チート一族になりたくて   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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農業官僚宮永照継

「松寿丸様、毛利に足りぬのはなんだと思いますか?」

 

「何もかもだろ。信頼できる将も勇敢な兵も足りない」

 

「それだけではございません」

 

「将と兵だけじゃないのか?」

 

「民、金、地力、情報、権力……確かに全てが足りませぬが足りないと嘆いていては始まりません。足りなければ育てる、作るのです」

 

「民が足りないとはどういうことだ?」

 

「殿が居ない間に井上が圧政を敷き、民から富を巻き上げております。ただでさえ富が無い民を痛め付けるのは統治者としては悪手。なのでこの間捕まえた草の者(忍び)を使い民の為に情報を与えることにしました」

 

「情報?」

 

「井上の派閥も一枚岩ではないということです」

 

 照継は私塾を開いたことで商人と下級武士達の伝手を得ることに成功しており、商人達に椎茸や蜂蜜を売ることで木工職人を雇い、色々な農具を作ってもらっていた。

 

 千歯、手押し除草機、備中鍬、シャベルなど。

 

 養蜂用の巣箱の改良や蚕を飼い始めたり更に手広くやっていた。

 

 特に椎茸は干し椎茸にし、大内家の商人と契りを結ぶことで井上を通さないで売買を可能にしていた。

 

 井上は大内派に属していた為、大内家の商人に強く出ることができず、結果農民から税以上の作物を回収していたことになる。

 

 照継はそれを商人達に噛ませることで井上の徴税を回避していた。

 

「松寿丸様、世の中金ですよ」

 

 

 

 

 

 

 妖怪退治をしているからか身体がぐんぐんレベルアップし、怪力と呼べる力を手に入れ、更に性欲が高まったので育てていた孤児で好意を寄せていた者5名を毎日取っ替えひっかえしながら性欲を吐き出した。

 

「……娼館でも作るか?」

 

 この時代病気とかで顔が崩れてるとかでなく、肉付きが良く、長い黒髪があれば美人とされ、そこに教養や武芸を身に付けることで美女、才女となる。

 

 娼館であれば金も産み出すので更に良い。

 

 商人とその計画を話してみると商人達も乗り気となり、照継が出資者となることで利権を抑えた。

 

 そして娼婦を諜報員にするための教育をくノ一達にやらせる。

 

 ただ忍び出身のくノ一達は忍び家業よりも金払いや待遇が良いと娼婦に衣替えする者が続出するという珍事が起こったりもしたが、30人ほどが所属する娼館が出来上がる。

 

 照継は子供ができたら産んでこちらが引き取ると宣言し、働けない期間も一定の賃金を出すと約束したことで娼婦達から忠誠を得ることに繋がった。

 

 後は身請けの仕組みや給料形態を明確にしたりし、この時に培った組織作りは後々に生かされていくこととなる。

 

 

 

 

 

 

 永正8年(1511年)

 

 松寿丸が元服して元就と名乗るようになり、分家を立ち上げた。

 

 多治比家という分家名であるが以後も毛利元就で通す。

 

 元就の所領としては多治比猿掛城付近600石であった。

 

 照継は元就に取り立てられ、特に武勲等は無かったが多治比地域の領地開発の裁量を任された。

 

 井上にピンはねされる心配が無くなったので椎茸の栽培拠点を城近くの森に移し、農地指導を強行。

 

 労徳勤富という造語を作り、働くのは徳を積むことと同義であり、勤めるからには富まなければならないと金になる働きをさせた。

 

 まずは減税であり、井上がちょろまかしていた税を元の値に戻し、村人達の話を聞きながら農具を貸し出したり、水源の争いの仲裁をしたりし、米の増産と椎茸や蜂蜜、蚕の養殖による生糸を生産させ特産品を作れるようにし、城下で楽市令で商売の自由を推奨し、城下町の拡大を執り行った。

 

 元々多治比猿掛城下に市なんて無いようなものだったので娼館を中心とした町作りを敢行。

 

 既存の商人達には椎茸、蜂蜜、絹の大口取引で反発を抑え、行商人達は娼館等でお金を落としていった。

 

 そして娼館の仕組みを他の商人達にも伝え、融資をすることで利権を確保し、筍みたいに娼館が出来上がり始めた。

 

 またあばら家に幽閉されていた頃に教えた学生達を元就様に雇用してもらうことで文官の数を増やし、私塾を城下町に移転させ規模を拡張。

 

 商人達も算術と読み書きができる人材の確保がしやすい、毛利家としても優秀な文官が手に入ると照継の私塾から多治比学校という規模にすることに成功するのだった。

 

 

 

 

 

 

 1足軽大将からの抜擢、しかもうつけ者とされていた照継の能力を疑問視していた毛利家家臣達に文官として使えると認知されてきた頃に、電撃的に当主毛利興元が京の戦から安芸国に戻ってきた。

 

 家臣達はその情報を誰も知らず、まさに電撃的だった。

 

 ここで注目すべきなのは京で何が起こっていたかだ。

 

 約5年という年月の間大内氏は京から追放されていた10代将軍義尹を旗印として担いで京に上洛、将軍に復権させることに成功するが、その時に中国地方の国人達をほぼ全員上洛軍に組み込んでいた。

 

 その中には中国地方で2番目の勢力を誇る尼子もおり、まさに中国地方連合軍という感じであった。

 

 5年間京にて戦を転戦し、毛利興元もその中で奮闘し、大内氏は勝利を納める。

 

 ただ諸侯の疲労はピークに達し、副将となっていた尼子経久率いる尼子軍が国元の情勢不安で京から撤退。

 

 それに我慢ができなくなった他の国人達も撤退。

 

 毛利家もその1つであったのだ。

 

 家臣達は無事の帰還を表向き喜んでいたが、今後の展望を予想して策謀を行い始めていた。

 

 国に帰った毛利興元は父親のように酒に溺れるようになってしまい正常な判断を徐々に失っていく。

 

 この兄の行動に毛利元就も信頼できる家臣を集めて緊急集会を多治比猿掛城にて行った。

 

 メンバーは志道広良、国司有相(元就が幽閉されていた時には遠征軍に居たが、毛利興元と共に帰国)他5名程で末席に照継もその場に居た。

 

「まずいかもしれんな。尼子を叩くには大きすぎるが、毛利は手頃だ。毛利を叩くことで今回帰国した国人達の大内から尼子への鞍替えを戸惑わせる可能性が高い」

 

「そうなれば毛利単独で大内家と敵対することになりますな」

 

「大内の動員可能兵力は4万、更に周辺諸国も毛利叩きに乗りましょうから更に増えますな」

 

「毛利の動員可能兵力は1000名、これでは勝負になりますまい。大内の兵を京で見てきましたが精強の兵に率いる将も武勇に優れる者ばかりでございました」

 

 元就は家臣達の言葉を聞いた後に自身の策を語り始める。

 

「……幸いなのが撤退したのが我々毛利家だけでないことです。なので毛利の次は自分達かもしれないと思うでしょう。なので不安に思っている国人達を巻き込む」

 

「国人一揆とすることで相互防衛協定を結び外敵から安芸国を守るとするのはどうでしょうか」

 

 志道広良はニヤニヤしながら

 

「上策かと」

 

 と言う。

 

 他の家臣達も同調し、何事も無ければ良し、もし大内のターゲットが毛利家になればこの策を兄である毛利興元に上告すると決める。

 

「宮永照継」

 

「はっ!」

 

「策実行の際の調整を任せる。大役だ。行けるな」

 

「お任せ有れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 元就の予感は的中し、大内から毛利家討伐の命令が京より発せられた。

 

 毛利興元の下にいる家臣達は大内派、尼子派に完全に分裂しており、大内派は帰国を諭した家臣(尼子派)を処断することで大内に許しを得るべきだと言い、尼子派は共に戦った戦友を斬るとは何事だ、そんなことをすれば他の国人達の面目を傷つけ袋叩きにされると反論する。

 

 どちらの策をとっても毛利家は破滅であり、両派閥は毛利家が滅んだ後に自分が良い思いをすることしか考えていない。

 

 毛利興元は酒に逃げ酒量が増えていくが、元就が兄を説得し、国人一揆の号令書を各地の国人達に伝達する。

 

 毛利興元の命令が出る前、大内による毛利家討伐の号令が出たことを商人経由で早期に知った直後から照継は動き始め、まず部下にありったけの毛利家の信用手形を購入するように指示。

 

 この時代にも株の様に手形が存在し、言うなればその家の借金であり、商人達はこれを使い株の売買の様な事をしていた。

 

 大内の手形が1万だとすると毛利家は10円くらいであったが今回の討伐令でほぼ紙切れ同然まで下落していたのでそれをかき集めるように部下に指示を出し、自身はコツコツ貯めた資金を持って石見、安芸に跨がる有力国人の高橋家の高橋久光の下に訪れていた。

 

 大内、尼子には劣るが2家からも無視できない勢力かつ高橋久光は戦上手として中国地方で武勇を轟かせていた。

 

「討伐令が出たのが数日前にもかかわらず速攻国人一揆つう策を出して俺を頼るとは切れ者が居るな。誰の案だ?」

 

「我が主である毛利元就様の案でございます」

 

「ほう、てっきり志道広良辺りだと思ったが、元服間もない若造の案か……良いな。賭ける価値は十分にあるな」

 

「高橋様、元就様からこちらを贈ると」

 

 木箱から出したのは1000貫の大金であった。

 

 信長の野望とかのゲームだとはした金に感じるかもしれないが現代価値にして1億円近くの大金である。

 

 照継は商人達に借金もして金を抽出し、高橋家に誠意を見せた。

 

「……主の毛利興元は未婚だったな。お前らの誠意は確かに見せてもらった。相当無理した金額だろう」

 

 事実元就の600石で税収としては一般常識として300貫が良いところであり、毛利家全体でも1郡も有してないので5000石(税収だと2500貫)くらいしかない。

 

 そこが出した誠意を高橋久光は最大限評価し、代わりに毛利興元に対して美人と言われる自身の娘を差し出してきた。

 

「国人一揆には参加するし、毛利家と同盟を結ぶ、婚約の契りはこちらからまた使いを出す」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして高橋家と同盟を結ぶことに成功したことで日和見をしていた国人達も一揆に参加、安芸国の殆どの国人が参加するし一大勢力へと成長した……が、安芸国外部との戦いに対しての連合であり、安芸国内部での争いは基本当人同士で片付けることとなっていた。

 

 しかも同盟の盟主は毛利ではなく高橋家であり、毛利家の発言力は決して大きくなかった。

 

 更に毛利家に隣接する宍戸家が毛利家に侵攻を開始、毛利興元も新婚なのに戦にでなければならなくなる。

 

 ちなみにこの時照継は娶った5人をバンバン孕ませており10男5女の子供ができていた。

 

 妖怪達もこの頃手を出して孕ませたり絶倫ぶりを発揮していた。

 

 元就から

 

「俺も早く嫁が欲しいわ、自分で処理するの寂しくてな」

 

 といったのでオナホとローションを作ってあげたりという男の友情を育んでもいたりした。

 

 そんな照継は宍戸家との戦に駆り出され、小競り合いの度に5名から10名程を討ち取り手柄を稼いでいったため、足軽大将から馬衆(馬に乗れる身分)に着々と昇格していった。

 

 

 

 

 

 

 

 永正12年(1515年)

 

 照継も22歳を迎え、妖怪達も無事に出産し、半妖の子供ができていた頃、安芸国を揺るがす事件が起こる。

 

 厳島神社家の御家騒動である。

 

 厳島神社は朝廷や武家にとってとても重要な地域であり、大内氏の宗教的権威を担保していた場所である。

 

 京で絶賛幕府と権力争いをしていた大内家の大将大内義興はこの騒動を沈静化させるために安芸守護代の武田氏に仲裁を命令した。

 

 戦国の武田と言えば甲斐が有名だが結構色々な所に武田氏は存在する鎌倉の御家人だったため各地に飛び地と一族を持っていた。

 

 今回は安芸武田氏の事を指す。

 

 そんな武田氏であったが尼子と通じており安芸国に帰ってすぐに厳島神社を支配下にするために大内支配下の城へ攻撃を開始。

 

 これに対して大内義興は毛利の討伐令を撤回し、毛利に武田家討伐を命令した。

 

 さて困ったのが毛利の当主毛利興元であり、大内に逆らえば本気の大内が攻撃してくる可能性が高く、そうなると今は連合を組んでいる一揆衆も大内に寝返る可能性が高い。

 

 かといって大内の命令に従えば国人一揆のメンバーからの反感を買ってしまう。

 

 更に鞍替え多発の国人衆は毛利より権力も勢力も大きい武田氏に鞍替えする可能性が高く命令が出た時点で毛利は不利な立場となっていた。

 

 重臣会議の結果大内を敵に回したら確実に滅亡なので多少の反感は買っても武田討伐に動くこととなる。

 

 同じく吉川家も武田家討伐の命令が出ていたので毛利、吉川両家は協力して武田家の城(有田城)を落とすことに成功するが、8月……心労と酒毒に蝕まれた毛利興元は2歳の嫡男幸松丸を残して急死してしまう。

 

 享年25歳

 

 戦国の世とはいえとんでもない早死である。

 

 毛利家の後継者幸松丸と元就と家臣団の連名で決まり、幸松丸から見て祖父の高橋久光と毛利元就が後見人としてサイドを固める。

 

 ちなみにこの時点で元就は19歳、初陣もしていなかった。

 

 ただ半年の間毛利興元の死亡を隠すことには成功し、時間稼ぎと実質毛利元就を棟梁とする一時的な新体制の構築に成功する。

 

 この間照継は何をしていたかというと領内の農業指導を行っていた。

 

 多治比猿掛城付近で正条植え(現代の田んぼの様に均等に苗を植える方法)と肥料の投入、塩選別や育苗、それに使う道具の貸し出しとやり方の普及を約3年かけて行ったことで2年目から豊作が続き、噂を聞いた他の村にも指導して欲しいとの要望を受け、毛利領をあっちこっちに走り回っていた。

 

 照継は農業専門の教育官(弟子)を供回りとして付け、やり方を覚えさせて普及させていった。

 

 また普及させるついでにご利益があるからと米和姫を奉る祠を建てさせて、そこに農業の指南書を送り、生産性をあげることに努めるのだった。

 

 

 

 

 

 照継が金! 金! と言って椎茸栽培、養蜂、養蚕を柱に定め、農民に技術指導をしているが、なぜこれが金になるのかというと、椎茸は前にも話した通り貿易で莫大な利益になるからであり、養蜂も同様、特に戦乱で養蜂技術が離散してしまっているため、薬としても各地で重宝されるので換金性が高い。

 

 養蚕……生糸なのだがこちらは現状中華がべらぼうに質が良い。

 

 ただ日本に輸入する量が限られているため日本国内で需要が高い。

 

 ただ現在の養蚕の質は中華を10とするとこちらは1~2程度であり、金がかかる割には利益が少なく、蚕の品種改良も済んでないので取れる糸の量も少ない。

 

 ただそれでも産業がほぼ死んでいる毛利領内で僅かでも金になり、将来の金蔓になれば良いと思い照継は行っていたのだ。

 

 毛利が生き抜く為には主要な産業を育てて豊かにするしかないと信じて……

 

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