チート一族になりたくて   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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郡山城の戦い

 天文6年(1537年)

 

 1529年の高橋攻めから軍事行動を控えた毛利家は博多と堺の中継の町として呉の開発を続け、更に広島にも呉での成功のノウハウを受けて町を拡張

 

 最初期から楽市と多数の娼館が建ち並ぶ花町として成長した多治比猿掛城の城下町である多治比、東源郷から出る物質の販売で賑わう郡山城下町の吉田

 

 この4つの町が各々の特色を生かして成長を続けており、照継は毛利家の内政官として町への投資や技術者の優遇を続け、更に呉には銭座が設けられたことで毛利は安芸国で抜きん出た経済力を握ることになる

 

 また、吉川家は元就と婚姻関係にあったことから両家は尼子派、大内派で分かれているが、良好な関係であり、吉川領内から採掘される銅を使って銭を造っていたので、吉川にも分け前を与えて貿易をしていた

 

 ここで毛利家の貿易を整理すると

 

 まず毛利家が生産している物は香辛料、コンニャク、味噌、たまり醤油、清酒、干しブドウ(レーズン)、葡萄酒、椎茸、蜂蜜、蝋、油(菜の花)、絹、肥料そして黄銅銭

 

 輸入は備後国衆からは木材、木炭、い草、麻を

 

 瀬戸内海に面する村上家や小早川家は貝、魚や海藻、船を

 

 大内からは紙、工芸品、家具、武器、明や朝鮮から流れた食品や書物、茶器、鉱物資源を輸入していた

 

 毛利家は各家にとって食糧庫になっており、飢饉知らずで冷害などで大内が打撃を受けた際には率先して食糧を供給するなどで繋がりを深め、中国一帯の経済にちゃんと組み込まれていた

 

 一方経済圏から外されていた安芸武田家や尼子はというと安芸武田家は徐々に防衛費で借金が膨らみ、商人が領内から離れ、更に資金源不足と重税で民意が離れ始めていた

 

 尼子は九州の大友と同盟を結び大友が北九州の大内領を攻めている間に石見銀山を奪取、ただ大内と本格的な戦争をすれば尼子は潰れると考え尼子は東に活路を見いだしていた

 

 

 

 

 

 

 

「父上、これはなんですか?」

 

「あぁ、サトウキビとバナナだ」

 

「サトウキビ……砂糖の原料と言われる物ですか。バナナは聞いたことがございませんな」

 

 照継の長男である恭児が照継の持ってきたサトウキビとバナナを見てそう呟いた

 

 宮永恭児、照継の最初の子であるが嫡子でなく異母弟である迦具照に従うことを進んで協力している宮永一族の円滑油である

 

 本人は愚痴聞き係とか凡夫故にこれぐらいしかできないと自虐していたが、調整能力や事務能力はとても高く元就も評価していた

 

「東源郷で育てるので?」

 

「ああ、米和(照継の嫁 農業神)の奴が張り切ってたからな。育てるって」

 

「ああ、米和さんの子供達も張り切ってましたからな」

 

「品種改良の概念を教えたらそれを生きがいにしてるからな米和の奴」

 

 農業神である米和は更に量が採れる品種や味の良い品種を作り始めており、既に東源郷では17世代目の改良が進んでいた

 

 生きるのに必死な戦国時代でそんな酔狂な事をやっているのはここだけである

 

「よぉ~親父~」

 

「龍火、相変わらず葡萄酒が好きだな」

 

「酒は金にも薬にもなるからな~」

 

「元就様の前では絶対にやめろよ。毛利家は酒毒で悉く亡くなってるからな」

 

「そんな馬鹿に見えるか~?」

 

「……酒の生産と利益はどうだ?」

 

「俺が経営している造り酒屋は酒蔵がこの前15戸の土倉が建った所だ。清酒、芋焼酎、葡萄酒、麦酒を売っているが、1戸の倉に4斗酒樽が200個入る。利益は粗利がだいたい1200貫ってところか? 粗利の4割は税で飛ぶけどな」

 

「ずいぶん稼いでるな」

 

「まーな。今度は広島に酒造所を拡張して更に量を造るつもりだ。商武の両方で生きていくからな」

 

 商武家……照継の進める商人と武士を一体化させた教育方針であり、平時は商人として働くが、武士としての地位もあるので毛利家の内政や徴税官としても働くという武士と商人の橋渡し役を担う者達である

 

 半商半武とも言われる

 

 中途半端な存在に見えるかもしれないが、宮永一族の資本力とそれを支える教育を受けた人材が脇を固め、毛利家に認められた商人……どちらかというと官営企業の先駆けみたいな役割であるため信用が担保されている

 

 また毛利家の家臣でもあるので毛利家に届く年貢や物納の品の現金化を担い、安く仕入れることで酒や調味料、布等に加工し、販売を行っていた

 

 更に銭座もこの半商半武の者(ほぼ宮永家だが)が製造量を管理し、銀行の役割をも担っていた

 

 ただ、そこまで権利を与えたら宮永一族が強くなりすぎないかと思われるが、表向き所領は船山城と東源神社周辺の600石の所領だけなので、他の権利で宮永一族を優遇している感じだ

 

「父上はここのところの尼子の動きをどう見ますか」

 

「尼子経久が家督を孫の詮久に譲ってから石見銀山奪取、将軍の要請で上洛、更に道中の赤松氏に大勝し、赤松氏の領土を併合したからな」

 

 九州の大友家と共謀して大内包囲網を作り、大内が動けない間に備後、備中、美作、因幡の4ヵ国を吸収

 

 本拠地の出雲、伯耆、あと石見銀山のある石見を含めた7ヵ国を有する巨大勢力に成長していた

 

 ただ経済状況は石見銀山頼りであり、銀山を入れても領内すべての経済力を合算しても100万貫いくかいかないかの経済力であり、毛利家や大内家の様な安定した経済基盤を持ち合わせていなかった

 

 ちなみに大内の経済力は石見銀山を失ったが、貿易範囲が日明だけでなく東南アジアまで広がっていたのと散々自国産業の興隆の為に投資していたので品質が跳ね上がっており、実質経済力は360万貫~400万貫

 

 ちなみに毛利家も25万貫~30万貫程度の経済力を有していた(石高に直すと50~60万石ほど)

 

 領地的には7万石しか無い毛利家だが、経済力は安芸で飛び抜けていたのだ

 

 閑話休題

 

 まあ照継は知らなかったがこの大内包囲網だが、画策した大友義鑑(大友宗麟の父)がこの大内包囲網を作った張本人にもかかわらず、尼子が京から帰ったタイミングで大内との和議を将軍に依頼、大内は手強かった大友という敵が居なくなり、九州での基盤が整い、更に大友と同盟が成立する

 

 大友は将軍への手紙だけで大内に恩を売り、大内と友好関係を結びたかった将軍へも恩を売り、更に九州での大友家の格を上げることに成功する

 

 一方困ったのが梯子を外された尼子詮久である

 

 上洛してすぐに帰ったことで不義理と将軍が判断し大内に尼子討伐令が出される始末

 

 大内は待ってましたと軍事行動を開始し、長年頭を悩ませ続けていた安芸武田家は幕府に敵認定され賊軍となったことと武田家をなんやかんや支えていた武田光和が病没していたことで内紛状態に陥り、大内軍1万5千が攻めて滅亡

 

 勿論毛利も援軍を出しており武田家の砦を落としている

 

 更に石見銀山の奪還に別動隊を動かしこれも成功、安芸、石見からほぼ尼子の影響力を排除した

 

 が、ここで大内タイムアップ

 

 陶興房が病に倒れてそのまま亡くなってしまう

 

 享年65歳

 

 この時代だと普通に長生きだが80を超えても元気な尼子経久が化物なだけである

 

 大内軍は陶興房の葬儀のために尼子討伐を一旦辞めて周防・長門に帰国

 

 次に大内に攻められたらヤバいと判断した尼子詮久は自国の兵をほぼ動員した3万の軍勢で安芸侵攻を開始するのだった

 

 天文9年(1540年)のことである

 

 

 

 

 

 

 

 尼子の大軍が安芸に侵攻する1年前の東源郷にて火縄銃の性能実験が元就や志道広良、宮永一族の息子達、宮永家の家臣達に公開された

 

 射撃を行ったのは宮永弘金

 

 金屋子神と照継間の男子でこの時20歳

 

 家長の迦具照と同じ年で迦具照の側近衆を務めつつ、火縄銃製造、運用の第一人者でもあった

 

 弘金が撃った弾丸は100メートル先に置かれた甲冑に穴を開け、甲冑に当たった衝撃で鉛の弾が離散し、背中部分にも飛び散った傷を付けていた

 

 これを人間の肉体に当てはめると体内で鉛弾が四方に飛び散り、肉体をズタズタにするイメージだろうか

 

 弾の強度が足りない故にそうなるのだが、それがかえって一撃の威力を上げていた

 

「凄い音と威力だな。弓矢ではこうはならんな」

 

「人を殺すことに特化した銃……火縄銃でございます。特徴としては弓よりも訓練時間が短く兵を育てることができること、矢の様に回収して再度使うことができないこと、大量の火薬を使うこと、大きな音と煙故に一撃目で敵を混乱させることができること、再度放つのに1分必要、何より金がかかる」

 

「照継、どれくらいかかるのだ?」

 

「1発5文(150円)」

 

「……なんだその程度か、身構えてしまったぞ」

 

「これは東源郷にて火薬の大量生産ができているためでございます。もし貿易品で賄うとしたら更に5倍はかかります」

 

「1発25文か……それは高いな。ちなみに1丁いくらするのだ?」

 

「軽量かつ、生産が容易な小筒がおおよそ5貫(60万)、射程が長い(有効射程300メートルほど)が高価な狭間筒がおよそ7貫(84万)」

 

「現状どれくらい造れるのだ?」

 

「小筒が500丁、狭間筒が150丁、日産だと小筒が3丁、狭間筒が1丁が職人不足で限度かと」

 

「どう思う広良」

 

「運用は難しいですが誰もが未知数の武器……大内でも真価を見いだせてないところを見るに最初の衝撃は計り知れない物になるでしょうなぁ」

 

「私もそう思う。使える兵は」

 

「現在25名ですが、1年教えれば1500名は使えるようになるでしょう。訓練用の弾薬は揃えております」

 

「鬼衆は直接的な武力があるが、若者を中心に鉄砲衆を育成せよ。必ず秘匿のために東源郷で訓練し、時期が来るまで持ち出したりしないように」

 

「はっ!」

 

「弘金と言ったな」

 

「は!」

 

「お主に鉄砲頭を命ず、必ず鉄砲を使える者を多く育てよ」

 

「必ず」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尼子侵攻の報は尼子が兵を招集し始めた時既に天狗衆が、続いて百合衆が目的が毛利家、宍戸家討伐であることを掴んだ

 

 元就は侵攻時期を逆算し、民を郡山から南部の地域に避難を開始させた

 

 避難先には東源郷も含まれており、この避難を期に東源郷に移住する住民も多く出た

 

 民を守る事を前面に出したことで寡兵ながら毛利の為にと兵に志願する者が多く出る

 

 この姿勢こそが毛利の底力として終始機能する

 

 すぐさまに援軍を大内義隆に元就は要請するが、陶興房を亡くした混乱で大内軍はすぐに動けない

 

 ただ安芸国衆は今回の尼子侵攻に対して吉川以外は反尼子で団結

 

 もう安芸国は毛利を立てることで一致していたのだ

 

 元就は宍戸家も守らなければならない為各国人衆を毛利と宍戸に分散して援軍を配置、更に忍び衆を使い徹底して尼子軍の小荷駄隊を襲撃し続け、特に毛利の天狗衆の名が売れることとなる

 

 尼子軍は3万の兵を率いてやや遅れは出たが郡山城に10月に到着し、郡山城城下町である吉田の町を放火し荒らし回ったが、住民は避難していたし、物質もあらかた巨大な山城に20年近くかけて拡張を続けた郡山城に入れていた為町民や近隣の農民約1万5000人に兵5000の2万人を詰めても1年間は耐えれる体制をしていた

 

「あの山城に籠られては容易に落とすことままならんな」

 

 尼子詮久は部下に4500の兵を預け城から挑発して引きずり出せという命令を出した

 

「宮永、渡辺、暴れてこい」

 

「「は!」」

 

 城から遠目の術で尼子の動きを視ていた元就は宮永照継と渡辺通を指揮官に命じて出てきた4500の兵の殲滅を指示

 

 照継と通は迦具照を含めた部下達に作戦を教えて裏口から夜にこっそりと兵1500を率いて出陣した

 

 

 

 

 

 

「毛利が出てきましたか、兵は800そこらといったところか? 青に六芒星に丸……宮永党か、ははーん、さてはこれを機会に大きくなりすぎた宮永党の力を削ぐことを考えているな元就は。宮永照継が伝説といえども5倍の兵に伏兵も居れば勝てないでしょう。よし、尼子の名を轟かせるのです」

 

 尼子の将は目の前に現れた宮永隊に突撃を開始した

 

「さて、鬼共、最高の舞台を用意したぞ。武名を轟かせてやれ」

 

「「「おお!!」」」

 

 照継は全員鬼で構成される本当の意味での鬼衆を指揮する

 

 脇を固めるは軍配を握る童子

 

 突撃してきた尼子の軍約4000名を魚鱗の陣にて衝撃を受け流すと反撃を開始

 

 鬼達は怪力を生かして大暴れをする

 

「やはり毛利の鬼衆は手強いか、おい、側面から奇襲部隊を突撃させよ」

 

「伝令! 奇襲部隊が奇襲を受け壊滅! 敵の旗印は渡辺!」

 

「なに!?」

 

 渡辺通率いる新生渡辺党200が尼子の奇襲部隊に背後から襲いかかり、奇襲部隊は散り散りに敗走

 

「で、伝令! 背後から敵伏兵300!」

 

「側面より200の兵が突っ込んできました! 兵の統率が利きません!」

 

「な、どこからそんな兵が!」

 

 

 

 

 

 

 

「妖怪退治と鬼が鍛えた宮永一族の恐ろしさ尼子の兵に叩き込め」

 

 迦具照率いる300の別動隊と洋慧(大内義興に烏帽子親をしてもらった大内留学をした15名の1人)率いる200名の伏兵隊、更に尼子の伏兵隊を追い払った渡辺隊が寡兵ながら包囲を完成させた

 

「敵は混乱の極み! 投擲隊焙烙玉投擲!」

 

 焙烙玉……火薬や油を詰めた爆弾であり、投げ縄を使って混乱する尼子兵の真ん中に焙烙玉を投げ込んでいく

 

 飛んで行った焙烙玉は8割の確率で破裂し、火の粉を周囲にばら蒔いた

 

 焼夷弾に近いもので破裂音と火の粉を飛び散らせて乾いた木壁や船を燃やす物であるが、火縄銃使用の前準備として使用した

 

 大して殺傷能力は高くないが、混乱しているところにそんなものが投げ込まれれば統制は全く利かなくなり、尼子の兵は仲間を押し倒して逃げたり、同士討ちを始める始末

 

 逃げるに逃げれなかった尼子4500の兵は800になるまで討ち取られ、この部隊を預かっていた尼子の譜代の将達もほぼ討ち取られてしまった

 

 対して毛利の損害は150名ほどであり、初戦は大勝利で幕を降ろす

 

 

 

 

 

 

 尼子詮久はまさか4500の兵が壊滅するとは思っておらず、逃げてきた兵から詳細を聞くと唖然とした

 

 すぐさま作戦を切り替え、大軍をもっての持久戦に切り替えるが、元就は地の利を生かして補給を度々襲撃

 

 持久戦では先に尼子が力尽きる構図を作り上げる

 

 しびれを切らした尼子最強の新宮党率いる尼子国久は自身もつ兵1万を率いて独断で直接郡山城攻めを開始するのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 尼子の軍が割れた事を視ていた元就はここで新兵器鉄砲を使う事を決断、夜中に鉄砲を使える兵の一部を城外に出し、山に隠した

 

 指揮を執るのは勿論宮永照継とその一族であり、山々に隠れて時勢を待った

 

 

 

 

 

 

 元就はここで策を出す

 

 尼子国久に家臣達が裏切りを示唆する偽書を届けさせた

 

 昼に表門を開門すると同時に毛利元就を家臣で討ち取り、それをもって一族の安堵を約束してほしいという書であり、最初は毛利元就の計略だと疑っていたが、昼になると本当に表門が開門し、城から煙が上がった

 

「毛利が仲間割れを始めた! 郡山城を落とせ!!」

 

 尼子国久率いる新宮党の兵は国久の号令で兵を表門に殺到させた

 

「かかった」

 

 表門の上り坂を登りきった尼子の兵が視たのは火縄銃を構えて待ち構えていた毛利の兵達であった

 

「撃て!!」

 

 ドドドドドン

 

 破裂音が炸裂し、最前列に居た兵が軒並み死骸へと変わる

 

 尼子の兵は何が起きたのかわからない

 

 思考が停止する

 

 そこに後ろから同じ破裂音が響く

 

 照継率いる別動隊1200である

 

「撃て! 撃って撃って撃ちまくれ!!」

 

 小筒を持った兵達が宮永弘金の号令で撃ちまくる

 

 城に入れた尼子500の兵は側に控えていた毛利の兵により門を閉められ退路を防がれる

 

 ここに迦具照率いる鬼衆800と毛利の兵が襲いかかり、四半刻で殲滅され、山から大量に放たれる銃撃により毎分100~200名の死者が続出

 

「よ、妖術だ! 毛利の妖術じゃ!!」

 

 最精鋭で知られる尼子新宮党も未知の攻撃には弱く、壊走状態となり

 

 多くの亡骸を出しながらも尼子本陣に逃げ帰るのだった

 

 この二戦目で尼子新宮党は5000もの死者を出し、その名声は地に落ちる

 

 本陣でも尼子詮久が独断で攻めた上に大損害を受けた尼子国久を罵倒

 

 両者の関係に亀裂が入るのだった

 

 

 

 

 

 

 そうこうしていると大内軍の援軍1万が到着

 

 大将は陶興昌、副将に陶家に養子となった陶隆房であり、数の上ではほぼ互角となる

 

「頃合いか、陶殿達に連絡、我ら毛利尼子に全力をもって奇襲を仕掛ける」

 

 元就は博打に出る

 

 尼子詮久、尼子国久をここで殺し尼子を瓦解させ、大内の山陰での影響力を確固たるものにし、天下人にさせる

 

 大内で大切に育てられている隆元も居るため後継にしても問題なく、毛利も大内の外様だが重臣になれるチャンスであった

 

「毛利は天下を望まず、ただ支えるのみぞ」

 

 ただ照継は違っていた

 

 元就を天下人にするために動いていたからだ

 

「三好が天下を握る前になんとしてでも毛利を安芸、備後を預かり、大内が衰退したと同時に尼子領を奪取、大内を担ぎ上げながら北条執権や細川管領の様に毛利が天下の政治をする! 東南アジア進出や大航海時代に西欧諸外国に負けない国にしなければ! そのためにも尼子には死んでもらう!」

 

 認識のズレはあれど互いに毛利家の為を思ってのことであり、尼子を殺すことは一致していた

 

 

 

 

 天文10年(1541年)1月

 

 毛利元就を大将に城内に匿った女や子供に甲冑を着せて城兵のフリをさせ、毛利本軍5000は城を出て夜襲を仕掛けた

 

 この軍の中には元就の次男毛利元春(後の吉川元春)やなぜか槍を持って男装して攻撃軍に紛れ込んだ静姫も居た

 

 突然の朝駆けに尼子軍は混乱し、毛利に押し込まれる

 

「うおお! 妖怪退治で鍛えた腕の見せ所!!」

 

「え? あれ奥方じゃね?」

 

「ふぁぁぁぁ!?」

 

 毛利の兵が静姫に気がつき、絶叫しながら戦ってる頃、2人の陶率いる大内軍も動き出す

 

 陶興昌は病気から回復し陶興房の実子として文武に長け、花も実もある勇将と呼ばれ、九州の少弐家を滅亡に追いやったり、龍造寺のチート爺とバチクソにやりあって戦闘経験を着実に積み上げてきたのに対して陶隆房はこの時が初陣

 

 副将であるが実績が無いため発言力が低かった

 

 そんな2人は各々2つの軍案を練っていた

 

 陶興昌の方は毛利が奇襲に成功したら毛利の後詰めとして毛利と入れ替わるように尼子に突撃し、尼子を退かせるという案

 

 対して陶隆房は尼子本陣がある崖から源義経の一ノ谷の様に崖を下り、本陣に奇襲を仕掛けるというものであった

 

 両者意見が対立したが、大内軍の武官の重臣内藤興盛(後々毛利隆元に娘を送り、毛利輝元の祖父になる人)が折衷案を出し、軍を2つに別けて陶隆房率いる3000は崖からの奇襲を、陶興昌率いる本隊は毛利の後詰めに入るという案であり、両者とりあえず納得

 

 元就の奇襲から四半刻後に互いに動き出す

 

 陶隆房の軍略は源義経に匹敵する才覚を持っており、崖からの奇襲に成功し、尼子本陣に大打撃を与える

 

 一方尼子も必死に立て直し、吉川の援軍1000名が毛利と大内軍1万2千を足止めしていると混乱を立て直した他部隊が救援に駆け付け尼子が裏崩れするのを何とか防いだ

 

 尼子詮久はここでもう無理と判断して撤退を開始

 

 毛利、大内両軍は追撃を行うも、尼子詮久、尼子国久両名を討ち取ることはならなかった

 

「尼子の将高尾久友討ち取ったり!!」

 

「奥方が大将の首を取ったぞ!!」

 

「えいえいおー!!」

 

 この戦いで静姫は伝説となり、毛利元春もその武名で名を上げた

 

 ただやはり一番名声を轟かせたのは寡兵で2度も大軍を退けた宮永党であり、毛利の飛龍、鬼の総大将宮永照継や後継者である迦具照、他宮永一族の多くの者が元就から感状と幾らかの銭や税の優遇等を受け取ることとなる

 

 ただ尼子を殺し切れなかった……これが次の戦へと繋がっていく

 

 

 

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