言状を残した
まず大内の家督相続を大内義隆に一本化、補佐に陶興房を筆頭家老に命じ、お家騒動になる可能性を限りなく潰し、将軍と明に日明貿易の継承を認めさせる
他争いの種になりそうなことを全て潰すと共に毛利元就にも命令文を残した
高橋家討伐の御内書である
元就の親戚であるが関係が冷えきっていた高橋家
大内は毛利家と高橋家を和解させようとしていたが、尼子派で制御が利かない高橋家を解体し、毛利に組み込んだ方が大内の安芸支配をより強固にし、安芸国安定化により備後や出雲侵攻が可能になる方が得と判断した
それには毛利家が安芸国で一番の勢力になって貰わなければならず、将軍に御内書を書かせ、大内義興、大内義隆両名の連名で元就に高橋攻めの大義名分を渡したのだった
元就は
「流石天下人(義興は京滞在中は天下人と呼ばれていた)義興様だ。大局を見ておられる。淡!」
「はっ!」
毛利天狗衆筆頭の東風淡(武田との戦で弓で熊谷元直を射ぬいた天狗で元就の愛人 毛利家継承権は無いが東風の名字と子供5人をこさえている)を呼び高橋家の本格的な工作を開始
更に高橋家が尼子から毛利家討伐をしろという命令が入って入ることを天狗衆が密書を奪取し、高橋家が攻めようとしているため逆侵攻をするという理由も得ることに成功する
元就は直ちに従属している宍戸家、平賀家、天野家に援軍を要請し、高橋家の裏切り工作を進めると共に戦支度を始めた
12月……大内義興が亡くなると遺言書に則り、高橋領侵攻を開始する
ただし縁戚である高橋家を攻めるのはおかしいと井上一族は元就の出陣命令を無視
それどころか政務、徴税等も近頃サボりがちであり、元就の怒りを溜め込んでいた
井上の事は一旦無視し、元就は兵3000をもって高橋領に侵攻
高橋家の動員可能兵数は5000であるが、尼子からの命令で大内義興が動けない状態になった11月から石見侵攻を再開しており、高橋家主力3500もそちらに動員されていたので実質守兵は1500ほどであった
照継も城主として兵500名を動員し、宮永鬼衆を指揮
出産を終えた童子や妖怪の嫁達も動員して戦に挑む
高橋家侵攻は元就はいかに主力が帰国する前に領地を削れるかが勝負と判断し、また戦の目標を高橋家の族滅と決めた
毛利本隊500は松尾城という毛利本領に一番近い城を攻撃、西部別動隊(志道広良指揮する1500名)は高橋家の居城である高橋城と松尾城の間にある砦2つを攻撃、照継と各援軍500名を合わせた1000名で石見の藤掛城と松尾城の間にある3つの砦を攻略するように命令された
照継率いる別動隊1000名の毛利家家臣は照継派と呼ばれる新参家臣が多く存在し、呉に領地を持つ者含めて30歳未満の若武者が多くを占めていた
「作戦を説明するまず南部の佐々部砦を攻略するが佐々部砦を守る副将は龍討伐で互いに仲を深めた新子十兵衛。彼は高橋家と毛利家が戦となったら毛利に付く事を公言している」
「兵達も守将の剛田は人望が無い。毛利の旗と松明を掲げれば落ちるであろう」
実際に作戦会議後松明を盛大に炊いて毛利と宮永家の旗を掲げ砦から見える位置に布陣すると砦は四半刻(30分)も経たずに陥落、新子十兵衛は守将剛田の首を持ち単身で照継の居る陣に赴き、毛利ではなく照継に忠誠を誓うこと、城兵の命は捕らないことを条件に降伏に応じ、城兵達は新子と共に戦いたいと申して主家高橋家相手に弓引くことも躊躇わないと各々口にしていた
高橋家は度重なる尼子からの要請による石見や備後の出兵、高橋家内部の家督争いによる増税で疲弊しており、高橋家を恨む者が増えていた
一部砦の兵は逃亡したが100名新子の親衛隊は照継の別動隊に合流
そのままの勢いで川根砦を陥落させた
元就本隊も夜襲で松尾城を陥落させ、城に居た高橋一族を幼子含めて斬首
西の別動隊も夜中に砦を2つ落として街道の封鎖に成功したことでいまだに高橋家は毛利家に攻められていることに気がつかなかった
照継は砦よりもまだ人が入ってない藤掛城を攻略した方が後々の戦略上有利になると判断
闇夜に紛れ、化け狐にまだ稀少な火薬を持たせ、城門を守る守兵を殺害した後に城門を爆破
爆破を合図に照継達別動隊が雪崩れ込み、ニノ曲輪を制圧、本丸に残った城兵は立て籠ったが
「龍をも殺す宮永照継の武勇を見せようぞ!」
と本丸の城壁を一瞬で登ると単身で本丸に突入
「宮永様に続け!!」
丸太を使い、門を叩くこと5回で本丸の門が破壊され、続々と兵達が突入し、照継は30人もの兵を一瞬で斬り殺し、本丸を制圧
「毛利様!」
照継が高橋一族を処刑していると女性達が名乗りを上げた
「……!? まさか沙梨姫か!」
元就の長女沙梨姫の保護に成功する
この時沙梨姫は10歳であり、どことなく妙玖姫(元就の正室)に似て(親子なのだから当然だが)美少女に育っていた
使女の話によると毛利との関係悪化を受けて高橋城から藤掛城に移され、毛利に何か動きがあれば処刑するつもりであったとのこと
しかし、照継が琵琶砦ではなく藤掛城を先に攻めたことにより救援が間に合ったのだ
照継は伝令を走らせ長女沙梨姫保護と藤掛城占領を元就に伝えると元就は手を叩いて長女の無事を喜んだ
ただここで二ツ山城に高橋家の主力が帰国したことで快進撃はストップ
しかし、じわじわと二ツ山城以外の砦を陥落させていき2ヵ月後には二ツ山城を残して高橋家の領土は毛利家が全て奪うことに成功する
そして元就は更に場内に謀略を仕掛け、高橋家内部で降伏に傾いていた高橋盛光という男に接触
主の高橋興光を殺す代わりに二ツ山城と周辺の領土安堵という条件を出し、5日以内に決めろとのことだったが、殺害に時間がかかり6日目となってしまう
元就は約束が違うとして主君殺しの高橋盛光を外道と罵り斬首、更に場内に居た高橋一族を女子供問わず族滅させて石見と安芸に跨がった強豪国衆高橋家は滅亡
毛利家は高橋領の大半を手に入れ、一部地域を宍戸家に割譲、他援軍に来てくれた天野家、平賀家には各1000貫を謝礼金として支払った
これで毛利の所領は約7万石まで増える
沙梨姫は元就一家の元に戻り数年間久しぶりの家族の時間を楽しむのだった