元就は安芸の本格的な掌握の為に動き出した
まず大内義隆が可愛がっていた養子の葬儀に元就と隆元が揃って出席、大内への忠義と安芸の裁量を譲り受ける
また元就の兄の毛利興元の娘が小早川家に数年前嫁いで繋がりが深まっていたが、小早川家は竹原小早川家と沼田小早川家に分裂していたが当主が両家共に相次いで亡くなっており、竹原小早川家は当主不在、沼田小早川家は盲目の病弱な幼子が当主をするという両家末期の様な様相になっており、数年前から元就の三男毛利隆景(1542年で17歳 元服時大内義隆に烏帽子親をしてもらっている)を養子にとラブコールを竹原小早川家の家臣団から受けていたこともあった
しかし、大内の家臣としてのこれ以上の拡張は粛清の対象になると避けていたが、毛利家の拡張を決めた為小早川家の乗っ取りを行うことにした
大内義隆の許可と安芸国での婚姻は毛利元就が執り行うと決め、小早川隆景に改名させ、隆景は沼田小早川家の当主の姉と婚約し、盲目の当主を出家させて沼田小早川家と竹原小早川家を統合
元就の謀略という才能を一番受け継いでいた隆景らしい計略であった
その押し込められた盲目で病弱な少年は照継が何かに使えるかもしれないと照継の船山城下にある寺に保護させ、時折その少年に教えを行った
幸徳と名乗る様になる少年は後々宮永家の家臣となるが、心眼を習得し、高僧として有名になっていくこととなる
小早川家を乗っ取ったことで小早川水軍を支配下に置くことに成功
照継は息子達に小早川水軍のノウハウを吸収するために修行に出したり、小早川家の家臣に自身の娘を嫁がせて繋がりを深めた
この頃になると照継の孫が産まれ始め、更に一族は拡張していった
ただ元就に1つ悲しいことが起こる
天文14年(1545年)
元就の正室である妙玖が病気で亡くなる
享年46歳
この時代では平均的な寿命であった
彼女は7男8女を産み、育てて少なくなっていた毛利一族の拡張に努めた
立派に育った息子達や娘達を見て安心して旅立っていった
元就は数日自室に閉じ籠って泣き続けたが、杉の方に引っ張り度されると前に進むために頭を切り替える
更に次の一手を打つ
元就、隆元に家督を相続させ隠居する
ここら辺の地域では珍しくしっかりと生前に家督相続をすることで毛利家は隆元の下で纏まるであろうという考えと、大内義隆へのアピールでもあった
政治への興味を失ったとはいえ貿易等の金稼ぎへの熱は失っておらず更にあの、男色過ぎて離縁されるという伝説を作った大内義隆は離縁された妻の侍女を孕ませて男子を産ませるという出来事が起こり、大内義隆は亡くなった晴元の生まれ変わりと大喜び、しかし大内家中だけでなく周辺諸国の大名もあの大内義隆が女と交わるなどあり得ないとし、侍女と身分も低いため父が違うのではないかと疑問が付きまとい、不義の子と視られ、とても忠誠を誓うことができない
陶隆房はそんな大内義隆に失望し、大内家の未来のことだけを考えるようになり、武力を持って周辺諸国を統一するという武官として活路を見いだそうとする
一方文官達は義隆が文化への大量投資のギアを上げたことで大内家の収支が赤字となってしまい、それを何とかしようと軍事費を削ろうとし、文官と武官の対立が顕著となってしまう
この状況を陶興昌は厳島の地で静に情勢を見守っていた
「陶と毛利が協力する限り大内は安泰……か、父上、宛が外れましたな」
陶興昌は毛利の忠誠心が徐々に離れていっていることに気がついていたし、陶隆房に陶家の実権を持っていかれ、中立だったが故に文官、武官両方から責任を追及され、家老職を辞することとなり、重要性の落ちた安芸国監視を桜尾城で元就から届けられる事後報告に許可を出すだけの閑職に追いやられていた
「父上、このままでは大内は割れてしまわれます。父上が纏めなければ大内は!」
「……殿は色に溺れすぎた。宮永殿も色に溺れておるが、教育の重要性を理解し、優秀な子供達を多く排出したのに対して……殿の嫡子は本当に殿の子なのか? 私には彼に忠義を抱くことがどうしてもできん」
「しかし、このまま隆房叔父上の暴走が続けば大内も尼子の様にお家が割れまする」
「(陶)昌信(陶興昌の子)、お前は良い子に育ってくれた。だがな。我ら大内の戦略は破綻したのだ。それを修正しなければならない殿は政治を辞めてしまった。私が中央に居れば良かったが、そうもいかん……昌信は毛利隆元殿の下に修行に行け」
「隆元殿ですか?」
「隆元殿とその守役の照継殿の下で色々学んでこい、そのまま安芸で家を立てよ。陶の血を残さねばならぬからな」
「父上それでは!」
「なに、私の予想が外れるかもしれない……外れて欲しいものだ。願わくは義隆様が再び元に戻られることを願っている」
陶の本家筋の興昌の長男陶昌信が隆元の下で働きたいと言い、客将として雇うことになるというプチ事件が起こっていたが、更に大きな事件が起こる
毛利元春に元就が婚姻したい娘とか居ないの? と聞いたのが始まりだった
安芸国内であれば毛利元春は誰を選んでも得しかないので自由に選んで良いよと元就が許可を出した数日後、熊谷信直の娘を誘拐してそのまま東源神社に婚約の契りをしたいと連れてきたのだ
神主の照継、父親の元就そして娘を誘拐された熊谷は全員驚愕
すぐに東源神社に集まり、まず熊谷信直に元就が謝ったが
「いえ、誘拐されたことには驚きましたが、熊谷家にとっては得しかないので、正直ありがたいのですが……本当に私の娘で良いのですか? ……言ってはなんですが醜女ですよ」
「親父、俺は結婚するなら熊谷殿の娘のハウ姫って決めていたんだ。良いだろ。ここで契りを結ばせてくれよ。先に良い子が居ないか聞いたのは親父ぜ」
「それはそうだが……こう手順がな」
「春元殿、ハウで本当によろしいのですな」
「勿論だ」
「……ならば私は何も言いません」
「信直殿が納得しているなら私からも言わんが……」
「えっと契りを結んでも?」
こうして熊谷の娘ハウ姫を毛利元春は嫁にし、夫婦仲は良く、側室も取らないで一途だったが、元春を溺愛していた元就の次女で元春の1つ上の宍戸家に嫁いでいた姉は醜女の嫁に激怒、元春に釣り合わないとして幾度となくハウ姫と喧嘩となり、鬼伯母と呼んで罵り合うことが多発する
そんな元春に養子の話が転がってくる
それは吉川家からであり、吉川家は当主の素行があまりに悪く、新参者を重宝しては譜代家臣を蔑ろにしたり尼子への寝返りみたいにその場その場で有利な方に味方するという蝙蝠野郎であった
ただ武力は照継に匹敵すると言われるくらいヤバく、化物みたいに強かった為に家臣達は我慢してきたが、あまりの変節ぶりに流石に着いていけないと押し込めことクーデターが発生
新当主に吉川の血を引いており、郡山の戦いで実に見事な初陣を飾っていた毛利元春殿になって貰いたいと吉川家臣達は懇願
元就は押し込めだけではなく吉川領から元当主一家の追放をしたらと条件を吊り上げたが、家臣達は元当主とその一家を処刑
元就はドン引きしながらも約束だからと吉川家に養子として元春を送り、吉川元春へと改名した
他に元就は四男の毛利元清(1545年時点で18歳)は村上水軍の娘と婚約し、毛利分家を興させ、石見高橋領の管理を任せられる
五男の毛利元秋(1545年時点で16歳)は宮永恭児(宮永照継の最初の子)の娘(15歳)と婚約をしたりしていた
内外に着々と勢力を整備しながらも尼子方の備後の国人衆を着々と攻略していき
天文18年(1549年)には安芸国を完全掌握することに成功する
しかし、国人連合という体制からの脱却はまだできておらず、良くも悪くも土地に縛られた戦国武将であった
照継は来るべき兵農分離に向けて試算をしていたが、安芸国単独で動員できる兵数は5000ほどであり、呉と広島からの税収をもってしても兵農分離は困難としか言いようがなかった
しかしやらなければ天下など取れない
既に時勢は京を押さえた三好という巨大勢力が誕生しているし、彼らの本拠地は四国
海を挟んで隣にいるのだ
もし三好が本気で天下統一に動くのであれば真っ先に毛利は狙われる位置にいる
なぜなら大内は前政権であるし、貿易特権を有しているからだ
建前上細川の家臣として大内から貿易特権を奪い、日明貿易の利益を独占しようとしている可能性すらある
東には巨大政権、西は西で薩摩に異国の船が上陸したという情報も伝わってきている
鉄砲の製造も堺で始まったと聞く
時間経過でドンドンアドバンテージは失われていく
この時照継は悟った
いままでは時間が味方であったが、時間が敵になったのだと
尼子も勢力を再び盛り返しており、備後北部で毛利と尼子の抗争も起こっている
「とにかく一部でも常備兵を創らなければ毛利は時代に取り残される」
ただあくまで照継は毛利家の家臣である
家臣が常備兵など持つことは許されない
こういう時に毛利隆元が率先してやらなければならないが、彼は武略に関しては並みである
いくら照継が常備兵の有効性を説いても理解されなかった
彼はあくまで天才官僚であり、天才的な将兵ではないのだ
元就もこれに関しては照継に反対した
銭だけ貰う兵など信用できない。土地という縛りがないから戦で不利になればすぐに逃げ出してしまうだろうと
確かにいままではそれで良かったが、兵農分離ができなかったから大内は長期戦で士気が下がり月山富田城で負けたのではないのか?
じゃあせめて鉄砲足軽の数を増やさせてくれと懇願
現在毛利家は日本一の鉄砲保有数を実現していたが、それを生かす人材が少なかった
最低でも2500の鉄砲兵が居れば戦場を支配できる
これも維持費等で隆元と対立
妥協案として照継の一族であれば鉄砲を自由に保有して良いとされ、宮永一族の家族に嫁いだり娘を貰って広がった親族の兄弟を含めれば1000名は集められそうである
元々宮永鬼衆を自由に扱える権利を貰っていたし、更に鉄砲という武装をすることも許された
ただ宮永家への優遇は隆元にとって頭の痛い問題となり、どうやって宮永家の力を削ぐかを考えるようになる
天文19年(1550年)
照継の東源神社に異国人がやって来ていた
彼の名前はフランシスコ・ザビエル
日本にキリスト教を教えに来たのだったが、最初に訪れた薩摩は貧しいながらも領主の島津と領民の団結が強く、布教が上手くいかず、大内のところへ行ったが、あまりに男色が酷かったので大内義隆に説教をしたら追放(後々貢ぎ物を贈って許される)されたりあまり上手くいっていなかった
「宮永殿は神に会ったとおっしゃって居るそうですが、それは本当ですか?」
「ええ、ここにいる私の奥方である美命や金屋子、米和はれっきとした神であります」
「人を神と語るのはよろしくありません。何より神は1人デース」
「ザビエル殿、この国では八百万の神という大量の神々が存在しています。異国の教えでは主と呼ぶ神を崇めているようですが、我々はそうではないのです。日ノ本の土壌ではキリスト教の教えを広めることは難しいでしょう」
「しかし、それでも教えを広めるのがワタシの使命、人々に本当の教えを伝えなければなりません」
「……はぁ、多分いくら話しても貴方達とは平行線ですね。ただ貴方は話がまだ通じる方だ。なぜ日ノ本でキリスト教が広まらないかの本当の意味を教えましょう」
ザビエルはその日人ならざる妖怪達を見ることとなり、日記にこう書き残している
『安芸の宮永の社にてなぜ日本に教えが伝わりにくいかわかった。この国は既に怪異の手に落ちている。怪異と人が交わり、子孫を増やしているとのこと。この国の王も独自の神の子孫を名乗っている。キリストや主に伝説が数多く有るようにこの国も独自の伝説が多数存在しているらしい』
『ただ私は幸運であった。怪異の中心を突き止めることができたからだ。彼らは我々が欲しい物を良く理解していた。貿易を行いながら関係を深めたいところだが、毛利は島と島の間の国故に多くの海賊が居る地域でとても貿易はできそうにない。大内の殿様と和解して彼らとの繋がりを持つ方が大切だろう』
またザビエルは毛利と宮永の不思議な関係性を指摘していた
『主である毛利元就、毛利隆元は名君であり、宮永の一族を扱えているが、宮永の内包する力は強大であり、力を削がなければいつか牙を向くであろう』
『日ノ本で魔王居たり、名を宮永照継、彼は我ら白人の事や本質を理解し、キリスト教のことも理解していたが、それをも利用しようとしている。彼が日ノ本を支配した場合商人は喜ぶだろうが、祖国イスパニアにとっては強敵になりうるだろう』
と能力を絶賛した
照継の出したワイン、パン、小麦菓子、香辛料……どれも欧州で必要とされる物と日常的に味わえる物、そしてワインはキリスト教の関係が深い飲み物である
食べ物だけで照継はお前ら西欧の文化を知っていると示したのである
ザビエルはそれ故に恐ろしさを感じ、宮永照継を魔王と残した