チート一族になりたくて   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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第一次銀山合戦

 大永3年(1523年)7月

 

 当主であった幸松丸が死去したことで当主不在となっていた毛利家であるが、元就は志道広良と相談し、毛利家当主になるために動いていた

 

 この時元就は26歳、照継は29歳であった

 

 照継も動くなと元就から命令されており、東源郷にて子供の教育を続けていた

 

 勇者の血を継いでいるからか、子供達も妖力に敏感であり、火の玉や餓鬼、鵺等の下等妖怪を退治をさせることで力を付けさせ、貴族である陰陽師の連中や葉子(勘解由小路在富の養女で照継の側室)から教養を教わり、照継は現代の小学校の教育を教えていく

 

 集団行動をさせたり、町人の子供達と共に学び、鍛練をし、田畑の手伝いをさせたりと子供達は毎日色々な体験をさせた

 

 特に銭に関しては徹底的な教育を行い、おままごとを大型化させた模擬屋台で商売の練習をさせたり、人生ゲームでお金の大切さを学ばせている

 

 他にはスポーツを教え、サッカーや羽根突き(バトミントン)、キックベースやドッヂボールと現代に通じるスポーツで遊ばせたり、囲碁、将棋、麻雀といった遊びもやらせた

 

 今最年長が12歳で、最年少は0歳が多数おり、東源郷は子供達で溢れていた

 

 そんな子供達と過ごしながらも照継は毛利家の家督相続に意見できる立場に居ない自身の身分の低さに少し落ち込むが、子供達が大きくなるくらいには末席でも毛利家の方針に口を出せる地位に出世することを目標とした

 

 

 

 

 

 

 元就に多治比猿掛城に呼ばれた照継は文官の仕事をしながら元就に今後の方針を教わった

 

「尼子が毛利家の家督争いに介入してきた」

 

 まず盤面を整理すると、安芸国に主力を率いて出陣してきていた尼子経久は数日前に支配下伯耆国にて大規模な反乱が発生し、反乱軍が尼子居城である出雲の月山富田城へと侵攻していると言う話が遠征中の尼子軍に届いたのだ

 

 これは大内による尼子の安芸国侵攻を撤退させる策略であり、大内義興が盤面を描いていた

 

 国元へと帰った尼子経久であったが、安芸国支配の最終局面だっただけに支配を磐石にするため、国人達の余力を削ることとした

 

 まず毛利の力を更に弱体化させるためにお家の乗っ取りを画策

 

 尼子経久の次男で新宮党党首尼子国久の次男尼子豊久を亡くなった幸松丸の養子にすることで尼子の血を毛利に流す計略を企てていた

 

 元就は尼子経久の企みを予想しており、易々と家督相続をさせまいと考え、自身が家督を継承するために策を志道広良と共に立て、実行した

 

 将軍からの一筆(御内書)である

 

 毛利家臣達は数年前に京で大内と共に将軍家の為に戦った過去があり、その時の将軍は亡くなっていたが、家督を継いだ足利義晴と幕臣達はその時の献身と中国地方に少しでも将軍家の影響力を増やしたいと考えており、手紙1つで幕府の命令を聞かない尼子の血筋よりも血統的にも宗家の直接的な分家であり、幾度の知略にて敵を退けてきた元就の方が筋が通るであろうという家督を元就に継がせるようにの命令書であった

 

 これに大内派の家臣や尼子派でも幸松丸への仕打ちから毛利を使い潰されるかもしれないと疑心暗鬼になっていた尼子派の家臣達を志道広良は懐柔、更に元就の弟で今義経と呼ばれる相合元綱が尼子派でありながら賛同したことで毛利評定衆の全会一致で、毛利元就の家督相続が決定する

 

 なお元就は最初の謀以降多治比猿掛城から就任要請が出るまで一切城から出ておらず、志道広良ら元就派の家臣達による働きにより成功した渾身の策であった

 

 こうした毛利家の一大事に全く関われなかった照継は悔しさと不甲斐なさで顔をしかめたが

 

「照継、気にするな。お前はお前の良さを知っている。直ぐにでもお前を評定衆にあげなければならないであろう」

 

「それは……どういった意味で?」

 

「家督争いを機にここらで毛利の膿を出す。出しきることは叶わなくとも……な」

 

 元就から家臣の粛清を暗に言われ、それを酌んだ照継は東源郷へと帰ると照継ができる準備を始めるのだった

 

 

 

 

 

 

 

 照継は忍び衆の抜本的な強化を開始

 

 毛利の耳と目になるために不穏な動きを逐一把握する必要があり、質、量共に欲した

 

 そこで武田家の歩き巫女を参考にした娼婦達の百合衆、盲目の芸者達を集めた座頭衆、主力の御庭衆と幾つも組織を作り、諜報能力を高める事を行い、いち早く異変をキャッチすることに成功する

 

 大内から奪った鏡山城に詰める尼子宿老である亀井秀綱の家来が坂一族や渡辺一族といった尼子派の毛利家臣接触しているという情報を掴み、更に元就暗殺計画、相合元綱を担ぎ上げ養子とする尼子豊久を補佐する計画も掴む

 

「元就様、坂と渡辺が元就様の暗殺を企てており、相合元綱様も担がれたご様子。決行は1週間後」

 

「よく知らせてくれた。志道広良」

 

「はっ!」

 

「裏切り者の粛清を行う。志道は相合元綱を討て、赤川は渡辺一族を、宮永は坂一族を捕えよ」

 

「「「は!」」」

 

 元就は信用できる家臣にのみ誅殺の命令を下し、作戦を決行した

 

 まず元就は武勇で知られる渡辺勝を本拠地吉田郡山城に呼び出し、伏せていた兵を使い拘束した後に手足を縛り、崖から突き落として殺害した

 

 武士として誇りをもって死ぬことを良しとする時代

 

 照継みたいに生きる事を最良とする者の方が少数であり、たとえ晒し首であっても晒された後に丁寧に弔われれるのだが、崖から突き落として殺害したということは誰にも弔われることも無く、更に墓を残すことも許さないという最悪の殺され方であった

 

 元就にとって首謀者である渡辺勝は腹違いとはいえ仲が良かった相合元綱を担いで毛利家を割るという最悪の裏切りをしていたので元就の怒りは凄まじかった

 

 相合元綱の方も志道広良の兵に城を包囲され、これまでと悟った元綱は10倍の兵に突っ込み大暴れした後に、全身に矢を受けて討ち死に

 

 一方照継は私兵200名を率いて坂氏居城日下津城を攻めいった

 

 突然の襲撃に驚いた坂一族は抵抗する暇も無く次々に討ち取られていき、毛利一門衆の坂一族はここで滅亡することとなる

 

 鬼達を率い、城から出てきた照継は

 

「毛利家に逆らう逆賊めの粛清故に村の方々は安心されよ。村の皆に危害を加えるつもりはござらん」

 

 と言い、村人達を安心させた

 

 捕えた女や子は吉田郡山城に連れていかれたが元就は男児のみ処刑し、女は基本解放、坂の棟梁の娘や妻は仏門に送られた

 

 渡辺一族の粛清も行われたが、渡辺の嫡男に逃げられてしまう

 

 しかし、城を抑えることには成功し、元就は家督争いを発端とする粛清を完遂することに成功するのだった

 

 ただこの騒動の最中、坂一族と親戚関係にある桂の棟梁が坂一族の謀反を気がつかなかったとして自害

 

 更に一族が追腹(集団自害)をしようとしたので元就自ら乗り込んで自害を止めるという一幕もあった

 

 

 

 

 緊急の評定にて

 

「毛利家を裏切り、他家に利する行いを企てた者は皆粛清した。毛利家はこれにて元就が当主として手腕を振るう。異議のある者はこの場で申し出よ」

 

 誰も申し出る者は居ない

 

「此度の仕置きを行い坂一族は志道広良の次男に坂一族の所領を継承させる、渡辺一族の領は毛利本家が接収し、相合元綱の居城船山城は宮永照継に与える」

 

 ざわざわと場がざわつく

 

 照継は馬衆、末席の武士なれども活躍は内政が多く、鬼を従えるや黄泉帰り等の逸話はあれど、城持ちにするには格が足りていないが、重臣一族の裏切りにより家臣の数が減ったことでギリギリ行けると元就は判断したのだった

 

「全力をもって毛利家に尽くす所存」

 

「またこれをもって宮永照継を評定衆に参加させる。異論は無いな」

 

「待たれよ、評定衆は代々毛利に尽くした家のみが成れる席、一代で成り上がった宮永殿を評定衆に入れるは賛同しかねる」

 

 照継を嫌っている井上が反対するが、他の家臣達は井上に同調はしなかった

 

 理由としては逸話の数々は大内義興の耳に入っており、直臣に欲しいとか毛利に過ぎたる者、真の武士と誉めていたので反対すると自身が照継の代わりをしなければならず、それは遠慮願いたかった

 

 ちなみに今の照継の毛利家家臣達の評価は

 

 文官としては毛利家に並ぶ者無し

 

 教養も陰陽師や葉子(貴族の妻)に習い京に滞在した者に並び

 

 武功はパッとしないが武芸は随一

 

 将器も鬼を率いるためある

 

 というのが彼らの見解であった

 

 武勇だけパッとしないがそれ以外は完璧に近く、確かに身分は低いが、元就の器を早くから評価していたこともプラスに働いていた

 

 井上の抵抗虚しく照継の評定衆入りは可決され、照継は馬衆から一気に城代まで昇進

 

 更に船山城から東源神社(徒歩30分ほどの距離)を含めた一帯400石を加増された

 

 

 

 

 

 

 

 

 元就は一族や家臣を粛清したことで守りが手薄になると判断し、毛利本家の居城である郡山城の大拡張に着手

 

 照継も人夫100名と銭1000貫の提出を要求され、これに答える

 

 また多治比猿掛城、船山城、郡山城へと続く街道の拡張と楽市令を行って商売をしやすい体制を作った

 

 ただ毛利家としては家臣団が粛清で文の重鎮坂家と武の重鎮渡辺家がいなくなり、更に武名高かった相合元綱も消えたことで将に文官が足らない状況となってしまった

 

 そこで元就は照継の私塾から身分問わず家臣に登用、更に他の家臣の兄弟を積極的に分家を作らせることで独立させ、家臣の家臣から毛利家の家臣へと昇格させることで穴を埋めていった

 

 こうして毛利家が混乱している間にも情勢が動く

 

 大内義興安芸国侵攻を開始

 

 尼子経久が居なくなったことで大内の領土を広げるチャンスと見た大内義興は18歳になる嫡男大内義隆と2万5千の兵を引き連れ出陣

 

 瞬く間に厳島神社を奪還されると桜尾城(厳島神社に一番近い城)に籠る尼子派の厳島神主家当主を包囲、更に救援に来た武田光和の軍を壊滅に追い込み、更に別の城2つを攻略

 

 武田家居城銀山城をも包囲するに至り、ここで伯耆の反乱に一息着いた尼子経久は主力を安芸国に派遣

 

 安芸の鏡山城の城主亀井秀綱(坂一族や渡辺一族、相合元綱を唆した張本人)が武田救援隊として出陣

 

 これに安芸国衆も参加するように命令されたが、国人衆に力を持たれたくなかった亀井秀綱は国人衆を3陣に置き、本人達は先陣、尼子譜代家臣を2陣に置き、大内軍に攻撃を開始する

 

 しかし、大内義興の右腕である陶興房が亀井の急襲を読んでおり、軍を銀山城包囲から待ち構える陣形に変え、更に伏兵を潜ませたことで亀井秀綱の第1陣と譜代の2陣は崩壊

 

 多くの者が討ち取られて亀井秀綱も命からがら第3陣に逃げ込むこととなる

 

 ここに来て亀井は元就に現状を打開する策を懇願し、元就は武田救援の策を実行するのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の戦、大内義隆殿の初陣故に無理をすることと箔を傷つける事を最も大内軍は嫌っている。だからかすり傷をおって貰う」

 

「かすり傷とな?」

 

「大内義隆の居る本陣に奇襲をする」

 

「な! 元就殿、それはいくら何でも無茶でござる。大内義隆の居る本陣は後ろを川、前には幾陣もの兵が詰めているのですぞ。更に兵数もこちらが4000に対してあちらは1万5千、更に後方には1万の大内義興の軍も居るのですぞ」

 

「だから油断している。背後から奇襲されるはずが無いと」

 

 元就の策は前の桜尾城奪取の際に仲良くなった地元の武田家臣の熊谷信直に抜け道を聞き出し、奇襲部隊500名を各家の精鋭で構成し、夜に川を渡って背後から本陣を奇襲するという策であった

 

 しかし、地元の熊谷信直でも底無し沼が広がる湿地帯であり、夜にそんな場所を移動しては危険と言ったが、詰みに近い現状を打開するにはこれしか無く、危険覚悟で行軍することとなった

 

 その奇襲隊に毛利家から抜擢されたのは宮永照継だった

 

 

 

 

 

 

 奇襲隊大将は熊谷信直であるが、参謀として宮永照継が指揮を取る

 

「熊谷さま、まず私の手の者が道を確認致しまする」

 

「この暗闇でか?」

 

「鈴、賢」

 

「「ここに」」

 

 暗闇からドロンと猫又の鈴と白狼天狗の賢が現れ

 

「この者らは闇夜でも昼のように歩く事ができまする。故にこの者らが歩く道は安全でございまする」

 

「おお、妖怪の力を借りるとは流石鬼の大将宮永殿、妖を従える力がおありで」

 

「ええ、まぁ……」

 

 毛利家からは100名奇襲隊が選ばれていたが、殆どが鬼や妖怪で構成されており、元就の情報源でもある天狗衆をも照継に預けていた

 

 息を潜め、沼地を犠牲者を出さずに突破したころ、突如大雨が降りだした

 

 雨により川を渡る音が消され、更に視界不良となった大内本陣に500名の奇襲部隊が襲いかかった

 

「かかれー!!」

 

 照継は大声で叫ぶと自身も突撃

 

 2メートル近くある金屋子神が打ちし、大太刀を振るい、雑兵を薙ぎ倒す照継と鬼や妖怪一行

 

 鬼達も数年で食生活が改善し、鬼らしい怪力を身に付け、更に妖力の使い方や東源郷に湧く下級妖怪の退治で妖力を高めていたこともあり、武を存分に発揮した

 

「鬼に続け!!」

 

 他の安芸国衆や熊谷隊の者達も激励の声を張り追いたてる

 

 奇襲隊が奇襲を成功させていた頃、元就達も動いていた

 

 元就達は奇襲隊を援護するために大内の別の陣に攻撃を開始し、その部隊は本陣救援のために陣を反転させている最中にぶち当たった

 

 その大内の部隊は大混乱に陥り、多くが訳もわからず大内義隆がいる本陣に逃げてしまい、本陣では逃げてきた者を奇襲隊と判断しての同士討ちが多発

 

 その混乱に乗じて奇襲隊は10名程度の犠牲で川を渡って脱出に成功

 

 元就達も1当てしたら撤退し、多くの兵を討とうとはしなかった

 

 大内の被害は700名ほどで、殆どが同士討ちであった

 

 この被害に大内義隆の初陣をこれ以上汚すわけにはいかないと判断した大内家臣達は大内義隆に撤退を進言、家臣の意見が纏まっており、初陣の自身が歴戦の将達に意見するのは愚策と判断した大内義隆は撤退を選択

 

 大内が撤退したのを見てから元就達武田救援隊は銀山城に入城し、勝鬨をあげた

 

 

 

 

 

 

 いまいちパッとしなかった照継の武名は奇襲を成功させたことで熊谷と共に轟き、毛利の飛龍や毛利の鬼頭の名が浸透していくこととなる

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