チート一族になりたくて   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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毛利は天下を目指さず

 備後18万石のうち東部の7万石を与えられた照継は男系一門を招集した

 

 58歳となっていた照継の子供の数は250名を超えており、うち男子が135人、元服を終えているのは65名、戦や事故で7名亡くなっていたが、58名が一門として控えていた

 

 更に孫世代を含めると一門は1000人を超えており、超巨大な家族になっている

 

 大半が半商半武か東源郷に住んでいたし、家訓で3人は子供を孕ませよと照継が言っていたので嫁も人間と妖怪両方を娶るのが彼らの流行りであり、ねずみ算的に増えていたが、それでも破綻しないのは東源郷の広大な土地と商人や職人といった手に職をしっかり持っていたからである

 

 そんな一門58名と宮永一族に忠誠を誓っている私塾の生徒から取り立てた家臣達を合わせると約100名が大広間に集まっていた

 

「東備後を毛利元就様、毛利隆元様から授かったが、ここ神辺城は交通の利便も悪く、町作りに向いていない。よって新たに平城をここ福山に城を築くことにする」

 

「しかし、そうなると大きな出費となるのでは?」

 

 宮永漫が意見する

 

「出費は痛いかもしれないが、ここでケチっても備後統治に支障がでる。更にここから備中、備前、出雲、伯耆侵攻の拠点となるのだ。手は抜けまい」

 

 今回の転置により照継は銭座棟梁等の多くの要職を返納することとなったが、依然として広島や呉、博多の商人達と深い繋がりがあり、宮永の御用商人の立場になっていた八雲家を通じて土地に縛られない金の流れを確保していた

 

 その金と蓄えを使い福山の地に拠点となる町を作る

 

 まず金をばらまいて人夫を集め、川の整備工事を行う

 

 川の周りに堤防を築くのではなく、先に支流となる場所を掘っておき、直線的にすることで増水時の氾濫を防ぐ

 

 更に幾つか貯水池を設けることでこれも氾濫防止を意味した

 

 この工事において照継はシャベルやピッケル、猫車などを投入し、鉄製の道具を銭とは別に追加報酬として渡すことで意欲を上げた

 

 農具としても使えるので農民達は大いに喜んだ

 

 川の工事の他に湿地帯である福山の地の開墾にも着手

 

 山から土を削りだして盛り土を行い、地盤を安定化させ、計画的な開発により多くの新田ができあがる

 

 神田城城下から人を徐々に移していき、また娼館を中心とした花町、近くの海から物流を繋げる港町、山から多く採れる鉄を使って鍛冶屋を多く誘致し、町を1から作っていった

 

 また町作りと平行して常備兵の着手にようやくとりかかり、1500名の兵に火縄銃を撃たせて練度を上げていった

 

 宮永鬼衆、宮永鉄砲衆、補給を担当する宮永輜重衆、3つの忍び衆を統合した宮永暗部衆等を整備し、強力な組織構築を迦具照を中心とした子供世代が作り上げていった

 

 3年間は地盤固めとし、小競り合い以外の軍事行動は控えた

 

 

 

 

 

 弘治元年(1555年)

 

 長門を得たことで外海と接続することに成功した毛利家は西欧人が欲しがる香辛料、砂糖、銀が主力商品である毛利家は長門の下関にて南蛮貿易をこの間に開始

 

 日明貿易が停止していたのでそこに入り込んだことになる

 

 元就と隆元は南蛮貿易の危険性は承知していたが、止まってしまった経済を動かすにはこれが最適と判断

 

 幸いキリスト教に改宗しなくても葡萄酒やパン、小麦菓子や照継が広めていた香辛料たっぷりの肉料理は南蛮商人達の懐柔にはピッタリであり、下関は南蛮船が多数停泊する町となる

 

 これに目敏かったのは貴族である葉子の三男の宮永霞(半商半武 薬師で香辛料、蜂蜜、砂糖を取り扱っていた 言語学者の側面もある この年32歳)

 

 美命の五男の宮永赤津見(半商半武 料理人 油を取り扱う 29歳)

 

 ハ尾まで成長していた化け狐の蘭の三男の宮永湧(造船技師 四尾 算術や計算が得意 30歳)が南蛮人と接触

 

 接待やポルトガル語とスペイン語の習得に励み、通訳をしなくても会話できるようになると自身の強みを生かして交渉を開始

 

 赤津見は南蛮人が豚肉を食べることを知ると養豚場を作り、豚肉やラードを広め、霞はジャガイモやとうもろこし、スイカ、カボチャ、トマト、オリーブ、苺、玉ねぎ、人参の輸入に成功し、東源郷にて栽培にも成功する

 

 一番凄かったのは湧で、自身が妖怪であることを利用し、見せ物として南蛮船に潜り込み、目測で船の構造を知ると幾度の小型船で模型を作った後にキャラック船をコピー

 

 そこから瀬戸内海でも運用できる帆船や軍艦を作っていき、弁才船の原型を造るに至る

 

 毛利五百石船と呼ばれる弁才船は瀬戸内海貿易及び貿易が禁止されていなかった朝鮮と対馬を通した交易が盛んに行われることとなり、コピーしたキャラック船も日本の商人の東南アジア進出を後押しすることとなる

 

 ただこれらの船が本格的に登場するのは1570年であり、毛利水軍最盛期を支えることとなる

 

 

 

 

 

 

 

 毛利が大内の基盤を引継ぎ、混乱を治め、外に向けて動けるようになった弘治2年(1556年)

 

 毛利軍は尼子侵攻を開始

 

 この頃の尼子は新宮党の粛清をなんとか終えたが、石見銀山を失い、とても他所と戦える状況ではなく、更に戦国大名からの脱皮を目指し、中央集権化を強引に推し進めていたことで家臣や一族からも批判が相次いでいた

 

 尼子詮久は再び月山富田城に籠城して敵が撤退するのを待つ持久戦を選択するが、元就は軍を大きく3つに分ける

 

 まず九州の大友が下関を狙っている情報を察知し、伊予の小早川隆景と長男の毛利隆元を九州への睨みを利かせられる位置に置き、宮永党は尼子支配下の備中から伯耆攻め、毛利本隊は尼子の出雲の支城を全て落とし、月山富田城を完全に孤立化させる行動にでた

 

 ちなみにこの時の毛利軍は

 

 春に田植えの終わった田畑を荒らし

 

 夏に青田を刈り取り、踏み荒し

 

 秋に実った稲穂を燃やし

 

 冬に蓄えの蔵を破壊させ、領民を餓死させるといった情の無い畜生の様な戦術を採用する

 

 一方本国出雲からの連絡が途絶えた備中攻めは5つの決戦と15の城攻めを宍戸家と宮永家合わせた8000の軍勢で取り掛かり、全てにおいて完勝

 

 痛い目を見てきた尼子も鉄砲対策に竹筒を束ねた盾や鉄砲対策をした鎧を将兵は着用していたが、鉄砲に対しての技術の蓄積が他家より20年進んでいる宮永軍の狭間中筒と貫通力を上げるため先端を尖らせた弾丸を採用していた宮永鉄砲衆は対応策を上回り、多くの出血を尼子側は強いられた

 

 他には鬼や妖怪の数が増え、血縁関係で強力な結び付きを実現していた鬼衆の怪力で幾度も城門を破壊し、城を陥落させていく

 

 5度の決戦というが照継が行った釣りに引っ掛かり奇襲しようと城からでてきたのを逆に待ち伏せで潰した戦いが殆どで、毛利軍はたいした出血も無く備中を平定

 

 そこで備前の暗殺だけで戦国大名にのしあがった宇喜多直家と備中、備前の領土を宇喜多側有利で期限付きの不可侵を結び、子供達に備中の城を守らせるとそのまま北上して伯耆に侵攻

 

 迦具照を大将とする別動隊を編成し、二方向から尼子領に雪崩れ込むが、長年尼子を支えた伯耆勢力は抵抗も激しく、民衆を踏まえたゲリラ戦を展開したが、民衆に高値で物資を買うことで銭をばらまき、年貢を尼子家の時代よりも低くすることや、人夫が必要な時は必ず銭を払うことを約束すると民意は徐々に尼子から離れていき、1年かけて伯耆も平定、毛利本隊も月山富田城包囲を完了させ、尼子は補給を絶たれた状態で籠城することとなる

 

 尼子救援のために大友は本州上陸作戦を行うが、毛利水軍を打ち破ることができずに上陸は失敗、小早川隆景と河野家に養子となり当主となっていた元就の六男河野元俱は伊予平定に動き、半年かけて西園寺家は降伏、

 

 伊予からも九州上陸の動きを見せると大友は本州侵攻を諦めざるを得なくなる

 

 

 

 

 

 

 永禄元年(1558年)3月

 

 約2年にも及ぶ包囲戦の末、城内で餓死者がでたことで尼子はついに降伏

 

 当主尼子詮久は切腹し、3人の息子達と女達は出家して寺送り、

 

 こうして毛利は大内、尼子を呑み込み、長門、周防、安芸、石見、出雲、伯耆、備後、備中、そして四国の伊予を含めた9ヵ国の主となる

 

 米の生産量は150万石に達し、石見の銀収入で更に100万石、南蛮貿易や銭座の影響で更に100万石の合計350万石の利益を得ていた

 

 これでもなお大内最盛期の半分の国力である

 

 今回の戦の結果、宮永一族に備中が更に加増、迦具照に備中守護代の地位が幕府より贈られた

 

 ただ幕府からは三好を討伐せよと命令が届けられたが、最盛期の三好と戦っても両者痛み分けになり国力が低下する可能性が高く、時間経過で国力が上がる毛利にとって今戦うのは得策ではないとし、兵力を西に向ける

 

 大内の継承者として北九州奪還を大義とし、先に密約を破った大友に対して5万の兵力で博多奪還を指揮する

 

 しかし、ここで毛利の遠征は失敗する

 

 総司令である毛利隆元が鉄砲で狙撃され、破傷風を発症

 

 看病虚しく永禄3年(1560年)に隆元は病没

 

 指揮を代行した陶興昌は侵攻失敗を覚り、隆元の死を隠して大友と和睦交渉を行い、毛利に博多譲渡で手を引くことを約束させ、大友は防衛に成功

 

 隆元が進めてきた官僚の整備は五奉行が引き継いだものの、当主となった隆元の嫡男毛利輝元はまだ7歳

 

 幸いというか隆元も元就から妖怪退治を習い、種は強かったためか急遽元服した輝元以外にも2人の男子がおり、早急に毛利宗家断絶ということは無かったが、それでも大打撃には違いない

 

 元就は妙玖と授かった残りの6人の兄弟と静姫の8人の男子に毛利宗家に忠誠を誓わせる連署を書かせ、兄弟協力して毛利を守れと言った

 

 妙玖の子が上で静姫の子はそれを支える……正室と側室の違いを明確にし、それを約束させた

 

 ちなみにだがこの時の6名の兄弟は

 

 吉川家の吉川元春

 

 小早川家の小早川隆景

 

 石見毛利家の毛利元清は領地替えで厳島近くの桜尾城に移り、安芸南西5万石と厳島管理、毛利水軍衆棟梁となっていた

 

 毛利元秋は宮永一族との連絡役であり、伯耆10万石

 

 河野家の河野元俱は伊予半国、

 

 毛利元政は出雲の最重要拠点の月山富田城城主を任されていた

 

 一族でガッツリと重要拠点を押さえていたが、当主であった毛利隆元の先見性で成り立っていたのも事実

 

 この政治的空白を60歳を超えていた元就が補佐しなければならない

 

 隆元に任せていた部分も再び元就が動かさなければならず、物凄く苦労することとなる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元就様が苦労しているが、こちらもこちらで厄介なことになったぞ」

 

 一方宮永家は迦具照が18歳になった宮永照石に継承を完了させた

 

 実権はまだ迦具照が握っているが、孫の元服を見守ることができた照継は幸福であるが、毛利家の事を考えると暗くなる

 

 毛利隆元を天下人にする計算で動いていたのにその隆元が亡くなった今、巨大になった毛利家を動かせるのは元就だけであり、7歳の輝元が大人になった際に大領を維持できる能力があるか疑問である

 

 輝元の教育係として宮永家からは大内で学び、照継から私塾の管理を任されていた宮永那智と陶昌信が当てられたが、不安でしかない

 

 更にもう信長の台頭は始まっており桶狭間の噂が聞こえてきている

 

 三好も全盛期であり、揺るぐ兆しすら無かった

 

 この状態での拡張は分家の肥大化で尼子の二の舞(内乱)となる可能性が高く、動くことができなくなっていた

 

 そして宇喜多直家が全く信用できなかったので忍び衆に命じて宇喜多直家を毒殺したことにより、備前は混乱状態に陥っていたが、毛利が動けない以上家臣の宮永家も動けないので備前の混乱をただただ見守ることとなる

 

「はあ、全く……私が計画した天下に向けた計略は次々に外れていくな……」

 

「仕方がありませんよ。天下とは天運を持ってなければ掴めぬ物です。毛利は中国を治める器はありましたが、天下人に成れぬ運命なのかも知れませんね」

 

「童子……いや、今は伊吹童子だったな」

 

「すばらっ! 第三代目鬼頭まで成長させていただき感謝していますよ照継様」

 

「蘭、覚、鈴、賢も大妖怪まで成長したからな……お前達の息子達も立派に成長して……」

 

「彼らにも立派な名字を与えてくださいな。妖怪総大将宮永照継様」

 

「やめろ、私は妖怪ではないんだ。人として生を全うする。たとえどれだけ長生きできてもいつかは死ぬんだ。毛利家をとは言わない。童子達は宮永家を守り続けてくれよ」

 

「心得ています。して、次はどう動くのですか?」

 

「動くも何も福山の町を完成させる」

 

「まぁそれはそうでしょうね。福山の町は海運の交通上停泊するのには良い土地ですし、水軍の基地や造船所も造るのですよね?」

 

「ああ、できれば造船の町にしたい。今後毛利が中央政権を狙うには広島と呉だけでは心許ないし、博多も奪えたとはいえ防衛上また大友に奪われかねない飛び地たから……だからこそ福山の町が必要になる」

 

「山口の町を参考にした広い道に新技術のコンクリートでしたっけ? 南蛮の技術と聞きましたがそれを使った街道は実にすばらでしたね」

 

「東源郷から石材を、各地から石灰や砂利を集めてできた大通りの舗装路は大八車が5台同時に通れるほど広く、更に水道の整備で飲み水や農業用水の確保、大内から逃れてきた様々な職人を優遇してい草を使った畳の普及、木綿を大陸から取り寄せてそれを普及もさせている……産業は一応はできつつある」

 

「しかし、それでも呉や広島には遠く及ばない。あそこは大内の職人の多くを抱えましたからね」

 

「仕方がないだろ。私たちもあそこに多くを融資し、今でも宮永一族の多くにあそこを本店とする者も多い」

 

「それは仕方がありませんね」

 

「これを覆すには20年くらいの年月が必要だ」

 

「ただ備前が混乱してくれたお陰で人口の流入は多いですね。今2~3万人程度が福山の町に住み着いて居ますよ」

 

「そうでなければ困る。あと荒廃していた村を復活させ、開墾を進め、作物の収穫量を上げなければ」

 

「そういえば農業も照継様は得意でしたものね」

 

「ああ、その為には肥料も多く居るから幸い南蛮貿易で肉の需要が高まっているから牧場を多く開いて肥料だけでなく肉を売り付けるもの良いかもな」

 

「馬は育てないので?」

 

「今南蛮と交渉して大陸の馬を購入しようとしてる。日ノ本の原種は山ばかりだから小型化してしまったからな。大型でパワフルな馬でないと」

 

「なるほど」

 

「あぁ、やりたいことが多すぎる。やらなければならないことも多すぎる」

 

「まぁ私は様々な書物の写本をして図書館でも建てましょうかね。それだけでも福山の町の産業になるでしょうし……陰陽師の方々も高齢になり、そろそろ現役は厳しいでしょうからね」

 

「20代で連れてきた彼らも今じゃ60代だもんな……後継者には恵まれたけど確かに老後の小遣い稼ぎに写本や技術書を残すはもってこいか」

 

「でも本当にこの乱世は終わるのですか?」

 

「終わる……毛利が終わらせるか東から強烈なのが来るからな」

 

「たまに言う織田信長という人物ですか……三好ではなく」

 

「そう。三好の天運はそろそろ離れていく……組織が未熟故に」

 

 

 

 

 

 

 

 照継の未来知識から三好政権は信長の台頭から逆算してそろそろ陰りがでてくるだろうと予想していたが、翌年から次々に三好政権の中枢の人物達が相次いで病死や戦死していってしまう

 

 福山の仮城にてその報告を聞いていた照継は元就に毛利が天下を取る最後のチャンスが近づいていると連絡し、面会を求めた

 

 元就はそれに応じ、郡山城にて照継を迎えた

 

「三好の天運が尽きようとしています。少なくとも永禄6年の現在で三好政権中枢の者が3名も相次いで亡くなるのは天運に見離されたと思って良いでしょう。三好長慶も持病が悪化していると聞きます……毛利が天下を取るには三好長慶が亡くなった混乱を突くしかないかと」

 

「……毛利の天下はどれくらい続くと予想する?」

 

「……長くて100年、短くて10年」

 

「話にならんな」

 

「隆元様が亡くなられたのが大きすぎました。彼の先進性であれば我々宮永一族を上手く力を削りつつも利用して政権の運営に組み込めたでしょうが……輝元様や他の兄弟では」

 

「宮永の恩の方が強いからな」

 

「申し訳ない。宮永家が毛利の足枷になるとは思ってもおらず」

 

「よい、照継のお陰で毛利はここまで大きくなれた。では次に考えるべきはいかに毛利を守るかぞ……我々の命もそこまで長くはないであろうからな」

 

「そうですね」

 

 ここ数年で地盤固めをしていたとはいえ大友の策謀により尼子残党や大内残党の蜂起によりそれらを潰すのに時間がかかっていた

 

 他には博多に天使が出現するようになったと報告があり、数体捕まえて色欲に溺れさせ、堕天させた上で東源郷にて飼い慣らしていた

 

 天使が現れたということはキリスト教がじわじわと広まっていることを示す

 

 元就はカウンターとして浄土真宗や神道、日蓮宗等の宗教勢力を支援し、貧しさから宗教にすがるため民の税率を下げたり、普請(公共事業)を多く行い民に金が行き渡るようにしていた

 

「まぁ今の東洋のキリスト教代表はザビエル殿と違い傲慢かつ日ノ本の民を黄色い猿呼ばわりするので教えは広まっていないようですがね」

 

「ただ奴らの船は大きく速い……技術力で遅れをとっているように見えるが大丈夫なのか?」

 

「今潜らせた者や天使から情報を抜き取り、船の仕組みは理解できていますが、問題は火器ですね。大砲は現物を奪わないと流石に複製は難しそうです」

 

「大砲か……船に載せることができれば海運を支配できるがな」

 

「今でも旧大内水軍、毛利水軍、小早川水軍、村上水軍の4つの水軍を支配して居ますがね」

 

「照継の予想だとこれを上回るのが来るのであろう? 東か西かわからないが」

 

「東なら国内の問題ですが、西は南蛮との戦になります。それまでにはなんとか」

 

「全く、天下は取っても10年かそこらで終わり、異国の驚異にそれにのめり込んで国を売る馬鹿(大友)もでてきているからな……輝元の出来も隆元に比べると劣ってしまっておる。あやつは心が優しすぎる。毛利本来の血が出たな。奴では天下の重圧に耐えきれんだろう」

 

「では」

 

「毛利は天下を望まず……照継」

 

「は!」

 

「毛利の足枷に宮永がなっているように宮永の足枷に毛利がなっている……もう互いに楽になろう」

 

「いえ、それだけは言わないでくだされ!」

 

「いや、言う……宮永家を毛利からの独立を許す。これからは宮永家は毛利の同盟国として扱う……毛利に気を遣うな」

 

「……はい」

 

 毛利との決別である

 

 といっても早急に毛利も宮永の影響力を抜くことはできないため、10年かけて徐々に宮永の役職を解任していき、宮永一族も安芸から備後や備中に拠点を移していくのだった

 

 勿論毛利家内部から反発もあったが、元就と照継両名で押さえ込んだ

 

 結果宮永一族に恩がある者は宮永一族の家臣になり、毛利に恩あるものだけが毛利に残っていった

 

 

 

 

 

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